2010年1月21日木曜日

地震の話


15年前の阪神淡路大震災の映像と今回のハイチ地震の映像が同じニュースの中で流されるのは偶然とは言え何とも不思議な感じがする。毎年この時期になると震災当時住んでいたニューヨーク、マンハッタンでの日曜午後4時(日本時間月曜朝6時)の CNN速報ニュースの衝撃が思い出される。私自身は震災5日後には何とか両親の住む神戸の震災現場に入る事が出来たのであるが、現地に入ったルートは東京に一泊して装備を整え、羽田から岡山に飛行機で飛び、岡山から姫路まで新幹線、姫路からはレンタカーを一人で運転して封鎖された海岸沿いから山間部に迂回しながら神戸市に入った。寝袋とヘルメットの完全武装と当時ではまだ珍しかった携帯電話を携行して、である。

神戸では緊急に薬を入手する必要があり、知合いの医者を訪ねて最も被災状況がひどかった西部地区の医院を瓦礫の中を通り抜けて訪問したのであるが、その医院も被災していて待合室が壊れており、前の患者とカーテンを隔てたところで待たされたのである。そこで前の患者のお婆さんが医師に喋りかけていた言葉は今でも忘れない。関西弁でそのままで再生すれば「先生、外国ではこんな地震があったら、必ず群集が商店や住宅に押し入って略奪するというのを聞いたんですが、そんな事はこの神戸では考えられませんよねー、外国は皆怖い所なんですねー」と。それに対して連日不眠不休で被災民の治療に当たってきていたその元医大教授の老先生は「あー、そうやねー」とか「そんな事なくて良かったなー」と、あたかも当たり前ではないかという風に相槌を打つだけであった。

ハイチ地震との違いは何よりもこれである。日本人の DNAの中には困った時はお互い助け合うという精神が自然に組み込まれているのであって、とても混乱にまみれて略奪しようなどという事は起こらない。そもそも当初は地元駐屯の自衛隊部隊さえ救援活動を拒否されたくらいであるから、とても神戸の震災現場に略奪防止の治安維持目的で警官隊や自衛隊が配置されるなどは考えも及ばない。ハイチでの略奪の光景は、’92年のロスアンゼルス大暴動の際の略奪の光景でもあり、また’98年のインドネシアでの反政府暴動の際の中国人商店の焼討ち、略奪、虐殺と同じ光景である。あのロスアンゼルス暴動のニュースでの、焼討ちにあった韓国人と思われる商店主が暴徒に対しピストルを発砲するという「自主防衛」の光景、これが震災の時にお婆さんが語った「外国は怖いですねー」のイメージなのだ。

昨日ハイチの現場に飛び立った自衛隊の救援部隊を見送りに来た家族が「現地の治安が悪そうなので無事に帰って来れるのか、心配です」と語っていたが、それが重要なポイントだ。ハイチの現地では被災者達は果たして日本人の被災者の様に従順でおとなしく救援を待つという事なのであろうか。そもそもこの国は地震がなくとも治安維持の為に国連軍が常駐していたという状況ではなかったのか。また治安維持の為に米軍が新たに派遣されるという状況ではないのか。ならば派遣される自衛隊の救援部隊にはしかるべく武器を携行させ、一部は武装させるという事があっても良いのではないかと思うが。ハイチという国での救援活動はインドネシアの地震の際の救援とは違う筈だ。

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