早々と「菅氏は官邸を谷垣氏に明け渡せ」との「平成無血開城」論が出だした。また一方では「平時の民主、有事の自民」なる言葉も出回り、まあ半分冗談かとも思える話であるが笑えないほどの真実味がある。そもそもは民主党政権の構造が、「小沢・鳩山の旧自民党体質金権型」 + 「菅・仙石の旧反体制運動型」の集合体であっただけの話であり、現実性のない「バラマキマニュフェスト」と「政権交代」というイメージで多くの国民が騙されたという話である。つまり本来は「平時の民主」でも大きな問題であったのである。
今回の地震・津波・原発の災害において初動対応や情報開示で大きなミスを重ねた民主党政権の幹部に何とも不安を感じ、また違和感を感じている国民は多いであろう。それはこの「国家的危機」の対応に相応しくない「反国家」運動を政治活動の原点とする人間が政権の中枢を担っている事にある。この違和感というものは既に今回の災害前から醸成されてきた。まずは「普天間基地移設問題」、続く「尖閣諸島問題」、「北方領土問題」の度重なる失策、そして災害直前の「土肥議員の竹島放棄サイン問題」更には「前原、菅両氏の在日外国人からの不法献金問題」の露呈と続いてきていたからである。
今回の大災害では、その政府の中枢を担う人達が、つい最近まで徹底して存在そのものを否定し批判してきた自衛隊と在日米軍に大きく救われてきているのが何とも「イソップの童話」的で皮肉な話だ。勿論、災害対応への献身的な努力は自衛隊と米軍だけのものではなく、自治体、地元住民、警察、消防、海上保安庁、一般国民にもよるものであるのは言うまでもないが。その菅総理が防衛大学の卒業式で「自衛隊員を誇りに思う」と述べたというのがこの大いなる矛盾と欺瞞の極まりの頂点だ。まさに「暴力装置養成機関」と思われて来た大学の学生達にとっては「あなただけには言われたくない」の一言だろう。
「国民」と言わず「市民」と言い続けて「国家」を否定してきた市民運動家であり、1999年の国旗・国家法案採決の際、民主党内の自主投票でも反対票を投じた菅・枝野両氏にこの危機に際した「国家」を担う資格はない。この問題に関して反対票を投じた理由を聞かれた菅氏の国会答弁は「国歌は何かもっと元気なものの方が良いと思った」とこじつけとも思われる苦笑まじりのものであった映像が印象的だ。菅氏は「反国家」の立場を貫き、君が代を「音楽的」にではなく、自らの信念であった「政治的」に否定するなら堂々とそう言えば良いではないか。それであればそれで筋が通っている。この答弁こそにこの男の姑息で品性下劣なところが如実に現れている。こういう男がリーダである政党を愚かにも国民は選挙で選んだのである。
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