2009年11月9日月曜日

東側諸国の実態

前号にて旧東独地域では旧西独地域との著しい経済格差の不満から壁の存在を知らない若者層では旧東独体制に憧れまでを抱くに至っていると報じられている事を述べた。先日、同様に米国内で日本の新政権に大いに期待するという日本人ジャーナリストの女性が講演で「だって小沢さんってもう過去の人でしょうー」と発言したのには参加者一同驚いた。ひょっとして自民党幹部としての金権全盛時代や細川政権時代の闇将軍であった小沢氏を知らない20代の若い世代かと思いきや、お顔のシワを良く見るとそうでもなさそうであった。

いずれもつい20数年前の事とは言え、歴史を知らないという事は恐ろしい。その面では我々団塊世代のビジネスマンは政治家、官僚、メディアの方々とは違い、冷静終結前のいわゆる東側体制の東欧諸国に仕事で頻繁に出かけて行き、その実態をつぶさに見て、体で体験しているだけに政治がどうあるべきかの信念は揺らぎないものがある。この「甦れ美しい日本」のメルマガにも時折投稿される関西零細企業経営者の方にも共通するのは、冷戦中にその東欧諸国に度々出張した体験を持つ事であろう。

それではその団塊の世代が学生時代の頃から一部知識人に「理想の社会主義国」として教えられたりしていた東欧諸国の実態というものの一例をご披露しておこう。

その理想の国とされていた一つはルーマニアである。冷戦終結前にもルーマニアのブカレストには日本企業の駐在員事務所が置かれていて、少人数ながら日本人も家族連れで現地に赴任していたのである。このルーマニアは「ローマ人の国」を意味する国名からも推察される様に東独、ハンガリー、チェコの様な工業国家ではなかった。従って外貨を稼ぐには農産物や畜産物といったものの輸出しかなく、チャウチェスク独裁政権のもとでは農業国でありながら、国民には充分な食料は行き渡ってはいなかった。

その結果、現地では日本人家族に食べさせられる様な食料品の入手が難しく、近隣の先進国である西独から駐在員が出張と称して毎週のごとく西独で調達した肉、魚、野菜、パンといったものをコンテナーに詰めて代わる代わる運び屋をやったのである。勿論、私も運び屋をやったが、問題は入国検査である。ある同僚の西独駐在員は入国検査でその食料コンテナーの中身までを調べられて、係官に目の前でその中身をゴミ箱に捨てられたのである。勿論、そんな大芝居は誰が見てもみえみえであり、後でその貴重品である西側の食料品をゴミ箱から拾って係官の皆で山分けしたのは間違いない。辛いのはその運び屋出張社員の到着を家族と共に待ちわびていたブカレスト駐在員の「オマエは一体何の為に出張して来たのか」という落胆ぶりである。

それでも出張者は、一応は出張目的として現地政府の公団との輸出入の折衝をするという事になるのであるが、泊まるホテルも駐在員事務所も食事をする所も全てがアメリカ系のインターコンチネンタルホテル内だけの世界となる。つまり一歩そのホテルの外に出れば、通信のインフラから交通手段、レストランも何にもないただただ灰色の世界なのである。公団には事務所の車を使って出かける事となるが、相手は国営公団のお役人である。アポイントを取っていても、一時間いや二時間、暗い部屋の堅い木の椅子で待たされるのはざらである。出てくる役人どももどれもやる気のない、しかし高飛車な態度の腐りきった人間ばかりでうんざりする。案の定、この腐りきった独裁政権の末路は、無血民主化を成し遂げた東独、ハンガリー、チェコとは違ってあのテレビで何度も繰返し放映される事となったチャウチェスク夫妻の銃殺シーンである。

こういう事が当時日本のメディアが決して伝えなかった、しかし我々ビジネスマンがまず知り得た、「人間を幸せにする理想の社会主義国」の実態なのであった。国営化企業、計画経済、社会主義といったものがいかに人間の精神とモラルを腐らしてしまうものか、その本来の国民全体を幸せにすると言う観念的な目的からは大きくかけ離れた現実的な結果を導くものであるという事を、我々は身をもって体験していたのである。

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