2010年1月30日土曜日

オバマ政権の台湾への兵器供与


オバマ政権が「台湾に対するパトリオットミサイルPAC3と多目的軍事ヘリのブラックホークの売却」を議会に通告した。これは米国の国内法である台湾関係法(Taiwan Relations Act)に基づく台湾防衛の為の「中華民国」への兵器の供給を行うという通常の措置である。最近の日本での論調を見ると、これでオバマ政権が中国に対して融和協調から、対決に姿勢を転換したというのが多く見られるが、こういう見方は果たして正しいのであろうか。

基本的にはオバマ政権の台湾問題への基本姿勢は従来の米国政府と同じ路線である。即ち1996年のクリントン大統領による「三つのノー」である、
1. 二つの中国、”一中一台”を認めない
2. 台湾の独立を認めない
3. 台湾の国連機関加盟を認めない
この路線から何ら逸脱するわけでもなく変更するものでもなく、将来も変更される事はないであろう。米国政府の本音としては台湾海峡有事だけは起きて欲しくはないのであり、例え起きそうになったとしても最早クリントン大統領時代の時の様に大げさに事を構えるであろうか疑問である。その疑問は一重に米国の中国依存度が圧倒的に1990年代当時とは劇変してしまっている事にある。

これには今回の「防衛的」兵器供給の中に台湾側が熱望している F-15戦闘機が依然として含まれていない事が何よりの証拠である。今や中国がその気になれば、米軍が介入さえしなければ、台湾にPAC3があろうが、ブラックホークがあろうが、F-15がなければ制空権は瞬時に中国側が握るであろうし、何よりもその前に台湾国内に既に多数潜入してしまっている工作員と協力者の破壊活動が相当な効果を発揮するであろう。

それでは何故今この時期に急にオバマ政権は兵器供給に踏み切ったのであろうか。それは少し前に行われた台湾での立法院委員補欠選挙の結果が引き金である。1月9日に桃園県、台中県、台東県で立法院委員の補欠選挙が行われ、いずれの県においても従来は与党の国民党が議席を握っていたが今回、野党民進党が逆転したことから、台湾国民の間での馬英九政権への対中融和姿勢への危機感と不満が一気に噴出した感じである。

この事は実はオバマ政権にとっては決して望ましい事ではない。2008年の立法院選挙と総統選挙では台湾国民自らの明確な選択で独立志向の強い民進党が大敗してしまった事が米国政府にとってはまさに最も望ましい結果である。ここでまた民進党が息を吹き返す様な事となれば折角、馬英九国民党政権による対中融和協調路線が深化してきている中で、中国との新たな摩擦を引き起こしかねず、これは米国政府としては何としても避けたいのであろう。その路線をより強く推し進めるのが実はクリントン氏を中心とする民主党政権内部の動きなのである。グーグルがどうしたとか、台湾に防衛兵器供給しようが、その点はオバマ政権と中国側は実は織り込み済みの話である。火種がこれ以上大きくなる筈もなく、また大きくするつもりも双方には全くないのである。

要は1月はじめの立法院補欠選挙の結果を見て危機感を感じたオバマ政権が、これ以上民進党や独立派による反馬英九政権の勢いを得ない様に馬英九政権に助け舟を出したと見るのが妥当ではないか。繰り返すが、オバマ政権には最早台湾海峡有事の潜在的リスクを徹底的に避ける事、つまり究極的には国民党政権下での中国、台湾双方による平和的解決、台湾の香港化へのスムーズな移行を望んでいるのが決して表立って決して言えない本音であろう。

2010年1月27日水曜日

普天間基地移設問題-続


みんなの党の渡辺喜美氏が指摘する「鳩山政権は散々沖縄の人をあおりにあおっておいて、こういう(名護市長選挙の)結果になって、一体どうするつもりか!」という「あおりにあおって」というコメントが何よりも一番当を得ている。普天間基地移設問題はこれで解決するのが更に複雑になり、この問題が小沢闇資金問題よりも鳩山政権の命取りになる可能性が出て来た。

最早、鳩山政権としての落とし所として、「現行案の名護市辺野古沖合への移設」と決める方向にあるのは、外相、防衛相、官房長官の発言からみても充分読み取れる。しかし、鳩山首相の偽善的な性格、行動、言動がここに来て自らを自業自得、自滅へと追いやる結果となりそうである。この問題の結論としては、「普天間基地の移設先は決まらず、米国政府としてはそのまま居残りを決める」か、あるいは「鳩山政権が現行案を強行する」、以外しかないであろう。

そこで NHKのクローズアップ現代に登場した元外交官のあの田中均氏のコメントである。同氏はまず、普天間基地移設問題解決への選択肢としては (1) 現行案 (2) 県外、国外移設 (3) それ以外の案の検討、をあげたのである。ここまでは小学生でも出来るコメントであろう。問題は田中均氏が (1) も (2) も難しいから、(3) を検討すべきだと指摘した点と、その馬鹿げた具体案の内容である。まず、(1) は今回の名護市長選挙の民意の結果から国が現行案を強行する事は出来なくなったと決め付けた。更に (2) の国外移設はもとよりあり得ないが、県外となってもこれだけの基地のパッケージを引き受ける先は日本にはないだろうと、これも否定。従って (3) のそれ以外の案の検討だと、主張している。

それでは同氏の言う (3) の第三の道への検討とは何か言えば、①普天間基地の安全性を高める ②普天間基地の機能の分散 ③安全保障上の危機を弱める外交努力、という内容である。同氏の主張を聞いていると、一貫しているのは相手の米国政府がどう考えているのか、あるいはどういうリアクションに出るのか、といった点を深く読み取ったり、考慮していない事であって、これが外交交渉をしてきた官僚のコメントかと耳を疑う。

そもそも米国政府は一貫して上記の (1) 現行案しかない、との立場であって、今のところは「鳩山政権が時間をかけて、現行案に落ち着く様に日本国内でのコンセンサスを確立する」事に対して、まさにtrust him しているだけの話である。従って、(2) も (3) もあるなどとは全くもって考えていない。その理由はこの現行案が、米国政府の軍事作戦、軍事技術、及び軍事戦略上の観点からこれ以外の選択肢はないと言う長年にわたる日米両政府による充分なる検討の結果であるからだ。田中均氏の言う「日本側に新たに受け入れてくれる所がない」のが主たる理由ではなく、それよりも交渉相手の米国政府に軍事面で受け入れる可能性がないというのが理由だと説明しなければならない筈だ。

さて、肝心の第三の道の内容であるが、全くお粗末としか言い様がない。①の基地の安全性を高める努力というのは、それが散々なされてきたにも拘わらず、基地周辺に住宅や学校があるという事が基本問題であるから、飛行場というものが対象である限り、基地が移動するか、周辺の住宅や学校が大移動するしかなく、小手先の安全策などで解決できるのであれば、そもそも基地移設問題は起こる筈がない。移設せずとも良い位に安全性を高めるのはこれ以上、技術的には不可能な話であるのは沖縄の現地の人々のみならず、誰にも判る話だ。

②の基地機能の分散の問題は、むしろ米国政府側に決定権があるのであって、米国政府あるいは米軍側から軍事的に不可能と言われてしまえば、日本側は一体どう反論できるのであろうか。そもそもその点の更に突っ込んだ具体策さえなければ、空虚な論点だと言わざるを得ない。

一番の問題は③である。これこそが、田中氏の外交官としての誠に不適切な姿勢や見方が如実に現われているのである。何事も話し合えば解決できる、話合いだけで解決できる筈であるという考え、これこそが大いに国益を損ねている象徴的なものである。

何よりも普天間基地の機能は海兵隊による周辺事態への有事対応である。具体的には朝鮮半島、台湾海峡、東シナ海、それに不測のテロへの対応である。朝鮮半島も台湾海峡も東シナ海も当事者となる相手はいずれも国民の参政権も言論の自由も法治体制も民主主義も一切ない北朝鮮と中国という特殊な国である。そういう相手国には世論や政権選択と言うものが存在しないだけに、まさに強盗犯や誘拐犯に対する警察行動と同じで話合いだけでは何も解決できないのが基本である。事実、田中氏の発想で北朝鮮による拉致問題はあれからどれだけの具体的な成果があったというのだろう。ましてや交渉相手が北朝鮮や中国の様な政府ではなく、テロ組織の場合は一体何を話し合いや交渉の武器にしようと言うのであろうか。田中氏は不測のテロに対する対応が米海兵隊の重要な任務、機能である事を全く度外視しているのである。

いずれにせよ、外交は話し合いだけではなく軍事力(安全保障体制)に裏づけされたもの、これはいつの世も不変の大原則である。

2010年1月22日金曜日

バルバドス


前号でハイチの治安問題について述べてが、案の定外務省の説明によると自衛隊による救援隊派遣までに時間がかかったのは、米国や中国と違って無防備で非武装の派遣だけに現地の治安状況の把握に手間どったという事らしい。何も中国の救援部隊がいの一番に駆けつけたからといって人道的に素晴らしいと言えるかどうか、要はPKO派遣の中国人の被災者が多くその救助がどうも第一目的だったのではないかと思われるからである。事実、現地では中国からPKOで派遣された8人もの烈士が犠牲となっているのである。ハイチという国は地震が起こった混乱状態では商店の略奪のみならず、今では子供を誘拐して売り飛ばすという事まで起きているらしい。ハイチは本来、そういう国なのである。

さて、そのハイチと同じカリブ海にある島国であり、同様にアフリカ大陸からの奴隷の子孫が大半を占める国ながら、フランス人が統治するのではなく、大英帝国のイギリス人が統治するといかなる国となるのか。これを示すのがバルバドス、英語風に発音すればバルベードスである。バルバドスはカリブ海の南、ベネズエラから近い所に浮かぶ人口 30万人足らずの小さな島国である。長らくイギリスの植民地であったこの島では、砂糖キビのプランテーションの為にアフリカ大陸から奴隷として連れて来られた黒人の子孫がその人口の 9割を占める。

1966年に英国女王を元首とする英連邦の一員の立憲君主国として独立し今では欧米で人気のリゾートである。この国の良い所はカリブ海各国の中でもずば抜けて治安が良い事と英語が通じる事である。観光客は島内の観光の足に地元の乗り合いバスに安心して乗れる事と、深夜でも食事とかレゲー音楽を堪能しに出歩けられるほどの治安の良さである。反対にホテル代等の物価は高く、長期滞在には向いていない。12月末の休暇に極寒のNew Yorkあたりから一年の疲れをいやしにこの島に向かう人は多く、夕方に島に到着後寝込んだ翌朝、海岸に面して開け放されたホテルのダイニングルームで味わう朝食は忘れられない。

暖かい朝日は部屋一杯に差込み、潮風は心地よく流れ込み、おまけに熱帯特有のきれいな色をした小鳥までが部屋に迷い込んできたりしてまさに天国である。リゾートと言っても米国式のぎらぎらした様相のものではなく、全てあくまでも地味で静かで控えめで英国式であるのがうれしい。夜は昔英国人が持ち込んだとされるラム酒がここの気候にピッタリであり、魚料理もなかなか洗練されている。

食事の後は何と言ってもカリブ海が本場のレゲーのライブである。ライブと言ってもテントの中でバンドの直ぐ前で立ったままその独特のリズムに乗って体を揺すりながら延々と聞くのであるから、終わってからもそのリズムはしばらく耳から離れなくなる。昼間の観光スポットには国立の民族博物館の様なものがあり、そこではアフリカ系の音楽と歌が聴けるのであるが、「アフリカに帰りたい」との詩を奴隷が歌ったとされる単調なリズムの物悲しいトーンが印象的であった。

本当に感心するのはさすが英国の統治である。乗り合いバスに乗っている黒人の市民は皆質素だが清潔で小奇麗な服装をしており、両足を閉じて背筋を伸ばしていて騒がず物静かでイギリス育ちのワイフがまるで一昔前のよき時代のロンドンのバスの様だと笑っていたほど行儀が良いのである。バスが込んでいても自然と譲り合ってしかも外国人観光客だからといって特別な振る舞いもしない自然体である。

特にNew Yorkあたりに住んでいて、ここに来ると地元の人は英国式の英語で喋るから New Yorkの黒人には悪いが同じ黒人でいてどうしてこんなに品が良いのだろうかと感心してしまう。比較的短い滞在はあっというまに終わり、底冷えのする喧騒の New Yorkに戻ると、本当にこの島の値打ちを改めて感じさせられるのである。

2010年1月21日木曜日

地震の話


15年前の阪神淡路大震災の映像と今回のハイチ地震の映像が同じニュースの中で流されるのは偶然とは言え何とも不思議な感じがする。毎年この時期になると震災当時住んでいたニューヨーク、マンハッタンでの日曜午後4時(日本時間月曜朝6時)の CNN速報ニュースの衝撃が思い出される。私自身は震災5日後には何とか両親の住む神戸の震災現場に入る事が出来たのであるが、現地に入ったルートは東京に一泊して装備を整え、羽田から岡山に飛行機で飛び、岡山から姫路まで新幹線、姫路からはレンタカーを一人で運転して封鎖された海岸沿いから山間部に迂回しながら神戸市に入った。寝袋とヘルメットの完全武装と当時ではまだ珍しかった携帯電話を携行して、である。

神戸では緊急に薬を入手する必要があり、知合いの医者を訪ねて最も被災状況がひどかった西部地区の医院を瓦礫の中を通り抜けて訪問したのであるが、その医院も被災していて待合室が壊れており、前の患者とカーテンを隔てたところで待たされたのである。そこで前の患者のお婆さんが医師に喋りかけていた言葉は今でも忘れない。関西弁でそのままで再生すれば「先生、外国ではこんな地震があったら、必ず群集が商店や住宅に押し入って略奪するというのを聞いたんですが、そんな事はこの神戸では考えられませんよねー、外国は皆怖い所なんですねー」と。それに対して連日不眠不休で被災民の治療に当たってきていたその元医大教授の老先生は「あー、そうやねー」とか「そんな事なくて良かったなー」と、あたかも当たり前ではないかという風に相槌を打つだけであった。

ハイチ地震との違いは何よりもこれである。日本人の DNAの中には困った時はお互い助け合うという精神が自然に組み込まれているのであって、とても混乱にまみれて略奪しようなどという事は起こらない。そもそも当初は地元駐屯の自衛隊部隊さえ救援活動を拒否されたくらいであるから、とても神戸の震災現場に略奪防止の治安維持目的で警官隊や自衛隊が配置されるなどは考えも及ばない。ハイチでの略奪の光景は、’92年のロスアンゼルス大暴動の際の略奪の光景でもあり、また’98年のインドネシアでの反政府暴動の際の中国人商店の焼討ち、略奪、虐殺と同じ光景である。あのロスアンゼルス暴動のニュースでの、焼討ちにあった韓国人と思われる商店主が暴徒に対しピストルを発砲するという「自主防衛」の光景、これが震災の時にお婆さんが語った「外国は怖いですねー」のイメージなのだ。

昨日ハイチの現場に飛び立った自衛隊の救援部隊を見送りに来た家族が「現地の治安が悪そうなので無事に帰って来れるのか、心配です」と語っていたが、それが重要なポイントだ。ハイチの現地では被災者達は果たして日本人の被災者の様に従順でおとなしく救援を待つという事なのであろうか。そもそもこの国は地震がなくとも治安維持の為に国連軍が常駐していたという状況ではなかったのか。また治安維持の為に米軍が新たに派遣されるという状況ではないのか。ならば派遣される自衛隊の救援部隊にはしかるべく武器を携行させ、一部は武装させるという事があっても良いのではないかと思うが。ハイチという国での救援活動はインドネシアの地震の際の救援とは違う筈だ。

2010年1月20日水曜日

JAL問題


私はここ30年ほど頻繁に国際便を利用してきているが、1987年を最後に徹底して一切JAL便を利用していない。その後一貫してANAの利用者であり、またそのグループのルフトハンザとユナイテッドの利用者でもある。理由は単純である。JALの体質を直感的に嗅ぎ取っていたからかも知れないがJALという会社の体質が嫌いだったからだ。私はあの御巣鷹山事故で親しかった会社の先輩を亡くしているが、あの事故による安全性の問題が必ずしも主たる原因ではない。当時はANAも国際展開を始めた頃であり便数も少なく、まずはJALをやめて、ルフトハンザやユナイテッドに切り換えたのであるが、偶々両社はその後ANAも含めて同じアライアンスになったのである。

日本人ビジネスマンが海外に駐在していると、必ず出会うのが JALの支店長や駐在員であるが、まあこの人達はゴルフをする事しか考えていないのかと言うほどゴルフ、ゴルフである。そもそもJALに欧州人や米国人が乗るという事は日系企業に勤務している現地人社員以外ではまれであろうから、彼らJALの駐在員の仕事は現地駐在の日本人が顧客としての対象である。彼らJALの駐在員が銀行、商社、メーカーの駐在員と違うのはまさに親方日の丸的な危機意識のなさと、日本人駐在員と楽しくお遊びをしていれば良いという仕事感覚であろう。また顧客となる一般駐在員側でも日頃、アップグレードや航空運賃の割引、希望の座席、超過重量等の面で優遇してもらう事を期待してか、JAL駐在員と積極的に仲良くお遊びをしていたと言う事情もあったのであろう。

それとどういうわけか、彼らJAL駐在員には会社が半国営であるところから変なエリート意識があって、現地日本人社会では大使館、領事館に次ぐ地位だと勘違いしているものもおり、現地在住日本人の諸団体の代表者になったりするものがいる。未だに会社が倒産の危機にあるこの時期に海外の都市でそういうポストに固執する人間がいたりして、普段は余程仕事が暇なのだろうと思わざるを得ない。その点ANAの駐在員は相対的に若く、JALとは違った体質でそういう「名誉職」には決してしゃしゃり出たりはせず、一言で言えば仕事一途、お客様一途で「けなげ」である。

そもそもJALは旧態依然としたオジサン体質でありすぎるのではないか。それはCA(客室乗務員)にも言える事で、JALは会社の危機とか何かと言えばすぐにそのキャンペーンにCAを使ったりするのも全くオジサン的なセンスと発想である。今の時代CAを見て航空会社を選ぶような客はおらず、何よりも航空運賃とサービス、安全性である。全世界の航空会社の安全性を対象にした調査でANAはそのトップクラスのグループに入っているが、JALは何と下位にあるのである。

思い起こせば、団塊の世代が就職する頃のJALは学生人気ナンバーワンの企業であって、その就職説明会には多くの学生が詰め掛けた難関の会社であった。しかし当時からJAL入社には国会議員のコネが有力であるとの噂は絶えず、また実際にそういう事実もあったのであろう。基本的にはJALの体質はかっての国鉄と同じである。一般顧客相手のビジネスに国や政治がからむとろくな結果を生まないという共通原則だ。

2010年1月12日火曜日

たかじん


久しぶりの日本で関西に滞在する時の楽しみの一つは東京では決して見る事の出来ないあるテレビ番組である。このテレビ番組とは読売テレビ(日テレ系列)で日曜日に放送される「たかじんのそこまで言って委員会」の事である。この番組での保守系タカ派的な政治表現の自由さは東京とは格段の違いがあり、東京では放送されないにも拘わらずどういうわけか東京では知れ渡っている。

既に出演者達からは「東京ではテレビ局側で政治的発言の自主規制があって、関西でのと同じ様な発言をすればたちまち降板させられたり、お呼びがかからなくなってしまう」というコメントも出されている程である。この一つの例が台湾問題である。台湾は実質上独立国である事は誰もが認めざるを得ないが、東京のテレビ番組で堂々と台湾問題が取上げられた事がどれだけあるであろうか。

従って、レギュラー出演者には三宅久之氏や宮崎哲弥氏の様により自由に発言する為にわざわざ東京から毎週のごとく出演しているものもいたり、橋下大阪府知事も知事になる前は頻繁に出ていて本音発言を繰り返していた。政治家も自民党、民主党いずれからも出ているが昨年末には安倍元首相が桜井よし子氏と一緒に出たりもしていた。

ホスト役の「やしきたかじん」は60歳の元歌手であるが、外見も中身も徹底した大阪人であり、今や日本全国の日テレ系列局でこの番組が放送されているにも拘わらず東京だけは絶対に放送しない(させない)という彼の強い意向が徹底されている。東京の熱心なファンの中にはわざわざ関西の友人にビデオ撮りをして貰ったり、あるいはSonyのロケフリを使ってinternetでつないでもらって見ているというものや、仕方なくYouTubeにupされるのを楽しみに待っているというものもいる。

この番組は日曜日のお昼過ぎというゴールデンタイムに放送されるのであるが、それでは何故これほどまでに関西でこの番組に人気があるのかと言えば、それは出演者のトークが本音であったり、時には過激であったりするところにある。もともと大阪という土地柄は東京と違って組織管理型の社会ではなく、建前よりも本音がベースにあって論点が分かり易いというのが特徴であり、それは例えば橋下知事の会見や発言を見てもうかがえる。

それと関西人にとって政治などと言うものは選挙結果が大衆人気によって左右されるところから、本来胡散臭いものである事を体感しているのであって、政治家が立派であるとか政治活動が崇高なものとはとても考えていない。従って東京地区で学者や評論家が様々な政治的配慮からいかに建前ベースで行儀の良い発言をしても「ええかっこするな」とたちまち見抜かれてしまうのである。

偶々年末にかけての関西での色々な番組を見たが鳩山首相の評判は極めて悪かった。というか完全に関西的お笑い風に馬鹿にされ切っているのである。鳩山首相がいかに偽善ぶってホテルのバーではなく居酒屋で酒を飲み、派遣労働者と握手しようが、鳩山ママからの巨額な子供手当てを貰って脱税していた事が露呈しても関西人は驚かないのであろう。「そら見ろ、ああいうエリートぶったカッコつけた奴こそ信用出来ない」とこれまた偽善ぶりをしっかりと見抜かれてしまっていて見事に嘲笑のネタとなるのである。

政治などというものが所詮その様なものであれば、真面目腐って建前論で討論するよりも本音で過激な発言をして何が悪いというのが関西人のメンタリティーであって、これが高視聴率を維持できている基盤でもある。同時に政治には権力という怪しげなものが潜んでいる事も関西人は常にその匂いを嗅ぎ取っていて、闇将軍の存在もこれもまた恰好のネタともなっている。関西からは決して小沢闇将軍的政治家は輩出されないのではないだろうか。

しかしながら、もとより関西人が保守的でありタカ派であるとはとても思えない。浅ましくも政権交代というものに安々と甘い期待をしたのも関西人の一面であろう。だが、そこにまずあるのは何よりも政治権力に対する根強い猜疑心と、政治家達の「ええかっこをする」という偽善に対する強い嫌悪感であろう。