2009年11月23日月曜日

精神的「払い戻し」感情


ロンボク海峡、即ちインドネシアのバリ島とロンボク島の間の海峡を挟んで東側と西側では生物分類上その特徴が極めて異なり、この境界線を発見者の名前にちなんでウォーレス線と呼んでいる。西側はアジア的であり、東側はオーストラリア的、即ち原住民のアボリジニ的である。戦後インドネシアがオランダから独立する際に色々紛糾したのが、このウォーレス線の東側にあるニューギニア島の西半分、旧オランダ領(東半分は南側がイギリス領、北側がドイツ領で、戦後独立してパプア・ニューギニアとなった)の帰属問題である。オランダは同地域を新しい国家として独立させようと考えていたが、当時ソ連の軍事援助を受けたスカルノ政権は強引にもこの地域に軍事侵攻したのである。その後国連の調停もあったが、結局はこの地域はインドネシア領となり旧イリアンジャヤ州となったのだ。また近年同じくウォーレス線の東側にあるティモール島の東半分、旧ポルトガル領が独立した際にもインドネシアは一気にこの地域に武力侵攻して併合を強行した。後にこの地域が高まる原住民の独立運動と内紛の中で国連の介入によって、インドネシアの支配から脱して新たな新国家として独立したのが東ティモールだ。

要はこのウォーレス線の東側は、西側のインドネシアの主流であるジャワ族等とは全く異なる言わば未開の種族が住む地域であり、そこに大きな紛争の根本原因があると思われる。見方を変えれば、オランダに長年植民地統治され、言わば奴隷扱いされたインドネシア人が戦後独立して、こんどは自分達の領土的野心で周辺の少数異民族の島々へと植民地的支配に進出していったという事だ。事実イリアンジャヤと東ティモールの両地域には併合後多くのインドネシア人が移住している。ニューギニアと言えば、よくドキュメンタリーフィルムで出てくる半裸の首狩族的な種族が住んでいる所であり、重火器で武装した近代的な軍隊と、半裸で槍と吹き矢の種族ではそれは相手にはならない。以前わざわざこのインドネシア領イリアンジャヤの辺境地まで旅行した日本人の友人が「あそこではインドネシアの軍隊がまるで現地人を動物並みに扱っていた」と言っていた。しかし、ここもインドネシア自体の民主化と近代化に伴い、東ティモール同様に最近になって原住民による独立の動きが出て来た様で、西側最先端の部分だけを分離させて西イリアンジャヤ州としている。この地域は現在では原住民の独立派の間では西パプアと言う名称を使用している。

言うまでもなく、現在は戦前日本が朝鮮半島と中国大陸に進出して行った当時の「喰うか喰われるか」の植民地獲得競争の時代ではない。しかし、その時代に植民地として他国に支配された人々は著しくその尊厳を傷つけられたのであって、その支配から解放されるや、今度はその精神的な「払い戻し」を求める様に他国に侵攻していく様な行動をとるものである。その際、例え欧米先進国側がその行動を批判しても、当然の事ながら「お前達も昔やったではないか、why not me?」と開き直るかも知れない。開き直るまでもなく、これが既成事実として確立してしまっているのが中国である。

中国には漢族以外にウイグル族、チベット族、モンゴル族、満州族、朝鮮族といったいわゆる少数民族があり、合計すれば55の少数民族があるとも言われている。この面から、上記の過去のインドネシアのイリアンや東ティモールに対する姿が、現在の中国のチベットやウイグルに対する姿でもある。つまり、ほぼ軍事的には無抵抗に近い民族を近代的軍隊で一方的に制圧し、抵抗する原住民を動物の様に扱うという姿だ。中国が最近のチベットやウイグルでの独立の動きに対して諸外国の批判を無視するかの様に強引に武力で徹底鎮圧しているのは、中国漢族国民のこの燃える様なナショナリズムにも似た精神的「払い戻し」要求にしっかりと答えなければならないと中国政府が認識しているからであろう。さもなくば「払い戻し未払い」による不平不満のはけ口が今度は中国政府そのものに向けられる恐れすら出てくるからである。

現在の中国の共産党一党支配は最早国民の誰もそれを理想の社会主義国家建設の為とは思わないだろう。現在の中国には欧米的民主主義概念では決して捉える事の出来ない近代史からの複雑な感情が中国国民を支配していて、それは一言で言えば「経済的発展に裏打ちされたナショナリズムの自然醸成」的なものであろう。従って、例え民主主義、言論の自由、人権問題等の面で社会の矛盾があろうが、むしろ国民側にある意識としては、より大事なものはナショナリズムであると感じているかも知れない。特に戦後共産党政権の中でまともな歴史教育を受ける機会のなかった世代には、そのナショナリズムを客観的に見たり批判したりする様な機会も素地さえも無く、そうした教育を受けた国民にナショナリズムの火がついた時の恐ろしさは不気味なものがある。今や中国の若者世代は天安門事件などは眼にせずに知らずに育った世代でもあって、何よりもあの天安門事件を、政権を江沢民に託する事で乗り切り、現在の中国の姿に繋げたという鄧小平の政治的先見性は大変高いものである。今、中国通の誰に聞いても中国の現体制は少なくとも後10年は充分持つと声を揃えて言うのには、この辺の国民の「払い戻し」意識の事情によるものであろう。

鳩山政権の東アジア共同体構想は、こうした中国国民、中国政府の持つ内面的なものを無視し、経済面だけの現象だけで捉えようとしている現れであって、そもそも根底から成立つものではない。中国の経済発展には、日本としてはそれはそれで適度な距離をおいて共存共栄で取り組めば良いのであって、共同体なるものに発展させるには、中国の「払い戻し感情」に基づく覇権国家思想は本来相容れないものである事をまず認識すべきである。

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