早いものでベルリンの壁崩壊から早 20年になるのだ。今日のニュースでは記念式典で父ブッシュ元大統領、ゴルバチョフ元大統領と並び、ドイツ統一の立役者であるドイツのコール元首相の姿を久しぶりで見た。コール氏は 1982年にシュミット氏の社会民主党/自由民主党連立政権から政権交代したキリスト教民主・社会同盟・/自由民主党連立政権の首相となり、以降ドイツ統一を挟んで 16年間も政権の座についた人である。コール氏の首相就任当時はそれまでのシュミット前首相のどこか知的で都会的な風貌とは正反対の巨漢で田舎臭い印象から、大衆人気の面では今ひとつであった。特に演説の時に見せるその笑顔一つない怖そうな目つきがとっつきにくい印象を与えていた。
この不人気な首相が国のリーダーとして、真の指導力を発揮したのがドイツ統一の偉業である。
そこに至るまでのコール氏の逸話で今でも記憶に残る話がある。あくまでドキュメンタリーニュースでの再現場面での話であるが、ベルリンの壁崩壊前の1989年に多数の東ドイツ市民がピクニックと称してハンガリー・オーストリア経由で西ドイツへ集団逃走しようと試みた有名なピクニック事件の一場面である。
当時では東ドイツ政府が同じ東側体制にあるハンガリー政府に東ドイツ市民の西側への集団逃走を実力で阻止する様要請するのは当たり前の話であって、ハンガリー政府がその要請を受け入れてしまえば命がけの集団脱走劇はそれでおしまいである。つまり、ハンガリー国内に入った東独市民を中立国オーストリアに逃がすかどうかの決め手は当時のハンガリー首相の決断にかかっていた。
しかし、ハンガリーでも民主化の動きが着実に進んでいて、裏では西ドイツ政府と集団脱走事件についても色々と連絡が取られていたのであろう。ネーメト・ハンガリー首相はコール首相との電話で「閣下のご要請通り、東独市民が安全に貴国に入国出来る様出国許可の手配を致しました。東独市民の道中安全を心からお祈りします」と劇的なメッセージを送ったのである。これに対しコール首相は「閣下のご配慮を心から深謝申し上げます」と言い、あの巨体を揺すらせて電話の向こうで大粒の涙を流し続けたという事である。まさにドラマか映画の一場面である。実際にネーメト首相は東独政府の要請を無視して、オーストリアとの国境に張り巡らされていた電流が流れる有刺鉄線を一部切断する様命じたのである。
もう一つはこれもドイツ人としては珍しく涙腺のゆるいコール氏が本当にニュース画面で涙を流し続けた話である。それはEU統一への動きの盟友であるミッテラン元大統領の国葬の際である。
既に一部ジャーナリズムで報道されている通り、ドイツ統一に関し、イギリスのサッチャー首相とフランスのミッテラン大統領は裏側で何とかこれを阻止出来ないかとソ連のゴルバチョフ大統領に働きかけたというのがロシア側からの資料流出で暴露されたようだ。その際、ドイツ統一に自らの政治生命と歴史的使命をかけたコール氏は必死の思いで説得した相手がミッテラン大統領であったのであろう。そうした強い信頼感がその後に大きく進展する EUの統一へとつながっていったのであるが、それが故に盟友ミッテラン氏の葬儀に際してのコール氏の心情は特別な思いであったのであろう。
こうした場面から、歴史的な役割を淡々とこなして行ったコール氏のその外見とは全く違った心情や感情というものが思い起こされてくるのであるが、新政権成立直後、なんと奥様とファッションショーのモデルもどきの軽々しい振る舞いをされた日本の大衆迎合型首相とは違い、コール氏は本当の熟成された重厚なオトナの政治家である。ノーベル平和賞なるものはこの東西ドイツの「平和統一」という偉業を成し遂げたコール氏には授与されず、何の平和の実績もないオバマ大統領に授与されるのであるからこうした世界的権威もポピュリズムの流れにあるのであろう。
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