2011年3月24日木曜日

ルース大使

ルース米国大使が東北地方の被災地現場を訪問し、避難所で見知らぬ子供と温かみのあるハグをしたり、被災者達を前に涙声で感想を漏らしたりする様子が映像で伝えれている。同時に大使館側ではルース大使の Twitterアカウントを使い日に10回くらいの頻度でさかんに大使の被災地訪問の感想やあるいは米軍の支援活動の様子を刻々と伝えている。この点は雲隠れしたのか被災者達の前どころかメディアの前にさえ全く姿を現さないという「異常、無能」な菅総理とは対照的だ。

ルース大使はサンフランシスコ生まれで、名門スタンフォード大学卒業のトップクラスの弁護士だ。オバマ大統領によるルース大使の指名は、大統領選での選挙資金集めに尽力した功績からというのが理由にあげられているが、おそらくそれだけではないだろう。本命とされていたジョセフ・ナイ教授があまりにも知日派であって日本とのパイプが皆無に近いオバマ氏にとっては使いにくいという事と、何よりもこのルース大使の政界には汚されていないフレッシュな柔軟性と身のこなし方によるところが大きいのではないかと思う。

ルース大使は本来、極めて有能、優秀な米国の弁護士である。弁護士は弁護士としての能力と適性と経験が求められる一方、相手側との交渉、駆引き、論争という面からその身のこなし方というのも重要な要素である事は言うまでもない。また究極的には交渉相手側をもうならせてしまうほどの卓越した、信頼できる人柄というのも事と場合によっては大事だ。欧米でのビジネスではとても日本の比ではないほどの頻度と濃度で弁護士を起用し、また弁護士と接触、相談する機会が増える。例えば企業にとっては、会社設立からはじまり合弁契約、委託生産契約、ライセンス契約、長期供給契約、総代理店契約等の契約書は、その企業や事業の存立そのものに関わる最重要事項ともいえるものである。

そうした契約交渉の事前準備においてはドラフト、つまり原稿段階での顧客との綿密な協議と作戦準備というものが求められる。そこにおける弁護士側の腕のみせどころはいかに徹底した「性悪説」に徹する事が出来るかどうかにかかってくる。ありとあらゆる「想定外」のケースに備えて、顧客側での不測の事態においても顧客の利益を守り通すというのがプロとしての職務だ。例えば、契約書において、「この契約書に取り決められていない事態が発生したら、契約当事者間において誠意を持って話合い、問題解決にあたる」などと言う文言が良く見られるが、これは本来契約書の趣旨ではない。それはまず、何を持って「誠意」というのか、いかなる形での「協議」を示すのかが極めてあいまいで具体的ではなく、ただの心の慰みでしかないからだ。

本来、性悪説というものは相手側に最大の悪意があると決め付けての事を前提にしての立場であるから、それを前提での交渉では当然の事ながら相手側に不快感を味あわせ、傷つけ、不信感をあらわにする事にもつながりかねず、そうなればお互いが感情論になって本来の契約自体が成立たなくなるという結果につながりかねない。そこでは交渉時における交渉当事者としての人格や魅力、身のこなし方、場合によっては「演技」も重要なものとなってくる。一言で言えば「衣の下の鎧」をいかに上手にきれいに優雅に隠し通せるかという事だ。

おそらくルース大使の弁護士としての有能、優秀さはこういう「真摯で誠実」(そう)な人柄によるところが大きいと見ている。外交交渉を表してよく「机の下での足の蹴りあい」と言われるがまさにこれも同様だ。高級ワインを飲みながら、相手側の知識、経験、キャパ、人格、信頼性全てを冷静に見定めるのはビジネス面でも全く同じである。まあ一言で言えばビジネスマンからすれば菅氏の様な人物が相手の交渉では、これは「要注意」「信頼できない」「ずるい」とされるのは間違いない。と同時にこちら側からすれば逆に「無能で弱い」人間だから、この際徹底的に攻撃に出られるとも判断できる相手だ。

こうなるとルース大使が流した被災現場での涙というものは、果たしてその人柄からのものか、職業上のものであるか、あるいはその混合型のものかどうかが判ってくる。

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