2011年2月3日木曜日

マタイ受難曲

BMWと言えば、米国でも若者の間で一番人気の高級ドイツ車であるが、音楽界の BMWと言えばそれはベートーベン and/or バッハ、モーツアルト、ワグナーの事だ。取り分けバッハ(J.S.Bach)はその作品数、宗教性、スケールといった点からドイツ系音楽界の最高峰の地位にあるといえるだろう。更に、そのバッハの数ある作品の中での最高傑作をあげるとすれば、それは「マタイ受難曲」ではないだろうか。今年のカレンダーでは Ostern(復活祭)が最も遅くなる 4月24日になっているので、そこから46日前の Aschermittwoch(灰の水曜日)あたりからはこの曲のシーズンを迎える。

マタイ受難曲は新約聖書のマタイの福音書、第26-27章に書かれているイエスの捕縛から刑死までの様子を精微で美しい旋律とドイツ語の歌詞で劇的に描いているものである。通常は3時間、演奏者により長いもので3時間半にも及ぶ超大作である。

最も美しい旋律は第39曲の Erbarme dich, mein Gott (神よ、憐れみ下さい)である。ペテロが「鶏が鳴く前に、おまえは三度私を知らないと言うだろう」というイエスの言葉を思い出して、実際にそうしてしまった事を悔い、激しく泣く様子を描いた場面である。バイオリンの前奏で始まるこのあまりにも哀しく美しすぎるアルトのアリアを聞き、ペテロの感情が移入されて、実際に涙を流す人も多い。

何と言ってもこのマタイ受難曲のハイライトは、第61曲のイエスが最後に残す言葉、Eli Eli Lama Sabachthani, Mein Gott, mein Gott, Warum hast du mich verlassen ?(神よ、何故私をお見捨てになったのですか?)の部分であり、その後に続く合唱の Wenn ich einmal soll scheiden(いつか私がこの世に別れを告げる時)はこの受難曲の中で歌詞を変えながら5回も繰り返される旋律がベースにあり、これが言わばテーマ曲である。

このバッハの作品を最も忠実に表現していると言われるのが故カール・リヒターであろう。カール・リヒターは旧東独で牧師の息子として生まれ、バッハが音楽監督を務めたライプチッヒの聖トーマス教会(マタイ受難曲が初演された場所でもある)でバッハの音楽を学んだ。

カール・リヒターはその後西独のミュンヘンに移りミュンヘンバッハ管弦楽団を組織し活躍したが、1981年に54歳の若さで急死した。私自身は1977年の大晦日の晩に偶々滞在先のミュンヘンの教会でこのカール・リヒターのオルガン独奏がある事を知り、急いで駆けつけて聴いた事がある。この教会のパイプオルガンは後方の二階部分に設置されていたので、前方を向いて着席している我々はオルガン奏者を見ないで、演奏は後から頭越しに聞こえてくる形となっていた。重々しい石造りの南ドイツの教会に響くバッハのオルガン曲はまさにカトリック色の強いこの地方でで迎える大晦日に相応しいものであった。時折、演奏中のカール・リヒターを振り返って見上げてみると、目を閉じたまま楽譜を見ずに全曲暗譜での演奏であったが、この姿が彼の宗教的精神性を表わし今でも強い印象で残っている。

このカール・リヒターが1971年に指揮したマタイ受難曲を DVDにしたものが 2006年に 始めてreleaseされたのであるが、それを見てみると、従来の耳で聴く CDでの音だけではなく、まるで宗教家のごとき風貌のカール・リヒターの指揮ぶりなどが見られて感動を新たにする。まさにドイツ的な堅固で質実で厳格な演奏と独唱、合唱である。

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