2009年11月26日木曜日

ハイエクとオーストリア


少し前になるが衆議院予算委員会での自民党加藤紘一氏の質疑の際にハイエクの名前が出たのを覚えておられる方もいるだろう。自民党は政権奪回に向けて民主党との対立軸を明確にする為、あらためてその政党としての基本理念の再集約に努力しているのが伺える。ハイエクは一言で言えば、1980年代のレーガン・サッチャーの新自由主義者に尊重されたいわゆる保守派自由主義の経済学者であり、マルクスとケインズの両方に共通する政府による「経済の計画的運営」を完全に否定する立場にある。戦後、資本主義体制の国々での経済政策がケインズ的なものが主流であったところからハイエクの名前は古典として忘れ去られていたのであるが、世界的な金融危機が起こった後の言わば「先が読めない」現時点ではあらためてその学説が再評価されているのであろう。自由主義経済で同様の立場に立つ米国のシカゴ学派のフリードマンと基本的に違うところは、ハイエクの場合は経済学そのものよりも背景にある哲学、社会学、心理学といったものを含めての大局的な見地からでの考察である。

私はこのハイエクという学者がオーストリア人である事に以前から注目している。つまりオーストリアという国で生まれ、またオーストリアという国が衰退しきった時に青年時代を過ごしたというところが彼の保守的な経済自由主義の原点ではないかと思うからである。オーストリアは12世紀から20世紀はじめの第一次大戦敗戦までの長きにわたり、欧州の中心的存在であった神聖ローマ帝国と後のオーストリア・ハンガリー帝国の本拠地である。しかし、戦後は兄弟国とも言えるドイツの再復興ぶりとは対照的で産業の近代化に乗り遅れ、冷戦時代の東側諸国との仲介や、観光業が中心の国に成り果てていた。我々ドイツ駐在のビジネスマンも同じドイツ語圏のオーストリアは担当地域内でもあり、時折出張で色々な企業を訪問する機会があったが、工業分野でのその多くの企業はドイツ企業の影響を受けたいわば亜流的存在である。清潔で何事も整ったドイツの都市からオーストリアに入るとその差は歴然としている。

しかし、一方では首都ウィーンに象徴される様に歴史・伝統・文化に関しては、ドイツを凌駕するものがある。例えば音楽の世界ではモーツアルトであり、近代ではウィーンフィルであり、またカラヤンである。オーストリアの西側に位置するザルツブルグの音楽祭には毎年大勢の日本人観光客が訪れる。私もカラヤンが亡くなる前の最後の指揮をした年にこの音楽祭を訪れたが、それこそ夏の一番気候の良い時に、アルプスのふもとの緑に囲まれたきれいな街で、街中至る所で最高レベルのコンサートが連日開かれるのであるから、クラシック音楽ファンにはまさに天国だ。

そのオーストリアと日本の両国の関係が近年急速に接近した時があった。それは確か1988年の ANAとオーストリア航空の共同運航による成田からの直行便の開設である。当時、ドイツから帰国し、東京本社勤務であった私は東京で親しくなったオーストリア人から六本木のANAホテルで開かれた直行便開設記念の「オーストリアの夕べ」なるパーティーの招待券を入手して出かけてみた。このパーティーでの圧巻は会場のホール全体で繰り広げられた正装したオーストリア人達によるウィンナーワルツである。ホール全体で大きく優雅に一部のすきも無く完璧に揃って左回りに回転し続けるのだ。ウィンナーワルツなどは日頃全く別世界にいる日本人招待客の政治家、官僚、経営者達は圧倒されまさに壁にへばりついて傍観するのみである。ちょうど最近 NHKドラマの「坂の上の雲」の予告編で出てくるあのシーンの数倍の規模を想像していただいたら良いが、これがオーストリア文化の優雅さと伝統の深さである事を再認識させられた。

そんな数々のオーストリア文化紹介のイベントを企画した中心人物が当時の駐日オーストリア大使館文化担当アタッシェの Michael Zimmermann氏だ。特段日本と結びつきの深い産業もない伝統文化の国オーストリアの文化担当アタッシェの役割は他の国の大使館の文化担当とは大きく異なる。同氏の文化人としての東京での活躍ぶりと交友範囲は格別なものがあり、そのひげ面で喜劇役者の様な親しみ安い風貌と魅力的な性格、文化に対する深い造詣はあらゆる階層の日本人を引き付けた。そんな彼のイラン大使館への転任に際する送別会たるものもこれまた意表をつくものであった。品川区の埠頭近くにある古くて巨大な倉庫を改装したロフトでの大パーティーを自ら企画したのだ。普通の国の普通の外交官の政界、官界、財界だけという狭い世界とは違って、集まった招待客の人数と多様性は他に類を見ない。その中で招待されて来たという日本人の女の子達が「えー。ミヒャエル(Michaelのドイツ語読み)って外交官なのー。うっそー。」と言っていた。

話がすっかりオーストリアの事になってしまったが、ハイエクの生まれ育った環境は誠の真正保守が育つ「守るべきしっかりとした伝統と文化がある国」という事だ。私はハイエクの理論をそれほど深く学んだ訳ではないが、彼自身が使った自由社会のルールを示す言葉の、「自生的秩序」は有名だ。自生的秩序はドイツ語で Spontane Ordnung、英語で Spontaneous Orderであるが、英語の柔らかい響きよりも、ドイツ語の Ordnung(秩序)の持つ響きはドイツ語圏に暮らした事のある人には特別なものがあると感じられるだろう。秩序こそはドイツ系統の人々には特に尊重される言葉であり、例えば会社でドイツ人部下が “in Ordnung” と答えれば、それは相当重い返事だ。そこには人に頼る、人に甘える、といった事のない成熟したオトナの国の武士道にも通じる「自律」精神そのものがあるのだ。

自民党内ではこの「自生的秩序」を理念の一つとして打ちたてる考えがあると聞いているが、これこそがポピュリズム的政策で「自分さえよければそれで良い」という浅はかな風潮を作る民主党政権との明確な対立軸であると堅く信じる。

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