2011年3月25日金曜日

首都機能分散


今回の大震災では肝心の被災地である東北地方の事と並行して、福島原発からの放射能もれがどれだけ首都圏に被害を及ぼすかという事にも焦点があてられていた事が危機の特徴だ。勿論、自衛隊はじめとした組織的な支援活動の面ではその焦点は物資、輸送、人員、機器等は東北地方に向けられている。しかし、メディアや internetの世界では多くの人々の心には「東京はどうなるのか、それによって海外までもどうなるのか」という言わば「東京中心の我欲」に左右されている。これでは被災地の東北地方の人達にとっては正直なところ何ともやりきれない気持ちであろう。しかし、現実は日本の場合、政治、経済、文化、教育等であまりにも異常に過度に全てが東京に集中してしまっているからいたし方のない事だ。

海外でも例えば俗に言う、ニューヨーク、パリ、ロンドンと言った大都会に物事が集中している例はあるが、それでも東京ほど過密ではない。特に米国は国土が日本の約25倍あり、カリフォルニア州一つだけでも日本よりも大きい面積である。従い人口密度をざっと計算してみても国全体平均では約10倍(人口は約3億人と 1.2億人で2.5倍)となってしまう。これに更に東京への過度集中という事を考えれば、実際の皮膚感覚的なものでの東京の密度比較は50倍くらいになるのではないだろうか。またドイツでは首都ベルリン以外ではハンブルグ、ハノーヴァー、ケルン・ボン、フランクフルト、シュトットガルト、ミュンヘンがそれぞれが計算された様に約200km程度の距離に適度に分散されていて各都市での過密感は差ほどない。欧米人がビジネス出張で東京に行くとなれば(1) 満員電車 (2) 背広&タイ、更に夏場は (3) 湿気の「三重苦」を覚悟しなければならないとうのは笑い話ではない。

さて、今回の教訓を活かして国家レベルでの災害リスクの分散を考えればそれは即ち「首都機能の分散」につながり、具体的には「大阪の副首都化、第二首都化」が喫緊の課題となるだろう。更には夏場、いや相当期間の東京首都圏の電力不足により計画停電も予想される。これを機に橋下知事が提唱してきている「大阪市の府への統合による大阪都構想」や「伊丹空港廃止跡地への第二霞ヶ関誘致」がにわかに現実味を帯びてきた。候補先の面での第三の都市名古屋は近くに危ういとされる静岡の浜岡原発がある事と、東海、東南海地震の事を考えれば大阪には分が悪い。しかし、それを打ち消す様な勢いの河村・木村両氏による地方政治の変化もある。何しろ東京首都圏で (1) 大地震 (2) テロ (3) 疫病 が一旦発生すれば、たちまち日本全体がマヒしてしまう事につながり、国防上も軍事攻撃の目標として弱点をさらけ出している点で極めて危険だ。

一方、外国人と東京人からの目でみれば、大阪を含む関西というのは様々な魅力がある。一つは食物であり、肉類も魚類もその素材の味は圧倒的に関西の方が上質だ。また海と山に挟まれた阪神間の空気や水道水の味も一呼吸、一口で東京都心とのその違いが判る。第二は伝統文化であるが、京都奈良の歴史文化遺産、これはもう圧倒的だ。第三に大阪は過密だがその度合は東京ほどではなく京都と神戸との適度の分散で比較的効率的だ。第四に関西各都市はミニ東京にはならないアンチ東京の独自の個性があり、お笑いに象徴されるサブカルチュアもその一例だ。第五に関西空港は成田空港に比べる中心地へのアクセスがより近く、イタリア人デザインによると言われる空港建屋自体の空間の広がりと建築センスは羽田成田を上回る。後は大阪も東京の様に公共交通機関におけるマナーがより整然となる事を望むくらいだ。

これらの面からか、欧米企業でも例えばドイツのバイエルや米国の P&Gといった大企業は関西に拠点を置いている。良く聞けばどうやら日本に派遣されて来る欧米人幹部には関西圏、特に阪神間の方が首都圏より自然があって暮らし安いというのが本音の理由らしい。

東京一極集中は戦後日本の経済効率と画一性の重視がもたらした弊害であろう。仮に石原知事が再選されれば「東京の我欲」を捨て、橋下、河村両氏と協調して首都機能分散と地方分権化に協力してもらいたいものだ。更に何よりも大事な事は国政の強力なリーダーシップだ。「ズル菅」「逃げ菅」「隠れ菅」ではとてもその重責が担えない事が今回完全に露呈した。今回の大震災を教訓に欧米人の目から見ても異常なこの東京一極集中が大きく緩和され、政治の正常化によりまともな国日本に再生される良い機会が来ていると前向きに考えたい。

追記: 3/26早朝のテレ朝「朝ナマ」にて大塚耕平厚生副大臣が「政府として首都機能分散の検討をする」と明言。

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