2009年11月22日日曜日

台湾への思い入れ


私の場合の「台湾への思い入れ」の発端は、民進党政権時代に陳水偏総統の国策顧問にもなられた台湾(本省人系)を代表する企業グループの総帥である C社のK董事長に直接お会いした事だ。Kさんは日本統治時代を経験されていて日本語を母国語の様に喋られる事もあり、同じ業界の日本企業ともつながりが深く、日本の経営者の間ではほぼ全員がKさんファンというほどの人格者でもある。Kさんは裸一貫から C社を世界的規模の会社に育て上げた方だが、決して驕る事なく、常に腰が低く、芸術を愛される小柄で上品な感じの方だ。

私と C社とのビジネスでのお付合いはちょうど日本と台湾が国交断絶した後の1974年頃からとなる。C社の東京駐在員であるY氏がある日、法務省に行くのでどうしても付いて来て欲しいというのだ。今から思えば、台湾と国交断絶したゆえにビザの問題で苦労していたのだろう。彼としては少しでも法務省に信用してもらおうと日本企業の社員に同行してもらったのだが、果たして私の同行がお役に立てたかどうかは聞いていない。その後、海外勤務の関係で C社とのコンタクトは途切れ途切れとなっていた。それでも20年ほど前に短期間ながら東京の本社勤務となった時に、たまたま大手企業の役員の方と二人で C社を訪問する事となって、Kさんと董事長室でお目にかかる機会を得た。

今でも印象に残っているのは、我々が台南のC社本社ビルに着いたのは午後 4時頃であったが、一時間ほどKさんと色々なお話をして、事務所を出ようとした時点で気づいたのは事務所内には社員が全くいない事であった。見送りにこられたKさんは「ウチの会社では一切残業をさせないのです。そんな時間があったら、スポーツクラブに行って健康管理をするか、家に帰って家族と過ごしなさいと」。またKさんの董事長室でのお話もほとんどがビジネスに関するものではなく、趣味の美術、絵画、音楽と嬉しそうにお話をされた。Kさんのバイオリン演奏は業界のみならず台湾国内でも大変有名でYouTubeにも数多く演奏の動画が up されている。日本からの大切な来客時にはきまって、バイオリンで日本の歌を演奏されるというサービスぶりだ。こういう Kさんの魅力的で誠実な姿を見ていると、日本の経営者にも見習って欲しいと思ったものだ。

そのKさんの会社が、中国大陸に大規模な投資をし、現地生産体制を軌道に乗せたやさきに、中国政府はKさんの総統国策顧問としての発言に目を付け、その発言封じの為に不当にもC社に様々な圧力をかけ、あげくは現地駐在台湾人幹部を拘束し、その解放と条件にKさんに「転向」の公表を迫ったのだ。Kさんは自らの信念に反して、自社の社員解放の為に不自然な「台湾の独立を認めないという転向宣言」をし、公の場から一切姿を消されたのである。と、ここまで書けば台湾通の方ならKさんが誰かは御存知の筈であろう。

その後の台湾、米国、日本と三つの政権交代が全て「台湾は台湾人の国」にとって不利な方向に向かっている。先日の胡錦濤総書記と連戦氏の仲良く並んだ写真はまるで悪夢の様だ。もう既に80歳を越えられたと思うが、Kさんはどういう思いであろうか。

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