2011年11月29日火曜日

ドイツ人と自然

ドイツ人の身の丈に合った暮らしぶりという視点では、その原点はやはり日本人と共通する「自然に対する敬い、親しみ」というものがある。ドイツは言うまでもなくキリスト教国である。おおまかに言ってカトリックとプロテスタントが半々であろう。しかし、そのドイツ人の心の奥深くに眠るゲルマン精神はむしろ多神教から来るものであろう。例えばあのワグナーの楽劇では「神々の黄昏」に代表される様に神々、即ち複数の神々を描いているのである。ワグナーの楽劇は同じオペラの形式でもイタリア歌劇と違って、森深くや岩山といったものの自然が舞台装置だ。また本来、欧州のキリスト教国でも例えばギリシャ神話、アイルランドのケルト神話、北欧神話などむしろ多神教の方が自然発生的で多数派である。

一方、日本の稲作農業は天候や水といった自然に左右される事が多いので、植物・動物の自然を支配せんとする小麦農業や牧畜業とは違った「自然への敬い」の宗教観が醸成されたとされている。日本のある有名な仏教哲学者が「ものつくり大学」を提唱し、初代総長になった事は興味深いものがある。というのも、日本人のモノ作り文化というものには、職人、作業員達自らが作る製品そのものをまるで仏像や神様に対するがごとく本当に大切に扱ってきている精神が基本にあるからだ。製品というのは種種雑多であり、その一つ一つがモノ作り従事者にとって仏像、神様のごとき「魂を入れて作るもの」であれば、それはまさに多神教の世界以外の何物でもない。

もう一つ日本人の精神性を表す逸話がある。この米国の大リーグでも活躍した野球の新庄剛志選手は日米を通しての現役時代に、一貫して新人の時に 7,500円で購入したグラブを使い通した事である。それもその古いぼろぼろのグラブに補修に補修を重ね、引退の日までの 20年近い期間に使い通したのである。あの派手なプレーとパフォーマンスぶりの新庄選手にでさえ、ものを大切にするという日本人の精神が貫かれていたのだ。スポーツの本場の米国ではゴルフの一流選手でさえ、ミスショットの後はクラブを叩きつける(へし折る選手もいる)投げつけるなど野蛮な振る舞いが普通だ。米国人にとってのモノは所詮使い捨てなのである。

こうした違いを我々は今一度はっきりと認識しておく必要があるだろう。工業先進国の中で際立つドイツの「脱原発」の動きにも、実は「自然を敬う」というゲルマン精神に根ざしたものがあるのであろう。もう30-40年も前から活動してきているドイツの環境保護運動の政党はその名も「緑の党」 Die Grünenである。緑、即ち木々の緑の森や林は日本人にとっての鎮守の森に等しい大切で貴重なものなのである。またドイツ人にとって最も身近で日常的な運動は spazieren (散歩する)である。郊外の森の中の散歩道を一人思いにふけりながら、あるいは愛犬と、家族、恋人、友人と静かに会話をしながらひたすら静かに歩くのである。

一方、ドイツ人が心から軽蔑し、深くため息をつくのは彼らがグランドキャニオンを訪れる際に泊まるラスベガスの光景である。これほど全てが人工的なもの、偽物、虚飾の街を作る米国人とはいかなる哲学を持つ国民なのであるかと。その米国が全てだと言わんばかりに留学で、ビジネスで学んだ米国式を盲目的に崇拝し、政治的には隷属姿勢を示し続けてきた日本人は、本来精神性に共通のものを持つドイツ人の様に米国との距離を一定に保つべく、今こそ覚醒すべき時であろう。

2011年11月25日金曜日

ドイツいじめ

孝子様、「言いたい放談」拝見しました。全く同感です。

ドイツ人にとって「あんただけには言われたくない」と言いたくなるのが英国の論調です。英誌、エコノミストあたりでもECBによるユーロ共通債にドイツが反対姿勢を示している事に対して、「ドイツ厳格主義が欧州統合を潰してしまう」と批判しています。一体自国の都合でユーロに参加さえしていない英国に欧州統合に向けあらゆる努力をしてきているドイツを批判する資格があるのかと。ここで ECBが安易に財務問題を抱える国に共通の資金を大量につぎ込む事になれば、そういった国は本来財政規律を厳格化して、自らが「自律と自立」に向かう様な努力をすべきであるところ、これを怠ってますます事態を悪化させるのは眼に見えています。

そもそもドイツは落日の英国と違って、経済力と技術力、市場の大きさと成熟度では欧州域内では圧倒的です。これが現在のギリシャ、スペイン、イタリア問題で象徴される財政危機にあたってのドイツの存在感に出ています。そのドイツの圧倒的な国力をもたらす源泉には日本と共通するものがあります。「勤勉、努力、向上心」というものを基礎に、「誠実、正直、几帳面」という国民性、何よりも「自然に親しみ、身の丈にあった暮らし」というものがあります。もうひとつは先日のブータン国王の国会での演説の中にもあった「規律」、これこそが両国に共通するものでもあります。ドイツもこの規律を重視するからこそ、それに対して厳格な姿勢でのぞむのです。

また、日独両国は英米のいわゆるアングロサクソン系と違い、決して「カジノ資本主義」には走らないという点でも共通です。英国はご存知の通り、今や自動車も家電製品もIT機器も外資は別として自国では全く作れない技術力なき後進国です。国民が勤勉ではなくなると経済が低迷し、財政悪化につながっているという基本構造ではイギリスもギリシャと何ら変わりません。財政悪化の結果、過度の民営化によってロンドンは観光客にとっても一目で判る様な情けない姿となっているのです。例えば、旧ロンドン市庁舎を日本の不動産業者に売却した為に議事堂対岸には景観を損なう醜く巨大な観覧車の塔が設置されて遊園地化し、バッキンガム宮殿が今やロイヤルグッズを販売する土産物屋化し、ロンドン市内西部にできた欧州最大のショッピングモールの客の大半は中東系で埋め尽くされているという状態です。

先日、米国の大手銀行のセミナーでエコノミストの人が「ギリシャでは 58歳で年金がもらえ(55歳とも言われている)、富裕層は脱税に走り、政府は財政数字をごまかす」「そこまでいい加減であればギリシャは自業自得、救済してもらうならばその見返りに独仏には彼らの休暇先として人気のクレタ島あたりを差し出せ」などとの金融界での冗談話を紹介していましたが、笑い話ながらもついつい頷いてしまいました。

これが企業であれば倒産と言う事ですから、どこかの企業に合併されるか吸収されてしまうという事につながります。何故、国家であれば生き残る事が出来るのであろうかと。実際に敗戦国であるドイツや日本などは領土の一部を奪い取られているではないですか。まずは独立主権国家であれば、国民に負担を強いて財政規律を立て直す事が先決であり、そういう努力を政府がリーダーシップで示していくのがごく当たり前の話です。あの金融危機の際の韓国で国民が自主的に金の製品を拠出したなどという精神は全くないのです。

2011年11月20日日曜日

TPPと日米同盟

TPP参加賛成論の中に安全保障面での日米同盟の観点から、参加すべきだとの意見もある。日本の安全保障政策での基軸は日米同盟であるという事は大多数の政党と国民の共通認識だ。しかしながら、東アジアにおける安全保障上の最大の懸念材料を持つ中国という国に対して、同盟国米国は日本をしのぐ勢いで経済面、財政面、投資面、貿易面でますます深いつながりを築き、ますますその依存度を高めてきている。米国債保有高、ドル建て外貨準備高、輸入相手国、貿易赤字の相手国、これら全てにおいて米国に対して中国は日本を抜いてのダントツトップの強い位置にあるのだ。いずれにせよ本来、TPPと日米同盟に関しては全く違う次元での議論である筈だ。

日本をTPPに引き込みたい米国は、おそらく野田政権に対して、日米同盟を意識させる事で無言の圧力の様なものをかけてきている事は容易に想像させられる。野田首相が APECで TPP交渉参加を表明すべきかどうかまさに国論が二分されている時期に、安全保障の専門家であるジョセフ・ナイ氏やアーミテージ氏、それにキッシンジャー氏までが相次いで訪日してきているのは単なる偶然ではない。米国は野田首相がそういった外交交渉の駆け引きの経験が浅い事やしたたかさに欠けるとみて、ここぞとばかりの攻勢をかけてきているのである。

それでは百歩譲って、安全保障と日米同盟の観点から、TPPへの参加を決めたとしたところで日本の安全保障面、防衛力は盤石なのかと言えば、とてもそう安心はしておられない様に環境が激変してきている。まずは上記の通りの米国の中国に対する経済的・財政的な依存度が極めて高い事、更には米国の財政赤字の面からの軍事費用の大幅削減が見込まれる事がある。仮に本当に中国との有事となれば、集団的自衛権さえも認めていない(日米安保条約では米国は日本を守る義務があるが、日本は米国を守る義務はない)日本という同盟国の防衛の為に米国の若者が血を流す事に対して米国内で米国民の理解を得るのは難しいと理解しておくべきだろう。

こうした米国の国力の弱体化の一方では、米国内での中国パワーの飛躍的な伸びが顕著である。米国への諸外国からの留学生数を見れば、毎年中国がこれまたダントツの一位であり、しかも人数の増加率が昨年30%、今年22%の大幅 up である。今や米国への中国人留学生数は16万人近くとなり外国人留学生の5人に 1人は中国大陸からの学生である。また、中国の富裕層が米国の投資移民プログラムを利用して大挙して米国の永住権、市民権を得ようとする動きが活発化してきている。ちょうどカナダに香港からの移民が大挙して押しかけた様に中国人は本来自らの国家を信頼していないのであろう。

この様に米国、特にもともと中国系が多く住みついている西海岸では「中国化」が着々と進み、本当に米国が中国と事を構える事などは米国の国内事情からして果たして可能であるのだろうかと思えてくる。仮にいざ有事となっても、米国という覇権国家としては同盟などという「義」よりも自己中心的な「利」を優先させるのが、衰退過程での生存本能であろう。米中の軍事衝突というのは現実的ではない様に思われてくる。

こういう状況下では、日本としては当然の事ながら「自主防衛」と「集団的自衛権容認」への道を着実に推進するのが正しいであろう。中国の軍事的プレゼンスの拡大を脅威として捉えているのは日本だけではなく、台湾は言うまでもなく、韓国、フィリピン、ベトナム、インドなどである。我々は今一度尖閣問題の時の中国のとった行動を思い出すべきだろう。日本人社員を言わば人質状態にし、中国からの観光客は止め、レアアースの輸出を制限し、と何でもありの国である。中国は関税よりも何よりも人民元を不当に安く操作している事自体から、TPP参加の交渉をする資格さえないのである。中韓抜きの TPP構想では、アジアの成長を取り込むなどという標語は全くのインチキであると言わざるを得ない。

2011年11月16日水曜日

米国から見るTPP参加問題

現在の日本が直面する課題に原発問題と TPPがあるのは言うまでもない。いずれも日本の先行きを決める重要なものであるだけに種々議論がなされてきている。その中で従来と少し違った様相を見せて来ているのが、こういった課題に対して、今までのいわゆる保守 vs 革新といった対立軸では見られなかった新たな動きがあることだ。例えば、保守層の中から脱原発を強く主張したり、TPP参加に強く反対する意見が出ている事である。また一方革新層(民主党での)では財界と一緒になって米国主導の TPP参加を強く後押ししている事である。先日も参議院予算委員会で社民党の福島党首が TPP問題で野田総理に厳しく詰め寄った際に、後ろに控える自民党議員が大声で「その通りだ!」とヤジを入れるなど思わず苦笑させられる場面もあった。そもそも保守や革新などという言葉自体、メディアが作り出した誤ったものであるのには違いがないが。

それでは何故こういった新たなねじれ現象が出てきているのであろうか。それは原発もTPPも米国的なもの、米国的価値観に基づくもの、あるいは米国主導のものであるからだろう。そういった米国中心的ものに対する日本人側での見方に変化が現れているのではないだろうかと思われる。特に、2007年後半のリーマンショックとそれに続くオバマ政権の誕生で明らかに日本人の米国に対する見方が変わってきている様だ。2000年頃を前後して、米国経済が「インフレなき高成長を維持出来るNew Economyの時代に入った」などと言って賞賛されたのが、実は米国民が浅ましくも身の丈知らずの過剰消費や住宅バブルに踊らされただけであったという事や、連邦債務残高問題がデフォルト寸前までに追い込まれ、議会での混乱で今日現在与野党間での合意さえ達成できていない事など、とても米国が世界のリーダーたるお手本の国ではないという事が次々と明らかになってきているのである。

特にオバマ政権が当初Change などという掛け声で変革を大いに期待されたにも拘わらず、こうした深刻な問題に対して、全くもって解決の方向性さえ示す事ができていないのには、米国内のみならず国際社会からのその落胆と批判の度合いは大きい。あの大統領就任直後のプラハでの核兵器廃絶宣言なるものや、ウォ―ル街の経営者に対する厳しい言葉は一体何だったのであろうか。そもそも当初オバマ大統領が国民に実現への努力を公約した、医療の国民皆保険制度や、投機に走らない銀行、格差社会是正(貧富差を示すジニ係数では米国は先進国で最高レベルの0.46に対し日本は最低レベルの0.30未満)、こんなものは日本に既に長らく当たり前のものとして存在するものではないか。

こうした事を思い起こせば、日本国民にとっては戦後から長く続いてきた「米国従属姿勢」をそろそろ見直しすべきだとの「覚醒」の機会となってきているのであろう。こうした覚醒というものは保守層では明確に見られるが、一方の政権政党では明らかに真逆の動きを見せているのがこの TPP参加問題だ。民主党内でのTPP参加交渉反対の署名をしなかった 133名の議員のリストを見ると、つい最近まで何かと反米姿勢を貫き通してきたであろう旧社会党系の議員も多く見られ、このTPP参加問題を理解しようとする国民の頭の中は混乱してしまう。彼らは今や財界・経団連と一緒になって日本の農業を壊滅させてしまう危険性を大いにはらむこの米国主導のTPPへの参加を目論んでいるのだ。

野田首相はじめ前原政調会長、枝野経産相といった現在の政権与党の首脳陣の経歴を見ても、彼らが米国に留学したり米国に住んだりという経験はなく、果たしてどこまで米国というもの米国人というものを自らが体験し理解しているのであろうか。今時ビジネス社会では米国で仕事をしたり住んだりといった経験はごく普通の事である。ビジネスマンであれば仕事を通じて米国人がその仕草、外見や社交辞令とは違っていかに(日本人的に見れば)あくどいと言えるほど自己利益に厳しいかを充分体験している筈だ。日本人ビジネスマンの米国での体験を通じてのとても「信じられない!」逸話は数多くあるが、何でもありのここ米国社会では実際に日常で起こっているのだ。そうした体験の積み重ねから、それを充分理解し割り切った上で、そういう相手ともうまくわたり合っていけるだけの免疫力、したたかさ、知恵や実力が養われるのだ。

実は、保守層の側でTPP参加問題への抵抗感、警戒感が強い背景には、現政権幹部よりもよりこうした「米国体験を通じた免疫力が多い」事にあるのだろう。G20のオバマ大統領との会談で野田首相が「TPPが全品目対象」と言ったか言わなかったかで早くも両政府の発表内容が違う事に対し、自民党幹事長が「危なっかしい!」と野田首相の甘い姿勢を批判するのは当たり前の事だ。オバマ大統領にとって外交交渉音痴の野田首相を相手にする事などは赤子の手を捻るよりも御し易い事なのだ。

2011年11月4日金曜日

We are the 99%.

OWS (Occupy Wall Street) 運動は9月に New York市で始まり、今では全米の主要な都市への進展の様相を見せている。彼らのスローガンである ”We are the 99%.” に象徴される様に高所得者層の top 1% との所得格差が拡大していることへの怒りと不満がこの運動の原点だと言える。先月、実際にこの top 1%が実に全体の17%の富を独り占め状態にしているとの数字が米国の公的機関から発表されたが、この数字を見て今更驚く米国人はおそらくいないであろう。

10月末に CBO(Congressional Budget Office、議会予算局)が1979年から 2007年の期間を対象に、家計数を所得額で5つに均等分割した各階層間での所得の伸びに関する分析結果を公表した。この分析は”Trends in the Distribution of Household Income Between 1979 to 2007” (1979年から 2007年の間の家計所得の分布傾向)というタイトルで、データはIRS(内国歳入庁)からの税収に関する各種の資料がベースとなっている。

この分析によると、1979年から 2007年の間に於ける、
1.各階層の税引後家計所得の平均額の増加率は(全体では 62%の増加)、

(1) Top 1%                     : 275%
(2) Top 1%を含む Top 2割(81%-100%)    : 65%
(3) これに続く中間層の 6割(21%-80%)          : 40%
(4) 最下層の低所得者層の 2割(1%-20%)   : 18%

2.各階層の税引後家計所得が所得全体に占める割合の増減は、

(1) Top 1%                     :   8% から 17% (+ 9%)
(2) Top 1%を含む Top 2割(81%-100%)     :   35% から 36% (+ 1%)
(3) これに続く中間層の 6割(21%-80%)          :   50% から 43% ( -7%)
(4) 最下層の低所得者層の 2割(1%-20%)   :     7% から    5% ( -2%)

つまり、「30年間の間に所得格差が急激に拡大している」という事と、「Top 1%の家計が全体の所得の17%をも押さえている」という事であり、益々格差社会に向かう傾向を示している。

家計所得には給与所得や労賃、個人業からの所得、キャピタルゲイン、配当収入、その他等がある。給与所得の面では、この30年の間での技術革新が熟練(中間層)と非熟練(最下層)の労働者の給与格差の拡大をもたらしたのは間違いない。

しかし、そうした事よりも top 1%の所得の中のいわゆるストックオプションによるキャピタルゲインが更なる格差拡大に大きく影響していることは言うまでもない。また、スポーツ選手、俳優、音楽家等のいわゆるsuper star達の収入が飛び抜けたものである事と、企業経営トップ、取り分け金融業界のトップの報酬が飛び抜けた額である事も同時に指摘されている。

OWS運動には現在では様々な団体やグループが加わり、その主張も様々で怪しげなものになってきているが、当初の主張の中核をなす「富裕層優遇税制の是正」と「投機的金融取引の規制」の根拠はオバマ政権が対策を講じてきていなかっただけに、それなりに明確ではある。

2011年11月1日火曜日

「脱原発」に関するクライン孝子さんの新著

ドイツ政府があらためて脱原発の方向性を打ち出した事が注目されているが、そこに至る背景や環境といったものが詳しく説明された書評は日本では意外と少ない。そんな中で在独 42年になるというクライン孝子さんの新著「なぜドイツは脱原発、世界は増原発なのか。迷走する日本の原発の謎」は極めて明解であり、また時期を得たものである。というのも、現在この脱原発問題のみならず、ギリシャの財政危機問題がユーロ圏全体の経済危機へと発展するのではと危惧される中で、EU全体に於けるドイツの自己抑制的で主導的な役割が一段とあきらかになってきているからだ。

この著書の中での中核は、第4章「ドイツの脱原発事情」と第 7章の「何がドイツを脱原発に踏み切らせたか」の、この二つの部分にあると思う。最初の「脱原発事情」の部分では、何よりもドイツが欧州全体で経済的、科学技術的には圧倒的な地位にあり、そこからの「自信」が脱原発という新たな方向へと歩ませているという点がまず指摘されている。実際にその科学的な成果としてもこの著書での資料によるとドイツでは太陽光、風力、バイオマスの自然エネルギー源の割合は既に全体の14%(日本は1%)を占めるに至っているのである。

日本人でも実際に欧州に住んでビジネスの経験でもしない限り、欧州域内での圧倒的なドイツの国力というものはなかなか実感できないかも知れない。近年アジアを中心とする新興国が急成長でその存在感を示すまでの先進国経済は「日米欧」の時代だと言われた。しかし極論を言えば、これは実際上、「日米独」の時代であったと言っても過言ではない。先進国市場で自動車、機械工業、化学工業の分野での供給側の主役は何と言っても日米独なのであって、英仏の産業は決してその地位にはない。また欧州を需要側の市場として捉えても、自動車、家電、高級雑貨に至るまで統一後のドイツ市場は仏・英・伊とは大きく差をつけてのダントツの成熟した最重要市場でもあるのだ。

しかし、そのドイツも二度の敗戦を経験することで戦後は欧州各国、特にフランスには常におおいなる「気配り」をするという処世術をしっかりと身につけている。そうした気配りが出来るのもフランスには経済力・技術力では到底追いつかれないという大いなる自信というものがあるのは言うまでもない。その自信があってこそ、フランスが国をあげて原発開発・推進をする中での、ドイツによる脱原発への真逆の「方向転換」である。日本でもドイツは原発推進国のフランスから電力の供給を受けているから「脱原発」政策が取れるのだと言う誤った情報が流されている事がこの本では指摘されている。実際はドイツからフランスへのエネルギー供給の方がフランスからドイツへのそれを上回っているのだ。まさにドイツの圧倒的な国力を知る者であれば、これまた充分納得の出来る話だ。

第二の部分の「脱原発に踏み切らせた背景・経緯」こそ、この著書の中で最も注目すべき点だ。戦後米国がその主導的な地位にあるロケットと核兵器の近代兵器の技術はいずれももともとドイツ人が発明・開発したものである。それが現在では大量殺戮兵器として世界規模で利用されるに至っているという事への原罪意識の様なものがドイツ人エリート層にあるというのは充分理解出来る事でもある。ドイツも日本と同様、核兵器は製造も保有もせず自己抑制的である。

更にこれらの点に私なりに付け加えさせて頂けるとするなら、ドイツ人の持つ「清潔感」というものが環境保護や脱原発といった動きの根底にあるのではないかと思う事である。具体例をニ三挙げれば、日本人駐在員の奥様が近所から窓が汚れていると注意されるという話を聞くほど、家々の窓は常に磨かれていてピカピカである事。ドイツ人ビジネスマンと長時間の会議でもしようとなると、休憩時には窓を開けて直接外気を取り込むという換気には充分気をつけねばならないという事。またドイツでは電子レンジの人体に及ぼす影響が判らないということで長らく普及していない事。ドイツの地方を旅行して、どんな安宿でもシワひとつないシーツと磨かれて清潔なバスルームが用意されている事、などなどだ。

3.11の震災後、福島原発からの放射能漏れの危険性が判るやいなや、横浜にあるドイツ人学校の生徒が数回に分かれて4日後の翌週の火曜日までには全員がチャーター便で本国ドイツに帰国、避難したという事実は我々には驚きであった。しかし、今から思えば震災後の日本政府首脳の対応が「人災」だと指摘される中で、実はドイツ政府の迅速かつ周到に準備されてきた「危機管理」対応が正しいものであったという事が判ってきたのである。

ドイツ人と日本人の共通点、それは勤勉、質素、努力、向上心といった「実直さ」というものであろう。しかし、違う点もある、それはドイツが欧州大陸の中心にある関係から、政治的には極めて「したたかである」ことだ。ドイツはもとより EU と NATOという共同体の一員であり、周辺諸国とは地続きであり、また歴史・文化・伝統にも共通するものがある。それがゆえにそのしたたかさというものが充分醸成されていて、例えば冷戦中であってもドイツはロシアからの天然ガスの安定供給を密かに交渉したり、また東西ドイツの統一に向けては英仏両国からの警戒と牽制を巧みにかわして、共同体の一員である事を優先させるという政治的に大なる決断をしているのだ。

日本の政治が混迷する中で、環境保護にはじまり、首都機能分散、更にはこの脱原発問題という問題を通しても、国のあり方はいかにあるべきかという面で日本がドイツから学ぶべきものはまだまだ多い。

2011年8月16日火曜日

政治のリーダーシップ 

現在、日米両国でリーダー選びの選挙戦への動きが活発化している。と言っても、米国はまだ1年以上先の来年11月の大統領選挙に向けての共和党内の候補者選びの闘いであり、一方日本ではたった1ヶ月先の来月9月に予定される民主党代表選挙である。

そうした中で、今回の連邦政府の債務残高上限切り上げ問題では、米国政治システムの様々な実態を我々に見せつけてくれた。

まず、第一点は大統領と議会の与野党との関係である。日本の様な議院内閣制では与党は政権の首班である首相を一体となって支えるのであるが、米国では国民から(事実上)直接選ばれた政権首班である大統領が議会からはより独立した力を与えられていて、必ずしも議会の与党首脳部とても大統領と一体ではないという事である。

事実、今回の債務上限切り上げ問題での下院の議決では民主党議員の間では表決が賛成 95、反対 95、棄権 3と真二つに割れる結果となっている。この点は重要法案の採決にあたっては表が割れない様に党議拘束をかけ、造反者には罰則が別途決められるという日本の議会では全くあり得ない光景である。

第二点は、上院内では民主・共和のそれぞれの院内総務(与党majority leader と 野党minority leader)が代表を務め、一方下院では多数党から議長(House Speaker)で選ばれるものの、やはりそれぞれ majority leader と minority leaderというまとめ役が存在する。要は、日本の与野党の様に党幹事長や党国対委員長が実質的に衆参両院全てを横断的に取り仕切るという事ではないのである。

従って、今回の問題では大統領の主たる交渉相手は野党共和党が多数を占める下院議長のベイナー議長となった。この場合、下院議長の立場は日本の衆参両院の議長の様に党籍を離れての中立的なものではなく、実質的には野党側での代表的な立場となった。つまり野党側(共和党)では日本の野党である自民党の総裁の様な上下両院を通じての党を代表するリーダーは存在しないという事である。

第三点は、何と言っても大統領の veto、拒否権である。例え上下両院揃っての法案可決となっても大統領の賛成がなければ法案は法律として有効なものとはならないという一方的な特権が大統領にある点である。この拒否権を覆すには上下両院での 2/3以上の多数による再可決が必要であり、実質的には相当高いハードルが設定されている。

以上の通りの教科書的な三点が大統領と議会の緊張関係をもたらしているのであり、そうなれば大統領職というものはそもそも政治家としてよほどのリーダーシップの素質と能力を備えていなければ務まらない役割であろう。しかし、そういう制度に支えられている米国でさえ、英エコノミスト誌の7月31日版でTurning Japanese、「欧米の日本化」と皮肉られている様に欧米でのリーダーシップの欠如がまるで日本政治の様であると指摘されている。つまり更なる財政問題悪化が懸念される欧米でも選挙民の目を気にして、政治家は問題の先送りで更に問題を悪化させてきていると指摘しているのだ。

事実、Gallupによる大統領支持率調査の最新の結果では、オバマ大統領の就任後でははじめて40%を切って39%となり、不支持率も52%となった。大統領就任時の 2009年2月には民主党支持層の 9割、中間派の6割、共和党支持層でさえも 4割がオバマ大統領の Yes, You can と Changeの掛け声のもとにそのリーダーシップに大いに期待して、全体では 7割近い支持率を示したものであった。現在の4割という支持率の内訳は、民主党支持層の8割、中間派での 3割、共和党支持層での 1割となっており、やはり中間派の支持率落ち込みが顕著である。

さて、日本でも首相公選制が叫ばれた事があったが、単に国民が総理大臣を直接選挙で選ぶという制度そのものもさることながら、リーダーシップの創出には首相の地位の独立性と与野党との緊張関係をいかに作り上げるかにもそのヒントがある。実はそうした緊張関係というもが日本型合意形成システムにはなじまないのではないかとの意見も出かねないが、そういう考えは政治における精神的な堕落腐敗であろう。日本国内においても都道府県知事の立場が大統領に近いものである事を忘れてはならない。その典型である大阪府の橋下知事と議会との厳しい緊張関係の例からも、学び取れるものが多々あるのだ。

「今こそ政治に真のリーダーシップが求められる」、我々はこの言葉を何度となく目にしてきた。政治家が国民に向けてそのリーダーシップを示すのに必要なものはまずは Messageと Passionであろう。またその messageと passionというものは厳しい緊張関係を強いられる政治の場においてこそ自ずと醸成されるものであろう。最早、政権交代当時のマニュフェストを打ち消す事で自民党との対立軸を見出せず、ただただ大連立に頼る民主党代表選の候補者に一体いかなる messageとpassionを読み取る事が出来るのであろうか。

2011年7月19日火曜日

FST (Financial Speculation Tax) 

現在、オバマ大統領と議会指導者の間でやりとりが行われている Debt Limit(連邦債務上限額)引上げ問題は8月2日の default期限まで 2週間となったにも拘らず、未だに解決の糸口が見えて来ない。オバマ大統領が提案している 2.4兆ドルの上限額引上げの条件としての3兆ドルの歳出削減と1兆ドルの増税の組合せの案に対し、増税を一切認めない共和党が主導する下院議会では cut, cap and balanceという歳出削減、上限額規定、財政均衡を義務付ける憲法改正、これらの三本柱での議決を行う構えを見せている。当然の事ながら合衆国憲法の改正には上下両院の supermajority(2/3の賛成)が必要であるところから、この議決自体は現実的なものではあり得ない。

オバマ大統領側での妥協策としては Medicare (高齢者医療補償)や Social Security(年金)という entitlement と言われる義務的歳出項目の聖域にも削減の手を付ける方向を検討中であると言われている。従来、民主党は高齢者や低所得者の弱者の立場に立って社会的 safety netの拡充を目指す政策をとってきたが、defaultの危機を迎え増税を一切認めないとする野党共和党側との妥協策としてやむにやまれぬものなのであろう。

そもそも今回の Debt Limit問題の根源である巨額の財政赤字は、バブル崩壊による不況対策として景気刺激策に膨大な財政資金を投入した事が引き金である事は言うまでもない。しかもそれだけの巨額の財政支出にも拘らず経済状況は好転せず更に悪化の兆しさえ見せている。そうなると、そもそもそのバブル崩壊をもたらした Wall Street の金融界に対する規制や管理というものはオバマ政権ではいかなるものとなっているのであろうか。

オバマ政権での金融規制改革法(Dodd-Frank Wall Street Reform and Consumer Protection Act)は一年前の 2010年7月21日に成立した。この法律は、金融安定監視協議会(FSOC)と金融消費者保護局(CFPB)の新たな設置と、ボルカー・ルールと言われる銀行が自己勘定取引行う事とヘッジファンドやプライベート。エクイティー・ファンドに出資する事を禁じる事が三本柱の内容となっている。

しかし、新たな組織や制度やルールを作ったところでそれらが果たしてどれだけバブル対策としての機能を発揮するかは今後の事であって、これで問題解決という事ではない。それ以上にオバマ政権として、どこまで本気で突っ込んでこの Wall Streetの暴走に歯止めをかけるかのその姿勢が大いに問われているのである。むしろオバマ大統領の実際の動きとしては、大統領再選も目指しての選挙資金確保の為の Wall Streetへの歩み寄りが目立つだけであり、どこまで弱者の味方であるかは大いに疑問視される所でもある。

財政危機は米国に限らず欧州各国とて同じだ。ドイツのメルケル首相とフランスのサルコジ大統領は既に金融投機の規制に関する税制である FST(Financial Speculation Tax)の導入に前向きだ。FSTは株式や先物、オプション、CDS等の金融取引に対し課税する事によって、過度な金融投機を抑制し、同時に新たなる税源を確保する事が狙いであるが、この概念としては既に FTT (Financial Transaction Tax) として古くは 1930年代にケインズが主張していたものでもある。

しからば政権発足当初に何故あれほど Wall Street の横暴を批判していたオバマ大統領はこの FSTの導入に言及さえしないのであろうか。それどころか、Wall Streetの金融業界が作り出したバブル投機とその崩壊を根源とする今回の財政危機問題では、結果的にそのしわ寄せの犠牲となるのは社会的弱者である低所得者や高齢者となるのであろう。我々の眼からは、肝心の元凶であるWall Streetはオバマ大統領によって聖域の様に守られているとしか見えない。

2011年6月15日水曜日

共和党予備選候補討論会

来年の大統領選挙に向けての共和党予備選候補者の討論会が6月13日にニューハンプシャー州で行われた。2時間に亘るこの討論会は CNNで中継されたが、今回は実は第二回目の討論会である。第一回目は先月サウスカロライナ州で開かれているが、本命とされるミット・ロムニー氏、元下院議長のニュート・ギングリッチ氏、それに今回直前に新たに名乗り出た女性のミシェル・バックマン氏が不参加であったから、今回が実質的には第一弾と言えよう。

今後共和党予備選に立候補が見込まれるのが、前中国大使のジョン・ハンツマン氏、元ニューヨーク市長のルドルフ・ジュリアーニ氏、テキサス州知事のリック・ペリー氏などである。一時騒がれたサラ・ペーリン候補は今の所立候補の動きがない。

さて今回の討論会の見ものはなんと言っても本命とされて先頭をダントツで走るロムニー氏に他候補がどれだけ迫る事が出来るかであったが、結果はどうやらロムニー候補の1人勝の様相であった。ロムニー氏以外の 6候補の顔ぶれは、ニュート・ギングリッチ氏、ロン・ポール氏の古参組とハーマン・ケイン氏(経済人、黒人)とミシェル・バックマン氏(女性)の新参組、更には元上院議員のリック・サントラム氏と前ミネソタ州知事のティム・ポーレンティー氏の有力組の3派に分かれている。

今回の討論会でのロムニー氏の実質的な対抗馬はポーレンティー氏である。同氏はかねがねロムニー氏のマサチューセッツ州知事時代の医療制度をオバマ大統領の医療制度と重ね合わせる事で批判してきたのであるが、今回は初戦である事もあり、敢えて表面だった対決姿勢は見せない作戦をとっていた。ロムニー氏側も今回はもっぱら批判の矛先をオバマ大統領の「雇用機会を創出しないままに財政赤字を巨額に膨張させた」失政に向ける事にしていたので、結果的にはロムニー氏の独走体制は依然揺るぎない。

今回ロムニー氏の最も注目を浴びた発言は、当面の与野党間での争点である政府債務残高上限の引き上げ問題である。ロムニー氏の立場は「オバマ大統領が歳出削減へのリーダーシップを取らない限り引上げには賛成しない」と共和党内に共通するもので明確である。

今後ロムニー氏が最も注意し、かつある種の妥協が求められる相手は党内右派、つまり Tea Partyのグループであろう。今後党内右派はロムニー氏の候補擁立に対しあらゆる反対工作をしかけてくるであろう。現在のところの世論調査ではロムニー氏が右派のサラ・ペーリン氏をはるかに上回っているものの、今後のペーリン氏の動きが注目される。次回の討論会は 8月11日にアイオア州で行われる予定だ。まだまだ共和党内での長い戦いは始まったばかりである。

2011年6月13日月曜日

オバマ大統領の再選への動き

選挙民が常に移り気である事は米国であれ日本であれ洋の東西を問わない。来年の大統領選挙で再選を目指すオバマ大統領の人気は米国経済の雲行きが怪しくなってきているのと同時に、このところ更に下降気味だ。ちょうど 2009年の日本での総選挙での「政権交代」騒ぎの様に、2008年末の米国での「Change」の熱狂振りは一体何であったのであろうか。

オバマ大統領が選挙戦に勝利したのはリーマンショック直後の 2008年11月である。人々は不動産バブルの崩壊により自ら保有する株・証券・債券・住宅等の資産の壊滅的な目減りを嘆き、今こそこのバブルの張本人である Wall Streetのヘッジファンドや金融機関を厳しく規制すべきだとして、庶民の味方であるオバマ氏を選んだのかも知れない。

当時、オバマ大統領はこの Wall Streetの銀行家達を「Fat Cat」として厳しく非難したものだ。Fat Catとは政治用語で、選挙資金の大口献金により自らの利益の為に何かと政策に口出しする「御用商人」を意味する。オバマ大統領はまた同時にこうした銀行家達が驚くべき高額の所得を得ている事についても酷評していたのである。

しかし、その同じ大統領が今回は何と大統領再選出馬の正式発表を前にて、この Wall Streetの銀行家達をわざわざ White Houseの夕食会に招いたのである。更に近々ニュヨークの高級レストランに更なる数の銀行家達を招待して選挙戦への資金協力を訴える予定でもある。この背景にあるのは、ここに来て来年の大統領選での共和党の最有力候補とされるミット・ロムニー元マサチューセッツ知事が精力的に選挙資金集めのキャンペーンを開始しているからである。ロムニー氏こそは Venture Capitalの経営者としての経験からも、より Wall Street寄りのイメージが強い。また最近の世論調査ではオバマ氏よりもロムニー氏がその支持率において優勢だ。

オバマ大統領に対しては、その半アフリカ系という人種的な面と、貧困層の出身、更には弁護士として貧困地域でボランティア活動をしていた市民運動家という経歴から、日本人はともすれば庶民の味方との誤った印象を受けがちだ。

しかし、オバマ大統領こそは 2008年の大統領選で史上まれに見る最高額の$380百万(約304億円)という巨額の選挙資金をかき集めたまさに小沢氏もびっくりの「お金こそが全て」の金権なのである。小沢氏と違うのは表面上 internetでの個人献金という新しい手法を使うという事でよりクリーンなイメージを前面に出しつつ、実際はヘッジファンドやあらゆる既存組織からの献金が大きい事をうまく包み隠せていた点である。前回の大統領選挙での選挙資金拠出で協力したのは、ヘッジファンドのみならず、従来の民主党の支持基盤である労働組合、黒人・ヒスパニックのマイノリティー、環境保護団体、メディア、映画界であろう。

しかし、今回はいずれのグループにおいてもオバマ大統領への大きな落胆ぶりは隠せない。そこにおける実態というものは日本の民主党政権と同様に、「Change」の掛け声のもとにバラマキの空約束で選挙民をうまく釣れたとしても、現実の政策としては外交面でも財政面でもそう思い切った変革というものは出来ないという事だ。特に米国はオバマ政権に移行した以降の 2009年と2010年に巨額の財政赤字を積み重ねて、政府は今や経営破綻同然であり、世界の超大国の地位から滑り落ち様としている状態である。

政治の世界はまさにリアリティーの世界である。また政治は結果責任を問われる世界でもある。想定外の災害、想定外のバブル崩壊、いずいれも全く言い訳が効かない。果たして来年の選挙戦は ABO(anyone but Obama)となるのであろうか。

2011年6月8日水曜日

Debt Ceiling(米連邦債務残高の上限規定)

米国では連邦政府の債務残高、つまり国債発行額の上限が議会により規定されている。 1917年の国債発行時に設定された115億ドルの上限以来、実に100回以上にもわたり、この連邦政府の債務残高の上限引上げが議会により繰返し承認されてきている。最近では 1995年から 12回にわたり上限引上げが行われているから、ほぼ毎年の恒例行事と言えるかも知れない。

しかし、今回は政府がリーマンショック後の金融危機回避の為に巨額の緊急対応を行った結果、2009年と2010年の各単年度赤字額は2年連続で2000年代に入っての年間平均赤字幅の4倍にもなる突出した額になってきている。まさに経営破綻寸前とも言える極めて異常で深刻な事態である。

既に米国政府の債務残高は現行の上限額である14兆2940億ドルに達している模様である。しかし、これが即 default、債務不履行の宣言となるかは別であり、政府としては何とか二つの年金支払いを先述べする事で二ヶ月先の 8月2日をその上限切上げ決定の期限としているのである。

そこでオバマ大統領としては、2023年までの約 2兆ドルの歳出削減と増税との組合せで4兆ドルの赤字削減案を提示する事で、何とか上限引上げを議会に承認させ様としているが、一方では下院で多数派を占める野党共和党は6兆ドルの歳出削減案を掲げての財政健全化を、上限引上げへの条件とするなどの揺さぶりをかけている。

歳出面を見ると(1) 医療費(高齢者と低所得者への援助) (2) 社会保障費(年金等) (3) 国防費 (4) 国債利払い、これらトップ4項目で実に歳出全体の 72%を占めていて、この中でも医療費と社会保障費の合計は42%と全体の半分近くになっている。

歳出項目を大別すれば、Entitlementと言われる社会保障費等の「義務的支出」(法律で毎年の歳出額が自動的に決まる)と、国防費や一般経費などの「裁量的支出」(毎年ごとに立法措置で歳出額が決まる)となるが、義務的支出には Pay-As-You-Go条項という財源確保条件が付けられていて、支出を増加させる場合はそれに見合う増税か、歳出削減がなされていなければならない。そこで四つの重要項目の中で歳出削減の手がつけ易いのが裁量的支出である第三番目の国防費である。

現在の上院仮議長(大統領、副大統領に次ぐ地位)であり、また上院歳出委員会委員長である日系のダニエル・イノウエ議員が来日した際に普天間基地移設問題に関し苛立ちを隠さない発言をしているのは、実は米議会内部で大幅な軍事費削減の圧力がある事を示唆しているものと思われる。つまり、米国は日本防衛、極東アジア防衛の為にいつまでも巨額をかけてまでその軍事的プレゼンスを維持できないぞという事であろう。

そうなれば中国は以下の三つの点から、米国に対しては格段に優位な地位に立つ事となる。
(1) 本来、米国債保有残高とドル建外貨準備高の両面から見れば、いずれも全体の 1/4を占める最大の債権国の地位にある
(2) 米国が財政危機から軍事費を削減せざるを得ず、極東アジアの軍事プレゼンスを後退させる可能性がある
(3) 日本が震災復興費用捻出の為にドル建外貨準備高の削減や米国債を売却する様な事になれば米国の中国への依存度が更に突出して高まる

安全保障面での日米関係を考える上では、米国は米国で財布の事情がある事を日本は充分認識しておくべきであろう。

2011年6月7日火曜日

QE2

FRBによる QE2が今月末に終了しようとしている。QE2とは量的緩和策(Quantitative Easing)第二弾の事である。量的緩和策とはFRBが国債やMBS(住宅ローン担保証券)を購入する事によって民間の金融機関に代わり、直接かつ多量に市場に必要資金を供給するものである。第一弾のQE1はリーマンショック後の金融危機が懸念された 2009年3月から 2010年3月までに実施され、国債のみならず MBSの買取りも行われた。一般的な量的緩和策は日本の日銀も2001年から 2006年の 5年間にわたり実施したが、QE2ほどの短期間に集中して大規模に行うものではなかった。

今回の第二弾では、昨年11月に、失業率の更なる悪化を懸念したFRBが8ヶ月間にわたり総額 6,000億ドル(約50兆円)もの国債の追加購入を行う事を決めたものである。これにより株価が若干回復して消費が伸びたものの、一方では余剰資金が原油市場に流れてガソリン価格の高騰(オバマ政権発足時から二倍の 水準の$4/ガロンを越した)を招き、米国内での消費を冷やすという副作用が出てきている。

それでは日本の国家予算の半分以上にもなる資金を市場に注いで、果たして失業率が改善され、住宅価格の下落が止まったのであろうか。現時点での答えはNOである。失業率は昨年11月の9.8%から今年3月の8.8%までに4ヶ月連続して下落してきたものの、4月からはこれが反転して5月との2ヶ月間は連続して再び 9%台へと上昇傾向を見せてきている。雇用者数に関しては、オバマ政権の景気刺激策により過去 5ヶ月間順調に回復してきたものの、その規模はリーマンショック後失われた600万人とも言われる雇用の回復には依然その足元にも及んでいない。それどころか、ここにきて雇用者数の増加率が縮小してきている。

また、S&PのCase-Shiller住宅価格指数によると、全米主要20都市での住宅価格は今年 3月にリーマンショック後の最安値を更新した。S&P 住宅価格指数は 2000年1月を100とした数字で毎月表されるが、そのピークは 2006年7月の 206.52 であり、今年3月時点での最安値での指数、138.16はピーク時の2/3となっている。

リーマンショック後の価格下落を見れば、2009年4月で価格は一旦底をついたが、その後のオバマ政権の住宅取得優遇策もあって若干の回復傾向を見せた。しかし、この優遇策も昨年前半で終了した事もあって、昨年 7月から 8ヶ月間連続で価格が下落してきており、今回の最安値更新はまさに二番底だと言えよう。

価格下落の主たる要因は、明らかにローン返済の滞りによる差押さえ(Foreclosure)物件の増加であろう。差押さえ物件の住宅販売全体に占める割合は、第一四半期における全米平均では約3割にもなり、州別では住宅バブルの激しかったネバダ州が53%、続くカリフォルニア州とアリゾナ州がそれぞれ 45%にものぼっている。これら差押さえ物件の価格は通常大幅に値引きされており、これが住宅価格全体を引下げるという悪影響を及ぼしている。

米国の抱える問題は金融政策の行き詰まりのみではない。より大きな問題は経営破綻寸前とも言われるほどの米国政府が抱える巨額の財政赤字問題である。米国では議会が国債発行額の上限を決めているが、既に現在の国債発行額は上限の 14兆2,940億ドル(約1,172兆円)に達してしまっている。今後議会があらたに上限額を引き上げない限り、政府は今期末までに必要とされる約 7,380億ドルの支出が出来なくなり、機能マヒに陥ってしまう事となる。

現在、米議会ではこの「国債発行上限額の引上げ」が「財政赤字削減額の幅」とからめての政治課題となり、来年の大統領選を見据えての共和・民主両党間での争点の中心となっている。従って、オバマ政権としては、2009年に実施した総額 7,870億(約65兆円)にものぼる景気刺激策の様な思い切った財政措置は最早打てる状況にはない。

以上、金融・財政両面での米国政府の打つ手は極めて限られてきており、今後の景気動向を見極める上での大きな懸念材料となっている。

2011年5月1日日曜日

英国問題

英王室での結婚式の様子を見て、今回は30年前の熱狂はなく、国民の関心はすっかり冷めてしまっている様に思われる。近代国家においての王室や皇室は、「伝統と威信」というものが無ければ最早存在意義がないのではないだろうか。伝統も威信も守るべき立場の人間がそれを何よりも尊重し、引き継いで行くという強い意志と覚悟が無ければ時代とともに消え失せてしまうものである。ダイアナ妃に同情しようがしまいが、イギリス王室の次世代での一連の問題が王室の威信を著しく落としてしまったのは間違いない。30年前の結婚式の事を思いだせば、荘厳な教会における大司教の前での宣誓などはかえって心配にさえ思えて来る。

威信を保つ上でのもう一つの問題は経済的な裏打ちだ。昨今のイギリスの財政赤字は労働党政権下で一気に膨張し、一時はギリシャよりもイギリスの方が危ないと言われたぐらいの破綻寸前である。キャメロン政権になって消費税率の引上げや公務員給与の引上げ停止など思い切った超のつくほどの緊縮財政措置が取られて来ている。しかし、結論から言えばもう二度とイギリスが復活するなどという事はないだろう。それは一般的にではあるがイギリス人が競争を忘れて、額に汗して働かなくなったからだ。これは国際ビジネスの観点から見ても例えば、日本人、米国人、ドイツ人とイギリス人を比較すれば明らかだ。国際社会を知るものなら誰もこの三国の人々よりもイギリス人の方が良く働くという人はいないだろう。

この深刻な財政赤字問題の結果、バッキンガム宮殿は今や内部までもが観光地化して、宮殿敷地内に安っぽい王室グッズのお土産品を売る売店が設けられている。国からの予算を大幅にカットされて、王室は王室で独自の収入源が必要となったからであろう。イギリス人の友人に言わせれば、「政府は王室も民営化するのか」と言うものだが、もう無い袖は振れない状態であろう。

これは何も王室だけには限らない。ロンドン市内の例えば議事堂の対岸にある歴史的建造物である旧ロンドン市庁舎は20年ほど前に売却される事となり、日本の中小の不動産業者に買い取られた。今やここには伝統の景観を損なう巨大な観覧車の塔までが設置されていて一帯が遊園地化している。またロンドン西部地区に新たに建設された欧州一とも言われる巨大なショッピングモール(2008年にオープンの Westfield)はオーストラリア資本によるものであり、その中はほとんどと言っても良いほど中東系の若者であふれかえっている。

ビジネス面から見ると、例えば日本企業が全欧40数カ国以上の市場に何かハイテク製品を売ろうと考えた場合、欧州市場は独英仏伊のトップ4カ国でおそらく全体の需要の半分以上を占めてしまうであろう。その中でもダントツにトップなのがドイツである。人口の面でも、近代化の面でも、社会の高度化の面でも、購買力の面でも、イギリスはもう二度と追いつけない。何よりもドイツ人は少なくともまだ勤勉であり、向上心があり、計画性があり、物事の進め方が緻密でもある。イギリスの自動車産業はことごとく国外企業に敗れ去り、今や海外資本の傘下で細々と名目的に残っているだけである。家電や電子製品や IT関連商品はすべからく日台韓中に押さえられていて、既に20年以上にわたり全く出る幕すらない。

俗に言う、テニスの本家イギリスに変わる東欧、野球の本家アメリカに変わる中南米、相撲の本家日本に変わるモンゴルだ。生活をかけたハングリー精神がないと、厳しい競争社会には生き残れないのだ。日本もイギリスの事を批判できる立場にはない。バラマキ政策だけの民主党政権はイギリスの歩んだ道を歩もうとしているだけだ。そう言えばイギリスの児童手当は廃止になったかも知れない。

2011年4月29日金曜日

国勢調査結果に見る米国

米国でも国勢調査が10年ごとに行われるが、その2010 Censusの結果が公表されている。「州別」、「人種・民族別」の数字を見ると米国全体の人口変化の傾向がつかめるが、結論を簡単に纏めると以下の二点だ。

1. 州別では、「東部と中西部」から「南部と西部」へと人口比重のシフトがある
2. 人種・民族別では、民族別に見たヒスパニックの急激な増加傾向が見られる

人口の全体で見れば総人口は約 309百万人となり、2000年の約281百万人から約 27百万人、9.7%の増加である。増加率自体では前回の10年間(1990-2000年)の伸びの 33百万、13.2%を下回っているものの、1950年の人口である 151百万人からは60年間でおおよそ倍増している。

州別での全体に対する人口構成では、カリフォルニア 12%、テキサス 8%、ニューヨーク 6%、フロリダ 6%と従来からの big-4 で全体の人口の 32%で約1/3を占めている。この4州については企業の販売・マーケティング上や大統領選挙での集票の際には戦略上最も重要な地域である。更にこれに続くのが、イリノイ、ペンシルバニア、オハイオ、ミシガンの中西部 4州で合わせて全体の16%、その後はジョージア、ノースカロライナの南部2州が続きそれぞれ 3%づつとなる。

問題は州別の人口増加率である。増加率の高いものの順で見ると、ネバダ 35%、アリゾナ25%、ユタ 24%、アイダホ 21%と西部に著しい増加が見られる。その後はテキサス、ノースカロライナ、ジョージア、フロリダの南部がそれぞれおおよそ 20%増で続き、更に西部のコロラドと南部のサウスカロライナがそれぞれ 17%増と15増%で続く。要するに米国の人口増加は中西部や東部では最早見られず、南部と西部に集中しているという事である。この傾向は既に前回の調査時の1990-2000年の10年の間に同様に見られたが、それが20年間に亘り継続しているという事だ。

さて、注意すべき点は人種別・民族別の方である。この国勢調査では設問はまず二つに分けられる。第一は「Hispanic or Not」というもので、Hispanicという概念はrace (人種)ではなく、ethnicity(民族)に関するものである。Hispanicの中では更に 「メキシコ&メキシコ系」、「プエルトリコ」、「キューバ」、「その他」と分かれている。極めて大雑把に言えば、ニューヨークにはプエルトリコ、フロリダにはキューバ、テキサスとカリフォルニアにはメキシコからの移民が多い。

更に第二の設問で人種別の、「白人」、「黒人」、「アメリカインディアン」、アジア系の中の「ハワイ」、「中国」、「韓国」、「日本」、「ベトナム」等という風に分けられ、最後は「その他」となるのだ。従って、第一の設問でHispanicと答えた人は第二の設問で「白人」と答えるかもしれないし、「黒人」かも知れないという事だ。

例えば、メキシコの例をとれば、富裕層、インテリ層はスペイン系の白人であり、中間層にいわゆる我々が浅黒く口ヒゲをイメージする混血系があり、更に下層には小柄な原住民系のグループにと分かれる。この様に人種的には分かれていても「Hispanic or not」のethnic(民族性)な面では Hispanicという一つのグループとなる質問となっているのだ。

ここに米国と言う国の現状及び将来と人口動態の本質を見るべきであろう。今回の調査では米国全体では Hispanicは 16.3%であり not Hispanicは 83.7%である。増加率で見ると2000-2010年の10年で Hispanicは 43.0%に対し、not Hispanicは4.9% だけである。更に州別に見てHispanicの比率の高い順であげると、ニューメキシコ 46.3%、カリフォルニア 37.6%、テキサス 37.6%、ネバダ 26.5%、フロリダ 22.5%、と言う具合である。

つまりおおまかに言えば人口増加率の高い地域ほどHispanicの比率が高いという事である。こうなれば最早、白人がどれだけの比率を占めているかなどという区別は昔の話であって、まさにHispanicの比率が今後それだけ増え続けるのかという事で、この国の性格がどう変わっていくかの方を注視すべきであろう。

2011年4月28日木曜日

あらためてドイツとは

今まで数回にわたり教科書のごとくドイツの歴史を駆け足で触れて来たのは国会での馬鹿げた「日独友好決議」なるものがあったのが発端だ。この決議の根底には、ドイツと言う国は軍事国家一筋であり、好戦的で周辺国に侵略ばかりを続けて来たという誤った解釈があるからに違いないと感じ取ったからだ。今回、衆議院での決議の際に退席し、反対した議員の見識を高く評価する。

「勢力均衡による平和」「列強時代に学ぶ」「神聖ローマ帝国」と一貫して触れてきているのは、ドイツの歴史は陸続きの欧州で周辺にフランス、イギリス、ドイツという絶対王政、専制君主の中央集権国家に囲まれて、それらの国々と食うや食わずの生残り競争を続けて来たという背景がある事をまず理解すべきだと思うからだ。そもそもドイツは神聖ローマ帝国の様に皇帝自体が勅書でもって選挙で選ばれると規定された様な存在であったから、地方分権のまことに緩やかな牧歌的な統治形態であったかと言えよう。

侵略という言葉を使うなら、その度数と面積を計算すれば、世界での侵略チャンピオンはイギリスとフランスであろう。それでは日英友好決議なるものがあれば、わざわざ「お互い中国に侵略しました」などと書き込むのであろうか。ドイツは欧州諸国の中で海外での植民地は圧倒的に少ないではないか。

ナチス政権によるポーランド侵攻をとっても、プロイセンとその後のドイツ帝国が戦勝の結果正当に獲得した領土を第一次大戦の敗戦で失い、それをまた取り返しただけの話である。それを単に侵略という言葉で片付けてしまうと、それ以前の歴史を黙殺してしまう事となる。また同時に、英国を除く欧州諸国は日本と違って陸続きである。従って、常に他国に侵略されるか、あるいは侵略するかの繰返しでもあったのだ。

現在フランス南東部のアルザス地方などは何回ドイツ領とフランス領の間をいったりきたり繰り返した事か。つまりは侵略しないと侵略されてしまうというのが現実であったのだ。ドイツとてやたら周辺諸国と戦争ばかりしていたのではなく、戦争を極力避けるべく、あらゆる「外交努力と策略と同盟」をやり尽くしたという事実を忘れてはならない。

ただ一点の大きな汚点はヒトラーのナチス政権でのユダヤ人大量虐殺である。これはもう言い訳のきかない、原爆投下に等しいまさに人類に対する罪であろう。しかし、このナチス政権の非道だけをとってドイツと言う国があたかも好戦的な歴史を繰り返して来たと理解するのは誤りだ。そう理解するのは作られた「軍国日本」のイメージと同様に、戦勝国米国による巧みな「イメージの刷り込み」が功を奏している結果なのだろう。

米国による巧みなイメージの刷り込みという面では、米国に永住している日本人の多くにとって、欧州諸国を見る時の目は米国人の目を通して見たものに影響され易い。しかも悪い事にそういう米国在住の日本人が日本から見れば国際通だという事で通用してしまう事だ。これを例えて言えば、東京の高級フランス料理店で米国在住の国際通の紳士がさも物知り顔でクラムチャウダーをオーダーする様なものだ。また、日本人が欧州にやってきて、あの米国風の発音の英語をさも得意顔で喋るのほど欧州人の軽蔑の対象となるものはない。ドイツ人の同僚達は一応、慇懃に表面上は取り繕っていても、裏に回ればいつもブフッ!だ。

話が随分それてしまったが、ドイツに関してはなかなか言い尽くせないので、あらためてクライン孝子女史の名著「大計なき国家・日本の末路」を是非お薦めする。見出しに書かれている、「戦争で負けて失ったものは、戦争で取り返すしかない」という現実を熟知していたドイツ、この一行が全てを語っている。

2011年4月27日水曜日

神聖ローマ帝国

ドイツの歴史を学ぶ上でまず最初に戸惑うのは「神聖ローマ帝国」と言う名称だ。ドイツ語では確かにHeiliges Römisches Reichであるからそのままの和訳である。この神聖ローマ帝国は962年のオットー大帝の即位から 1806年のナポレオンのフランスによる征服で解散されるまで実に九百年近くの長きにわたり欧州大陸の中央に君臨するのである。この帝国はローマという仰々しい名前にも拘わらず実態はドイツ人の帝国であった。従って、ヒトラーの時代のドイツを第三帝国と言うのは、この神聖ローマ帝国が第一、1871年のプロイセンによるドイツ帝国が第二という事となる。

そもそもこの帝国は簡単に言えばフランク王国の流れを汲む東フランク王国がその前身と言えよう。フランク王国がライン川とアルプスという地形によって三分割されて、現在のフランス、ドイツ、イタリアの原型となったが、東フランクはそのうちのライン川の東側、アルプスの北側の部分である。しかし当時、北はバイキングのノルマン人、東はフン族のマジャール人の襲来と侵略で、外部異教徒との戦いもあって、帝国はゲルマン人の軍隊指導者を封建領主として征服地をその領地としていったのである。そしてこのゲルマン人の帝国の皇帝は血統ではなく有力領主による選挙により選定される形となっていく。

とは言え、帝国としてのその皇帝の権力はまだまだ脆弱であった為、簡単に言えば、カトリック教会の権威、つまりローマ教皇の伝統と権威を利用したという事だ。これがこの「神聖ローマ」なる仰々しい名前の由来である。この帝国はまた、中央集権的な国家ではなく、領内各地に分散された王国や公国等の領邦によって成立っており、その実態は帝国と言えるものかは、はなはだ疑問である。

この帝国はザクセン朝・ザーリア朝からホーヘンシュタウヘン朝へ、更にはハプスブルグ家にと王朝は事実上、世襲がらみで受け継がれていくが、この帝国の特徴をなんと言っても、ローマ教皇の権威とドイツ諸侯との権力との間における絶妙なバランスにある。つまりイギリスやフランスの様な中央集権的な絶対王政とはまた違った権力構造になっているのである。その一つの表れが、1356年のカール4世時代に出された「金印勅書」である。この勅書は31条からなり、一言で言えば「皇帝の選挙規程」と「帝国議会の法的根拠」を示すものである。そもそもゲルマン人の社会では昔から皇帝さえも選挙で選ぶと言う慣わしがあった事が驚きであり、また皇帝自身が自らの地位を律する勅書を出すと言うのもこの時代の事を思えば極めて近代的な事である。

長い帝国の歴史の詳細は割愛するとして、17世紀に入りこの強固な帝国の存在を大きく揺らがす事態が生じるのである。16世紀のルターによる宗教改革とそれを促進したグーテンベルグによる印刷技術の発明に事の発端を見る事が出来る。従来聖職者が独占的に支配してきたラテン語の聖書のドイツ語版を印刷技術により大量配布する事が可能となって、これが新教徒勢力を作り出したのと同時にドイツ人としての国民意識を芽生えさせたのである。こうなれば帝国はなにもなすすべもなく、ドイツ国内は分裂状態となって諸外国勢力を巻き込んでの30年の宗教戦争となるのだ。後の国民国家の成立へとつながるあの有名なウェストファリア条約(1648年)はこの30年戦争の終結と戦後処理の為に66カ国もが参加し署名した。これにより帝国は形骸化し弱体化して、帝都のあるオーストリアはオスマントルコやナポレオンフランスに侵略されてしまうのである。

こうしてドイツの歴史を見てくると、日本の隣国の大国の事を思わざるを得ない。世界の人口の 1/5を持ち、5年後には米国を抜いて世界一の経済大国になろうとするこの現代の帝国においては、国民の選挙権がない事はおろか、言論の自由も、インターネットを使う自由もない。共産党という一つの政党による古典的、専制的な政治体制が続いている国である。しかもその共産党内部においてでさえ、皇帝たるトップを決める選挙規程も明らかにされていないのであるから、金印勅書が出された14世紀ドイツよりもはるかに遅れているのである。国家財政破綻による落日の米国が東アジアからの軍事的プレゼンスの後退を余儀なくされ、勢力均衡のバランスが大きく崩れて、この大国の「歯止めの利かない暴走」の向かう先がこの日本となるのは目に見えている。もうグーテンベルグの印刷技術に匹敵するインターネットにしか、この暴走を少しでも抑える手立ては残されていないのであるが。

2011年4月26日火曜日

列強時代に学ぶ

ドイツの歴史はイギリスやフランスの歴史と違って、時代時代によってその領域の地図が変わるので複雑だ。1871年のプロイセン主導によるドイツ帝国成立までは、その領域は同じドイツ圏の覇者オーストリア・ハプスブルグ家による神聖ローマ帝国のもとに王国、公国等に小さく分かれていた。ドイツ帝国成立に至る決め手はプロイセンによるナポレオン三世のフランスとの普仏戦争(1871年)での勝利であるが、それに先立つオーストリアとの普墺戦争(1866年)での勝利も、ドイツ圏の領域での足固めとして大変重要であった。

普墺戦争に至るまでのドイツ圏での覇権を求めてのオーストリアとの戦いで、プロイセン側での主役は何と言っても1740年に即位したフリードリッヒ大王(Friedrich der Große)であろう。最近では米国のゲーツ国防長官が演説で引用したDiplomatie ohne Waffen ist wie Musik ohne Instrumente. 「軍事なき外交は楽器なき音楽のごとし」の名言を残したプロイセンの専制君主である。歴史上の大人物を今の近代社会の価値判断に基づいて評価を下す事は出来ない。このフリードリッヒ大王の名言は憲法9条により平和ボケをした現代の日本では好戦的であるとして危険視されていて、それこそ外交官の間では禁句であろう。しかし、時代を問わずこれが外交の本質だ。

フリードリッヒ大王は即位の年の年末には、早速オーストリア継承戦争(1740年)を仕掛ける。オーストリアのマリア・テレジア王女が神聖ローマ帝国の皇帝に即位する事に反対し(王女の皇帝即位は前例がなかった)、この名目での戦争に勝利してプロイセンは隣接するシュレジア地方(現在のポーランドの東部)を獲得した。しばらく後に、挽回をはかるマリア・テレジアのオーストリアは宿敵フランスと、更にロシアとも同盟を結ぶ事でプロイセンに挑んだ。この7年戦争(1756-63年)は長期戦となりプロイセンは苦戦し敗戦まで覚悟したが、結局、フランスと対抗する同盟国イギリスの支援を得て何とか持ちこたえるのである。

その後一時的にはプロイセン、ロシア、オーストリアの三国間では勢力の均衡が保たれ、緩衝地帯であるポーランドの三分割が進められた。また、プロイセンはイギリス・オランダ連合軍と一緒に戦ったワーテルローの戦い(1815年)でフランスのナポレオンを破り、ウイーン会議(1815年)を経て、ドイツ圏の盟主であるオーストリアをしのぐ勢いとなる。一方では、プロイセンはロシア、オーストリアとの間の神聖同盟を結び、国内での革命勢力を押さえると同時に、フランスからの産業・商業の担い手である新教徒ユグノーを積極的に受け入れて、軍備の近代化と国力の充実を図った。この結果が最終的には普墺戦争(1866年)での圧倒的な近大軍事力での勝利である。

その後、前回述べた通り、ドイツ帝国が成立した 1871年から第一次大戦勃発の1914年までの 44年間にわたり、「英仏露墺普」の欧州列強間の勢力均衡が保たれ、それが複雑に絡み合う列強間での同盟関係を作り出した。ここにこそ外交・安保の本質が隠されていて欧州の歴史で最も面白い時期である。またそれは同時に、日清戦争後の空白地帯となった満州・北支地域で南下を目論むロシアと対峙していた日本にとって、露仏同盟に対抗するイギリスとの日英同盟(1902年)を結ぶ結果に至った事は恵まれた環境であった。

多極化に向かう現在の世界の列強は「米露中欧」である。そして舞台は欧州から東アジアに移った。19世紀の領土拡張と、現代での産業・資源と金融・財政での競争と、国益のぶつかり合いの内容の違いはあっても、その根底には軍事力(核武装の)がある事は何ら変わらない。今回の大震災での原発事故で、放射性物質の汚染がかくも恐ろしいものであるのかを日本国民は知らされた。列強側では日本国民の災害に対する resilienceを絶賛しながらも、裏では菅政権の狼狽する対応の無能ぶりを見て、「日本を陥れるには核での威嚇がかくも有効なるものか」という事を冷徹な眼で学び取ったであろう。

18世紀末の「普露墺」の列強によるポーランド分割の様に、近い将来の「米中露」間での非核地帯の日台韓の共同管理に向けての動きは既に始まっている。それが落日の大国米国にとって取り敢えず取り得る唯一の勢力均衡の構図なのであろう。

2011年4月24日日曜日

勢力均衡による平和

1861年の日本とプロイセンとの修好通商条約締結から150周年という事で先日の何ともピントの外れた国会決議と相成ったわけだが、そもそもこの時代のプロイセン(Preußen)は地図上から見ても現在のドイツとはやや性格が異なる国家だ。プロイセンは北ドイツ、ポーランド、バルト海沿岸を拠点とするドイツ騎士団領とブランデンブルグ選帝侯領が合体して出来た新興の軍事国家だ。この時代のプロイセンの東アジア遠征艦隊が日本にやってきたのが条約締結のきっかけらしい。

既にアジア各地に植民地獲得の爪を伸ばしていたイギリスやフランス、あるいは南下の動きを見せていたロシアを避けて、日本がこの欧州で急激に勢いを伸ばすプロテスタントの軍事新興国を明治維新後の富国強兵のお手本にしたのは正解だろう。プロイセンとて極東での植民地獲得の野心を持って極東にやって来たのであろうが、当時は何分いまだドイツとしての統一前後でもあり、欧州での自らの足元固めに専念するのが先決であったであろうから、日本にとっては組みやすい相手だ。

プロイセンはこの日本との条約締結の 5年後の1866年には普墺戦争でオーストリアを破り、更にそのまた 5年後の1871年には普仏戦争でナポレオン三世のフランスを破って、破竹の勢いであった。この結果、同じ年にプロイセンが主導してドイツ各地の王国、公国、大公国、司教領等の領邦を取り纏めて統一的なドイツ帝国の成立を果たすのである。

実はこのドイツ帝国成立の1871年から第一次世界大戦が始まる1914年までの 44年間は欧州には戦争がない、安定した平和が保たれた時代であった。言うまでもなく、英仏露独墺の列強の間で見事な勢力均衡(Balance of Power)が成立っていたからである。この44年間という時間の長さを感覚でとらえ様とすれば、それは丁度1945年の日本の敗戦から1989年のベルリンの壁崩壊までの東西冷戦時代の長さと同じである。

それでは何故、新興軍事国プロイセン主導によるドイツ帝国の出現によって、欧州内の勢力均衡バランスの変化が生じたにも拘らず、半世紀近くも平和が保たれたのだろうか。それはドイツの鉄血宰相(der Eiserne Kanzler)と言われているビスマルクの絶妙な外交手腕によるものである。ビスマルクはあくまでも現実主義的な観点に徹して、誕生間もないドイツの欧州内での地位を確固なものとし、その国益と生き残りの為を思い、外交手腕を発揮した。ビスマルクは当時複雑に絡み合う英仏露墺の列強間の利害・敵対関係を徹底的に分析利用して、各国間での協商や同盟を画策し、独自の安全保障体制を作り上げたという事なのだ。これこそが結果的に欧州内で見事な勢力均衡を生み出したという事であり、決してビスマルクは平和主義者でもハト派でも何でもない。

同様に戦後日本の平和と経済的な繁栄は、何も憲法9条があったからや平和念仏を唱えていたからの結果からではない。これはあくまで米ソ間での「核の攻撃には核で対抗」という軍事力での勢力均衡が保たれていた結果であり、また日本が日米安保条約に基づいて米国との軍事同盟関係を持つという正しい政治的選択をした結果であるのは言うまでもない。

歴史を振り返れば勢力均衡が崩れて、突出した軍事大国が出現した時ほど大規模な戦争の惨劇が生まれる時はない。欧州の例ではナポレオンのフランス、ヒトラーのドイツ、スターリンのソ連である。そしてこれから間違いなく起こるであろう事は急速な軍事的拡張を続ける中国による東アジアでの覇権である。おまけに中国の人民解放軍は国家の軍隊ではなく、中国共産党に属する組織である。

その後、ドイツ帝国はビスマルクを疎んじたウィルヘルム二世により誤った方向に路線変更がなされ、ビスマルクが築いた平和の遺産を生かす事なく第一次大戦に突入した。その100年前においてでさえ、ドイツ帝国では議会の総選挙が実施されていた。例え統帥権が独立していたとは言え、言論の自由は確保されて、社会民主党が大躍進した様な国である。この事を思えば、この東アジアにおいて今後勢力均衡が崩れる様な事ともなれば、惨劇の歴史が繰り返されるのは必然であろう。

2011年4月23日土曜日

自主防衛論

在米の政治・経済評論家、伊藤貫氏が日下公人氏との共著で「「自主防衛を急げ!」という本を最近出版した。実はまだ読んでいないので詳しい内容は知らないままであるが、国民の核アレルギーが極限にまで高まろうとしているこの時期にこそ、敢えて正面から「自主防衛」や「核保有」について改めて議論を深めるという事は意義ある事だと思う。今回の福島原発事故の対応で明らかとなった様に結局は核保有国の米国やフランスが核兵器テロや原発事故に対する備えや訓練では日本では比較にならないほど数段進んでいたという事である。また日本人がこういう安保・軍事というものに対するアレルギーを持つにより、直面する課題に正面から向き合おうとしなかった事が、政府の後手後手に回る対応結果となり、人災を招いたという事だろう。

伊藤貫氏の説明を聞くと、同氏が取り上げている点で客観的事実として注目すべきは、「米国の財政赤字悪化がもたらす東アジアでの軍事力不均衡」の危険性である。詳しくこの背景を補足説明すれば以下の通りとなる。

1. 米国の年間財政赤字は過去最大の GDP比10%にも達していて破綻寸前
2. 米国の歳出で医療費、社会保障費、国防費だけで全体の 3/4を占めている
3. メディケア受給資格者はベビーブーマー高齢化で 50百万が78百万人になる
  (メディケアとは高齢者障害者向け公的医療保険で医療費が最大項目)
4. メディアケアの医療費と年金の社会保障費は「義務的支出」で削減不可能
5. 従い、米国は「裁量的支出」の中の最大項目の国防費を削らざる得なくなる
6. 米国の経常収支赤字と国債引受の両面から最大の相手国が中国である
7. 米国は東アジアでの国防費を削減し、軍事的プレゼンスを後退させる事に
8. 中国は経済成長を背景に政権が国内締付けを強化し民主化は進展しない
9. 中国は軍事費拡張のテンポを更に加速化させて東アジアの覇権を確実に
10. 東アジアでの軍事力の均衡状態が一気に崩れて軍事的緊張が高まる

なお、上記の2,4,6,8,は当方で勝手に追加説明を加えたものである。      (詳細に付いては、4/14付け「米国の財政赤字」をご参照下さい)

伊藤氏はまた現在の日本外交に関する主張の違いは次の四つのグループに分類されると指摘している。 1. 護憲左翼 2. 親米保守 3. 真正保守 に加えて、4. リアリスト派があり、自分は4であると解説している。この中で戦後日本の歴史で米国隷属をしてきたのは、米国の押し付けた憲法9条を守っていれば良いとする1の護憲左翼と、世界の政治・経済の覇権国家である米国に追随していれば良いとする 2の親米保守であるとしている。

また、過去の世界の歴史を振り返れば判るとおり、これら1. と 2の勢力はコラボレーショニスト(collaborationist、占領軍に協力する属国主義者)だと言うわけだ。これはまた今後間違いなく起きてくる中国の東アジア覇権の動きの中ではまたぞろ、国内で中国の露骨な内政への影響力に迎合するコラボレーショニストを生み出すであろう事を示唆している。

一方、リアリスト派の例として判りやすいのは、2003年のイラク戦争の際に米国内で開戦に反対した、スコウクロフト(父ブッシュ政権補佐官)、ブレジンスキー(カーター政権補佐官)、ハンティントン(学者)、ミアシャイマー(学者)といった人達がリアリスト派であった事だ。彼らはイデオロギーからのハト派としての立場で反対したのではなくて、「中東に民主主義をもたらす」等という誤った判断のもとでの「米国の深入りしすぎる介入」が中東の勢力均衡バランスを崩すから反対したのだという説明である。

我々も海外にいて米国や西欧諸国の動きを見て常に痛感する事は、外交安保の課題は単純なイデオロギーや感情論では解決できない、いや誤った結果しか生み出さないものであって、国家が平和に生き延びる為には現実に向きい、勢力均衡を保つリアリズムの立場を取るしかないという事だ。

この伊藤氏と日下氏の共著の中ではこれ以外に新たな視点から見た様々な意見が書かれているようであるが、それらについては正直なところ評価は分かれるだろう。しかし、少なくとも近い将来東アジアでの軍事力均衡が崩れて日本の独立性が危ぶまれる事と、そうした国際政治の動きに対して日本はリアリスト派の立場に立って正しい選択の道を歩むべきであると言う点については説得力があるものだ。

2011年4月22日金曜日

日独友好決議なるもの

22日の衆議院本会議で政府・民主党主導による「日独友好決議」なるものが採択された様だ。安倍、麻生、元首相ら40名の自民党議員が退席し、また一部の自民党議員が反対する中での決議採択だ。そもそもこの日独友好決議は、1861年の日本とプロイセンとの修好通商条約締結の150周年記念という事で出された民主党案が、自民党との話合いで一部内容が修正されてきたものらしい。

具体的には、「両国は、その侵略行為により、近隣諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えることになった」となっていた民主党案を、ホロコーストなどのナチスの戦争犯罪と同一視していると受け止められかねないため、自民党側がこの点につき強く反発していた。3月末時点では「侵略行為」という表現を削除し、「両国は、近隣諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えることになった」と修正する方向で進んでいたという事だ。

しかし、本来重要な事実として、謝罪や反省をすると言っても戦後のドイツと日本は全く異質だという事をまず理解しておかねばならない。つまり

1. ドイツは「全てナチスが悪かった」という事で、戦前の体制を全面否定した別の国家となった。
2. 日本は終戦後もそのままの国体を維持して、象徴天皇制にする事で国家は継続した。
3. ドイツは英米仏露の共同管理となり、しかも東側は体制の異なる別個の国家となった。
4. 日本は米国の占領下となったが、ドイツの様に体制の事なる形での国の分断ななかった。
5. ドイツは英米仏らとの集団的自衛権に基づく NATO体制に組み込まれた。
6. 日本は米国だけとの日米安保条約(しかも当面集団的自衛権なし)だけの体制となった。

一言で言えば、米英仏、特に米国にとればソ連・東欧の社会主義体制国との対峙と、また同時に血を分けた同盟国イスラエルとの関係上、西ドイツをして「全てナチスが悪かった」事を全面に打ち出させ、NATO加盟とEC共同体結成により「西欧への統合化」を進めさせる事が必然であったわけだ。また西ドイツとしても、「全てナチスが悪かった」に基づき、この「西欧への統合化」の流れに身を委ねるのが必然の選択であり、同時に将来の東独の統合を目指しての国家再興の道でもある。つまりは、厳しい冷戦体制下で生き延びる上での「したたかな」で「狡猾」な道とも言えるのだ。

しかしそうは言っても、一方では常識的に見て、ドイツ国民として「ナチスのホロコーストを見過ごした」というキリスト教神学的な原罪意識というものもあったであろう事は充分考えられる。これゆえ、一般的な理解としてはこの西ドイツの「したたかさ」や「狡猾さ」は、日本人にとってはそれこそ150年前からの潜在意識にある所の「お手本とする尊敬すべきドイツ人」のイメージを損ないかねないので表面化されないだけだ。

またドイツの「全てナチスが悪い」という点については、戦後の日独両国における国際軍事裁判でも大きな違いを見せている。ニュルンベルク裁判でのナチスによるユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)は「人道に対する罪」であり、「平和に対する罪」とか「戦争犯罪」とは全く異質であって、日本は「人道に対する罪」では何も裁かれてはいない。天皇陛下がこれら三つの罪により裁判で裁かれるという動きさえもなかったし、また後から出て来た確たる根拠のない従軍慰安婦問題などは全く提議さえされていなかったのである。

こういった根本的な違いを理解せずして、単純に「戦前は両国とも悪うございました」と国会で決議するのはドイツ側から見ても噴飯モノかも知れない。「オトナでしたたかな国」ドイツにすれば、その口から出てくる外交上の美辞麗句は別として、内心では「まあ日本と言う国はなんと国際音痴で、ウブで、ナイーブな事」と見られる事は間違いない。民主党政権による外交音痴がここに来てまたまた取り返しのつかない国難の元を生み出しているのである。

2011年4月20日水曜日

過越祭

米国の昨日 4月19日はユダヤ教の Passover 「過越祭」の日である。米国でカレンダーを買うと必ずユダヤ教の祝日も記載されているが、過越はヨム・キップル(10/7)とハヌカ(12/20)と並びユダヤ教では大事な祝日だ。過越は正確に言えば前日18日の日没から始まる。ルース米大使のツイートでも「昨夜も、今晩も家族と友人と共にユダヤ教のセデルの晩餐を楽しみました。過ぎ越しの祭りにみなさんの幸福を祈ります。」と大使らしく敬虔だ。

昔子供の頃に初めて聖書を読んだ時に「過越の祭り」でイエスがどうしたとかの事が書いてあっても、今ひとつ何の事か背景が良く理解出来ない事があったし、あの映画「十戒」を見て、兵士が家々を回って男の子の赤ちゃんを殺していくというシーンに子供ながらに衝撃を感じた事もある。しかし、それらは西洋社会では極めて重要な史実でもあるというのが判るのはもう少し大人になってからの話だ。

その昔、モーゼがエジプトのファラオに奴隷となっているヘブライ人を自由にする様に頼んだが、ファラオはそれを拒絶した為、神がエジプト人に「全ての初子を撃つ」という災いの罰を与えたというお話からだ。そこでヘブライ人の家の門には子羊の血を塗り目印とする事で、この神の災いが過ぎ去る(過越)というのが過越の由来だ。仏教徒の日本人には「子羊の血を塗る」というだけでも何とも血なまぐさく恐ろしい話であろうが、他民族による支配が当たり前の中東や欧州は平和な島国日本とはそもそも歴史の血生臭さが違うのだ。

さてその後の歴史でも近年まで迫害、差別、離散で苦労を強いられ続けてきたユダヤ人達にとっては自由の国アメリカは「故国」イスラエル以上の安住の地だ。彼らにとっては何よりも身の安全が保障される永住権や市民権が取れる事と、ドルという世界最強通貨で資産を維持運用できる事の魅力は絶大だ。それに米国政府は歴代いかなる政権でも常に故国イスラエルを「血を分けた同盟国」としての立場で強固な関係を維持してくれるので、この米国にはいかなる国にも変えがたい信頼感がある。

日本人にとっては普段日本ではほとんど接触する機会のないユダヤ人とも、米国企業と取引をしたり米国に住む事で接する機会は大いに増え、また彼らに対する理解もより深まるのは大変恵まれた事だ。私個人の事を言えば、米国に住むユダヤ人とのお付合いでは例えば世話になる弁護士、重要取引先、ビジネスパートナー、不動産取引の相手といったあらゆる局面で少なくない。勿論、ユダヤ人にも色々な人間がいると思うので一概に言うのは妥当ではないが、自らの経験だけを振り返れば、ユダヤ人の人々の印象と評価はすこぶる良い。勤勉で真面目で真摯で誠実で質素で謙虚、とくれば日本人のメンタリティーに合わないわけがない。巷に言われている貪欲で陰謀のかたまりのユダヤ人などはどこにいるのかと思うほどだ。

米国へのユダヤ人の移民は、彼らのルーツの欧州域内での離散流浪先によりアシュケナージと言われるドイツ系とスファラディと言われるラテン系の二種類に分かれるが、この二派の間でも外観や気質の違いはある様だ。例えば、知合いのスファラディ系のおばさんはスペイン語の姓を持ち、気質もラテン的でのんびりしており、住宅バブル投資に失敗しサブプライムローン返済に困ると言う風である。一方、彼女をクライアントとする不動産屋のアシュケナージ系おばさんの姓は完全なドイツ語であり、気質もしっかりしすぎるほど厳しいという風にである。

米国における政治、科学、学問、芸術、音楽、法律、医学、経営といった知的職業分野でのユダヤ人の活躍は目覚しい。彼らユダヤ人の事を思うと、今回の大震災での放射性物質汚染で某隣国が「日本沈没」と騒ぎたてた様な事態ともなれば、果たして日本人もあの「日猶同祖論」なるものが現実となってこの米国で生きていくしかない運命なのであろうかという思いが一瞬頭をよぎった次第だ。

2011年4月18日月曜日

小沢氏に関してもう少し

Twitterというものはタイムラインを流し読みしていると、必ずふとマウスのホイールボタンを止めてリンクが貼られている先を見てみたくなる様な殺し文句が見つかるものだ。そういうものの中で2009年末に韓国ソウルを訪問した際に市内の大学で行った小沢氏の講演の YouTube動画が紹介されている。そういえば確かにこういう内容の発言を小沢氏が韓国でしたという事を聞いてはいたが、その収録ビデオを見るとそれをどう評価しどう捉えるかは別として、その動画のタイトルにある通りあまり先例のないの「爆弾発言」ではある。
詳細は http://www.youtube.com/watch?v=UswizjEHAbk をご覧下さい。

これを見ると小沢氏の講演内容の概略は下記の通りだ。
1. 近代における日韓の間の不幸な時代は日本国民としてまず韓国に対して謝罪しなければならな  い歴史的な事実である。
2. 朝鮮半島南部の権力者が九州に来て、更に海伝いに三重に上陸し、奈良に入って政権樹立をしたのが日本の神話で語られている神武天皇であるという「神武東征」説が江上(波夫)先生の説である。
3. 仁徳天皇稜の発掘は宮内庁が認めておらず、江上波夫氏が(自民党)幹事長時代の小沢氏に対し宮内庁に働きかけて何とか発掘を認めてもらう様依頼した。これを発掘できれば(江上氏が主張する様な)歴史の謎が解明する筈だ。
4. これを私(小沢氏)があまり言うと日本に帰れなくなるが(笑い声)、江上氏説は歴史的事実であると思う。
5. 794年の平安京を作った桓武天皇の生母は百済の王女であった事を天皇陛下も挨拶で「言った事」(敬語ではない)であり、認めている。
6. しかるに、日本人は自分で勉強し判断する自立心が最も足りない国民である。

この小沢氏が事実だと考える江上波夫氏の「騎馬民族征服王朝説」をどうとらえるかは歴史学上で諸説あるが、小沢氏が敢えて「これが歴史的事実である」とソウルで講演した意図はどういうものなのであろうか。おそらく韓国の人達にあなた方は我々日本人が戦前神と崇めてきた天皇のルーツだったという事を言いたかったのであろうか。講演を聞く韓国人にしてみれば、何やら自尊心がくすぐられる様で悪い気はしないだろうから、小沢氏とすれば日韓親善の為に敢えて爆弾発言を行ったのであろうか。また最後の部分の「日本人は自立性が最も足りない国民である」にいきなり論理が飛躍するのも今ひとつ理解できないが、要はこれもひたすら日韓親善の為に、韓国人に対してへりくだって「日本人はダメな国民ですよ」と言いたかったのであろうか。

ここで我々政治のシロウトの頭を更に混乱させるのはいわゆる真正保守と言われる人々の中にも小沢氏待望論を唱える人々がいる事だ。真正保守の人々にとってはこの小沢氏のソウルでの講演内容は受け入れ難いものであろうと思うが、むしろ「大局を見るホンモノの政治家としてのかような発言は敢えて問題視すべきものでもない」ものなのか。つまり、これも小沢氏が中国訪問時に胡錦濤主席に対して述べた「私は自民解放軍の野戦軍司令官」という発言と同様に相手を「おちょくったもの」と理解すべきものなのであろうか。その辺が正直よく判らない。このYouTube動画を見る限り、小沢氏は自説を述べるのに堂々としており、これが捏造されたものでもなくまた曲解されたものでもないのは明らかだ。また時期的にも例の習近平氏の天皇会見問題の直前であった事からも一連の流れに沿うものであろう。

こうなると小沢氏の「理念よりも権力」だと言う今までの極端な変節の経歴を、仮に「政治は行動と結果」だからそういうものだと言う事で理解するにしても、ここで小沢氏がまた再び政治権力の最高実力者になろうとする場合はいかに変節するのか、あるいはこのソウルでの講演内容に沿う様な考えのままで新たな変節をせずに押し通すのかが、またこれも我々凡人には良く理解できないところであるが。

2011年4月16日土曜日

原発問題と台湾

未だに収拾の見通しがつかない福島原発問題がきっかけとなり、今や原発の安全性の問題は世界的な規模での広がりを見せている。そんな中でWall Street Journalによる Scores of Reactors in Quake Zones(地震地帯にある原発の評価)と言う調査結果は一見に値する。WJSによれば World Nuclear Associationの原発に関するデータを使い、世界の 400以上の現存する原発と、更に100以上の建設予定の原発の中から地震活動地域に的を絞りその危険度の分析を行ったものだ。

その結果、世界の原発全体の約20%の90の原発が地震活動地域にあり、そのうちの8%である34の原発が高危険度であるとしている。問題はこの高危険度の34の原発のうちの 30が日本と台湾にある事だ。また更にその34の原発のうちの 17の原発(福島を含む)が海岸線から 1マイル以内の沿岸地域にあって地震と津波の両方の危険性があるとしている。

この34の高危険度の原発の中で日本と台湾以外としては、米国のカリフォルニア州の2箇所(1箇所は廃炉)とアルメニア、スロベニアの各一箇所がある。つまり事実上、世界の中で「地震と原発」という面からの危険度が日本と台湾に集中しているという事だ。日本の原発だけに限れば、福島、浜岡をはじめ女川、美浜、敦賀等とほぼ軒並みで高危険度とされていて、日本の原発のあり方についてはこれから国内で色々議論がなされると思うが、もう一つの危険国台湾での動きは参考になる。

台湾の原発は1970年代末から稼動開始し、既に3箇所あって北部の新竹市(旧台北県)に2箇所、南部の屏東県に1箇所が稼動中である。更に4箇所目が屏東県で99年に着工されたものの、その後原発反対の動きをしていた民進党政権の成立や、国民党が多数を制する立法院との対立から推進と反対が二転三転して現在も完工されていない。

台湾の原発論議でここに来ての新たな動きは、2012年の総統選挙で民進党からの最有力候補である蔡英文主席(女性)が「2025年までの原発全廃」を打ち出している事である。建設中の第4原発を運転させず、第1-3原発を40年の稼動年限ごとに区切って2025年までには全廃するという計画だ。

台湾は日本同様にエネルギー源の自給率が3%と極端に低く(日本は 5%)、果たして経済発展をした台湾が原発なしで充分な電力源を確保できるのかどうかが疑問視されているが、総統選挙を機会に日本の先を行くこの原発廃止議論が台湾国内で活発化されるのかどうか、日本も注視すべきだ。

蔡英文氏は台湾南部の屏東県生まれで、台湾大学法学部卒後コーネル大やロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで学んだ知的エリートであり、同じ客家出身の李登輝前総統の秘蔵っ子とも言われている民進党の若手ホープである。陳水扁政権では行政院副院長(副首相)を務め、2008年の立法院選、総統選での敗北後、野党となった民進党の主席に選ばれている。

台湾政治の舵取りは難しい。中国という大国とは政治面では対峙しつつも、経済面では今や切っても切れないパートナーであり、かつこの中国の存在で国際社会からは孤立状態に追い込まれ、また中国に併呑される危機にもある。そうした困難な局面の中で、野党の立場から政権復帰を狙うのが蔡英文氏の民進党だ。蔡英文氏の持つクリーンイメージと同様に台湾という近代国家が、その国のシンボルカラーである緑(中華民国を是とする国民党はシンボルカラーが藍)の様な「核なき緑の国」に果たして成り得るのかが今後注目される。

2011年4月15日金曜日

村山内閣との類似性

今回の東北地方の大震災で「よりによってこの内閣の時に」と、阪神大震災の時の村山内閣の事を思い出された方は少なくないだろう。阪神大震災での村山氏は自衛隊の派遣等で全てが後手後手にまわった事に関して「何分にも初めての事なもので」という馬鹿げた発言で国民の激しい批判を浴び、支持率が急落した。現在の菅内閣が1994年6月に成立したその村山内閣に似ているという指摘がよくなされる。後手後手にまわる「危機対応」ぶりは確かに同じであるが、これ以外の共通点としては「反小沢」であり、もう一つは「外交音痴」であろう。

今から振り返れば15年前のたった1年半の「村山内閣」というのは一体何だったんだろうと思う。この村山氏ほど首相になる legitimacy(正当性)がない人物はなかっただろう。何故、村山氏が首相になったかは言うまでもなく数合わせの論理の結果だ。つまり、(1) 細川・羽田連立政権での真の実力者である小沢氏が羽田政権樹立時に「社会党・さきがけはずし」を図った事と、(2) 同時に政権復帰を狙う自民党がこの社会党・さきがけという反小沢氏の動きの二党との連立工作をしたのがきっかけである。そもそも小沢派による細川政権の「理念なき野合」が、あい続いで反小沢派による村山政権の「理念なき野合」を作り出したのだ。

そもそも細川連立政権成立時に社会党が加わったのは自民党政権時代のもとでは同党が70名という最大野党勢力であったからだ。自民党を離党し、反自民党の結集という事で数合わせ上、小沢氏はこの社会党とも手を組む事を決めたのである。そこにおける小沢氏の読みとしては、社会党が連立政権としての数合わせ上は重要であり、また一方では冷戦体制終結で既に賞味期限が切れていて政党としての力を無くししていた事にある。後に「踏まれてもついていきます下駄の雪」と揶揄されるほど細川政権下では小沢氏に舐めきられていたのだ。

首相として何の功績もなかった村山氏でも戦後50年の節目の1995年に出された「村山談話」だけは有名だ。いわく戦前の日本が植民地支配と侵略によってアジアの国々に多大の損害と苦痛を与えてと言う内容だ。まさに国論を二分するとも言われる歴史観問題ではそれまでにはない踏み込んだ発言だ。この首相談話の内容は村山氏の考えもさる事ながらそこには外務省の意向が色濃く出ているのではないかと思われる。その背景にあるのは鄧小平氏の後継として1993年に全ての権力を手中に収めた江沢民氏による「反日姿勢」の中国にある。

1989年の天安門事件の民主化の動きに危機感を抱いた江沢民氏は共産党一党独裁体制維持の為の正当化根拠を「反日」に定めたのである。それ以来日本の外務省の対中国交渉では何事につけ中国側からこの「歴史問題」を引き合いに出されて困難を極めた。外交官の頭の中にあるのは必ずしも国家第一ではなく、いかに与えられた仕事を波風立てずそつなくこなすかの官僚的発想だ。そういう彼らには国家観がなく外交音痴の村山首相の登場は渡りに船である。首相談話は首相一人が了承すれば議会の承認がなくとも公表されるものであるので、これがあれば中国、韓国の反日国との外交交渉はスムーズに進むのだ。現在の外交官の中でも村山首相を評価する人が少なからずいるのは、ひとえに村山氏が外交音痴で外務官僚の言いなりで操れる無能の宰相であったからだろう。

村山氏にとっての労働者は菅氏にとっての市民である。いずれの首相にも共通するのは「労働者ありき、市民ありき」で「国家」なるものが意識にない事にある。そもそも外交とは国家の利益即ち国益と国益がぶつかり合う場であるから、国家観のない首相に外交を担当する資格はない。実際、イタリアのナポリサミットでは晩餐会で各国の首脳が食事に会話にと和やかな雰囲気が作られた中で、普段日本食しか食べる事が出来ない村山首相は終始一切食事には手をつけず全くの招かれざる客であったとの事だ。そもそも村山氏には外交どころか外国とか外国文化といったものにさえ触れる興味と機会はなかった様であるから、外交舞台でいかに振舞うかも知らないリーダーではお話にならない。

90年代の村山氏はまさに現在の菅氏である。現在の主要な外交交渉の相手は中国だけではない。同盟国である米国こそ常に衣の袖の下に見え隠れするのは鎧であるから、菅内閣そのものが国家の危機である事は言うまでもない。

2011年4月14日木曜日

米国の財政赤字

オバマ大統領は13日、今後12年間で4兆ドル(340兆円)の財政赤字削減策を目指す計画を発表した。現在の財政赤字幅の対GDP比 11%を2015年までに 2.5%以内に抑えるというものだが実現は難しいだろう。因みに2010年度で各国の財政赤字対GDP比は日本が 9.8%、米国が11%、PIGSのアイルランド12.2%、スペイン 10.4%、ポルトガル 8.8%、ギリシャ 8.1%である。

日本の場合の財政赤字は、国債の殆どを国内の金融機関が引受ける事で賄われており、その原資の殆どが国内資金である所が米国との違いだ。これがゆえに日本は政府債務残高が世界一でありながら、一方では対外純資産残高では世界一の債権国と言う結果となっている。米国の場合は国債の引受先を中国、日本はじめ諸外国に依存している為に、政府債務残高では世界でトップクラスであり、かつ対外債務残高でもダントツの世界一の債務国である。

米国の財政赤字額をグラフ化するといかに驚くべきものかが一目瞭然だ。それは 2008年9月のリーマンショック以降、2009年度(2009年9月末まで)が 1.4兆ドルと2000年以降の水準である 平均 0.3兆ドルの5倍近くに急増しており、続く2010年度も1.6兆ドルと更に過去最高記録を更新する見込みだ。また、これによって連邦政府の累積債務残高は昨年2月に米議会が連邦債務上限法で決めた上限の14.3兆ドルを4月には越えるほどの勢いで膨らんでいる。 また債務残高のGDP比ではこれも史上最高の100%(政府保有の金融資産込みのグロス)となる見込みだ。因みに日本の政府債務残高は約10兆ドルでGDP比約180%(同じくグロス)である。

オバマ政権側ではこの上限の引上げを議会に求めているが財政の健全化を主張する多数派の共和党は反対の姿勢を示しており、このままだと米国債の発行や利払いに支障を来たして米国債に対する信用問題につながりかねない危機的状況だ。

この財政赤字の悪化は言うまでもなく、(1) リーマンショック後の景気後退による税収減と7,870億ドルの景気刺激策の歳出増 (2) それ以前からの高齢化と医療費高騰による医療・社会保障費の増大 (3) 2001年、2003年に11年間総額 1.7兆ドルの大型減税を実施した事(1998-2001年の 4年間はいわゆる冷戦終結に伴う平和の配当として財政黒字になった事から) (4) イラク戦争、アフガン戦争の戦費は累計で1兆ドルに達している事、これらが主因である。

歳出面を項目別にグラフ化すれば、これも一目瞭然であるが、(1) 医療費(高齢者と低所得者への援助) (2) 社会保障費(年金等) (3) 国防費 (4) 国債利払い、これら4項目で実に歳出全体の 72%を占めていて、この中でも医療費と社会保障費の合計は42%と全体の半分近くになっている。歳出項目を大別すれば、Entitlementと言われる社会保障費等の「義務的支出」(法律で毎年の歳出額が自動的に決まる)と、国防費や一般経費などの「裁量的支出」(毎年ごとに立法措置で歳出額が決まる)となるが、義務的支出には Pay-As-You-Go条項という財源確保条件が付けられていて、支出を増加させる場合はそれに見合う増税か歳出削減がなされていなければならない。

オバマ大統領としては、この Entitlement(義務的支出)の削減に手を付け、更には裁量的支出の国防費等の伸びを凍結する計画である。いずれにせよ、共和党の主張する財政の健全化と大型減税か、あるいはオバマ政権の目指す景気と雇用の回復か、この辺のバランスが難しいところであり、これが当面の与野党の駆引きの焦点だ。

2011年4月13日水曜日

クリントン国務長官

クリントン国務長官が17日に来日する予定である。ヒラリー・クリントン氏に対する2008年大統領選予備選での反対陣営からの批判は、「冷たい、見下す、傲慢」の「上から目線」の3点セットであったが、国務長官就任後の彼女の評判は決して悪くはない。2009年4月のオバマ大統領のプラハでのいわゆる「核廃絶宣言」の直後には、滞在先の中東ですかさず「中東の同盟国が核の脅威にさらされる様な場合には米国は同盟国に対し、核の傘の供与を躊躇しない」と明言した。つまりイランによるサウディ、イスラエルへの武力攻撃を牽制したのである。もとよりオバマ大統領の「核廃絶宣言」なるものはルーピー首相の国連での 25 by 25 (2025年までにCO2排出量を25%削減する)宣言と同様、実現性のない空虚な政治ショーにすぎない。その点、クリントン国務長官の方が国際政治の現実をより理解していると思われる。

さて今回のクリントン氏の訪日目的は何か。まさかわざわざ大震災のお悔やみと励ましに来るのではあるまい。ある元外交官氏によれば、ルーピー首相辞任の前にはキャンベル国務次官補が来日したので、今回は菅首相に引導を渡しに来るのではとの解説をされていたが、そんな事は絶対ないと言い切れないのが菅政権の現状だ。しかし間違いなく言える事は、今回の大規模な米軍の支援の日本政府への大きな「貸し」に対する何がしかの見返りを求めて来るという事であろう。国際政治の現実は善意や同情などの甘い感情が入り込む余地のない、国益の激しいぶつかり合いだ。現在米国が日本に求めるものは2点、それは普天間基地移設問題の解決(外交軍事)と米国の財政赤字縮小への協力(経済協力)である。

民主党政権になってからはすっかり日本政府の外交音痴が諸外国にあからさまに知れ渡る結果となった。菅政権では尖閣海保問題に始まり、ロシア政府の北方領土問題への対応姿勢、そして極め付きは今回の大震災での福島原発問題での後手後手の対応振りである。国際社会はこぞって菅氏の指導者としての能力に疑問を感じ、不信感さえ抱いている。そういう中での米国の国益を一身に背負っての国務長官の来日である。それはもうクリントン氏にとっては外交経験などなきに等しい無能の菅氏、松本氏とは何事を交渉するにしても「赤子の手を捻る以上にた易い」事であろう。

ヒラリー・クリントン氏と言えば誰もが思い出すのが、2008年の民主党大統領候補予備選の時にテレビで流された彼女の感情の起伏である。最初は1月のアイオワ州での予備選初戦でオバマ、エドワーズの両候補に敗れて最下位になった後、集会で支持者からの質問を受けて珍しく涙ぐんだ事である。それまでの彼女のイメージは何事も強気一辺倒であり、米国人の間では「これではビルが浮気するのも判るな」とささやかれるほどの人物だ。その彼女が前人気にも拘らず予備選初戦で最下位になった事のショックが大きかったのであろう。

次はその2ヵ月後、オバマ陣営側からの negative campaignに対し、演説の最後で“Shame on you, Barack Obama.”(バラク・オバマ、あなたみっともないわよ!)と怒りを露わにして結んだ事だ。これは3月のオハイオ、テキサスでの予備選を控えての劣勢挽回の為の強気姿勢のイメージ作りでもあった。その後各地での予備選では一時は盛り返したが、結局はオバマ候補優勢の流れとなってしまったのである。選挙戦でのテレビで映し出されるイメージはあなどれない。こうした彼女の感情の起伏が、終始冷静なオバマ氏との対比でマイナスになったのではないかと思われる。

しかし、国務長官になってからの彼女は政治家としての成熟度も増し、大統領夫人時代からの国際舞台での経験と本来の強気キャラがプラスに作用したのか、なかなかのご活躍ぶりである。国連人権委員会ではIt is time for Gaddafi to go. と強い調子でのカダフィ批判を表明した一方では、リビア空爆には消極姿勢を示すなど外交面でのしたたかさを見せている。さて、これを書き終わって Twitterを見てみれば「クリントンさん、早く来て菅氏に引導を渡して欲しい」との書き込みあり。一日一日ごとに国益を損ねているという菅政権の終わりは近い。

2011年4月12日火曜日

復興資金(ドイツに学ぶ)

大震災から一ヶ月が過ぎ、被災地東日本の復興に目が向けられる様になってくると、果たしてその復興資金を容易に調達できるのかと、いかに調達するのかが議論の焦点となってくる。前者の点については既に多くの経済学者が指摘してきている様に、世界一の債権国である日本には充分な資金源があるので資金調達そのものは全く問題がない事は言うまでもない。問題はむしろその調達方法にある。

まず「世界一の債権国日本」の説明であるが、極めて常識的な事であって理解し易い。これはちょうど家庭における家計と同じで、急病や事故、災害で急な出費を迫られる時に果たして家庭内にそれだけの緊急出費に耐えられる収入なり貯金なり資産があるのかというのと同じだ。国民経済的な観点から国家の家計を「投資と貯蓄」の面で捉えれば、日本は国内で必要とされる投資をはるかに上回る貯蓄があって、それが現在では海外への投資に振り向けられている。その結果が対外純資産残高という形で日本が世界で第一の債権国(つまり最大の金貸し)になっているのである。また、このストックでの対外純資産が増えるとフローでの所得収支の黒字(利子や配当の受け取りが支払いを上回る)の増加を生み出す結果となり、更に資産が蓄積されていく事になるのである。

この「最大の金貸し」を数式で表そうとすれば、対外純資産残高 = 対外資産残高 – 対外負債残高 となる。つまり「海外の資産額」から「海外からの借金額」を差し引いた差額が「対外純資産残高」となる。具体的な数字としては、昨年 5月の財務省発表による 2009年末の数字で、対外資産554.8兆円 –対外負債 288.6兆円 =対外純資産 266.2兆円となって、日本は世界最大の債権国である。因みに第二位の中国が 167.7兆円、三位のドイツが 118.9兆円である。一方最大の債務国、つまり「世界の借金王」はご存知米国で 314.8兆円の純負債を抱えている。米国は純負債第二位のブラジルをはるかに引き離してダントツの世界一でその額も突出している。その一つの表れが、日本の保有する米国債残高約 8,859億ドル、85円換算で約 75兆円にある。

仮に東日本大震災の復興資金として阪神大震災の復興資金である 10兆円の 2倍の 20兆円がかかるとしても、それだけの資金をカバーするだけの「資産のストック」と「新たなに余剰資金を生み出すフローの力」を日本は充分に抱えているという事だ。今これから復興基金を作って復興債を発行するとなれば、個人向けに発行する復興債と金融市場を通じての復興債の二種類で調達できる。個人向けの復興債では家計部門の金融資産である 1,400兆円の中のたった1%程度を振り向けるだけでも14兆円が賄える筈だ。

問題はこの復興債券の償還財源であるが、元財務官僚の森信茂樹氏が提案しているのがドイツ統一後の旧東独側の復興資金に使われた連帯付加税(Solidaritätszuschlag)方式である。連帯付加税とは 1995年のドイツ統一後に特別に導入された税で法人税・所得税額の 5.5%(当初は 7.5%であった)が付加課税される。ドイツでの法人税の現行基本税率は 15%(実効税率は平均約30%)であるので、これの 5.5%である、0.825%がプラスされるという事だ。

この税方式のメリットは法人税・所得税の税率と体系はそのままにして現行制度を維持しつつ、広く、薄く、国民全体に連帯を求めて、能力に応じて負担を求めるというところにある。これであれば、消費税率アップの様に被災者にも負担を求める結果となったり、低所得者層への負担増とはならない。また、新たに国債を発行して将来の世代につけを回す様な事にはせず、また日本の国債の格下げや、金利の上昇、投機筋による国債投売りをもたらす事もなく、財政危機の更なる悪化にもつながらない。

現在の法人税・所得税収入の合計は約 20兆円であるから、仮に10%の復興付加税としても上記の復興費用20兆円のうちの国費負担が10兆円とすれば5年で償還できる範囲である。従来、貯蓄過多で国内での有利な投資機会がなく海外資産投資に振り向けられていた資金が、復興債購入により被災地での生活インフラや住宅インフラに振り向けられれば、これこそが有効需要の創造となって波及的な景気回復につながる道でもある。

まさに政治指導者三流でも日本は経済一流であるので、政治に頼る事なく安心・安全の為の資金は充分手当て可能なのである。

2011年4月11日月曜日

大阪都構想

今回の統一地方選挙における大阪府議会選挙で大阪維新の会が第一党となり、しかも109議席中の57議席確保で過半数を制した事の意義は大きい。今回の選挙は大震災の一ヵ月後という事と東京都の石原知事四選、更には菅政権の問題もあって相対的に注目度が低くなっていたが、橋下知事にとっては大阪都構想の実現化に向けての大きな一歩だ。

そもそもは橋下知事の支持率と言うのは8割近い高率を維持してきており、大阪府民自身のおよそ半分がこの大阪都構想に賛成しており、反対を大きく引き離している様だ。また、興味深い事に民主党の岡田幹事長がこの構想に対して全く理解を示していないのに対し、自民党の石原幹事長はむしろ積極的に理解を示している事から、菅政権と民主党への不信感と不人気が橋下知事の維新の会躍進に追い風となった。

もともと大阪都構想の基本は (1) 大阪府と大阪市という二重行政の無駄と非効率を解消する (2) 東京都と並ぶ関西圏での行政組織確立で日本全体の活性化を図る、事を目的としてきたが、今回の大震災の教訓から (3) 災害対策としての東京の首都機能分散の必要性、があらたに注目を浴びた形だ。更に、これに先駆けて行われた愛知県知事と名古屋市長、名古屋市議の選挙で河村氏のグループが勝利し躍進した事も大きく後押しをした。

大阪都構想を進める上での橋下知事のリーダーシップと個性はなくてはならないものだ。橋下知事への府民側での高い支持率にも拘らず、公務員層からの支持率は25%と言われており、いかにこの行政改革に対する既成政治勢力や地方官僚機構の抵抗が強いものかが伺われる。しかし、本来保守系である橋下氏自身はかねてから小泉氏を模範とすると述べてきている通り、小泉氏と同様に強靭な抵抗勢力と正面から対峙し、同時に移り気で危うい大衆人気に乗り切る度胸はこの知事には備わっている。

橋下知事の個性はまた、経済界の孫氏、堀江氏、三木谷氏、柳井氏らと同様若手で東京育ちではない非官僚的、非サラリーマン的発想とエネルギーの持主である事、また同時に弁護士としての知識と経験が備わり、テレビ出演を通じての大衆人気を得ているところの三点にある。取り分け大阪という土地柄は庶民性が重んじられる所で、その違いは石原氏と橋下氏の外見や立ち居振るまいからも見て取れる。

橋下氏のもう一つの強みは自らの言葉による情報発信力にある。Internet上では橋下氏に対する誹謗中傷は氾濫しているが、それに対抗する様に橋下氏の Twitterを見ているとまるで機関銃である。Twitterは140文字以内という制限があるので、多くの情報を発信する場合は 140文字内のツイートを連続多発させる事となるが、そのエネルギーが凄い。3/22の同氏のツイートは何と延々43件連続、3/31には 29件連続であったが、その間の日にも断続的に続いた。それでもさすが弁護士なのか、文章が一件ごとにきれいに制限内に収まり、主張が判り易く簡潔に纏まっているところに感心する。

この大阪都構想は決して大阪や関西圏だけの為ではなく、東京の一極集中から来る閉塞感を打破する事の鍵となって沈滞ムードが続く日本全体の活性化につながるものであると確信する。それは何よりも海外に眼を向ければ明らかだ。米国でも欧州各国でも日本の東京の様に何事も首都に一極集中してしまう様な愚かな国家システムにはなっていない。複数の大都市圏があって、独自の産業や文化があり、それらが相互に刺激しあって相乗効果により発展してきている。日本の場合は将来この役割をするのが大阪都であり中京都である。

もとより関西人には人の目を気にしてやたら自粛ムード一色になってしまう様な画一的でサラリーマン的な発想はなく、海外でも例えば米国社会に根をおろして成功している個人事業家には関西出身者が多い。大阪人ではなくとも、海外からであっても、日本全体の活性化の為にも個性派の橋下知事には大いなるエールを送りたい。

2011年4月10日日曜日

三流政治指導者と日本経済

4月に入り米国でも暖かくなり天候が安定してくるにつれ、各地でゴルフコンペが開かれる季節だ。今年は米国人でも日本人でも日本の大震災被災者の為のチャリティーを名目にするところが少なからずある様だ。参加費を上げたりして余剰金を全額義援金にまわすというやり方で、これだと寄付する側も集める側も気楽で、目標金額も参加者数で事前にしっかりと計算できる。

さてコンペともなるとゴルフ場はビジネスマンの間ではたちまち情報交換の場所になる。日本人の間での共通の話題は、この震災によっていかに日本の本社や工場が原材料と製品の確保に奔走してきたか、現在もしているかという事だ。震災後一週間は米国の顧客も「お悔やみ」ムード一色であったし、日本中からの緊急在庫をかき集める事で何とか対応したが、二週間目に入ると顧客側ではこれがあせりに変わり、パニックになってきたとの事だ。

トヨタ生産方式、ジャストインタイム、リーンプロダクション、SCM(サプライチェーンマネージメント)といった名称で知られる「在庫の無駄を徹底的に削減する」企業努力が日本からの供給停止で裏目に出たのだ。今回の震災で欧米アジアメーカーでの生産ラインが相当部分ストップしてしまうという事態が世界中で起こり、例えば GMあたりの日頃日本車を目の敵の様にしている様な米国メーカーでも日本製の基幹部品やパーツに完全に依存しきっているのが判ってしまった。また世界中で販売が激増しているスマートフォンもそのほぼ全てに日本メーカー某社の基幹部品が組み込まれているので業界全体で大騒ぎだ。

同時に日本国内では企業本社の東京脱出や機能分散は着々と進行していて、例えば予想通り関西の賃貸オフィスやレンタルオフィスの需要は急増して一部は満杯になってきている様であるし、また外資系企業では既に大阪や名古屋に早々と本社機能の移転してしまった所もある。全てが後手後手の菅政権の対応でそれどころではないとは思うが、政府レベルでの首都機能分散は議論さえも始まっていない。

もう一つの動きは米国の不動産業界である。やはり資産の海外へのリスク分散を考える日本の富裕層向けの動きがある様だ。米国では現在、住宅市況が底と言われ、競売物件が選り取り状態にあり、しかも円高というまたとない投資機会がこのところ続いているのだ。場所によっては新築物件でもその価格がリーマンショック前の1/3というのもあって、例え当面は賃貸にまわす事で有利な資産運用が出来なくとも、取り敢えずは購入手当てをして日本での更なる震災と万一の放射能被曝リスクに備えようという動きだ。

こうなると経済界の動きは素早く、いらいらするほど情けない政治の動きとは全然違う。散々、欧米メディアの不信を買い軽蔑されて来た菅政権と違って、世界の日本の経済界や技術力に対する信頼度と依存度は依然高い。これはあまり公表されていない事実だが米国の防衛産業に於ける日本のハイテク民生部品への依存度もかなり高い。一言で言えば、日本からでしか調達できない最先端の電子部品が入らなければ、戦場では米軍はミサイルを一発も打てず、戦闘機も飛ばせず、空母も航海できないという事も在り得る話だ。

今回の震災では日本の「経済一流、政治三流」を改めて再認識させられた。菅氏に対する米国メディアの酷評の一例であるが事実をうまく伝えている。Granted, Japan’s ethic of uncomplaining perseverance — gaman, in Japanese — may also explain why the country settles for third-rate leaders. つまり、日本人の「我慢の精神」があるからこそ菅氏の様な三流の指導者でも何とかもっているとの的確な指摘だ。いつまで日本人はこの菅氏という「三流指導者」に我慢し続けなければならないのだ。

2011年4月8日金曜日

中国人留学生

新聞報道によると、中国ジャスミン革命の発起人が実は米国の大学や大学院に留学する中国人留学生である事が判ったらしい。これに対し、中国国内の民主派からは「海外の安全な所に身を置いて行動を求める声には同調出来ない」との反発も出ている様だ。しかし、言論の自由が保障されている米国にいる留学生が internetというツールを使って行動を呼びかける事は民主化を求める側に残された数少ない手段だ。例え「安全な所に身を置いて」と批判されても、何ら恥じる必要はない。彼らには彼らにしか出来ない役割があるのだから。

昨年11月末の拙ブログの「米国への留学生」というタイトルで、Institute of International Education (IIE、米国NPO、国際教育研究所)が ”Open Doors 2010” というタイトルで発表した2010年度における米国の大学への留学生に関する数字を紹介させて頂いた。今でもこのタイトルにはアクセス数が多くいつもトップグループに入っている。この数字の中で顕著なのは中国からの留学生が昨年比 30%アップの急増で全留学生全体で最大の18%を占めている一方、日本からの留学生が昨年比14%ダウンで年々急激な落ち込みを見せている事だ。これを学生に限らない日本の若者の「内向きと引きこもり」現象と捉えるのも正しいだろうが、中国の場合はその留学生の急増の背景は複雑だ。

中国の若者で勉学の道を進むものであれば、多少なりとも自国の体制が矛盾と欺瞞に満ちたものである事に気付くだろう。しかし、それを指摘し改革しようと思っても中国国内には言論の自由がないどころか、自らの身に危険さえ及ぶ。彼らにとっては勉学という大義名分でいち早く中国から逃げ出し、米国と言う自由の国に住み、出来ればそのまま永住し、更には米国の市民権を取得してしまう事が何にも増しての個人としての最優先希望事項であり、また死活問題でさえある。この点については、言論の自由が当たり前で、何事にも恵まれすぎている日本の若者にはあまり理解されないであろう。

米国西海岸では今や中国からの留学生を見ない日はないというほどの押し寄せぶりだ。同じ中国語を喋る「中華系」と言っても、(1) 昔労働移民として大陸からやって来た中国人の子孫、つまり米国生まれの中国人、(2) 戦後香港や東南アジアから移住してきた中国人、(3) 更には中国人ではない台湾人であるが台湾からの移民、と合わせると大別して4種類になる。現在押し寄せてきている中国人留学生の場合は、その服装や英語、立ち居ふるまいから他の3種類の中華系との違いは歴然としている。しかし、一様に彼ら留学生は勉学の機会が与えられたという事よりも何よりもこの自由の国米国に来ている喜びをあらためて感じている様に見受けられる。

米国はもともと国外の圧政、弾圧、迫害、言論封殺、政治的差別、宗教的差別から逃れてきている人達を暖かく迎え入れる国である。西海岸だけでも古くは国民党支配から逃れてきた台湾人、旧フセイン政権から逃れてきたイラク人、イランの現体制から逃れてきたイラン人、旧南ベトナム政権の人々、ミャンマーの軍事独裁政権に対抗する人々、チベット解放運動のチベット族、天安門事件以降逃げ出した中国人と様々なグループがあり、彼らが一様に安心して暮らせる場所であり、また反体制運動の国外拠点にもなっている国だ。

ドイツもまた、最近その受け入れの条件はかなり制限されてきているとは言え、西独時代からドイツの憲法に該当する基本法の第十六条二項で、政治的な理由で迫害を受けた人々の亡命受け入れを保障して来ている。それは言論の自由のない東欧社会主義体制の国々と接してきて、厳しい国際政治の現実に直面してきた事によるのは言うまでもない。「安全と自由」はタダという平和ボケ日本人も、本国で迫害を受け米国や欧州に逃げてきた様々な人々と接する事で Freedom is not free (自由はタダではない).をあらためて認識させられるのだ。

2011年4月7日木曜日

ありえない大連立

菅政権から「救国・復興」の名目での大連立話を持ちかけられて、谷垣総裁が総理・総裁経験者にご意見伺いするという情けない話を聞き、「こりゃ自民党もダメだ」と思った方は少なくないだろう。新聞報道によれば、3/30 森、安倍両氏と個別会談、3/31 福田、麻生両氏と個別会談、4/4 中曽根、河野両氏と個別会談、4/5 海部、小泉両氏と明らかにされているだけでも 8名との個別会談と、あきれるほどご丁寧な気配りだ。一体、こういう方々の意見を聞いてどれだけ役に立つと言うのだ。総裁としての谷垣氏自身の連立に対する考えというのはあるのかないのか全く見えて来ない。いやそもそもこの総裁にはこの国難にあたっても自分の考えなどというものはないのかも知れない。

谷垣氏はこの度重なる会談の前半では言われるままに大連立に傾き、後半ではそれに対して党内若手や世論が騒ぎ出した事もあり、小泉氏という決め手を使って大連立したいなんて言った事はないと否定するという流れだ。もう一度言おう、「ああー情けない」と。サラリーマン社会の大企業でもこういう社内根回し的な事が慣行として行われている所もあるだろう。しかし社長がいちいち社長、会長経験者と軒並みに会ってご意見をお伺いするという様な馬鹿げた事をしていたらたちまち部下から軽蔑され信頼をなくすだろう。

面白い事に谷垣氏は中選挙区時代の1983年旧京都府第二区補選で野中氏と揃って初当選したのが政治家としての出発点だ。その後1993年まで4回の中選挙区衆議院選でこの野中氏と仲良く揃って当選し続けた。もともと革新勢力の強い京都の保革激戦区での初出馬というこの二人を揃って当選させたのは当時の総務局長であった小沢氏であると言われている。小沢氏はこの時の手腕を角栄氏に高く評価されて、その直後の中曽根内閣で初入閣し、角栄氏を後ろ楯にして権力の階段を一気に駆け上っていったのはご存知の通りである。

皮肉な事に今回の大連立工作の裏側ではこの野中氏の動きがあったとの噂が伝えられている。政界を引退した野中氏の主たる役職名は角栄一派の居城とされてきた「砂防会館」こと土改連(全国土地改良事業団体連合会)会長である。この野中氏との長年の確執からか、政権交代後の絶頂期にあった民主党の小沢氏は2010年度の土地改良予算を何と6割も一気にカットしたのだ。以前、自自連立政権樹立の際の官房長官として「悪魔にひれ伏してでも」小沢氏に連立参加をお願いした野中氏は、またしても恥も外聞もなく小沢氏に再考をお願いすべく会見を申し込んだのだが、全くの門前払いに終わった。今や小沢氏抜きの民主党政権に対してこの大連立の口添えをし貸しを作り、何とかこの予算を元に取り戻すのが同氏の使命だと考えられている。

さて大連立とは言えば、有名なのが現在のドイツの大連立政権である。2005年の連邦議会選挙の結果ではCDU/CSU(キリスト教民主・社会同盟)が与党SPD(社会民主党)を破り第一党となったものの獲得議席は226対222の僅差であり、単独過半数には至らなかった。それだけではなく、従来のそれぞれの連立相手であった FDP(自由民主党)や同盟90/緑の党を加えても、双方ともが依然過半数に達しないという全く拮抗した状態になった事がきっかけだ。大連立はこの選挙結果を踏まえて両党が一ヶ月以上かけた交渉の上に成立したやむを得ないものである。総選挙もせずに裏工作で大連立を企てるのとは本質的に違うものだ。

本来、連立というものは仕掛けるものであって、仕掛けられるものではない。仕掛けられるものの運命は自社さ政権の「社&さ」の様に消え去る運命にある。この辺の政治の基本を知ってか知らずか、わざわざ先輩連中にお伺いを立てねばならない総裁であれば、この党への信頼感は大いに揺らぐ。自民党の次世代、若手世代はこぞってこの大連立に異議を唱えている。いかに無能な菅政権の崩壊は近いとは言え、自民党も一気に世代交代をせぬ限り政権返り咲きは遠のくばかりだろう。

2011年4月6日水曜日

米軍による救援活動

新聞報道によれば、今回の震災救援活動での米軍出動に関し、米国政府はその予算手当を当初の30億円をはるかに上回る2.3倍の68億円に引き上げたと公表したらしい。これは何を意味するかと言えば日本政府への一部負担か、何がしかの資金的な見返りを求めてくるという事だろう。そもそも「give & take」は米国人の本能であり文化だ。一方、「安全と空気はタダ」というのが平和ボケ日本の文化だ。菅政権は請求されれば支払うしかないだろう。米軍側にも言い分がある。外国の軍隊である米軍が日本の災害支援にこれほどまでの大きなプレゼンスでもって救援活動を行うのは「菅政権に自国民を守る確固たる意思と能力と備えがない」からであると。更には「菅政権には危機対応能力が著しく欠如」しており「人道的見地」から、とても黙ってみておれないと言われるだろう。

その通りである。民主党政権の事業仕分けによって、スーパー堤防、原発災害防止調査等々の予算が軒並みカットされてきている事は、公表されている内閣府の事業仕分け結果のリストを見れば一目瞭然である。今はひたすら国民の眼が救援・復興にエネルギーが注がれているので、この問題は追及されていない。しかし、国民の安全と安心を守るのが政治の基本だ。昨日も述べた通り、菅氏が主張してきた様に日本がPKO協力法案を断固阻止して、自衛隊を海外に派遣する事をかたくなに拒んできていたならば、今回の米軍出動の図式は本当に国際的に見て軽蔑の対象どころか笑い話のネタにさえなる。

国民の安心と安全の面で災害救援と同じく重要なのが防衛である。このPKO協力法案に続くのがいわゆる有事法制であった。この「有事法制」に関しては2001年の米国での 9.11テロがきっかけとなり国内でも論議が深まって、2003年の小泉政権時代には自公与党に民主党も加わり圧倒的賛成多数で「武力攻撃事態対処関連3法」が成立した。更には2004年には有事の際の国民保護や米軍への協力などの詳細定めた「有事関連 7法」の成立に至り、ようやくの事ながら日本は普通の国の入口までに何とか至ったのである。思い返せば30年以上前の事ながら、有事に関する職業上の責任からのごくまともな発言でさえ、時の来栖統合幕僚会議議長が罷免されるjなど、長くタブー視されてきた事こそが異常であった。

米国のいわば自己完結型の自国防衛と、NATOという集団的自衛権のもとの西欧諸国の自国防衛が先進国での国際基準でありながら、片務的な(米国は日本を守るが日本は米軍に基地提供と資金を出すだけで米国を守らないという、いわば非対称の疑似双務的)日米安保体制のもとに米軍に守られて一人国際社会で平和ボケをしていたのが日本であったから、この面での小泉政権の功績は大きい。

勿論、日米安保体制は米国の世界的な軍事戦略の一環である事は事実である。しかしその事が理由で日米安保体制が不当なものであるとの意見は成立たない。何故なら日本は非核兵器保有国であり、集団的自衛権さえも事実上認められておらず、日米安保体制がなければとても露中朝の周辺核保有国からの攻撃と威嚇に対抗できないからだ。所詮は軍事同盟などというものはお互いが国防上、利用できるものを利用するというものである。かような米国の世界戦略に巻き込まれたくなければ、自主防衛力を飛躍的に向上し増大させ、核武装論議まで発展させなければならなくなる。その覚悟がさえもなければ、現在の日米安保体制の状態を良しとせざるを得ないのは子供でも判る話だ。

仮に今回、米軍出動の費用負担の面で日米での合意と了解がなされても、依然として米国側が忘れないのは普天間基地移設問題だ。新聞の社説では「約2万人の米軍兵士が参加した今回の大掛かりな救援活動は日本に恩を売る絶好の機会」とオバマ政権に「思惑がなかったわけではないだろう」と、遠慮がちに二重否定で書かれている。新聞は何を遠慮しているのだ。オバマ政権に「思惑はある」と肯定文で書くべきだ。それが国際政治では当たり前の話だからだ。

ルース大使の連日の Twitterでは米軍の支援活動の写真がこれでもかと言わんばかりに多量に紹介され、陸自が(尖閣海保事件の様に)菅政権に規制でもされているのかと思うほど遠慮がちに小出しに自衛隊の写真を公表するのとは対照的だ。極めつけの写真は沖縄の第三海兵師団による「ブーツをグラウンドにおろして」の「可視化された」人海戦術による瓦礫撤去作業である。我々は邪心を忘れ今回の米軍の救援活動には素直に心から感謝すべきであろう。さて、ここまで米軍様に徹底的にご親切にされれば、果たして当事者能力のない菅政権はどうするのか。まさか知らんふりして「逃げ菅」にはなれないだろう。大いに注目したい。

2011年4月5日火曜日

変節の季節

有名な映画監督が自分の作品についてニヤリとしながら語った言葉だが「この作品にかける私たちの思いはサヨク(左翼)でもウヨク(右翼)でもありません。ただのシヨク(私欲)です」と。確かに名画というものに少しでも政治理念やどこかの政党の臭いというものが感じられれば、折角の感動が冷めやり、興ざめとなって俳優の演技そのものまでもが胡散臭く見えてくるものだ。この場合の「私欲」というのは単にその作品が金儲けの為だけではなく、出来る限り多くのファンを感動させ、その心をつかみ、支持されるものでありたいという思う映画人としての欲であろう。

同じ様に出来る限り多くの国民に支持されたいと各政党が思うのが政治の世界での選挙である。そこにおいて政党は選挙民に対して「政党の綱領」や「結党の精神」、「政治理念」「具体的政策」を提示して選択肢を明確化しなければならない。また一方の選挙民側では各政党の今までの政策実現の実績等も考慮し、その選択肢と照らし合わせながらどの党に投票するか決めるとなるわけだ。

しかし、現実の政治では過去の政治行動の実績はあまりあてにならない。つまり政権獲得や政権維持の為の「変節」がまかり通っているからだ。しかもごく短期間に時には真逆方向への転換が見られるから選挙民の頭は混乱する。民主党なる「綱領無き政党」がその最たる例だ。変節の例を見つけ出すのには小沢氏、菅氏の事を思えば簡単だ。この二人の間では同じ結果における「変節」でもその種類が違う。小沢氏の変節は権力を得る為の強い「能動的な」変節である一方、菅氏の変節は自己保身の為にやむを得ずズルズルと行う弱い「受動的な」変節である。

菅氏の「受動的変節」の一例を上げよう。1992年のいわゆるPKO国会でのまるで学生運動でもする様に体を張ってPKO協力法案成立阻止をしようとしたのが菅氏である。この菅氏が国会内で衛視に演壇からひき降ろされるまでの様子をニュースで見て憶えておられる方もおられるだろう。もし今現在も菅氏が主張した様に日本がPKO協力の為に自衛隊部隊を海外派兵する事をしないままであったならば、今回の大震災の際に出動した米軍人の心の中はどうであっただろうか。

「一体、こいつら日本人は世界各地で大災害や内乱や戦乱で困っている人達を救う為のPKO活動が必要な時には一切自国の軍隊を派遣せず協力しないクセに、いざ自国が大災害に会った時にだけは助けてくれーだと、ふざけんな!」と思われてもおかしくない。現場で救援活動を行う米軍人とて原発付近での放射性物質被曝のリスクがあるわけであるから、なお更だ。その米軍の同盟国としての役割以上(普天間問題解決の為の give & takeの政治的意図がありありとしていても)の救援活動で菅氏と菅政権は救われているのである。事実、北沢防衛大臣がわざわざ米大使とともに撤収する米空母を航空機で訪問して謝意を表している。

こうなると菅氏が国会で体を張ってまでPKO協力法案を阻止しようとしたその行動に一体いかほどの正当性があると言うのだ。因みにこのPKO協力法案は当時の自民党幹事長である小沢氏が1991年の湾岸戦争勃発を機会に、操り人形の海部内閣と続く宮沢内閣をその豪腕で後ろから強烈に押して国会を通過させ成立させた重要法案だ。同様に「能動的変節」をした現在の小沢氏ではとても考えれない動きだ。

政治の世界では、政治は数合わせ、数合わせは政策「目的」を遂行する為の「手段」と言われている。しかしその今や「手段が目的となっている」ところに「理念なき変節の政治」が続いている。これが混迷する日本政治の根本原因であるのは間違いない。

2011年4月4日月曜日

2000年の森政権とは

2000年4月に小渕首相が脳梗塞で倒れた後の森政権誕生までのいきさつは、腐りかかった旧来の自民党的体質の病状が末期症状として一気に吐き出す形となった様に思える。ご存知、「五人組」、青木官房長官、森幹事長、野中幹事長代理、亀井政調会長、村上参議院議員会長の面々による密室協議での森氏選びである。まさに legitimacy(政権担当の正当性)が大いに問われるケースの典型である。

そもそもこの五人組の密室協議以前に、小渕氏が重態の病床で青木氏に「後を頼む」と言ったと伝えられているが、それが果たして本当なのか(例えば第三者が横で聞いていたとか、録音されていたとか)、あるいは仮に本当であっても、いかに臨時首相代理を決めるかといった事についても全く不透明であり定かではない。形式的には官房長官である青木氏が取り敢えず臨時首相となり、その2日後に両院議員総会での総裁選出、国会での首班指名という正式手続が踏まれたが、これらは全て密室協議での筋書き通りである。

小渕政権までの自民党内での権力基盤は言うまでもなく旧田中派(経世会)にあり、党内のかなりの部分を牛耳っていた事から、竹下氏辞任後の海部、宮沢両政権は当時の幹事長であった小沢氏率いる経世会の「操り」であった事は言うまでもない。一方、同じ経世会でも梶山氏は「一六戦争」と言われた「竹下・金丸体制」後の田中派後継争いで、羽田氏を推す(そしてその陰にまわる)小沢氏に対抗して、小渕氏を後継会長に推した派閥内の実力者だ。またこの事が1993年の小沢氏グループの離党、新進党設立、細川政権樹立への鍵となる重要な裏舞台である。いや裏舞台ではなく、むしろこれが1993年の政権交代の本質だ。

しかし、小渕氏が倒れる 2000年4月の時期は同時に、旧田中派内での実力者である竹下氏、梶山氏の重鎮二人があいついで病床に臥し(二人は同年6月のほぼ同時期に亡くなっている)、党内での派閥力学バランスが少し傾きかけていた。これが一方では森氏という清和会(旧福田派)派閥の長の首班への起用であり、同時に野中・青木の小渕派(旧田中派)と亀井・村上の江藤・亀井派との間とも絶妙なバランスが保たれていたと見るべきだろう。もっとも、根底にあるのはひとえに実力派閥の両派にとって森氏が操り易かったからである事も見逃せない。

こういう政界のドス黒さに敏感なのは石原都知事である。森政権発足とほぼ時を同じくして2000年5月には台湾で陳水偏氏が本省人初の総統に選ばれたが、その総統就任式に出席し、翌日テレビ朝日のサンプロに出演した石原都知事が「陳総統の顔は引き締まって良かったですよ。それに比べてあそこに座っておられるお二方(5人組の野中氏と亀井氏)は人相が悪いなー」とズケズケと発言したのを今でも憶えている。亀井氏とは盟友関係にある石原都知事ではあるが、密室協議の本質を見抜いていたのは言うまでもない。

さて、森政権というのはほぼ一年余りの短期間であったが、途中には「加藤の乱」があり、森氏自身の数々の失言や「資質問題」からも支持率が急激に低下して森氏は辞任に追い込まれた。森氏というのは旧来の自民党的なものから生まれた旧自民党的体質を持つ政治家であった。もし自民党がその後の総裁選に勝利する小泉氏により「ぶっ壊されない」旧体制のままであったならば、おそらく解体して一部は小沢氏のグループに吸収されていたやも知れない。

2011年4月3日日曜日

小渕氏という政治家

菅氏への「在日外国人からの不法献金」問題追求のまさにその日、その国会の委員会での質疑中に東日本大震災が起こったのは何か不思議なものを感じざるを得ない。この時の大きな地震の揺れで閣僚席の大臣達が天井を見上げてあわてふためく姿の写真は、迫り来る菅政権の崩壊を暗示するものであり、まるで美術館で見る欧州の絵画の様だ。確かに原発問題、震災復興という重大課題に直面して、最早このまま菅氏が政権維持できないのは明らかだ。そして復興という大義を利用しての自民党との大連立への動きが加速されるのはこれも誰の眼にも明らかとなってきた。

連立というものをあらためて考えて見れば、それは「政権の獲得や安定維持の為には衆参での議決を確実なものとする」必要があって、その事を第一義の目的とするものである。それを考えながら、あの震災発生から何日が経過したのかとカレンダーを見ているとある事に気付いた。今からちょうど11年前の2000年4月2日は政界に大激震が走った日だ。それは当時の小渕首相が脳梗塞で倒れた日である。小渕氏は昏睡状態のままその翌月に還らぬ人となった。今でも憶えておられる方がいると思うが、小渕氏の葬儀の際に葬列の霊柩車が国会前を通過しようとしたまさにその時突然大きな雷鳴が轟き、何とその国会議事堂に落雷したのだ。こんな事が本当にあるのかと恐ろしいものを感じた方も少なくないだろう。小渕氏の無念の怒りであろう。

政治家小渕氏は小沢氏と小泉氏の二人の個性とはまた違った味を持っていた。あの生真面目な顔をして新しい元号を掲げる「平成おじさん」の顔そのものの方だ。小渕氏が脳梗塞で倒れる直前には今も注目のあの方、小沢氏との間で「自由党の自自公連立からの離脱」の話合いがなされていた。そもそも自自公連立政権は、当時自民党が参議院で単独過半数割れをしていた事から、野中幹事長が「悪魔にひれ伏しても」自由党の小沢氏に連立参加をお願いして成立したのがきっかけである。その後小沢氏側から自民党に対し数々の難題がぶつけられ、自民党は対応に苦慮し連立維持を危惧していた。そこで自民党は地域振興券というバラマキを主張する公明党案に賛成する事で公明党を連立に引き込む事に成功して三党連立が成立したものだ。

この自自公連立の安定政権樹立には小渕氏という誠実で真摯な性格のリーダーへの信頼感もさる事ながら、その水面下、舞台裏での野中氏、亀井氏といった自民党内のプロ中のプロの政治力が大いに寄与した事は言うまでもない。こうなれば自自公政権は磐石な安定政権となる。今思い出すだけでも小渕政権は周辺事態法、国旗・国家法、通信傍受法等の成立へと次々と右方向への舵をきって行った、いやきって行けたのである。

しかし、自自公政権の安定状態というものは数の面での弱小政党を率いる小沢氏にとっては政権内での自らの存在を誇示し、主張を押し通すには決して望ましいものではない。それどころか、自由党が存在意義をなくして党の霧散消滅の危機を迎える事さえ危惧されたのである。政治家としての小沢氏の嗅覚はその辺に極めて敏感だ。そこで小沢氏は小渕氏に対し先手を打って連立離脱をちらつかせる事で「自民党と自由党の発展的解消による合併、新党結成」を主張したのだ。さすがの小渕氏も戦後政治を担ってきた自民党という政党を自らの代で消し去る事は受け入れ難いとするのは言うまでもない。結果、捨て身の小沢氏の豪腕に振り回され、連立維持交渉は決裂して、その心労が原因と思われる小渕氏の脳梗塞へとつながって行ったのである。

小渕氏は政治家としては決して雄弁ではなく、またどちらかと言えば「冷えたピザ」や「凡人」と揶揄された様に地味であり、控え目でさえある。それが逆に自民党内の力学にプラスし、公明党との連立工作が成功したとの見方も出来る。しかし、今になって振り返れば、結局は小渕氏という政治家の力量や存在そのものよりも、その連立政権の行く末の政局に差し込んだ小沢氏の大きな蔭の方が意味を持つ。こうした小沢氏の「自民党と対峙する」動きが過去20年の政界に与えた影響力のその大きさをあらためて思い知らされる。

小渕氏の死後は、自民党内の談合により成立した森政権の短期終焉、更にはあの小泉氏の劇的な登場とつながって、小沢氏は2002年の中国に対する「核武装威嚇発言」を最後に一転、民主党との合流への道へと左方向急展開を図るのである。あくまで「政治は実行力とその結果」であるが、こうした言わば「理念なき変節の政治」に振り回される政界の動きに対し、あの小渕氏の葬儀の際の雷鳴落雷や今回の大震災という自然のなすわざは、何か人間を諌め、警告を与えるものの様にも思えてくる。

2011年4月2日土曜日

ポーランドという国

ポーランドは豊かな歴史と文化を持つ国だ。ポーランド人はドイツ人やロシア人とは違い、どちらかと言えば繊細で柔らかな感じがする。外見上の容姿はフランス的だと言われるがフランス人に似ている様で似ていない。それはおそらくこの国が大国フランスとは違って周辺諸国との軋轢で、もまれにもまれた歴史があるからだろう。地理的に東のロシア、西のプロイセン(ドイツ)、南のオーストリアに囲まれていた事から、近代では露普墺の列強三国に国を三分割され統治されていた歴史を持つ。

ポーランドと言えば、ショパン、キューリー夫人、それにワレサ氏だ。昨年はショパン生誕200周年という事で日本国内のあちこちでもショパン曲のピアノコンサートが開かれた。しかし現在では何と言ってもノーベル平和賞受賞者のワレサ氏が有名だ。ポーランド人に「ワレサ氏は元気にしているかい」と聞いても全く何も通じない。本当は「ヴァウェンサ」というのが原語では正しいからだ。ワレサ氏はあの有名な1989年の円卓会議での共産党政府と反体制勢力の話合いによって、ポーランドの民主化を達成した自主労組「連帯」の、その指導者としての偉業を成し遂げた人物である。このポーランドでの無血平和的な民主化の動きが後の東欧全体の民主化の先駆となったのは記憶に新しい。平均的ポーランド人は今でもこのワレサ氏を大変誇りに思っている。それはこのワレサ氏があれだけの偉業を成し遂げたにも拘わらず、今でも全く昔の技術者、労働者としての庶民の生活ぶりを守っているところにある。

米国ではポーランド系といえば、シカゴである。ポーランド人の人口が一番多い都市はワルシャワだが、二番目はシカゴといわれるほど(およそ 2百万人と言われる)ポーランド系移民が多い。米国でもカミンスキー、シマンスキー、コズロフスキーという名前の人達とは度々遭遇する。因みに日本人でも山崎、岡崎など苗字の最後が ki で終わる人は、ことさらポーランド人やポーランド系には親近感をもたれる様だ。米国の西海岸では最近では音楽、バレー、ダンスといった芸術分野で活躍する若手のポーランド人の移住者が増えて来ている様で、彼らの小ぶりの体型や繊細さから日本人との相性が極めて良い様だ。

世界の美人国比べというのが国際派ビジネスマンの間での酒席の話題に良く上るが、この面でダントツは実はポーランドである。二番目、三番目もないくらいという美人揃いだ。しかも小柄で控え目で優雅で優しいという何か日本女性とも共通する部分がある。あの厳しい冷戦体制化に於いてもドイツからは特段重要な商談が無くとも何とか話をこじつけてポーランドに出張を繰り返していた鼻の下の長いオジサン達の話は今でも語り草だ。

ドイツ側から見れば、ドイツ騎士団の入植やプロイセンの領土拡張などの歴史的関係からポーランドとの関係は深い。冷戦体制下の西独には旧ドイツ領のシュレジア地方から逃れて来た人達が多く働いていたが、彼らに「ポーランド人か」と言うのは禁句で、「私はドイツ人だ」という意識が強い。事実、彼らには帰る祖国がないと言う事もあって、社内でもドイツ人以上に実に勤勉に働いてくれたのが印象的だ。

あらためてあのワレサ氏の円卓会議による「平和的民主化への移行」を思い返せば、今でもアラブ諸国等世界中で繰り返される政変や内乱での悲惨な悲劇というものはその国の人達が持つ文化レベルとは無縁とは言えない様にも思えてくる。果たしてお隣の超大国において将来仮に民主化運動が高まるような事があれば、ワレサ氏の様な人物が出て来るのであろうか。

2011年4月1日金曜日

小泉氏についてもう少し

ほとんどのブログサイトでは自動的にヒット数の統計がとられていて、日ごと、週ごと、月ごとにグラフ化されて表示されるから一目瞭然だ。当サイトを見る限りヒット数では圧倒的に小泉氏が小沢氏を上回る結果となっている。これがそのままご本人達の間での人気度とは思えないまでも、少なくとも小泉氏は政界を引退しても注目度は依然としてあるのであろう。

数ある著名人のブログの中でも植草一秀氏のブログは、徹底して小泉・竹中路線を厳しく批判している反面、諸手を上げて小沢氏を熱烈支持している論調が興味をひく。植草氏は小泉氏に関してはもう全面否定に近い論調で、あのテレビで見た優しそうなお顔からは想像も出来ないほどの激しいものだ。いわく小泉改革などは、弱肉強食、社会保障カット、米国隷属以外の何者でもないと繰り返されている。植草氏はまた自身の「冤罪」についても無罪を詳しく主張し、また同時に小沢氏秘書の逮捕についても「国策」だとして、同じ次元で捉えている。

この植草氏のブログには各方面の方々の意見へのリンクが貼られていて、それを見ると「アメリカ陰謀説」の著者の方、「日米同盟を怪しむ」元外交官の方、真正保守の評論家の方と、同一方向へのベクトルを感じる。総じてやはり小泉氏=米国の走狗の見方だ。政界を小泉氏、小沢氏で色分けするのは決して正しいとは思わないが、一応頭の中が整理されて判り安いので、後は読者の方々がどう判断されるかと言う事だ。

以前、新聞記者の方が書いた論評か何かの中で、宮沢氏と小泉氏の対比というのがあったが、なるほどというものだった。それによると宮沢氏は頭脳明晰、教養豊か、英語を完璧にこなす紳士であり申し分ないが、政治家として欠落しているのは小泉氏が持つセクシーさだと。つまり宮沢氏にすればそんな下賎なもので勝負しないと言わんばかりに、大衆人気や人間的魅力で小泉氏に負けるという事であろう。

独身時代の小泉氏を知るある女性の方に直接聞いた話なのであるが、若い頃の小泉氏は真面目で誠実そのものの青年で、話をしていても気さくで楽しかったらしい。たまたま二人で食事をする事となった時には、その場所の設定も凝った所であったり、何かを語る表現は印象的でありながら決してきざではなく、今でも忘れられないとすこぶる評判が良い。確かに宮沢氏、小沢氏、小泉氏の三氏が笑い顔をするとなると一番自然なのが小泉氏だろう。宮沢氏は無理しているなと言う感じだし、小沢氏はいつそれが恫喝に変わるのかとやはり少し怖い。オジサン達にしても一緒にお酒を飲むとなると気楽なのは小泉氏なのだろう。

一方では、小泉氏はあの靖国神社参拝の強面イメージを放ち、平均的な米国人がやはり靖国に対して不気味な印象を持ち、また好意を持っているとも思えないので、果たして植草氏の指摘する様にそれほど米国隷属なのかなとも思えて来る。また、繰り返しになるが、自民党幹事長時代の小沢氏とて湾岸戦争突入時のペルシャ湾に史上初となる自衛隊部隊派兵を豪腕でごり押ししようとした(廃案となり後の PKO派遣につながったが)位の「強い対米協調姿勢」を発揮したくらいだから我々素人の頭はますます混乱する。

人間と言うものは果たして小沢氏の様にその基本理念においてそう簡単に変節できるものなのだろうか。それはやはりまるで給与交渉の時に散々わめき散らし敵対心丸出しの米国人社員が翌日は全く知らん顔してフレンドリースマイルして来るという「したたかさ」から来るものなのか、そこが我々素人には依然判らない。菅政権の打ち出した復興構想会議という大義を通じて大連立への動きが加速され、再度の谷垣総裁への「お誘い」が出される見通しが高いらしい。こうなると国民新党が掲げ、民主党と社民党が強く後押しして来た「郵政民営化の見直し」などというsingle issueは理念無き大集合のもとに忘れ去られるものとなるのであろうか。

2011年3月31日木曜日

「したたかな国」日本へ

「甦れ美しい日本」になって欲しいと思うが、同時に「したたかな国日本」にも是非なって欲しいと提唱したい。政治、外交とは本来「したたかなに振舞う」という事ではないかと思う。誤解を恐れず言い方を変えれば、目的の為には手段を選ばない「何でもあり」の世界だ。政治も外交も結果が求められているのであって、高邁な理念があっても結果的に国民を幸せにし、安全、安心を守り、国益を最大限追求するという事が実現できなければ、政治家にしろ外交官にしろいくら「死ぬほど努力しました」と言ってみたところで、評価されない筈だ。それはまた結果責任を求められるビジネスに於いてもあてはまるのは言うまでもない。この「したたかさ」において、小沢氏、小泉氏は日本の政界においては両雄にも思えて来るが、おそらく両者間の間では、お互い深く理解しあっている部分があるのではないかと思う。

外国に於いては、「したたかさ」と「何でもあり」と言う面において米国人は実に良く鍛えられている。それも東部、中西部の人間よりも西海岸の米国人の若者はトップクラスだろう。「米国人はこうだ」というのは巨象をなでる様なもので様々な面があり、なかなか勇気のいるものだが、それでも日本人との比較において、あるいは欧州人との比較において、と考えるとある程度的が絞られて来る。例えば、米国の企業での毎年恒例の給与交渉の例を上げてみよう。特に中小の会社で米国人社員一人一人と新年度の給与について業績評価とともに交渉するとなると彼らのその「したたかさ」が如実に出て実にシンドイ。小さい企業やあるいは事業所ともなると、一致協力して目的を達成するという事から、普段は社員の間である種の連帯感なり親密感というのも生まれてくるのはどこの国でも同じだ。しかし、一旦給与、即ち個人レベルでのお金の話となると彼らの人格ががらりと変わってしまうのには感心させられる。

もともと米国人は「沈黙アレルギー」の様なものがあって、例えばマンションのエレベーターの中で見知らぬ人と一緒になっても、目が合うとスマイルするのは勿論、すぐに何らかの意味のない簡単な会話が成立する。彼らは数秒間でも沈黙でいる事は居心地が悪いのだ。そういう米国人との交渉ともなると普段にもまして饒舌になり、また感情表現も豊かになる。彼らの交渉の武器になるのは往々にして社員一人一人に対して責任範囲が明確に決められているJob Descriptionという職務内容記述書だ。That’s not my job! 米国人の部下からこの言葉を聞かない上司はいないであろう。勿論、そう来るのは判っているので上司の側でも理論武装等の対抗策は準備されている。それでもああ言えばこう言うと、まあこれがコミュニケーションだと割切るしかない。

更には自分の満足が行かない結果となるとわめき散らすは(泣き出すのもいるらしい)、おきまりの「他社からオファーがある」とか言い出だすやら(そんならどうぞと言うのが良いが)、騒がしい。それでも、翌日あたりになると昨日の給与交渉の時の騒ぎは無かった様にケロッとしてまた再びスマイル&冗談で働いてくれるという所がまるでガキの様でもある。こんなのはまだまだ「したたかさ」にも入らないほどの序の口ではあるが、解雇されそうになると女房と幼子を事務所に連れて来て泣き落としするとか、有名なセクハラ訴訟の落とし穴等々生き延びる為の「何でもあり」の実例は山とある。

米国で事業をやり、ある程度の成功と収益を得ようとすれば、こういう米国人達と米国流でお付合いしなければならず、またそれに対するある一定の知識なり、経験なり、技術なり、度胸なりといったものも身に付ける柔軟性が求められる。何事も日本流で日本人の美意識と倫理観で物事を進める事が出来ないのであるから、そこは日本人であれ、欧州人であれ、より「したかかさ」が必要となる。

政治もしかり、外交もしかり。勿論、ビジネスでもしかり。ただただ米国流金融帝国主義(そんなものがあるのかどうか知らないが)を嫌いあるいは恐れるのではいっその事また江戸時代の鎖国に戻るのが良いのかも知れない。事実、あの恫喝威嚇を繰り返す隣人中国様との関係でも江戸時代あるいは戦後の冷戦時代の様に日本とはお互い鎖国状態であった時期こそが最良であったなどという説も充分うなづける。しかし、もう相互依存の国際化がここまで進めば後戻りは出来ない。上記の米国人との給与交渉の時の様に日本人側では呆れかえる様なキツイ、シンドイ事に対しても抵抗力をしっかりつけて、彼らよりもより「したたかに」なるのが最良であろう。米国流「したたかさ」にある程抵抗力のついた米国に住む日本人の人達からすれば、慣れてしまえばそれはそれで「あいつ(米国人社員の事)ら馬鹿だな」と仲間内での笑い話のタネともなり楽しいものにもなるのかも知れない。

2011年3月30日水曜日

あらためて小泉氏という政治家

小泉氏と小沢氏は宿命の政敵であろう、いや政敵であった。その政治手法は全く違うし、小泉氏にとっては小沢氏がいた角栄王国が構築した仕組や小沢氏の角栄式政治手法はその政治情念をかけた大改革の対象とさえも言えるものだ。しかし一方においては、近年に於いてこの両氏ほど「政治」というものの持つ「危険であやしい権力の魅力」を体験し、また知り尽くしている政治家はいないだろう。

小泉氏と小沢氏の政治手法の大きな違いは、小泉氏が言わば「一匹狼」的存在で、子分は持たず、派閥に依存せず、また政治資金にも「あまり」依存せず、ただただひたすら自ら発する言葉とメディアを通じての大衆人気を武器にして権力を手にしたところにある。しかし、こうした大衆人気と言うのはハヤリの言葉を使えばsustainable(持続可能)ではないゆえに、権力維持は単発的であり、その身の振り方も当然「闇将軍」的存在の小沢氏とは全く違ったものとなる。大方の選挙民というのは選挙行動においては「移り気で、無知で、愚か」でさえあるのは、2000年以上前の都市国家アテネの民主制度から何も変わらない。それを小泉氏も小沢氏も熟知しているのだ。

小泉氏の政治的情念は、田中角栄氏が作り上げた構造の根本改革、即ち「郵政民営化」と「道路公団民営化」への挑戦に注がれた。この「構造改革」とは、塩爺こと塩川元財務大臣がいみじくも述べた「母屋がおかゆすすっているのに離れですき焼きを食っている」と言う表現の通り(母屋=一般会計、離れ=特別会計)、一般会計である国の財政が逼迫している時に、特別会計で大きな無駄遣いをしているという仕組の大改革だ。具体的には、郵貯、簡保、年金を通じて国民から吸い上げた潤沢な資金を、特別会計として国の予算とは別に旧大蔵省が公庫、政府系銀行、特殊法人(道路公団等)に投融資した仕組である。こういう仕組が日本にある事を聞いた司法関係の米国人は腰をぬかさんばかりに驚いた「あり得ない!」と。

この仕組は戦後の日本においては、国民生活の向上とインフラ整備には確かに効率的に機能した。しかし民間企業の活力がついていく中で時代にそぐわなくなり、存在意義がなくなってきた。この仕組はまた、官僚の采配によって投融資が決まるので、あの「かんぽの宿」に象徴される様な無駄使いや資金の流れが出てくるのは言うまでもない。一方、この資金は霞ヶ関の官僚の天下り先にも流れていくものであった為、官僚が抵抗勢力となっていた。従い、小泉氏の持つ強い政治主導がなければ、この改革は出来なかったであろう。

郵政民営化については色々な立場と見方はあるだろう。しかし、あのままの集金組織を維持して、それを集票システムに活用し、更には自民党内での自らの権力基盤の維持に活用してきた田中角栄式政治手法はあきらかに時代にそぐわぬものとなって、あの時点での自民党の致命的な崩壊につながったであろう。その事が自民党総裁自ら「自民党をぶっ壊す」と叫んだ意味だ。あのシステムが角栄派、経世会の党内での権力維持に寄与してきたのは、システム崩壊とともに派閥が解体状態になっている事から明白である。

また民営化によって日本国民が貯蓄した莫大な資金が米国に騙し取られるとのナイーブな意見さえ出てきていたが、これはお笑いものだ。開かれた国際金融社会での恩恵を日本人や日本企業が受けていながら、一方では自らは鎖国状態にするというのは金融の国際化、自由化の時代には最早通用しない。我々個人でも日本企業でも米国や欧州に投資をし、そこで上げた利益を充分吸い上げ持ち帰る事が可能な開かれたシステムだ。この流れに逆らおうとするのは、ちょうど迫り来る列強の前に怯える幕末の攘夷派と同じ感情論である。要はその様な厳しい国際金融競争にも耐えうる様な体力と体質、抵抗力を作っておく方が重要である。

私はこの小泉改革の果たした日本の政治史上での意義はやはり大きかったと思う。と同時に小泉氏の政治家としての見識、情熱、力量を素直に評価したい。勿論、我々には政治の動きの全てを知る事は出来ない。またその水面下の見えない部分は想像すら出来ない事も多い。それがゆえに政治家を評価するにはその政治家個人が果たして「人間として信頼できるかどうか」、これで見極めるしかない場合もある。それを賢明な国民は知っている筈だ。

2011年3月29日火曜日

あらためて小沢氏という政治家

『小沢党首、核武装可能と中国けん制』〔日本経済新聞〕 2002/4/06
自由党の小沢一郎党首は6日、福岡市内で講演し、軍事力増強を続ける中国を批判して「あまりいい気になると日本人はヒステリーを起こす。核弾頭をつくるのは簡単なんだ。原発でプルトニウムは何千発分もある。本気になれば軍事力では負けない。そうなったらどうするんだ」と述べた。2002年の話とは言え、あの中国様を恫喝するという、今の政界では誰も出来ない何とも勇ましく力強いご発言である。

そう言えば、小沢氏は自由党党首の時にはこういう外交スタンスで政治主張をしていた記憶がある。つい 9年前の事だから、小泉政権の絶頂期に田中真紀子外相を更迭して支持率が少し落ちた頃の話だろう。小沢氏はまた1990年の自民党幹事長時代、湾岸戦争勃発時に自衛隊をペルシャ湾に派遣すべく「操り人形」の海部政権に法案を提出させた。しかし、これは廃案となり国連の元で活動をするPKO法案となって自衛隊の海外派兵への道をつけた。これほどの親米タカ派であったのが今ではとても信じられない。当時、TV朝日のサンプロで田原総一朗氏の質問に「日米安保において米国の兵士が日本を守る為に血を流すならば、逆に日本は米国の為に何もしないで良い、というわけにはいかんでしょう」と述べて、集団的自衛権にまで踏み込む勢いでの積極的な米軍支援を主張した。

その後、小沢氏は1993年の細川政権成立から紆余曲折を経た後、2003年の民主党との合併を経て、2009年の政権交代実現へと大きな政治力を発揮した事は記憶に新しい。政権交代後は一転して、普天間基地移設に関する駐留米軍問題では「日本の防衛には第7艦隊だけで良い」発言もあり、当時の鳩山首相の普天間県外移設、国外移設を後押しした。まあ一言で言えば安保面での180度方向転換であろう。また2009年年末にはすっかり有名となった143名の民主党議員団を引き連れての中国詣を行い、胡錦涛主席と議員一人づつ全員との連続ツーショット記念撮影を実現させるほどの親中ぶりを見せ、更には習近平氏の天皇会見ごり押し問題へと発展させていくのである。まさに小沢氏に向ける胡主席のお顔は「おぬしも悪よのー」だったであろう。

こうした小沢氏の過去の動きを振り返って見れば、現実の政治というものは「理念」というよりも「権力」に重きが置かれるべきものであり、「権力なければ理念の実現は不可能」であるという真実を見せつけられる。即ち、権力を先ず手に入れる為には理念はその時々の政局で猫の目の様に変わってもそれはそれで割切るべきものの様にも思えてくる。

そうなれば、結局は2009年の政権交代というもは1993年の細川政権樹立の時と本質的にそう変わっていない様に思えてくる。その本質とは「小沢氏が主役であり政変の軸」であって、選挙を通じて権力を得る為には「旧社会党系、民社党勢力をどう取り込むか」という事だ。2009年の政変が1993年のものと違うのは、公明党が入っていない事と、抵抗勢力と言われた連中が自民党の主役の座から落とされている事だろう。思い起こせば、その自民党(抵抗勢力が主役の時代の)でさえ、1993年の政変で野党に陥落した後は「社会党」そのものを取り込んで政権を取り返して何とか生き延び様としてきた歴史がある。

さて現在はその小沢氏ナシの言わば「旧社会党系」が主役の中心である民主党政権となっているわけである。政権交代を望んで民主党に投票した人達の一部からすれば「話が違うぞ」との違和感は拭えないだろう。従って、「理念よりも権力」を理解しているオトナの人達からすれば、小沢氏待望論が出てきても不思議ではない。震災復興を論じる先週の朝ナマでは最後に田原総一朗氏はじめ討論参加者の中から「小沢さん早く出てきて東北復興して下さーい」と小沢待望コールさえ出て来ている。もうその雰囲気からは刑事被告人などというタイトルはなきに等しい。

私の立場は小沢氏待望論者でもなく、また頑強に小沢氏を否定するものでもない。ただただ冷静に、冷ややかに、真の日本の再生に果たして「この小沢氏は必要なのかどうか」という一点を見つめるだけである。常に小沢氏の存在は「政治とは何か」を深く考えさせられるものである。

2011年3月28日月曜日

無防備な国、日本

香港で最大発行部数をほこる繁体字(従来の漢字)中国語の「東方日報」の社説である。
中國在日本國難之時出兵釣魚島
http://orientaldaily.on.cc/cnt/china_world/20110319/00182_001.html

普通の日本人には、中国語が判らなくともこの意味は一目瞭然だ。「中国は日本が国難にある時にこそ尖閣諸島に出兵を」と言う意味だ。中国人はこういう事でも躊躇なくやらねばとても生き残れないという厳しい現実の世界に常に直面してきていたのだから、別段驚く事ではない。河野太郎氏のブログで自衛隊の災害支援出動部隊名が全て記載されていたが、海上自衛隊の艦船の相当部分が東北沖にはりついていれば自ずと尖閣付近の防衛は手薄となるのは子供でも判る話だ。戦後の武装解除後のドサクサに北方領土を占領したソ連、ポルトガルからの独立運動の騒乱を機に東ティモールに侵攻したインドネシア軍、相手の危機に乗じて領土に攻め込むのはいつの世も常套手段である。

いや、尖閣の防衛だけではない。今回の大震災で日本の国防上の弱点が脆くも露呈してしまった。実際に日本に陸軍部隊を投入せずとも、一発の核弾頭あるいは核テロなどで東京都心に高濃度放射性物質を飛散させれば日本全体は直ちに機能マヒとなってしまう事があらためて判ってしまったからだ。

1964年に大ヒットした映画「007ゴールドフィンガー」では米国の保有する大量の金塊を放射能で汚染させ半永久的に使えなくしてしまうというストーリーがあったが、現代はそんな面倒な事をせずとも、証券・金融取引を一括で管理、制御するシステム(そんなもの実際にがあるかどうかは知らないが)が高濃度の放射性物質で汚染されてしまえば、即座に日本経済はマヒしてしまい、日本国内のみならず海外との取引も不可能となってしまうだろう。みずほ銀行の ATMシステムが東北地方の災害救援の義援金振込みラッシュだけで、平時においても数日間トラブルを起こし日本国内のみならず海外取引にも使用不可となってしまったのがこういったシステムの脆弱性の表れだ。この銀行は三菱東京UFJと三井住友に比べ、システムに関するリスク分散には全く無防備であった事が判った。

原発事故での放射性物質の拡散被害が本当に首都圏まで及ぶという深刻な事態ともなれば自分の身だけは海外へ逃避させるという事は可能であろう。しかし、こういった金融システムまでもが放射能汚染によって長期間機能マヒともなれば、金融資産の現金化や海外への送金も不可能なものとなってしまい、海外での当座の生活資金さえ手当てがつかなくなってしまうのである。こうしたまさに最悪の事態が富裕層の人達の頭によぎらなかったと言えばウソであろう。そうなれば残るは自らの資産の海外へのリスク分散を図らねばならないという事になるが、それも日本の金融機関を通じての海外資産購入では結果は同じである。自らが事前に海外に出向いて、しかるべき購入手続を現地で行っておく必要が出て来る。

その点、米国では2008年のリーマンショック以降不動産は急落して現在の価格水準は底であると言われているから、ドル安、市場価格安のまたとないチャンスではある。また米国なら不動産の流通市場も発達していて、換金化が必要な時は比較的簡単に行える。首都機能分散の分散先は日本国内に限定されているが、個人資産のリスク分散先は今回の事例を教訓にするならば海外という事になろう。

と、ここまで書けば、あいつは米国の不動産業者のまわしものか、あるいは外資系投資信託会社のまわしものかと疑われるであろう。勿論、私自身は米国への分散投資を勧めも、否定もしない。しかし、今回を教訓にこういった事までのリスク対策の検討すらしないのはあまりにも無防備で危ない。常に起こりうるであろう最悪の事態を念頭において冷静にリスク分析を行う事は、いたずらに周辺に危機感をあおり、不安感を増大させる事ではない。検討した結果をどう判断し、実行するかしないかは100%個人の自己責任においてである。

そういえば早速商魂たくましい米国人不動産業者から被災支援の呼びかけと同時にちゃっかりと日本人を対象とする不動産の売込みを行うというメールが入っていた。なんとも米国的だ。