現在、日米両国でリーダー選びの選挙戦への動きが活発化している。と言っても、米国はまだ1年以上先の来年11月の大統領選挙に向けての共和党内の候補者選びの闘いであり、一方日本ではたった1ヶ月先の来月9月に予定される民主党代表選挙である。
そうした中で、今回の連邦政府の債務残高上限切り上げ問題では、米国政治システムの様々な実態を我々に見せつけてくれた。
まず、第一点は大統領と議会の与野党との関係である。日本の様な議院内閣制では与党は政権の首班である首相を一体となって支えるのであるが、米国では国民から(事実上)直接選ばれた政権首班である大統領が議会からはより独立した力を与えられていて、必ずしも議会の与党首脳部とても大統領と一体ではないという事である。
事実、今回の債務上限切り上げ問題での下院の議決では民主党議員の間では表決が賛成 95、反対 95、棄権 3と真二つに割れる結果となっている。この点は重要法案の採決にあたっては表が割れない様に党議拘束をかけ、造反者には罰則が別途決められるという日本の議会では全くあり得ない光景である。
第二点は、上院内では民主・共和のそれぞれの院内総務(与党majority leader と 野党minority leader)が代表を務め、一方下院では多数党から議長(House Speaker)で選ばれるものの、やはりそれぞれ majority leader と minority leaderというまとめ役が存在する。要は、日本の与野党の様に党幹事長や党国対委員長が実質的に衆参両院全てを横断的に取り仕切るという事ではないのである。
従って、今回の問題では大統領の主たる交渉相手は野党共和党が多数を占める下院議長のベイナー議長となった。この場合、下院議長の立場は日本の衆参両院の議長の様に党籍を離れての中立的なものではなく、実質的には野党側での代表的な立場となった。つまり野党側(共和党)では日本の野党である自民党の総裁の様な上下両院を通じての党を代表するリーダーは存在しないという事である。
第三点は、何と言っても大統領の veto、拒否権である。例え上下両院揃っての法案可決となっても大統領の賛成がなければ法案は法律として有効なものとはならないという一方的な特権が大統領にある点である。この拒否権を覆すには上下両院での 2/3以上の多数による再可決が必要であり、実質的には相当高いハードルが設定されている。
以上の通りの教科書的な三点が大統領と議会の緊張関係をもたらしているのであり、そうなれば大統領職というものはそもそも政治家としてよほどのリーダーシップの素質と能力を備えていなければ務まらない役割であろう。しかし、そういう制度に支えられている米国でさえ、英エコノミスト誌の7月31日版でTurning Japanese、「欧米の日本化」と皮肉られている様に欧米でのリーダーシップの欠如がまるで日本政治の様であると指摘されている。つまり更なる財政問題悪化が懸念される欧米でも選挙民の目を気にして、政治家は問題の先送りで更に問題を悪化させてきていると指摘しているのだ。
事実、Gallupによる大統領支持率調査の最新の結果では、オバマ大統領の就任後でははじめて40%を切って39%となり、不支持率も52%となった。大統領就任時の 2009年2月には民主党支持層の 9割、中間派の6割、共和党支持層でさえも 4割がオバマ大統領の Yes, You can と Changeの掛け声のもとにそのリーダーシップに大いに期待して、全体では 7割近い支持率を示したものであった。現在の4割という支持率の内訳は、民主党支持層の8割、中間派での 3割、共和党支持層での 1割となっており、やはり中間派の支持率落ち込みが顕著である。
さて、日本でも首相公選制が叫ばれた事があったが、単に国民が総理大臣を直接選挙で選ぶという制度そのものもさることながら、リーダーシップの創出には首相の地位の独立性と与野党との緊張関係をいかに作り上げるかにもそのヒントがある。実はそうした緊張関係というもが日本型合意形成システムにはなじまないのではないかとの意見も出かねないが、そういう考えは政治における精神的な堕落腐敗であろう。日本国内においても都道府県知事の立場が大統領に近いものである事を忘れてはならない。その典型である大阪府の橋下知事と議会との厳しい緊張関係の例からも、学び取れるものが多々あるのだ。
「今こそ政治に真のリーダーシップが求められる」、我々はこの言葉を何度となく目にしてきた。政治家が国民に向けてそのリーダーシップを示すのに必要なものはまずは Messageと Passionであろう。またその messageと passionというものは厳しい緊張関係を強いられる政治の場においてこそ自ずと醸成されるものであろう。最早、政権交代当時のマニュフェストを打ち消す事で自民党との対立軸を見出せず、ただただ大連立に頼る民主党代表選の候補者に一体いかなる messageとpassionを読み取る事が出来るのであろうか。