2011年4月7日木曜日

ありえない大連立

菅政権から「救国・復興」の名目での大連立話を持ちかけられて、谷垣総裁が総理・総裁経験者にご意見伺いするという情けない話を聞き、「こりゃ自民党もダメだ」と思った方は少なくないだろう。新聞報道によれば、3/30 森、安倍両氏と個別会談、3/31 福田、麻生両氏と個別会談、4/4 中曽根、河野両氏と個別会談、4/5 海部、小泉両氏と明らかにされているだけでも 8名との個別会談と、あきれるほどご丁寧な気配りだ。一体、こういう方々の意見を聞いてどれだけ役に立つと言うのだ。総裁としての谷垣氏自身の連立に対する考えというのはあるのかないのか全く見えて来ない。いやそもそもこの総裁にはこの国難にあたっても自分の考えなどというものはないのかも知れない。

谷垣氏はこの度重なる会談の前半では言われるままに大連立に傾き、後半ではそれに対して党内若手や世論が騒ぎ出した事もあり、小泉氏という決め手を使って大連立したいなんて言った事はないと否定するという流れだ。もう一度言おう、「ああー情けない」と。サラリーマン社会の大企業でもこういう社内根回し的な事が慣行として行われている所もあるだろう。しかし社長がいちいち社長、会長経験者と軒並みに会ってご意見をお伺いするという様な馬鹿げた事をしていたらたちまち部下から軽蔑され信頼をなくすだろう。

面白い事に谷垣氏は中選挙区時代の1983年旧京都府第二区補選で野中氏と揃って初当選したのが政治家としての出発点だ。その後1993年まで4回の中選挙区衆議院選でこの野中氏と仲良く揃って当選し続けた。もともと革新勢力の強い京都の保革激戦区での初出馬というこの二人を揃って当選させたのは当時の総務局長であった小沢氏であると言われている。小沢氏はこの時の手腕を角栄氏に高く評価されて、その直後の中曽根内閣で初入閣し、角栄氏を後ろ楯にして権力の階段を一気に駆け上っていったのはご存知の通りである。

皮肉な事に今回の大連立工作の裏側ではこの野中氏の動きがあったとの噂が伝えられている。政界を引退した野中氏の主たる役職名は角栄一派の居城とされてきた「砂防会館」こと土改連(全国土地改良事業団体連合会)会長である。この野中氏との長年の確執からか、政権交代後の絶頂期にあった民主党の小沢氏は2010年度の土地改良予算を何と6割も一気にカットしたのだ。以前、自自連立政権樹立の際の官房長官として「悪魔にひれ伏してでも」小沢氏に連立参加をお願いした野中氏は、またしても恥も外聞もなく小沢氏に再考をお願いすべく会見を申し込んだのだが、全くの門前払いに終わった。今や小沢氏抜きの民主党政権に対してこの大連立の口添えをし貸しを作り、何とかこの予算を元に取り戻すのが同氏の使命だと考えられている。

さて大連立とは言えば、有名なのが現在のドイツの大連立政権である。2005年の連邦議会選挙の結果ではCDU/CSU(キリスト教民主・社会同盟)が与党SPD(社会民主党)を破り第一党となったものの獲得議席は226対222の僅差であり、単独過半数には至らなかった。それだけではなく、従来のそれぞれの連立相手であった FDP(自由民主党)や同盟90/緑の党を加えても、双方ともが依然過半数に達しないという全く拮抗した状態になった事がきっかけだ。大連立はこの選挙結果を踏まえて両党が一ヶ月以上かけた交渉の上に成立したやむを得ないものである。総選挙もせずに裏工作で大連立を企てるのとは本質的に違うものだ。

本来、連立というものは仕掛けるものであって、仕掛けられるものではない。仕掛けられるものの運命は自社さ政権の「社&さ」の様に消え去る運命にある。この辺の政治の基本を知ってか知らずか、わざわざ先輩連中にお伺いを立てねばならない総裁であれば、この党への信頼感は大いに揺らぐ。自民党の次世代、若手世代はこぞってこの大連立に異議を唱えている。いかに無能な菅政権の崩壊は近いとは言え、自民党も一気に世代交代をせぬ限り政権返り咲きは遠のくばかりだろう。

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