2011年4月20日水曜日

過越祭

米国の昨日 4月19日はユダヤ教の Passover 「過越祭」の日である。米国でカレンダーを買うと必ずユダヤ教の祝日も記載されているが、過越はヨム・キップル(10/7)とハヌカ(12/20)と並びユダヤ教では大事な祝日だ。過越は正確に言えば前日18日の日没から始まる。ルース米大使のツイートでも「昨夜も、今晩も家族と友人と共にユダヤ教のセデルの晩餐を楽しみました。過ぎ越しの祭りにみなさんの幸福を祈ります。」と大使らしく敬虔だ。

昔子供の頃に初めて聖書を読んだ時に「過越の祭り」でイエスがどうしたとかの事が書いてあっても、今ひとつ何の事か背景が良く理解出来ない事があったし、あの映画「十戒」を見て、兵士が家々を回って男の子の赤ちゃんを殺していくというシーンに子供ながらに衝撃を感じた事もある。しかし、それらは西洋社会では極めて重要な史実でもあるというのが判るのはもう少し大人になってからの話だ。

その昔、モーゼがエジプトのファラオに奴隷となっているヘブライ人を自由にする様に頼んだが、ファラオはそれを拒絶した為、神がエジプト人に「全ての初子を撃つ」という災いの罰を与えたというお話からだ。そこでヘブライ人の家の門には子羊の血を塗り目印とする事で、この神の災いが過ぎ去る(過越)というのが過越の由来だ。仏教徒の日本人には「子羊の血を塗る」というだけでも何とも血なまぐさく恐ろしい話であろうが、他民族による支配が当たり前の中東や欧州は平和な島国日本とはそもそも歴史の血生臭さが違うのだ。

さてその後の歴史でも近年まで迫害、差別、離散で苦労を強いられ続けてきたユダヤ人達にとっては自由の国アメリカは「故国」イスラエル以上の安住の地だ。彼らにとっては何よりも身の安全が保障される永住権や市民権が取れる事と、ドルという世界最強通貨で資産を維持運用できる事の魅力は絶大だ。それに米国政府は歴代いかなる政権でも常に故国イスラエルを「血を分けた同盟国」としての立場で強固な関係を維持してくれるので、この米国にはいかなる国にも変えがたい信頼感がある。

日本人にとっては普段日本ではほとんど接触する機会のないユダヤ人とも、米国企業と取引をしたり米国に住む事で接する機会は大いに増え、また彼らに対する理解もより深まるのは大変恵まれた事だ。私個人の事を言えば、米国に住むユダヤ人とのお付合いでは例えば世話になる弁護士、重要取引先、ビジネスパートナー、不動産取引の相手といったあらゆる局面で少なくない。勿論、ユダヤ人にも色々な人間がいると思うので一概に言うのは妥当ではないが、自らの経験だけを振り返れば、ユダヤ人の人々の印象と評価はすこぶる良い。勤勉で真面目で真摯で誠実で質素で謙虚、とくれば日本人のメンタリティーに合わないわけがない。巷に言われている貪欲で陰謀のかたまりのユダヤ人などはどこにいるのかと思うほどだ。

米国へのユダヤ人の移民は、彼らのルーツの欧州域内での離散流浪先によりアシュケナージと言われるドイツ系とスファラディと言われるラテン系の二種類に分かれるが、この二派の間でも外観や気質の違いはある様だ。例えば、知合いのスファラディ系のおばさんはスペイン語の姓を持ち、気質もラテン的でのんびりしており、住宅バブル投資に失敗しサブプライムローン返済に困ると言う風である。一方、彼女をクライアントとする不動産屋のアシュケナージ系おばさんの姓は完全なドイツ語であり、気質もしっかりしすぎるほど厳しいという風にである。

米国における政治、科学、学問、芸術、音楽、法律、医学、経営といった知的職業分野でのユダヤ人の活躍は目覚しい。彼らユダヤ人の事を思うと、今回の大震災での放射性物質汚染で某隣国が「日本沈没」と騒ぎたてた様な事態ともなれば、果たして日本人もあの「日猶同祖論」なるものが現実となってこの米国で生きていくしかない運命なのであろうかという思いが一瞬頭をよぎった次第だ。

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