2011年3月21日月曜日

ドイツ政治との違い

民主党政権の最大の矛盾と欺瞞は、菅総理を始めとする現在の主要閣僚達が「国家」というものに 対してrespectをしてこなかった、いや否定さえしてきたというその政治家としての過去の履歴にある。この菅政権の欺瞞性を明確化し、理解する鍵は戦後のドイツ政治との比較にある。

同じ敗戦国であったドイツとの違いは (1) 西独は東独はじめマルクス主義国家と対峙した事で国内ではマルクス主義に対する稚拙で誤った思い入れがなかった。この点日米安保に守られた言わば温室育ちの日本のマルキスト達は世間知らずでナイーブであった (2) 西独は戦後すぐに核武装したNATO体制下に組み込まれ、国内では徴兵制をとり続けて(去年漸く廃止を決定)、集団的自衛権を国家防衛の基盤としていた。この点日本は憲法9条の下に未だに集団的自衛権さえ確立されていない、という事実である。この二つの決定的な違いは大きい。

1980年代の終わりに冷戦体制が崩れて行く中で、東欧諸国の社会主義政権が崩壊する中で社会主義国家体制の実態が明らかになった。これによってマルクス主義そのものの誤りが証明された。つまり日本の社会主義系運動家達はその政治活動の最初からマルクス主義を志向するという根本的な誤りをしていたという事が証明されたのである。もう一つの誤りは、彼らが単にマルクス主義を志向するのみならず、一方では自衛隊を違憲として国家の生存権たる自主防衛そのものも否定していた事にある。生存権を否定すると言う事は即ち現実の国際社会では国家そのものを否定するという事につながる。日本社会党が「非武装中立」なる非現実的な掛け声を売り物としていたのはそう昔の事ではない。

この結果、その社会党そのものも当然の事ながら解体霧散してしまったが、それではその党員メンバーはどうなったかと言えば、いち早く沈没船から抜け出し、いつの間にかこそこそと変身して現在では政権の中枢や政権与党の中枢に留まっているのだ。言わば、彼らは自らの政治的主張の根本的な誤りを「総括」しないまま、卑怯姑息にも外見だけを変えて生き延びてきているのだ。しかし、その本質や残渣というものは隠し様がない。例えば、民主党の土肥議員は以前日本社会党議員として同じ兵庫県選出の土井党首に近い立場にあり、それだけに与党議員でありながら韓国での竹島放棄の書類にサインをするという反国家的な活動までしているのだ。

ドイツではSPD(社会民主党)が CDU/CSU(キリスト教民主・社会同盟)との政権交代や大連立を繰返してきているが、この政党が NATOによる集団的自衛権や国家そのものを否定する様な動きをしてきていたという事はない。仮にそうした動きをとれば明らかに東独という国家や東欧体制に吸収されてしまう事を意味する厳しい「現実」があったからだ。繰り返すが、民主党政権内の旧社会党系議員や市民運動系議員達は、「マルクス主義」と「自衛権否定」という根本的に間違った政治思想を原点としている政治家であって、彼らが自らの誤りを総括しないまま国家を担う政権や与党の中枢にいる事が大いなる欺瞞であり、政治混迷の根本原因である。

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