2011年4月22日金曜日

日独友好決議なるもの

22日の衆議院本会議で政府・民主党主導による「日独友好決議」なるものが採択された様だ。安倍、麻生、元首相ら40名の自民党議員が退席し、また一部の自民党議員が反対する中での決議採択だ。そもそもこの日独友好決議は、1861年の日本とプロイセンとの修好通商条約締結の150周年記念という事で出された民主党案が、自民党との話合いで一部内容が修正されてきたものらしい。

具体的には、「両国は、その侵略行為により、近隣諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えることになった」となっていた民主党案を、ホロコーストなどのナチスの戦争犯罪と同一視していると受け止められかねないため、自民党側がこの点につき強く反発していた。3月末時点では「侵略行為」という表現を削除し、「両国は、近隣諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えることになった」と修正する方向で進んでいたという事だ。

しかし、本来重要な事実として、謝罪や反省をすると言っても戦後のドイツと日本は全く異質だという事をまず理解しておかねばならない。つまり

1. ドイツは「全てナチスが悪かった」という事で、戦前の体制を全面否定した別の国家となった。
2. 日本は終戦後もそのままの国体を維持して、象徴天皇制にする事で国家は継続した。
3. ドイツは英米仏露の共同管理となり、しかも東側は体制の異なる別個の国家となった。
4. 日本は米国の占領下となったが、ドイツの様に体制の事なる形での国の分断ななかった。
5. ドイツは英米仏らとの集団的自衛権に基づく NATO体制に組み込まれた。
6. 日本は米国だけとの日米安保条約(しかも当面集団的自衛権なし)だけの体制となった。

一言で言えば、米英仏、特に米国にとればソ連・東欧の社会主義体制国との対峙と、また同時に血を分けた同盟国イスラエルとの関係上、西ドイツをして「全てナチスが悪かった」事を全面に打ち出させ、NATO加盟とEC共同体結成により「西欧への統合化」を進めさせる事が必然であったわけだ。また西ドイツとしても、「全てナチスが悪かった」に基づき、この「西欧への統合化」の流れに身を委ねるのが必然の選択であり、同時に将来の東独の統合を目指しての国家再興の道でもある。つまりは、厳しい冷戦体制下で生き延びる上での「したたかな」で「狡猾」な道とも言えるのだ。

しかしそうは言っても、一方では常識的に見て、ドイツ国民として「ナチスのホロコーストを見過ごした」というキリスト教神学的な原罪意識というものもあったであろう事は充分考えられる。これゆえ、一般的な理解としてはこの西ドイツの「したたかさ」や「狡猾さ」は、日本人にとってはそれこそ150年前からの潜在意識にある所の「お手本とする尊敬すべきドイツ人」のイメージを損ないかねないので表面化されないだけだ。

またドイツの「全てナチスが悪い」という点については、戦後の日独両国における国際軍事裁判でも大きな違いを見せている。ニュルンベルク裁判でのナチスによるユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)は「人道に対する罪」であり、「平和に対する罪」とか「戦争犯罪」とは全く異質であって、日本は「人道に対する罪」では何も裁かれてはいない。天皇陛下がこれら三つの罪により裁判で裁かれるという動きさえもなかったし、また後から出て来た確たる根拠のない従軍慰安婦問題などは全く提議さえされていなかったのである。

こういった根本的な違いを理解せずして、単純に「戦前は両国とも悪うございました」と国会で決議するのはドイツ側から見ても噴飯モノかも知れない。「オトナでしたたかな国」ドイツにすれば、その口から出てくる外交上の美辞麗句は別として、内心では「まあ日本と言う国はなんと国際音痴で、ウブで、ナイーブな事」と見られる事は間違いない。民主党政権による外交音痴がここに来てまたまた取り返しのつかない国難の元を生み出しているのである。

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