2011年2月17日木曜日

米国西海岸ベトナミーズ事情

近年での米国への政治亡命や難民としてはイラン系移民よりも規模の大きな集団がある。それはベトナム系の人達だ。ベトナム系もイラン系同様に南カリフォルニアのOrange Countyに米国内では最大のコミュニティーを形成しており、Westminsterと Garden Groveという二つの市にまたがり通称 Little Saigonという地域を作っている。言うまでもなくベトナム系は 1975年のサイゴン陥落と続く中越戦争を機会に大挙してベトナムから逃れてきた旧南ベトナムの人達である。ベトナムの場合はイランと違って敵対する北ベトナムが自分達の国を占領して一つの共産主義国家にし、更に旧政権の軍人、役人を拘束して再教育キャンプに収容するという措置を取った為に、危険なボートピープルになってでも亡命しようと彼らは必死であった。

現在米国に於けるベトナム系の人口は 150万人位と言われているが、その半数近くがカリフォルニア州に住んでおり、北カリフォルニアの San Joseと南カリフォルニアの上記の二つの市に Little Saigonがある。南カリフォルニアの場合の二つの市ではその総人口の約3割がベトナム系である。米国はサイゴン陥落後から中越戦争の混乱期に、このベトナム難民に対し繰返し議会で難民救済法の立法措置を取り大幅に難民の受け入れを行うと同時に、国連難民高等弁務官事務所とベトナム政府とも協議を重ねた。その結果、ベトナム側でも離散家族や米軍人との間の子供、更には再教育キャンプ収容者達の米国への出国と移住を認めるという措置が取られた為に1980年以降米国への難民としての移民の数は急増した。まさにオリバー・ストーン監督のベトナム戦争三部作の最後の映画「Heaven and Earth」の世界である。

現在のベトナム系の人達はどちらかと言えば、小規模の事業主や商店主、あるいは企業従業員や労働者という様な仕事をしており、その存在はどちらかと言えば地味である。今や西海岸ではタイのPadthaiと並び軽食として人気のベトナム麺 Phoの店は無数にあり、またフランスの植民地であった歴史からベトナム系パン屋やフランス風ケーキ店も多い。一方、Little Saigonではベトナム系によるギャング組織が有名であり、その犯罪の対象があくまでもベトナム系どうしであったとしても、普通のアメリカ人はLittle Saigonにはあまり立ち寄らない。

私はサイゴン陥落前の1973年にベトコンとの戦時体制下にあるサイゴンを訪問した事がある。当時のタンソンニュット空港への国際便の外国人乗客は殆ど米軍人の家族であったから、着陸と同時に小銃を構えた南ベトナム軍兵士が飛行機に乗り込んできて、我々アジア系乗客一人一人の身元を確認するという緊張ぶりであった。事前に連絡をしてあったので、我々は停戦監視の国連軍ジープに乗せてもらってサイゴン市内に入ったが、市内では戦時下とは思えない全くの通常の市民生活が営まれており、絶え間ないバイクの騒音で活気にあふれていた。また道を行きかう女性の(当時流行の)パンタロンとアオザイのコンビネーションが風になびく姿が何とも優雅できれいであった。しかし夜間になるとこの風情のある街は一変し外出禁止令が出され、遠くで砲撃の音が繰り返されるのが不気味ではあった。

インドネシア、マレイシア、タイあたりからこのベトナムに入ると人々の肌の色の違いが明らかとなり、またより勤勉に働く姿も印象に残る。日本企業の中には東南アジア諸国の中でベトナムは必ず発展すると予想し、また期待して直接投資を行った会社も多くある筈だ。従来米国のベトナム系の中には旧南ベトナム国旗を掲げて現ベトナム政権を激しく批判する動きも見られたが、最近では米国で成功したベトナム系がベトナムに戻って起業する動きも見られて注目されている。反米一辺倒と宗教原理主義に凝り固まっている中東イランの現体制とは一味違うアジア的な柔軟性からであろうか。

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