2009年11月9日月曜日

シュミット首相

前回のドイツの元首相、コール氏に続いてその前任のシュミット氏についてもふれておかねばならいだろう。この人もまた魅力にあふれる政治家である。ハンブルグ生まれの都会的で知的な雰囲気と、大衆に媚びない人を喰った様な表情、発言が欧州人政治家によくある特徴だ。シュミット氏は知的な教養と趣味を持った人だが、決して知的エリートでもなく、貴族でもなく、世襲議員でもなく、ましてや富裕層の出身でもない労働者階級の出である。第二次大戦に将校として参戦した後、戦後は一貫してSPD(社会民主党)党員として、社会民主主義者としての道を歩む。中央政界ではブラント政権で国防相、経済・財務相に就任し、1974年に東独スパイのスキャンダル事件で辞任したブラント氏の後任として首相に就任した。

シュミット氏の首相としての手腕が高く評価されたのは何と言っても、1977年にソマリアの首都モガディシオの空港でおきたテロリストによるルフトハンザ機ハイジャック事件であろう。シュミット首相はその直前のバングラディシュ・ダッカでおきた日航機ハイジャック事件での日本の福田首相の「人名は地球より重い」の超法規的対応とは 180度違い、テロリストとの交渉を一切断って、他国の空港にあるルフトハンザ機に西ドイツのテロ対策特殊部隊を突入させて人質たちを無事解放させたのである。

もう一つの功績は、当時のソ連の中距離弾道ミサイル SS-20のワルシャワ条約機構加盟国への配備に対抗して、国内世論と与党SPD党内での猛反発を押さえて、西ドイツ国内への米軍のパーシング2ミサイルの配備を強行した事であろう。これらの動きがNATO諸国の軍事面での優位性をもたらし、後のソ連崩壊、冷戦終結への道につながる一つの要因ともなったのは間違いがない。従来SPDは東側諸国とは平和対話路線であったし、何より西ドイツ国内ではミサイル配備反対の大規模デモが繰り返されていたのであるが、その面からも外交・安全保障面ではシュミット氏は決してハトではなくタカである。

そんなシュミット氏ではあるが、人間的には何ともユーモアのある皮肉屋的なところがあり、それを示すエピソードを二つあげておこう。一つは1979年日本で初めて開催された東京サミットの初日の事である。会議冒頭に日本式に挨拶を長々とぼそぼそと述べる大平首相に「(挨拶はその辺にして)、直ぐに議題に」と横から促したのである。いかにも鈍牛首相と切れ者首相の好対照を示すものである。もう一つはEEC(EUの前身)の会議で横に並んだイギリスのサッチャー首相が演説をしている側で何と鼻唄を歌っていたのをしっかりマイクで拾われていた事である。まさか取材陣にも聞こえる様にわざとしていたわけではないとは思うが、当時EECで何かと意見の異なる英国の首相の「そんな真面目くさった話なんぞは聞いていられるか」という様な態度でもあり、これは時折ドイツのお笑い番組でも紹介されて笑いをさそった。これらは彼の熟練した政治家としての自信がそうさせているのであろう。

日本の新政権が目指す一つのモデルとして、確かにドイツ型の福祉国家(高福祉、高負担)は
その一つとしてあげられるであろう。ドイツ(西ドイツ)では子供手当ては文字通り Kindergeldとして30年以上前からあり、またライフワークバランスなるものはドイツ人にとっては聖域とも言える Urlaubという長期の有給休暇に象徴されて、しかりである。しかし、ドイツにおいてはいかなる政権においても外交・安全保障問題は一貫性があり全く揺るぎがない。国内に米軍駐留を認め、米軍ミサイルを配備し、NATOという集団的自衛権の体制に入り、かつアフガニスタンには戦闘部隊を派遣するという具合にである。

新政権の鳩山氏に見られる、どこか何となく自信のなさそうであり、優等生的、大衆迎合的なところは、おそらく富裕な家庭で知的エリートとして何一つ苦労と挫折を経験せず育ったというところからきているのではないだろうか。それはシュミット氏やコール氏の様に決して大衆迎合型ではなく自国の事を真剣に考える本物の政治家から受ける印象とは全く異なるものである事は間違いない。

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