「大計なき国家・日本の末路」 クライン・孝子著
この本を読んでつくづく感じた事がある。日本人はある程度米国に関しては情報や知識、体験に恵まれていて米国は比較的「近い国」であるが、ドイツに関してはそれらの面からは依然「遠い国」なのである。例えば自分自身の周りを見渡しても、親戚、友人の殆どと言って良いほど米国勤務や留学の経験がある。今の時代、永住権を持って米国に住んでいますといっても、日本人では何も珍しい事ではない。事実、カリフォルニア州あたりでは定年後そのまま帰国せずに永住している人や、あるいは定年後改めて永住権を取って移住する人までがかなりいる。しかし、ドイツに住んでいました、留学しましたという人にはそう多く会う事はない。日本人の欧州観光旅行でもまず行き先はロンドン、パリなのである。
そんな中でドイツに関する情報というものは駐在や留学でドイツに住んだ事のある人間にとっても、意外と限られたものである。一つにはドイツ語という言語の問題もあるだろうし、仕事の関係でドイツに住んでも担当範囲が、欧州全域とかで何事もドイツだけというわけにはいかない事もあるからだろう。クライン・孝子さんの本はそういう意味ではユニークであり貴重である。何よりも一般の日本人が知らない事実をジャーナリストとしての視点から細かく調べ上げている事であり、この本に書かれている戦後ドイツの悲劇や情報戦略・諜報機関といったものを今までどれだけの日本人が調査し、書き記したであろうか。
そもそも我々日本人にとって、ドイツという国は、米国という国に対する感情とはまた違った特別なものがあるのではないか。それは特にクライン・孝子さんの世代にとってはもう米国などとは比較にならない思い入れがあって当然だ。同世代の両国の人達が第二次大戦末期と戦後にどれだけ色々な問題で苦労をし、辛酸をなめさせられたか。そこに於いて、国のあり方や政治のあり方がどうあるべきかを体で学んだものを、今の若者、いや戦後生まれの我々さえも今一度ドイツの戦後体験を深く理解する事で学び取らねばならないと思う。
クライン・孝子さんの言いたい事を代弁すれば、ドイツの体験とは一言で言えば「現実は厳しい」に尽きるのではないか。外交・安全保障、情報戦略、教育、メディア、歴史認識、これらにしっかりと対処しないとそれこそ「末路」へと向かうという事だ。この本が出版されたのはきしくも政権交代により日本の新政権が生まれた時期と重なり、これら全ての面から見れば、今後ますます末路へと向かうという危惧を強めざるを得ない。ひょっとしてクライン・孝子さんはそれを随分前からお見通しで敢えてこれを書かれたのではないかと思う。米国に住む私が何故今、急に昔住んだドイツの事を繰返し思い返すかと言えば、それはひとえに「新政権の危うさ」からである。今日本が学ぶのは米国からよりもドイツからである点を深く深く再認識させてくれた名著である。
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