2010年11月28日日曜日

フォークソングに思う

米国の TVチャンネルは 100以上はあるので見たい番組のあてもなくリモコンでチャンネルを切り換えていくとかなり忙しい。そんな中で偶々見つけたのがPBS系(公共放送)の寄付金集めの為に特別編成された60年代のフォークソングの music videoだ。この音楽ビデオ自体は当時のライブを収録したものの集成であるから黒白画像で画質も劣っている。しかし、音質だけは何とか聞けるものであって、日米を問わず我々団塊世代の人間には何とも懐かしい思いにさせてくれるものである。

このフォークソングなるものは60年代に米国の若者の間で爆発的なブームになったものであり、キングストントリオ、ブラザースフォー、ピーター・ポール&マリーの御三家は日本でも有名になって彼らは何回も来日して公演している。しかしながらこのフォークソングは同時期のロック、カントリーやソウル系とは違って70年代に入って急速に死滅してしまうのである。現在では新たに新曲が作られる事もなく、また新たな歌手やグループが世に出て来るという事もない過去の歴史上のジャンルとなっている。

さて、この特別編成された音楽ビデオを見ていると、そのライブに集まった観衆、聴衆の様子も興味深いものがあり、フォークソングそのものの以外に感じた事が二つある。それは唄うグループメンバーも観衆、聴衆もほぼ全て白人である事、もう一つはその白人達の表情や外見が今の米国人とは違って見える事である。何が違っているのかと言えば、それは明るく健康的で服装にも清潔感があり、いわゆる「古き良きアメリカ」を代表する様なものである。彼らと現代の若者との外見上の大きな違いは肥満体ではなく一様にスリムな体型であって、顔付きまでが現代の様な欲望に取り付かれた「卑しく醜く」さが無い所にある。それに女性に関しては今の米国女性ではまず見られない慎ましやかさまでを感じてしまうのである。

こうした録画ものからその時代の様子を見ていると、米国では同時期の 60年代のベトナム戦争を境にして社会が大きく変わってしまったのではないかという事を気付かせてくれる。ケネディー大統領暗殺直後には公民権法案が成立し、以降人種的にも白人中心社会から黒人のみならず、新たにラティーノ、アジア系、中東系などを含む多様な人種の社会に変貌していったのであろう。それと同時に人々の間ではそれまでのどちらと言えば、勤勉、実直、誠実で自律的な抑制の効いた社会から、よりむき出しの個々の欲望をエネルギー源とする拝金、物欲の社会に変化していったのかも知れない。その変貌前の60年代に白人中産階級社会で開花し、「古き良きアメリカ」とともに一気に死滅していったのがこのフォークソングではないかと思えてくるのである。

今回の米国の中間選挙で注目を浴びた Tea Party運動も実はこの辺の「良きアメリカ」を取り戻したいという願いが根底にあるのではないだろうか。我々外国人の目から見ても、60年代までの米国は社会が安定し、モラルも崩壊せず、また経済的にもうまく回っていた様に思えるだけに、世界のお手本となる、あるいは世界中からの憧れの国でもあった筈だ。移民社会米国がもう二度とあの古き良きアメリカには決して戻れないのは明らかであり、後は衰退の方向にどれだけ加速化されるかだけであろう。そういう複雑な思いでこのフォークソングの音楽ビデオを見ていたのである。

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