2010年11月30日火曜日

自民党におけるLegitimacyの喪失

政治学の基本の一つに Legitimacyというのがあります。日本語訳すれば権力者あるいはリーダーが選ばれる過程での「正当性」という事になるのですが、それは単なる法規や規則に基づく正当性という事だけではありません。カリスマなどという言葉がある様にそれらを越えた暗黙の了解の様なものでもあって、その legitimacyを持つものは長年にわたる準備や強い素質の様なものを持っている事を意味します。これを90年代からの自民党にあてはめればこういう事になります。

90年代の与党時代の自民党トップ、即ち首相はほぼ田中派(の流れを汲む)という党内最大派閥の人間、ないしは田中派に支えられた人間、という一応の(低いレベルでの)legitimacyがありました。しかしそれを「ぶち壊した」のは「大衆人気」という怪しげなlegitimacyを基盤とするご存知小泉さんです。問題は小泉さんの後のトップのlegitimacyです。安倍、福田、麻生と続いた短期政権のトップの legitimacyの根拠を自民党は「毛並みと血筋」に見出したのです。しかし、その legitimacyは田中派派閥の持つ legitimacyほどは強力(資金に裏づけされた)なものではない「借物のカリスマ」にしかすぎなかった為に、まずは与党党内から足を引っ張られてしまう結果となり、崩れ去りました。

さて政権交代で野党になった現在の自民党のトップの legitimacyは選挙の大敗のショック状態の中で選んだからなのか、「最大派閥」や「毛並みと血筋」でも何でもないものとなりました。結果は全く「金」でもなく「人気」でもなく「パッション」でもなく「理念」でもない根拠、つまり何にもない根拠でつまらない普通の人間を「取りあえず」選んでしまったのです。この現在の自民党トップの谷垣総裁には従来の自民党型のlegitimacyというのは全くありません。しかしだからと言って従来の legitimacyに取って代わる強烈なlegitimacy(例えば世代交代や新たな理念を根拠とする)ものもありません。この legitimacyの喪失に大きな問題があるのです。

それでは谷垣総裁に代わるしかるべき legitimacyを持った人間が自民党にいるかと言えば、それは自民党が新たな legitimacyの根拠を持たない限り、それを持つ人間を担ぎ出す事はできません。それには自民党自身でその新たなlegitimacyの根拠を見出したり、作り出したりしなければならないでしょう。最早従来の「田中派」の様な露骨でレベルの低い「金権」に裏づけされたものというわけにはいかないし、ましてや「毛並み、血筋」という面では参議院議員の中曽根氏かあるいは皮肉な事に鳩山兄弟を呼び戻すくらいにしか候補者がいないのです。

それでは新たな legitimacyの根拠となりそうなものは何かと言えば、過去の legitimacyでは失敗してしまったという反省から、これらをまずは否定するものでなくてはなりません。そうなると将来に向けての未知なものに賭けるしかない。つまり、政治のシロウトでもすぐ判るのは「世代交代」、これしかありません。それも対戦相手の民主党には相当若手のイメージがありますから、思い切った世代交代をしないと強い legitimacyにつながらないのです。もう今の自民党に選挙民を引き付けるだけの新たな理念や綱領など生まれる筈はなく、またその必要性もありません。取り敢えずは衆寓におもねて政権を取り戻し、民主党政権によってもたらされた国家の危機から国を救う、これをまず考えて欲しいと思います。

2010年11月29日月曜日

米国大学への留学生

今月15日に Institute of International Education (IIE、米国NPO、国際教育研究所)が ”Open Doors 2010” というタイトルで2010年度における米国の大学への留学生に関する数字を発表した。これによれば今年度の留学生(大学)総数は昨年比3% upであり、約69万人となっている。

この中でも目立つのが留学生の出身国別で第一位である中国である。全体の 18%を占める12.8万人で、昨年度一位のインドを抜いて昨年比 30% upの急増である。因みに第五位までは、インド(15%)、韓国(10%)、カナダ(4%)、台湾(4%)と続く。日本はそれに次ぐ第六位(4%)であるが、特筆すべきは昨年比 15% downしている事であり、昨年度の14% downに続いて急激な落ち込み傾向を見せていて、中国の急増との対比が明らかである。今や留学生総数では日本からの数は中国からの数の1/5以下の数となっている。

日本の新聞ではこの傾向は「日本の若者の内向き志向が反映されている」と評している。確かに今の世の中では大手商社においてでも若手社員の間で海外勤務を避けたがる傾向があるというのを商社出身の現中国大使の方がテレビで嘆いておられたから、そういう傾向はあるのであろう。しかし、もう一面では日本人の若者にとって米国そのもの、あるいは米国への留学が魅力のないものに変わりつつあるのではないかとの見方もできるのではないだろうか。

因みに西欧先進国の英独仏からの米国大学への留学生数は合計でやっと日本からのと同じ程度であって、順位ではそれぞれ13位、14位、18位である。この三ヶ国以外では 26位のロシアまで全てが西欧以外の国である。つまり日本も今や英独仏並みに最早米国に夢見をしたり、何でもかんでも依存する様な国ではなくなったと見るべきなのだろうか。

この面では中国、韓国、インド(この三ヶ国からで全体の43%を占める)の学生にとってはまだまだ米国は夢の国であって、留学後はそのまま米国に留まり就職して永住、更には市民権の取得までを希望する者が大半であろう。つまり留学が一番手っ取り早い合法移民への道であり、それは同時に留学生の受け入れ先の州としては最大の California州への移民全体の現状を見れば一目瞭然である。社会の底辺をなすメキシコ系の不法移民は別として、西海岸へのこの中韓印三ヶ国からの移民の急増は顕著である。

米国の大学が教育機関、研究機関として日本の大学とは比べものにならないほどに恵まれたものである事は度重なる日本人ノーベル賞受賞者の中に在米の研究者の方が毎回の様におられる事からもうかがわれる。しかいそういう環境であっても日本の若者は最早米国の大学は誰もが皆行きたがる先ではなくなっているのではないだろうか。逆に言えば、日本に居続ける事の方が心地よいのではないかという事でもある。しかしそれ以上にそんな居心地の良い日本とは違って様々な不条理や矛盾を抱えて脱出したくなる様な途上国の若者にとっては、米国留学は純粋な学問の道よりも現実的な現世利益追求と現状逃避への道でもあるのだ。

2010年11月28日日曜日

フォークソングに思う

米国の TVチャンネルは 100以上はあるので見たい番組のあてもなくリモコンでチャンネルを切り換えていくとかなり忙しい。そんな中で偶々見つけたのがPBS系(公共放送)の寄付金集めの為に特別編成された60年代のフォークソングの music videoだ。この音楽ビデオ自体は当時のライブを収録したものの集成であるから黒白画像で画質も劣っている。しかし、音質だけは何とか聞けるものであって、日米を問わず我々団塊世代の人間には何とも懐かしい思いにさせてくれるものである。

このフォークソングなるものは60年代に米国の若者の間で爆発的なブームになったものであり、キングストントリオ、ブラザースフォー、ピーター・ポール&マリーの御三家は日本でも有名になって彼らは何回も来日して公演している。しかしながらこのフォークソングは同時期のロック、カントリーやソウル系とは違って70年代に入って急速に死滅してしまうのである。現在では新たに新曲が作られる事もなく、また新たな歌手やグループが世に出て来るという事もない過去の歴史上のジャンルとなっている。

さて、この特別編成された音楽ビデオを見ていると、そのライブに集まった観衆、聴衆の様子も興味深いものがあり、フォークソングそのものの以外に感じた事が二つある。それは唄うグループメンバーも観衆、聴衆もほぼ全て白人である事、もう一つはその白人達の表情や外見が今の米国人とは違って見える事である。何が違っているのかと言えば、それは明るく健康的で服装にも清潔感があり、いわゆる「古き良きアメリカ」を代表する様なものである。彼らと現代の若者との外見上の大きな違いは肥満体ではなく一様にスリムな体型であって、顔付きまでが現代の様な欲望に取り付かれた「卑しく醜く」さが無い所にある。それに女性に関しては今の米国女性ではまず見られない慎ましやかさまでを感じてしまうのである。

こうした録画ものからその時代の様子を見ていると、米国では同時期の 60年代のベトナム戦争を境にして社会が大きく変わってしまったのではないかという事を気付かせてくれる。ケネディー大統領暗殺直後には公民権法案が成立し、以降人種的にも白人中心社会から黒人のみならず、新たにラティーノ、アジア系、中東系などを含む多様な人種の社会に変貌していったのであろう。それと同時に人々の間ではそれまでのどちらと言えば、勤勉、実直、誠実で自律的な抑制の効いた社会から、よりむき出しの個々の欲望をエネルギー源とする拝金、物欲の社会に変化していったのかも知れない。その変貌前の60年代に白人中産階級社会で開花し、「古き良きアメリカ」とともに一気に死滅していったのがこのフォークソングではないかと思えてくるのである。

今回の米国の中間選挙で注目を浴びた Tea Party運動も実はこの辺の「良きアメリカ」を取り戻したいという願いが根底にあるのではないだろうか。我々外国人の目から見ても、60年代までの米国は社会が安定し、モラルも崩壊せず、また経済的にもうまく回っていた様に思えるだけに、世界のお手本となる、あるいは世界中からの憧れの国でもあった筈だ。移民社会米国がもう二度とあの古き良きアメリカには決して戻れないのは明らかであり、後は衰退の方向にどれだけ加速化されるかだけであろう。そういう複雑な思いでこのフォークソングの音楽ビデオを見ていたのである。

2010年9月13日月曜日

駐在員くずれ

企業派遣の駐在員として米国に来て、その後転職や自ら起業したり、あるいは定年後も日本に帰らず米国に留まっている人達の事だ。彼らが自己紹介の時などで自ら名づけたやや自嘲的な表現でもある。


このグループは自らの意思で米国に来た「新一世」と、社命により米国に来た「駐在員」の中間的な存在であるが、米国には永住権という便法がある為に欧州各国での在住日本人の間ではみられない米国特有の現象である。つまり永住権の制度がなければ、転職したり、中途退職したり、定年を迎えたりすれば、企業派遣でのEやBのビザが無効となって、現地の人との婚姻関係でもない限りは、一旦は日本に帰国せざるを得ないからである。

この「駐在員くずれ」グループの人々は最近ますます増えて来ている様だ。一昔前はこういう人々を「文化難民」と言って、どちらかと言えば日本の「村社会的」企業文化に馴染めない人々が主流だったのであるが、最近ではもっと短絡的になって例えばゴルフが年中手軽に出来るからとか、物価が安く、天候の良い所に住みたいからという「趣味と生活」重視派が増えて来ている様だ。また以前、駐在員時代に米国で生まれた子供が米国籍を持って米国に住んでいるという機会を利用して、日本で定年を迎えた後にわざわざ日本の家を売り払って、あらためて永住権を取って(子供が米国籍を持っていると簡単に永住権が取れる)米国にシルバー移住する老夫婦も何組か出てきている。

ところでこの「シルバー移住」というのが日本では一時話題になったが、この言葉は最近聞かれなくなってきている。このシルバー移住の先としてまず人気になったのはオーストラリアとマレーシアである。この二国は日本からの距離も近く、気候温暖で、治安等の生活条件も比較的良い。これに加えて米国と違うのは一定金額の投資や預金を現地で行えば、シルバー移住者としての永住権をもらえる事にある。米国の場合はハワイや西海岸がシルバー移住の対象となっていても、あらかじめ永住権を持っている人間ではない限り、現地に在住できる期間は極めて短期間に限定されてしまうから意味がない。

ここで問題になってきているのは、殆どのシルバー移住者が海外で生活する事がはじめてというケースが多い事にある。最初は旅行気分で現地での快適な生活を始めても、実はそのうちにだんだんと「心の乾き」を感じてしまう様になるらしい。この点マレーシアの場合はマラヤ、中華、インド、イスラムの文化が混合して独特の雰囲気があって移住者の好奇心をそそり続けるものがあるが、オーストラリアの場合は恵まれた自然はあっても独自文化の濃度の薄い国であるからそのうちに退屈してしまうという事になりかねず、どうもシルバー移住は計算高い関係国と業者に乗せられた感がある様だ。

さて定年後も住みなれた米国に住み続ける「駐在員くずれ」の人達にとっては、この移民国家では色々な文化を引きずってきている人達との交流にこそ値打ちがあるので、何も敢えて日本人同士の交流などは図る必要はないという建前論もある。しかし、本来米国社会で歴史・伝統・文化などというものは米国料理と同じで、日本や欧州の文化と比較すればあるのかないのか判らないほどのそれこそ薄っぺらいものであるがゆえに、同様に何か「心が乾く」という症状に陥る事もあるだろう。やはりそこは気心の知れた日本人同士の交流を自然に求めてしまうという事もあるのではないだろうか。

いやはや、日本でも米国でもいわゆる裸一貫で苦労してきて何とか米国人になりきった日系人一世や二世から見れば、日本人も何と贅沢になったものであろうかと思われる事だろう。

2010年8月24日火曜日

映画「442部隊」

米国陸軍の日系人二世部隊、442連隊が第二次大戦の欧州戦線でドイツ軍を相手に輝かしい戦績を上げた事は広く日本人の間でも知られている。この輝かしい戦績が並大抵なものではなかった事とそこに至る背景をこのドキュメンタリー映画は見事に伝えている。その戦績とは部隊の規模と従軍期間の割合から一言で言えば「米軍史上最も犠牲者が多く、また最も多くの勲章に輝いた部隊」であるという事実だ。

米軍人に授与される勲章の最高位は Medal of Honor(名誉勲章)である。名誉勲章は米軍人の特筆すべき勇敢な行動や自己犠牲に対して大統領から授与されるものであり、南北戦争から現在までに約 3,400名の米軍人が受賞している。民主、共和の両党から大統領候補になったジョン・ケリー氏、ジョン・マケイン氏がベトナム戦争で受賞し、選挙戦で大いに宣伝されたパープルハート(戦死、戦傷者に自動的に授与される名誉戦死傷賞)とは別格のものでもあるが、近年では適用条件が極めて厳しいものにされており、実際上は戦死者のみが対象となっている。この最高位の名誉勲章を一つの連隊で 21名もが受章したのはこの 442部隊をおいて他にはない。この21名の兵士はダニエル・イノウエ上院議員をはじめとして全員が二世の日系人である。

442部隊の戦績の一例を上げれば、南フランスの深い森の中でドイツ軍に包囲されたテキサス大隊の救出作戦である。この救出作戦はそれまでに何回も試みられたがことごとく失敗しており、急遽それまで北イタリアと南フランスで数々の武勲が伝えられていた442部隊に敢えて出動命令が下ったのである。この作戦では救出されたテキサス大隊の兵士全員の数が 200名あまりであるのに対し、442部隊の死傷者が約800名という常識を逸するものであった。442部隊の二世兵士は自分達が「使い捨て」にされる事を充分知りながら、敢えてその理不尽な作戦を喜んで引受けたのである。

しかし、この映画はそういった過去の武勲を単に伝えるだけのものではない。観るものの心に深い感動を与えるのは、442部隊で参戦した日系二世元兵士達へのインタビューのシーンである。彼らの威厳に満ちた表情、気品のある立ち居振る舞い、謙虚な語り口、人間愛に満ち溢れる眼差し、これらが全てを物語ってくれるのである。彼らは本来米国人でありながら、隔離されたり、敵性外国人と見なされ強制収容所に送られたりで、その苦境を跳ね返そうとばかりに多大な犠牲を払ってまでも自分達を差別した祖国米国の為に命をかけて戦った事実、それが背景にある。

ところで、2000年に電通総研が60カ国価値観調査というのを実施したが、その中で「あなたは国の為に戦うか」との設問に 60か国中 Yesと答えた比率が最低の15%というのが日本である。日本では47%が明確にNo、戦わないと答えている。因みに同調査で Yesと答えた比率の最高の国はベトナムで94%、第二位の中国が 90%で、その他韓国 74%、ロシア 64%、米国 63%と周辺国では Yesが圧倒的である。一体、日本人の精神はどうしてここまで荒廃してしまったのであろうか。

あらためてこの 442部隊のドキュメンタリー映画は同じ DNAを持つ日系人二世の人間としての立派な姿勢を伝える事で、芝居やフィクション映画では決して表現できないものを作り出し、観客にホンモノの感動を与える事が出来るのであろう。日系人に関するドキュメンタリーの名作「東洋宮武の覗いた時代」を更に上回る、すずきじゅんいち監督による見事な作品である。

2010年2月25日木曜日

トヨタとロックフェラー


今回の米国でのトヨタ問題に関して米国議会側で解決への鍵を握るとみられている人物がいる。それは上院の商業科学運輸委員会委員長のジョンD. ロックフェラー(四世)氏である。同氏は学生時代に国際基督教大学に3年間留学した経験もある民主党きっての知日派、親日派であり、「Jayさん」として親しまれて日本では政財界にも顔が広い。同氏は富豪一家のあるニューヨーク生まれながら、全米でも最も貧しい州の一つとされている中西部のウェストバージニア州に自ら居宅を移し、同州の知事になって同州の発展に心血を注ぎ、その後引続き同州選出の民主党上院議員となっている。あの石油王ロックフェラー一世の曾孫であり、共和党の元大統領候補であったネルソン ロックフェラー氏は叔父にあたる。最近ではオバマ大統領の就任式で後ろの方の集団の中に同氏の顔が映っていたのを気づかれた方も多いであろう。

ウェストバージニア州というのはペンシルバニア、オハイオ、ケンタッキー、バージニアの四州に囲まれた州であるが、オハイオ川流域の谷間にある山岳地帯が中心で、これといった工業もなく、いわゆる poor whiteといわれる白人貧困層が多い州として、周辺の州とは違って経済発展から取り残されていた地域である。

1985年のプラザ合意の後、日本の自動車・家電・OA機器メーカーが米国内での現地生産を一挙に拡大していった際には全米50州の殆どの州が東京に誘致事務所を設けたのであるが、ウェストバージニア州1州だけはトヨタに近い名古屋市に1990年に事務所を設置した。既に1988年にトヨタはケンタッキー州に大規模な生産・組立拠点を設けていたのであるが、急増する日本車への需要に対応する為には米国内での第二、第三の工場設置の必要性はあきらかであった。かねてよりトヨタの創業家である豊田家と親交を深めていた Jay氏はウェストバージニア州への有力な誘致企業候補としてはトヨタ及びその部品メーカーに狙いを定めていたのである。その結果、1998年にはトヨタの米国内の四つ目の工場としてエンジンとトランスミッションの生産工場がウェストバージニア州に設立されたのである。

私はたまたま1990年頃にウェストバージニア州内のある工場設備の買収案件の話が持ち上がった関係で名古屋市にあるウェストバージニア州政府事務所と同州の環境対策や法規制に関して頻繁に連絡を取り合っていたのであるが、ちょうどそのタイミングもあって上院議員である Jay氏とホテルオークラで面会した事がある。同氏は身長が2メートル近くはあるかと思われる背の高い、いかにも育ちの良さそうな物腰の温和な感じのする紳士であった。結局はその工場設備買収案件は実現には至らなかったが、日本的な利権や経済的野心の対象とは全くならないそうした小さな個別の投資案件までに気を配るほどこの上院議員の同州経済発展への思い入れは強いのだなと感じたものだ。

現在同氏は上院委員会の委員長という立場上、表面上は中立を保っているが、トヨタ側にとっては同氏との長年の関係はプラスである事は間違いがない。またこの「Jayさん」がトヨタ創業家とトヨタという企業を深く理解する人物であり、私自身が会った経験から感じ取られる同氏のお人柄からも誠実にトヨタの為に協力を惜しまないであろう事は間違いない。

2010年2月21日日曜日

PIGS


PIGS、ギリシャ財政危機で表面化した経済危機が危ぶまれる南欧の国々Portugal, Italy, Greece, Spainの総称である。これらの国々はEUの中核である独英仏に比べると経済構造が脆弱であり、財政規律に関してはルーズである。なぜギリシャ財政危機の様な問題が起こるかと言えば、一言で言えば、経済レベルの全く違う国々の間で無理やりユーロという共通通貨を導入した事にある。つまりユーロ加盟各国政府はユーロという共通通貨のおかげで、その時々の経済状況に対処する為の独自の金融政策はとる事が出来ず、財政政策しかとれない事にある。

本来 EUの本格的統一や通貨統合というものは、「人、物、金」の移動が促進され、経済が活性化される事から、こうした南欧や東欧、バルト三国といった国々の方にメリットがある筈であるが、それは同時にそういった地域へのバブルを誘発してしまう危険性もはらんでいる。特にこうした地域ではもともと経済活動が高度化していないだけに経済政策、財政規律の面でも問題が多い。つまり表現は不適切で悪いが、「経済のシロウトが身の丈に合わない借金をしてバブルに手を出す」様なものであり、アルプスの北と南ではとても経済面、ビジネス面では同じ市場とは思えないという事である。

そもそもユーロの総元締めである欧州中央銀行はフランクフルトにあり、基調としてはブンデスバンクの流れを汲むドイツ式の厳格な金融政策が取られてきている。それでは何故欧州EU全体で圧倒的な経済力を持つ優等生のドイツが自らを犠牲にしてユーロ導入に踏み切ったのかと言えば、それは「ドイツ統一」との深い関わりであろう。1989年のドイツ統一による東側復興の為に統一ドイツは大幅な財政赤字を抱え込む事となり、当然の結果としてドイツマルク金利の上昇がもたらされた。欧州ダントツの経済大国ドイツが高金利となれば、従来の固定相場制を維持するにはポンドもフランも金利を上げざるを得ず、それは必ずしも不況に苦しむ各国の経済状況からは望ましい事ではない。そうした混乱を避ける意味からも従来の通貨統合の動きが一気に加速されたのである。

もう一点はおそらく政治的なものであろう。既に複数のメディアが報じている通り、東西ドイツの統一の動きに対しては、フランスのミッテラン大統領とイギリスのサッチャー首相が露骨に警戒感を露わにして、ゴルバチョフ大統領に統一を阻止する様に働きかかけた事は事実の様である。そうしたフランスとイギリスに対して、東西ドイツの統一を歴史的、政治的使命とするコール首相の「ドイツ統一認知」を得る為の思い切った妥協策であろう。コール氏の決断により一気にドイツ統一の動きが加速し、また同時にユーロ導入の具体化への動きも加速されたのである。
そもそも通貨というものが自然発生的なもので、その国の歴史、伝統、文化、社会と無関係のものではない筈である。それをEUは経済活動のグローバル化の中で米国やアジアと競合する為、あるいは欧州域内での金融、投資、貿易、決済の利便性の面から、加盟国の国家主権はそのままにして、通貨を無理やり人工的に統合してしまおうという「革新」を行ったわけであり、そこには決してプラス面だけではなくマイナス面もある筈である。

イギリスは依然としてユーロには不加盟であり、保守党がユーロ参加に一貫して反対してきているのは、統一通貨に基づく共通の金融政策に縛られる事なく、主権国家として自国の経済状況に応じての政策が打てるという自由度を確保する為であり、これが長い目で見れば真の「保守」としての正しい選択であるのかも知れない。

2010年2月2日火曜日

綱領なき政党、民主党


いやはや、類を見ない「気色の悪い」総理大臣の施政方針演説であった。「いのち」「いのち」と繰り返す、その姿をテレビで見ていて本当に気持ちが悪くなったのである。一国の指導者である総理大臣の施政方針演説が「いのち」である。かっては、その内容がつまらない、魅力がないという総理大臣の演説はあった。しかし演説を聞いていて、気持ちが悪くなるのはいまだかって初めての経験である。その「いのち」を繰り返すのだけは止めてくれと言う感じである。こういう言葉を演説で平気で繰返せるというのは、この人物は体の底からの偽善者なのであろう。あたかも「資力も、知力も、家系も恵まれたこの僕こそが皆さんの命を救ってあげるのですよ」と言わんばかりである。

いのちの大切さが大事である事を否定する人間は今の世の中にはまずいないであろう。しかし、その言葉をことさら取上げると言う事は、「いのちが大切だから」という大義名分の為に国は自分達の面倒を何から何まで徹底的に見るべきであるという、自律、自主、自立の精神を否定してしまう事につながりかねない。ケネディー大統領のあの有名な演説の「国が何をしてくれるかではなく、国の為に何が出来るかを問え」とは180度違った国民への呼びかけではないだろうか。

そもそも何故この様な気持ちの悪くなる「いのち」という言葉が理念として使われたのか、これをまず理解しておかねばならないだろう。つい最近自民党は新たなる党の綱領というものを発表したが、自民党が言う通り、確かに民主党には政権を預かる政党にも拘らず、党の綱領というものが存在しない。いや綱領などというものはそもそも作れないのであろう。自民党の綱領はその冒頭に党組織の目的として「自由と民主」と「日本らしい日本の確立」という極めて明確で分かり易い理念が述べられている。事実、現在の民主党の様に党内での自由な発言さえ制限、自粛させられているという「自由と民主のない」異様な体制と体質の政党との違いを明らかにしたものである。

政党として綱領がない、即ち公表できる共通理念がない政党というものは一体どういう政党であろうか。それはまさに闇将軍幹事長の権力欲が基盤になって、闇将軍の独裁体制の元で政治理念がないまま権力欲のままに動く政党という事であろう。従って、その政党から総理大臣が施政方針演説でその理念を語る場合には、こういったまさに気持ちの悪くなる様な偽善的な言葉を使うしかないのであろう。総理大臣自らが「具体性がないと批判されると思う」と直後の記者会見で述べているのは全く国民を馬鹿にした話である。総選挙結果で政権交代が実現したので、国民の負託を受けているから今更政策の具体策なんかは述べても意味がないでしょうという気持ちの表れだ。

この総理大臣には一体自らがいかに情けない姿をさらしているかの自覚がないのであろうか。同じくまことに情けない姿をテレビにさらしてしまったのがこれまた、副総理である。マニュフェストにある「脱官僚依存」というのは国家のあり方を説く一つの政治理念であるが、先日の参議院予算委員会での菅財務相の答弁に見られる様なお粗末で官僚依存そのものの情けない姿はまさに現行不一致の皮肉である。三人もの財務省の役人があわてて答弁につまった菅大臣の前に集まってきてしゃがみ込み、必死で答弁内容を教えているのである。財務大臣なら当然知っているであろう、大学の経済学部一年生が学ぶ程度の内容の「消費性向、乗数効果」の質問である。

偽善者そのものの総理、脱官僚を叫ぶ割には官僚依存の情けない副総理、お二人には少しだけでも良いからあの闇将軍の偽悪的な図太さを学んではどうかと言いたくなるのである。

2010年1月30日土曜日

オバマ政権の台湾への兵器供与


オバマ政権が「台湾に対するパトリオットミサイルPAC3と多目的軍事ヘリのブラックホークの売却」を議会に通告した。これは米国の国内法である台湾関係法(Taiwan Relations Act)に基づく台湾防衛の為の「中華民国」への兵器の供給を行うという通常の措置である。最近の日本での論調を見ると、これでオバマ政権が中国に対して融和協調から、対決に姿勢を転換したというのが多く見られるが、こういう見方は果たして正しいのであろうか。

基本的にはオバマ政権の台湾問題への基本姿勢は従来の米国政府と同じ路線である。即ち1996年のクリントン大統領による「三つのノー」である、
1. 二つの中国、”一中一台”を認めない
2. 台湾の独立を認めない
3. 台湾の国連機関加盟を認めない
この路線から何ら逸脱するわけでもなく変更するものでもなく、将来も変更される事はないであろう。米国政府の本音としては台湾海峡有事だけは起きて欲しくはないのであり、例え起きそうになったとしても最早クリントン大統領時代の時の様に大げさに事を構えるであろうか疑問である。その疑問は一重に米国の中国依存度が圧倒的に1990年代当時とは劇変してしまっている事にある。

これには今回の「防衛的」兵器供給の中に台湾側が熱望している F-15戦闘機が依然として含まれていない事が何よりの証拠である。今や中国がその気になれば、米軍が介入さえしなければ、台湾にPAC3があろうが、ブラックホークがあろうが、F-15がなければ制空権は瞬時に中国側が握るであろうし、何よりもその前に台湾国内に既に多数潜入してしまっている工作員と協力者の破壊活動が相当な効果を発揮するであろう。

それでは何故今この時期に急にオバマ政権は兵器供給に踏み切ったのであろうか。それは少し前に行われた台湾での立法院委員補欠選挙の結果が引き金である。1月9日に桃園県、台中県、台東県で立法院委員の補欠選挙が行われ、いずれの県においても従来は与党の国民党が議席を握っていたが今回、野党民進党が逆転したことから、台湾国民の間での馬英九政権への対中融和姿勢への危機感と不満が一気に噴出した感じである。

この事は実はオバマ政権にとっては決して望ましい事ではない。2008年の立法院選挙と総統選挙では台湾国民自らの明確な選択で独立志向の強い民進党が大敗してしまった事が米国政府にとってはまさに最も望ましい結果である。ここでまた民進党が息を吹き返す様な事となれば折角、馬英九国民党政権による対中融和協調路線が深化してきている中で、中国との新たな摩擦を引き起こしかねず、これは米国政府としては何としても避けたいのであろう。その路線をより強く推し進めるのが実はクリントン氏を中心とする民主党政権内部の動きなのである。グーグルがどうしたとか、台湾に防衛兵器供給しようが、その点はオバマ政権と中国側は実は織り込み済みの話である。火種がこれ以上大きくなる筈もなく、また大きくするつもりも双方には全くないのである。

要は1月はじめの立法院補欠選挙の結果を見て危機感を感じたオバマ政権が、これ以上民進党や独立派による反馬英九政権の勢いを得ない様に馬英九政権に助け舟を出したと見るのが妥当ではないか。繰り返すが、オバマ政権には最早台湾海峡有事の潜在的リスクを徹底的に避ける事、つまり究極的には国民党政権下での中国、台湾双方による平和的解決、台湾の香港化へのスムーズな移行を望んでいるのが決して表立って決して言えない本音であろう。

2010年1月27日水曜日

普天間基地移設問題-続


みんなの党の渡辺喜美氏が指摘する「鳩山政権は散々沖縄の人をあおりにあおっておいて、こういう(名護市長選挙の)結果になって、一体どうするつもりか!」という「あおりにあおって」というコメントが何よりも一番当を得ている。普天間基地移設問題はこれで解決するのが更に複雑になり、この問題が小沢闇資金問題よりも鳩山政権の命取りになる可能性が出て来た。

最早、鳩山政権としての落とし所として、「現行案の名護市辺野古沖合への移設」と決める方向にあるのは、外相、防衛相、官房長官の発言からみても充分読み取れる。しかし、鳩山首相の偽善的な性格、行動、言動がここに来て自らを自業自得、自滅へと追いやる結果となりそうである。この問題の結論としては、「普天間基地の移設先は決まらず、米国政府としてはそのまま居残りを決める」か、あるいは「鳩山政権が現行案を強行する」、以外しかないであろう。

そこで NHKのクローズアップ現代に登場した元外交官のあの田中均氏のコメントである。同氏はまず、普天間基地移設問題解決への選択肢としては (1) 現行案 (2) 県外、国外移設 (3) それ以外の案の検討、をあげたのである。ここまでは小学生でも出来るコメントであろう。問題は田中均氏が (1) も (2) も難しいから、(3) を検討すべきだと指摘した点と、その馬鹿げた具体案の内容である。まず、(1) は今回の名護市長選挙の民意の結果から国が現行案を強行する事は出来なくなったと決め付けた。更に (2) の国外移設はもとよりあり得ないが、県外となってもこれだけの基地のパッケージを引き受ける先は日本にはないだろうと、これも否定。従って (3) のそれ以外の案の検討だと、主張している。

それでは同氏の言う (3) の第三の道への検討とは何か言えば、①普天間基地の安全性を高める ②普天間基地の機能の分散 ③安全保障上の危機を弱める外交努力、という内容である。同氏の主張を聞いていると、一貫しているのは相手の米国政府がどう考えているのか、あるいはどういうリアクションに出るのか、といった点を深く読み取ったり、考慮していない事であって、これが外交交渉をしてきた官僚のコメントかと耳を疑う。

そもそも米国政府は一貫して上記の (1) 現行案しかない、との立場であって、今のところは「鳩山政権が時間をかけて、現行案に落ち着く様に日本国内でのコンセンサスを確立する」事に対して、まさにtrust him しているだけの話である。従って、(2) も (3) もあるなどとは全くもって考えていない。その理由はこの現行案が、米国政府の軍事作戦、軍事技術、及び軍事戦略上の観点からこれ以外の選択肢はないと言う長年にわたる日米両政府による充分なる検討の結果であるからだ。田中均氏の言う「日本側に新たに受け入れてくれる所がない」のが主たる理由ではなく、それよりも交渉相手の米国政府に軍事面で受け入れる可能性がないというのが理由だと説明しなければならない筈だ。

さて、肝心の第三の道の内容であるが、全くお粗末としか言い様がない。①の基地の安全性を高める努力というのは、それが散々なされてきたにも拘わらず、基地周辺に住宅や学校があるという事が基本問題であるから、飛行場というものが対象である限り、基地が移動するか、周辺の住宅や学校が大移動するしかなく、小手先の安全策などで解決できるのであれば、そもそも基地移設問題は起こる筈がない。移設せずとも良い位に安全性を高めるのはこれ以上、技術的には不可能な話であるのは沖縄の現地の人々のみならず、誰にも判る話だ。

②の基地機能の分散の問題は、むしろ米国政府側に決定権があるのであって、米国政府あるいは米軍側から軍事的に不可能と言われてしまえば、日本側は一体どう反論できるのであろうか。そもそもその点の更に突っ込んだ具体策さえなければ、空虚な論点だと言わざるを得ない。

一番の問題は③である。これこそが、田中氏の外交官としての誠に不適切な姿勢や見方が如実に現われているのである。何事も話し合えば解決できる、話合いだけで解決できる筈であるという考え、これこそが大いに国益を損ねている象徴的なものである。

何よりも普天間基地の機能は海兵隊による周辺事態への有事対応である。具体的には朝鮮半島、台湾海峡、東シナ海、それに不測のテロへの対応である。朝鮮半島も台湾海峡も東シナ海も当事者となる相手はいずれも国民の参政権も言論の自由も法治体制も民主主義も一切ない北朝鮮と中国という特殊な国である。そういう相手国には世論や政権選択と言うものが存在しないだけに、まさに強盗犯や誘拐犯に対する警察行動と同じで話合いだけでは何も解決できないのが基本である。事実、田中氏の発想で北朝鮮による拉致問題はあれからどれだけの具体的な成果があったというのだろう。ましてや交渉相手が北朝鮮や中国の様な政府ではなく、テロ組織の場合は一体何を話し合いや交渉の武器にしようと言うのであろうか。田中氏は不測のテロに対する対応が米海兵隊の重要な任務、機能である事を全く度外視しているのである。

いずれにせよ、外交は話し合いだけではなく軍事力(安全保障体制)に裏づけされたもの、これはいつの世も不変の大原則である。

2010年1月22日金曜日

バルバドス


前号でハイチの治安問題について述べてが、案の定外務省の説明によると自衛隊による救援隊派遣までに時間がかかったのは、米国や中国と違って無防備で非武装の派遣だけに現地の治安状況の把握に手間どったという事らしい。何も中国の救援部隊がいの一番に駆けつけたからといって人道的に素晴らしいと言えるかどうか、要はPKO派遣の中国人の被災者が多くその救助がどうも第一目的だったのではないかと思われるからである。事実、現地では中国からPKOで派遣された8人もの烈士が犠牲となっているのである。ハイチという国は地震が起こった混乱状態では商店の略奪のみならず、今では子供を誘拐して売り飛ばすという事まで起きているらしい。ハイチは本来、そういう国なのである。

さて、そのハイチと同じカリブ海にある島国であり、同様にアフリカ大陸からの奴隷の子孫が大半を占める国ながら、フランス人が統治するのではなく、大英帝国のイギリス人が統治するといかなる国となるのか。これを示すのがバルバドス、英語風に発音すればバルベードスである。バルバドスはカリブ海の南、ベネズエラから近い所に浮かぶ人口 30万人足らずの小さな島国である。長らくイギリスの植民地であったこの島では、砂糖キビのプランテーションの為にアフリカ大陸から奴隷として連れて来られた黒人の子孫がその人口の 9割を占める。

1966年に英国女王を元首とする英連邦の一員の立憲君主国として独立し今では欧米で人気のリゾートである。この国の良い所はカリブ海各国の中でもずば抜けて治安が良い事と英語が通じる事である。観光客は島内の観光の足に地元の乗り合いバスに安心して乗れる事と、深夜でも食事とかレゲー音楽を堪能しに出歩けられるほどの治安の良さである。反対にホテル代等の物価は高く、長期滞在には向いていない。12月末の休暇に極寒のNew Yorkあたりから一年の疲れをいやしにこの島に向かう人は多く、夕方に島に到着後寝込んだ翌朝、海岸に面して開け放されたホテルのダイニングルームで味わう朝食は忘れられない。

暖かい朝日は部屋一杯に差込み、潮風は心地よく流れ込み、おまけに熱帯特有のきれいな色をした小鳥までが部屋に迷い込んできたりしてまさに天国である。リゾートと言っても米国式のぎらぎらした様相のものではなく、全てあくまでも地味で静かで控えめで英国式であるのがうれしい。夜は昔英国人が持ち込んだとされるラム酒がここの気候にピッタリであり、魚料理もなかなか洗練されている。

食事の後は何と言ってもカリブ海が本場のレゲーのライブである。ライブと言ってもテントの中でバンドの直ぐ前で立ったままその独特のリズムに乗って体を揺すりながら延々と聞くのであるから、終わってからもそのリズムはしばらく耳から離れなくなる。昼間の観光スポットには国立の民族博物館の様なものがあり、そこではアフリカ系の音楽と歌が聴けるのであるが、「アフリカに帰りたい」との詩を奴隷が歌ったとされる単調なリズムの物悲しいトーンが印象的であった。

本当に感心するのはさすが英国の統治である。乗り合いバスに乗っている黒人の市民は皆質素だが清潔で小奇麗な服装をしており、両足を閉じて背筋を伸ばしていて騒がず物静かでイギリス育ちのワイフがまるで一昔前のよき時代のロンドンのバスの様だと笑っていたほど行儀が良いのである。バスが込んでいても自然と譲り合ってしかも外国人観光客だからといって特別な振る舞いもしない自然体である。

特にNew Yorkあたりに住んでいて、ここに来ると地元の人は英国式の英語で喋るから New Yorkの黒人には悪いが同じ黒人でいてどうしてこんなに品が良いのだろうかと感心してしまう。比較的短い滞在はあっというまに終わり、底冷えのする喧騒の New Yorkに戻ると、本当にこの島の値打ちを改めて感じさせられるのである。

2010年1月21日木曜日

地震の話


15年前の阪神淡路大震災の映像と今回のハイチ地震の映像が同じニュースの中で流されるのは偶然とは言え何とも不思議な感じがする。毎年この時期になると震災当時住んでいたニューヨーク、マンハッタンでの日曜午後4時(日本時間月曜朝6時)の CNN速報ニュースの衝撃が思い出される。私自身は震災5日後には何とか両親の住む神戸の震災現場に入る事が出来たのであるが、現地に入ったルートは東京に一泊して装備を整え、羽田から岡山に飛行機で飛び、岡山から姫路まで新幹線、姫路からはレンタカーを一人で運転して封鎖された海岸沿いから山間部に迂回しながら神戸市に入った。寝袋とヘルメットの完全武装と当時ではまだ珍しかった携帯電話を携行して、である。

神戸では緊急に薬を入手する必要があり、知合いの医者を訪ねて最も被災状況がひどかった西部地区の医院を瓦礫の中を通り抜けて訪問したのであるが、その医院も被災していて待合室が壊れており、前の患者とカーテンを隔てたところで待たされたのである。そこで前の患者のお婆さんが医師に喋りかけていた言葉は今でも忘れない。関西弁でそのままで再生すれば「先生、外国ではこんな地震があったら、必ず群集が商店や住宅に押し入って略奪するというのを聞いたんですが、そんな事はこの神戸では考えられませんよねー、外国は皆怖い所なんですねー」と。それに対して連日不眠不休で被災民の治療に当たってきていたその元医大教授の老先生は「あー、そうやねー」とか「そんな事なくて良かったなー」と、あたかも当たり前ではないかという風に相槌を打つだけであった。

ハイチ地震との違いは何よりもこれである。日本人の DNAの中には困った時はお互い助け合うという精神が自然に組み込まれているのであって、とても混乱にまみれて略奪しようなどという事は起こらない。そもそも当初は地元駐屯の自衛隊部隊さえ救援活動を拒否されたくらいであるから、とても神戸の震災現場に略奪防止の治安維持目的で警官隊や自衛隊が配置されるなどは考えも及ばない。ハイチでの略奪の光景は、’92年のロスアンゼルス大暴動の際の略奪の光景でもあり、また’98年のインドネシアでの反政府暴動の際の中国人商店の焼討ち、略奪、虐殺と同じ光景である。あのロスアンゼルス暴動のニュースでの、焼討ちにあった韓国人と思われる商店主が暴徒に対しピストルを発砲するという「自主防衛」の光景、これが震災の時にお婆さんが語った「外国は怖いですねー」のイメージなのだ。

昨日ハイチの現場に飛び立った自衛隊の救援部隊を見送りに来た家族が「現地の治安が悪そうなので無事に帰って来れるのか、心配です」と語っていたが、それが重要なポイントだ。ハイチの現地では被災者達は果たして日本人の被災者の様に従順でおとなしく救援を待つという事なのであろうか。そもそもこの国は地震がなくとも治安維持の為に国連軍が常駐していたという状況ではなかったのか。また治安維持の為に米軍が新たに派遣されるという状況ではないのか。ならば派遣される自衛隊の救援部隊にはしかるべく武器を携行させ、一部は武装させるという事があっても良いのではないかと思うが。ハイチという国での救援活動はインドネシアの地震の際の救援とは違う筈だ。

2010年1月20日水曜日

JAL問題


私はここ30年ほど頻繁に国際便を利用してきているが、1987年を最後に徹底して一切JAL便を利用していない。その後一貫してANAの利用者であり、またそのグループのルフトハンザとユナイテッドの利用者でもある。理由は単純である。JALの体質を直感的に嗅ぎ取っていたからかも知れないがJALという会社の体質が嫌いだったからだ。私はあの御巣鷹山事故で親しかった会社の先輩を亡くしているが、あの事故による安全性の問題が必ずしも主たる原因ではない。当時はANAも国際展開を始めた頃であり便数も少なく、まずはJALをやめて、ルフトハンザやユナイテッドに切り換えたのであるが、偶々両社はその後ANAも含めて同じアライアンスになったのである。

日本人ビジネスマンが海外に駐在していると、必ず出会うのが JALの支店長や駐在員であるが、まあこの人達はゴルフをする事しか考えていないのかと言うほどゴルフ、ゴルフである。そもそもJALに欧州人や米国人が乗るという事は日系企業に勤務している現地人社員以外ではまれであろうから、彼らJALの駐在員の仕事は現地駐在の日本人が顧客としての対象である。彼らJALの駐在員が銀行、商社、メーカーの駐在員と違うのはまさに親方日の丸的な危機意識のなさと、日本人駐在員と楽しくお遊びをしていれば良いという仕事感覚であろう。また顧客となる一般駐在員側でも日頃、アップグレードや航空運賃の割引、希望の座席、超過重量等の面で優遇してもらう事を期待してか、JAL駐在員と積極的に仲良くお遊びをしていたと言う事情もあったのであろう。

それとどういうわけか、彼らJAL駐在員には会社が半国営であるところから変なエリート意識があって、現地日本人社会では大使館、領事館に次ぐ地位だと勘違いしているものもおり、現地在住日本人の諸団体の代表者になったりするものがいる。未だに会社が倒産の危機にあるこの時期に海外の都市でそういうポストに固執する人間がいたりして、普段は余程仕事が暇なのだろうと思わざるを得ない。その点ANAの駐在員は相対的に若く、JALとは違った体質でそういう「名誉職」には決してしゃしゃり出たりはせず、一言で言えば仕事一途、お客様一途で「けなげ」である。

そもそもJALは旧態依然としたオジサン体質でありすぎるのではないか。それはCA(客室乗務員)にも言える事で、JALは会社の危機とか何かと言えばすぐにそのキャンペーンにCAを使ったりするのも全くオジサン的なセンスと発想である。今の時代CAを見て航空会社を選ぶような客はおらず、何よりも航空運賃とサービス、安全性である。全世界の航空会社の安全性を対象にした調査でANAはそのトップクラスのグループに入っているが、JALは何と下位にあるのである。

思い起こせば、団塊の世代が就職する頃のJALは学生人気ナンバーワンの企業であって、その就職説明会には多くの学生が詰め掛けた難関の会社であった。しかし当時からJAL入社には国会議員のコネが有力であるとの噂は絶えず、また実際にそういう事実もあったのであろう。基本的にはJALの体質はかっての国鉄と同じである。一般顧客相手のビジネスに国や政治がからむとろくな結果を生まないという共通原則だ。

2010年1月12日火曜日

たかじん


久しぶりの日本で関西に滞在する時の楽しみの一つは東京では決して見る事の出来ないあるテレビ番組である。このテレビ番組とは読売テレビ(日テレ系列)で日曜日に放送される「たかじんのそこまで言って委員会」の事である。この番組での保守系タカ派的な政治表現の自由さは東京とは格段の違いがあり、東京では放送されないにも拘わらずどういうわけか東京では知れ渡っている。

既に出演者達からは「東京ではテレビ局側で政治的発言の自主規制があって、関西でのと同じ様な発言をすればたちまち降板させられたり、お呼びがかからなくなってしまう」というコメントも出されている程である。この一つの例が台湾問題である。台湾は実質上独立国である事は誰もが認めざるを得ないが、東京のテレビ番組で堂々と台湾問題が取上げられた事がどれだけあるであろうか。

従って、レギュラー出演者には三宅久之氏や宮崎哲弥氏の様により自由に発言する為にわざわざ東京から毎週のごとく出演しているものもいたり、橋下大阪府知事も知事になる前は頻繁に出ていて本音発言を繰り返していた。政治家も自民党、民主党いずれからも出ているが昨年末には安倍元首相が桜井よし子氏と一緒に出たりもしていた。

ホスト役の「やしきたかじん」は60歳の元歌手であるが、外見も中身も徹底した大阪人であり、今や日本全国の日テレ系列局でこの番組が放送されているにも拘わらず東京だけは絶対に放送しない(させない)という彼の強い意向が徹底されている。東京の熱心なファンの中にはわざわざ関西の友人にビデオ撮りをして貰ったり、あるいはSonyのロケフリを使ってinternetでつないでもらって見ているというものや、仕方なくYouTubeにupされるのを楽しみに待っているというものもいる。

この番組は日曜日のお昼過ぎというゴールデンタイムに放送されるのであるが、それでは何故これほどまでに関西でこの番組に人気があるのかと言えば、それは出演者のトークが本音であったり、時には過激であったりするところにある。もともと大阪という土地柄は東京と違って組織管理型の社会ではなく、建前よりも本音がベースにあって論点が分かり易いというのが特徴であり、それは例えば橋下知事の会見や発言を見てもうかがえる。

それと関西人にとって政治などと言うものは選挙結果が大衆人気によって左右されるところから、本来胡散臭いものである事を体感しているのであって、政治家が立派であるとか政治活動が崇高なものとはとても考えていない。従って東京地区で学者や評論家が様々な政治的配慮からいかに建前ベースで行儀の良い発言をしても「ええかっこするな」とたちまち見抜かれてしまうのである。

偶々年末にかけての関西での色々な番組を見たが鳩山首相の評判は極めて悪かった。というか完全に関西的お笑い風に馬鹿にされ切っているのである。鳩山首相がいかに偽善ぶってホテルのバーではなく居酒屋で酒を飲み、派遣労働者と握手しようが、鳩山ママからの巨額な子供手当てを貰って脱税していた事が露呈しても関西人は驚かないのであろう。「そら見ろ、ああいうエリートぶったカッコつけた奴こそ信用出来ない」とこれまた偽善ぶりをしっかりと見抜かれてしまっていて見事に嘲笑のネタとなるのである。

政治などというものが所詮その様なものであれば、真面目腐って建前論で討論するよりも本音で過激な発言をして何が悪いというのが関西人のメンタリティーであって、これが高視聴率を維持できている基盤でもある。同時に政治には権力という怪しげなものが潜んでいる事も関西人は常にその匂いを嗅ぎ取っていて、闇将軍の存在もこれもまた恰好のネタともなっている。関西からは決して小沢闇将軍的政治家は輩出されないのではないだろうか。

しかしながら、もとより関西人が保守的でありタカ派であるとはとても思えない。浅ましくも政権交代というものに安々と甘い期待をしたのも関西人の一面であろう。だが、そこにまずあるのは何よりも政治権力に対する根強い猜疑心と、政治家達の「ええかっこをする」という偽善に対する強い嫌悪感であろう。