NHKのベルリンの壁崩壊20周年の特集番組で、東独側では壁崩壊後に生まれた若者世代を中心に旧西独側との経済格差から来る不満からか旧東独に憧れを持つと言った現象まで現れていると報じられていた。まさか「もう一度壁を作れ」と言う人はあまりいないとは思うが、こういう若者は、旧東独のドイツ社会主義統一党と SPD(社会民主党)を離党した左派グループとが合体したDie Linke(左翼党)という政党を支持していると紹介している。
これを見て、つい最近日本の「周辺」の国でも起こったある政権交代の事が思い起こされた。それは世界で最も親日の国とされる台湾での事である。台湾は李登輝元総統のもと 1990年代から急速に民主化を進めてきた結果、2000年の陳水偏民進党政権の成立に至ったのである。その背景としては台湾生まれの本省人と中国大陸出身の外省人の比率がおおよそ 85:15となってきた事もあるが、それよりも台湾が中国の妨害で国際政治・社会では阻害されながらも、グローバリズムの進展の中で IT産業を中心に経済的に大きな発展を遂げた事が台湾の人々の独立国国民としての自身を深めたところにもあるのだろう。
しかしながら、2008年の総統選挙では陳水偏氏の後任である民進党の謝長廷氏は大陸生まれで国民党の馬英九氏に大差で敗北したのである。国民は決して映画俳優なみのマスクの馬氏に惑わされただけではない。それに先立つ立法院選挙でも国民党は民進党に圧勝していたのである。この現象に日本の良識ある人々は「一体何故?」と思われた方も多いと思う。台湾人の民進党支持層を含むいわゆる独立派の人々は口々に「国民党がメディアと軍と官僚組織を押さえている事から公正で正当な選挙が出来なかった」と述べている。確かに戦後長く続いた国民党独裁政権体制の残渣というものは消し難いものはあるだろうし、事実そういった不正はあるだろう。しかし、私にはそういう表面的な事もさることながら、それは民主主義体制が確立されたからこそ、必ず生じる一つの「不幸な共通現象」、「不都合な真実」に他ならないと思えるのである。
この「不幸な現象」を理解する為に、ドイツの歴史を振り返ってみよう。ドイツは第一次世界大戦後それ以前のドイツ帝国から、いわゆるヴァイマール共和制に移行して民主主義国家となった。しかし天文学的数字の巨額の賠償金と驚異的なインフレにより国民経済は疲弊し、人々の不安と不満は高まり、その様な国民の心理状態からでこそ、あのヒットラー率いるナチ党が国民の熱狂的な支持を受けて民主主義の選挙の中で正当に政権を握ったのである。実は表面的には違った現象でも台湾国民の心理もこれと共通のものがある。
台湾は国際社会から閉鎖された中で、一方では中国の政治的、経済的、軍事的存在感は急速に高まり、このままでは台湾は政治的、経済的、軍事的に呑み込まれてしまうという大いなる不安と懸念を持っている事は間違いない。何よりも頼りとする米国や日本も今や中国の言うままとなりがちで頼りにはならない。そうした不安、不満が頂点にある時に国民はヴァイマール共和制のドイツのごとく、民主主義で自らが選んだ筈の政権を自ら民主主義で葬り去るのである。ドイツの心理学者、エーリッヒ・フロムもその著書「自由からの逃走」で人間(台湾国民)は自己実現(台湾人としての identity確立や国連加盟)が阻まれる時に一種の危機に陥り、自らが意識しないままに権威(中華思想)への従属と自己の自由(台湾の民主主義)を否定する方向に向かう、と述べている。
これは2000年以上も前の民主主義の原型である都市国家アテネでも既に起こっていた事を政治学の教科書では教えている。アテネではそれまでの貴族によるいわゆる僭主専制政治から市民の投票により選んだ将軍による民主政治に変わっていたのであるが、民主主義体制の市民は民主主義を手にした途端、まことに気まぐれとなる。その将軍の施政に少しでも不満や不安が出てくると、投票で自らが選んだ将軍を自らの手で葬り去るという事を繰り返したのである。それがやがては都市国家の活力をそいで、あっという間に隣国の新興軍事大国マケドニアの力に屈して占領されてしまう結果につながるのである。
いや、ひとごとではない。それは国民が「政権交代政権交代」と無邪気に興奮しながら選挙で選んだ、「国家観なく、ポピュリズムに走る」、「独裁裏将軍の操る」民主党政権の日本国、そのものの姿でもあるのだ。
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