2010年9月13日月曜日

駐在員くずれ

企業派遣の駐在員として米国に来て、その後転職や自ら起業したり、あるいは定年後も日本に帰らず米国に留まっている人達の事だ。彼らが自己紹介の時などで自ら名づけたやや自嘲的な表現でもある。


このグループは自らの意思で米国に来た「新一世」と、社命により米国に来た「駐在員」の中間的な存在であるが、米国には永住権という便法がある為に欧州各国での在住日本人の間ではみられない米国特有の現象である。つまり永住権の制度がなければ、転職したり、中途退職したり、定年を迎えたりすれば、企業派遣でのEやBのビザが無効となって、現地の人との婚姻関係でもない限りは、一旦は日本に帰国せざるを得ないからである。

この「駐在員くずれ」グループの人々は最近ますます増えて来ている様だ。一昔前はこういう人々を「文化難民」と言って、どちらかと言えば日本の「村社会的」企業文化に馴染めない人々が主流だったのであるが、最近ではもっと短絡的になって例えばゴルフが年中手軽に出来るからとか、物価が安く、天候の良い所に住みたいからという「趣味と生活」重視派が増えて来ている様だ。また以前、駐在員時代に米国で生まれた子供が米国籍を持って米国に住んでいるという機会を利用して、日本で定年を迎えた後にわざわざ日本の家を売り払って、あらためて永住権を取って(子供が米国籍を持っていると簡単に永住権が取れる)米国にシルバー移住する老夫婦も何組か出てきている。

ところでこの「シルバー移住」というのが日本では一時話題になったが、この言葉は最近聞かれなくなってきている。このシルバー移住の先としてまず人気になったのはオーストラリアとマレーシアである。この二国は日本からの距離も近く、気候温暖で、治安等の生活条件も比較的良い。これに加えて米国と違うのは一定金額の投資や預金を現地で行えば、シルバー移住者としての永住権をもらえる事にある。米国の場合はハワイや西海岸がシルバー移住の対象となっていても、あらかじめ永住権を持っている人間ではない限り、現地に在住できる期間は極めて短期間に限定されてしまうから意味がない。

ここで問題になってきているのは、殆どのシルバー移住者が海外で生活する事がはじめてというケースが多い事にある。最初は旅行気分で現地での快適な生活を始めても、実はそのうちにだんだんと「心の乾き」を感じてしまう様になるらしい。この点マレーシアの場合はマラヤ、中華、インド、イスラムの文化が混合して独特の雰囲気があって移住者の好奇心をそそり続けるものがあるが、オーストラリアの場合は恵まれた自然はあっても独自文化の濃度の薄い国であるからそのうちに退屈してしまうという事になりかねず、どうもシルバー移住は計算高い関係国と業者に乗せられた感がある様だ。

さて定年後も住みなれた米国に住み続ける「駐在員くずれ」の人達にとっては、この移民国家では色々な文化を引きずってきている人達との交流にこそ値打ちがあるので、何も敢えて日本人同士の交流などは図る必要はないという建前論もある。しかし、本来米国社会で歴史・伝統・文化などというものは米国料理と同じで、日本や欧州の文化と比較すればあるのかないのか判らないほどのそれこそ薄っぺらいものであるがゆえに、同様に何か「心が乾く」という症状に陥る事もあるだろう。やはりそこは気心の知れた日本人同士の交流を自然に求めてしまうという事もあるのではないだろうか。

いやはや、日本でも米国でもいわゆる裸一貫で苦労してきて何とか米国人になりきった日系人一世や二世から見れば、日本人も何と贅沢になったものであろうかと思われる事だろう。

2010年8月24日火曜日

映画「442部隊」

米国陸軍の日系人二世部隊、442連隊が第二次大戦の欧州戦線でドイツ軍を相手に輝かしい戦績を上げた事は広く日本人の間でも知られている。この輝かしい戦績が並大抵なものではなかった事とそこに至る背景をこのドキュメンタリー映画は見事に伝えている。その戦績とは部隊の規模と従軍期間の割合から一言で言えば「米軍史上最も犠牲者が多く、また最も多くの勲章に輝いた部隊」であるという事実だ。

米軍人に授与される勲章の最高位は Medal of Honor(名誉勲章)である。名誉勲章は米軍人の特筆すべき勇敢な行動や自己犠牲に対して大統領から授与されるものであり、南北戦争から現在までに約 3,400名の米軍人が受賞している。民主、共和の両党から大統領候補になったジョン・ケリー氏、ジョン・マケイン氏がベトナム戦争で受賞し、選挙戦で大いに宣伝されたパープルハート(戦死、戦傷者に自動的に授与される名誉戦死傷賞)とは別格のものでもあるが、近年では適用条件が極めて厳しいものにされており、実際上は戦死者のみが対象となっている。この最高位の名誉勲章を一つの連隊で 21名もが受章したのはこの 442部隊をおいて他にはない。この21名の兵士はダニエル・イノウエ上院議員をはじめとして全員が二世の日系人である。

442部隊の戦績の一例を上げれば、南フランスの深い森の中でドイツ軍に包囲されたテキサス大隊の救出作戦である。この救出作戦はそれまでに何回も試みられたがことごとく失敗しており、急遽それまで北イタリアと南フランスで数々の武勲が伝えられていた442部隊に敢えて出動命令が下ったのである。この作戦では救出されたテキサス大隊の兵士全員の数が 200名あまりであるのに対し、442部隊の死傷者が約800名という常識を逸するものであった。442部隊の二世兵士は自分達が「使い捨て」にされる事を充分知りながら、敢えてその理不尽な作戦を喜んで引受けたのである。

しかし、この映画はそういった過去の武勲を単に伝えるだけのものではない。観るものの心に深い感動を与えるのは、442部隊で参戦した日系二世元兵士達へのインタビューのシーンである。彼らの威厳に満ちた表情、気品のある立ち居振る舞い、謙虚な語り口、人間愛に満ち溢れる眼差し、これらが全てを物語ってくれるのである。彼らは本来米国人でありながら、隔離されたり、敵性外国人と見なされ強制収容所に送られたりで、その苦境を跳ね返そうとばかりに多大な犠牲を払ってまでも自分達を差別した祖国米国の為に命をかけて戦った事実、それが背景にある。

ところで、2000年に電通総研が60カ国価値観調査というのを実施したが、その中で「あなたは国の為に戦うか」との設問に 60か国中 Yesと答えた比率が最低の15%というのが日本である。日本では47%が明確にNo、戦わないと答えている。因みに同調査で Yesと答えた比率の最高の国はベトナムで94%、第二位の中国が 90%で、その他韓国 74%、ロシア 64%、米国 63%と周辺国では Yesが圧倒的である。一体、日本人の精神はどうしてここまで荒廃してしまったのであろうか。

あらためてこの 442部隊のドキュメンタリー映画は同じ DNAを持つ日系人二世の人間としての立派な姿勢を伝える事で、芝居やフィクション映画では決して表現できないものを作り出し、観客にホンモノの感動を与える事が出来るのであろう。日系人に関するドキュメンタリーの名作「東洋宮武の覗いた時代」を更に上回る、すずきじゅんいち監督による見事な作品である。

2010年2月25日木曜日

トヨタとロックフェラー


今回の米国でのトヨタ問題に関して米国議会側で解決への鍵を握るとみられている人物がいる。それは上院の商業科学運輸委員会委員長のジョンD. ロックフェラー(四世)氏である。同氏は学生時代に国際基督教大学に3年間留学した経験もある民主党きっての知日派、親日派であり、「Jayさん」として親しまれて日本では政財界にも顔が広い。同氏は富豪一家のあるニューヨーク生まれながら、全米でも最も貧しい州の一つとされている中西部のウェストバージニア州に自ら居宅を移し、同州の知事になって同州の発展に心血を注ぎ、その後引続き同州選出の民主党上院議員となっている。あの石油王ロックフェラー一世の曾孫であり、共和党の元大統領候補であったネルソン ロックフェラー氏は叔父にあたる。最近ではオバマ大統領の就任式で後ろの方の集団の中に同氏の顔が映っていたのを気づかれた方も多いであろう。

ウェストバージニア州というのはペンシルバニア、オハイオ、ケンタッキー、バージニアの四州に囲まれた州であるが、オハイオ川流域の谷間にある山岳地帯が中心で、これといった工業もなく、いわゆる poor whiteといわれる白人貧困層が多い州として、周辺の州とは違って経済発展から取り残されていた地域である。

1985年のプラザ合意の後、日本の自動車・家電・OA機器メーカーが米国内での現地生産を一挙に拡大していった際には全米50州の殆どの州が東京に誘致事務所を設けたのであるが、ウェストバージニア州1州だけはトヨタに近い名古屋市に1990年に事務所を設置した。既に1988年にトヨタはケンタッキー州に大規模な生産・組立拠点を設けていたのであるが、急増する日本車への需要に対応する為には米国内での第二、第三の工場設置の必要性はあきらかであった。かねてよりトヨタの創業家である豊田家と親交を深めていた Jay氏はウェストバージニア州への有力な誘致企業候補としてはトヨタ及びその部品メーカーに狙いを定めていたのである。その結果、1998年にはトヨタの米国内の四つ目の工場としてエンジンとトランスミッションの生産工場がウェストバージニア州に設立されたのである。

私はたまたま1990年頃にウェストバージニア州内のある工場設備の買収案件の話が持ち上がった関係で名古屋市にあるウェストバージニア州政府事務所と同州の環境対策や法規制に関して頻繁に連絡を取り合っていたのであるが、ちょうどそのタイミングもあって上院議員である Jay氏とホテルオークラで面会した事がある。同氏は身長が2メートル近くはあるかと思われる背の高い、いかにも育ちの良さそうな物腰の温和な感じのする紳士であった。結局はその工場設備買収案件は実現には至らなかったが、日本的な利権や経済的野心の対象とは全くならないそうした小さな個別の投資案件までに気を配るほどこの上院議員の同州経済発展への思い入れは強いのだなと感じたものだ。

現在同氏は上院委員会の委員長という立場上、表面上は中立を保っているが、トヨタ側にとっては同氏との長年の関係はプラスである事は間違いがない。またこの「Jayさん」がトヨタ創業家とトヨタという企業を深く理解する人物であり、私自身が会った経験から感じ取られる同氏のお人柄からも誠実にトヨタの為に協力を惜しまないであろう事は間違いない。

2010年2月21日日曜日

PIGS


PIGS、ギリシャ財政危機で表面化した経済危機が危ぶまれる南欧の国々Portugal, Italy, Greece, Spainの総称である。これらの国々はEUの中核である独英仏に比べると経済構造が脆弱であり、財政規律に関してはルーズである。なぜギリシャ財政危機の様な問題が起こるかと言えば、一言で言えば、経済レベルの全く違う国々の間で無理やりユーロという共通通貨を導入した事にある。つまりユーロ加盟各国政府はユーロという共通通貨のおかげで、その時々の経済状況に対処する為の独自の金融政策はとる事が出来ず、財政政策しかとれない事にある。

本来 EUの本格的統一や通貨統合というものは、「人、物、金」の移動が促進され、経済が活性化される事から、こうした南欧や東欧、バルト三国といった国々の方にメリットがある筈であるが、それは同時にそういった地域へのバブルを誘発してしまう危険性もはらんでいる。特にこうした地域ではもともと経済活動が高度化していないだけに経済政策、財政規律の面でも問題が多い。つまり表現は不適切で悪いが、「経済のシロウトが身の丈に合わない借金をしてバブルに手を出す」様なものであり、アルプスの北と南ではとても経済面、ビジネス面では同じ市場とは思えないという事である。

そもそもユーロの総元締めである欧州中央銀行はフランクフルトにあり、基調としてはブンデスバンクの流れを汲むドイツ式の厳格な金融政策が取られてきている。それでは何故欧州EU全体で圧倒的な経済力を持つ優等生のドイツが自らを犠牲にしてユーロ導入に踏み切ったのかと言えば、それは「ドイツ統一」との深い関わりであろう。1989年のドイツ統一による東側復興の為に統一ドイツは大幅な財政赤字を抱え込む事となり、当然の結果としてドイツマルク金利の上昇がもたらされた。欧州ダントツの経済大国ドイツが高金利となれば、従来の固定相場制を維持するにはポンドもフランも金利を上げざるを得ず、それは必ずしも不況に苦しむ各国の経済状況からは望ましい事ではない。そうした混乱を避ける意味からも従来の通貨統合の動きが一気に加速されたのである。

もう一点はおそらく政治的なものであろう。既に複数のメディアが報じている通り、東西ドイツの統一の動きに対しては、フランスのミッテラン大統領とイギリスのサッチャー首相が露骨に警戒感を露わにして、ゴルバチョフ大統領に統一を阻止する様に働きかかけた事は事実の様である。そうしたフランスとイギリスに対して、東西ドイツの統一を歴史的、政治的使命とするコール首相の「ドイツ統一認知」を得る為の思い切った妥協策であろう。コール氏の決断により一気にドイツ統一の動きが加速し、また同時にユーロ導入の具体化への動きも加速されたのである。
そもそも通貨というものが自然発生的なもので、その国の歴史、伝統、文化、社会と無関係のものではない筈である。それをEUは経済活動のグローバル化の中で米国やアジアと競合する為、あるいは欧州域内での金融、投資、貿易、決済の利便性の面から、加盟国の国家主権はそのままにして、通貨を無理やり人工的に統合してしまおうという「革新」を行ったわけであり、そこには決してプラス面だけではなくマイナス面もある筈である。

イギリスは依然としてユーロには不加盟であり、保守党がユーロ参加に一貫して反対してきているのは、統一通貨に基づく共通の金融政策に縛られる事なく、主権国家として自国の経済状況に応じての政策が打てるという自由度を確保する為であり、これが長い目で見れば真の「保守」としての正しい選択であるのかも知れない。

2010年2月2日火曜日

綱領なき政党、民主党


いやはや、類を見ない「気色の悪い」総理大臣の施政方針演説であった。「いのち」「いのち」と繰り返す、その姿をテレビで見ていて本当に気持ちが悪くなったのである。一国の指導者である総理大臣の施政方針演説が「いのち」である。かっては、その内容がつまらない、魅力がないという総理大臣の演説はあった。しかし演説を聞いていて、気持ちが悪くなるのはいまだかって初めての経験である。その「いのち」を繰り返すのだけは止めてくれと言う感じである。こういう言葉を演説で平気で繰返せるというのは、この人物は体の底からの偽善者なのであろう。あたかも「資力も、知力も、家系も恵まれたこの僕こそが皆さんの命を救ってあげるのですよ」と言わんばかりである。

いのちの大切さが大事である事を否定する人間は今の世の中にはまずいないであろう。しかし、その言葉をことさら取上げると言う事は、「いのちが大切だから」という大義名分の為に国は自分達の面倒を何から何まで徹底的に見るべきであるという、自律、自主、自立の精神を否定してしまう事につながりかねない。ケネディー大統領のあの有名な演説の「国が何をしてくれるかではなく、国の為に何が出来るかを問え」とは180度違った国民への呼びかけではないだろうか。

そもそも何故この様な気持ちの悪くなる「いのち」という言葉が理念として使われたのか、これをまず理解しておかねばならないだろう。つい最近自民党は新たなる党の綱領というものを発表したが、自民党が言う通り、確かに民主党には政権を預かる政党にも拘らず、党の綱領というものが存在しない。いや綱領などというものはそもそも作れないのであろう。自民党の綱領はその冒頭に党組織の目的として「自由と民主」と「日本らしい日本の確立」という極めて明確で分かり易い理念が述べられている。事実、現在の民主党の様に党内での自由な発言さえ制限、自粛させられているという「自由と民主のない」異様な体制と体質の政党との違いを明らかにしたものである。

政党として綱領がない、即ち公表できる共通理念がない政党というものは一体どういう政党であろうか。それはまさに闇将軍幹事長の権力欲が基盤になって、闇将軍の独裁体制の元で政治理念がないまま権力欲のままに動く政党という事であろう。従って、その政党から総理大臣が施政方針演説でその理念を語る場合には、こういったまさに気持ちの悪くなる様な偽善的な言葉を使うしかないのであろう。総理大臣自らが「具体性がないと批判されると思う」と直後の記者会見で述べているのは全く国民を馬鹿にした話である。総選挙結果で政権交代が実現したので、国民の負託を受けているから今更政策の具体策なんかは述べても意味がないでしょうという気持ちの表れだ。

この総理大臣には一体自らがいかに情けない姿をさらしているかの自覚がないのであろうか。同じくまことに情けない姿をテレビにさらしてしまったのがこれまた、副総理である。マニュフェストにある「脱官僚依存」というのは国家のあり方を説く一つの政治理念であるが、先日の参議院予算委員会での菅財務相の答弁に見られる様なお粗末で官僚依存そのものの情けない姿はまさに現行不一致の皮肉である。三人もの財務省の役人があわてて答弁につまった菅大臣の前に集まってきてしゃがみ込み、必死で答弁内容を教えているのである。財務大臣なら当然知っているであろう、大学の経済学部一年生が学ぶ程度の内容の「消費性向、乗数効果」の質問である。

偽善者そのものの総理、脱官僚を叫ぶ割には官僚依存の情けない副総理、お二人には少しだけでも良いからあの闇将軍の偽悪的な図太さを学んではどうかと言いたくなるのである。

2010年1月30日土曜日

オバマ政権の台湾への兵器供与


オバマ政権が「台湾に対するパトリオットミサイルPAC3と多目的軍事ヘリのブラックホークの売却」を議会に通告した。これは米国の国内法である台湾関係法(Taiwan Relations Act)に基づく台湾防衛の為の「中華民国」への兵器の供給を行うという通常の措置である。最近の日本での論調を見ると、これでオバマ政権が中国に対して融和協調から、対決に姿勢を転換したというのが多く見られるが、こういう見方は果たして正しいのであろうか。

基本的にはオバマ政権の台湾問題への基本姿勢は従来の米国政府と同じ路線である。即ち1996年のクリントン大統領による「三つのノー」である、
1. 二つの中国、”一中一台”を認めない
2. 台湾の独立を認めない
3. 台湾の国連機関加盟を認めない
この路線から何ら逸脱するわけでもなく変更するものでもなく、将来も変更される事はないであろう。米国政府の本音としては台湾海峡有事だけは起きて欲しくはないのであり、例え起きそうになったとしても最早クリントン大統領時代の時の様に大げさに事を構えるであろうか疑問である。その疑問は一重に米国の中国依存度が圧倒的に1990年代当時とは劇変してしまっている事にある。

これには今回の「防衛的」兵器供給の中に台湾側が熱望している F-15戦闘機が依然として含まれていない事が何よりの証拠である。今や中国がその気になれば、米軍が介入さえしなければ、台湾にPAC3があろうが、ブラックホークがあろうが、F-15がなければ制空権は瞬時に中国側が握るであろうし、何よりもその前に台湾国内に既に多数潜入してしまっている工作員と協力者の破壊活動が相当な効果を発揮するであろう。

それでは何故今この時期に急にオバマ政権は兵器供給に踏み切ったのであろうか。それは少し前に行われた台湾での立法院委員補欠選挙の結果が引き金である。1月9日に桃園県、台中県、台東県で立法院委員の補欠選挙が行われ、いずれの県においても従来は与党の国民党が議席を握っていたが今回、野党民進党が逆転したことから、台湾国民の間での馬英九政権への対中融和姿勢への危機感と不満が一気に噴出した感じである。

この事は実はオバマ政権にとっては決して望ましい事ではない。2008年の立法院選挙と総統選挙では台湾国民自らの明確な選択で独立志向の強い民進党が大敗してしまった事が米国政府にとってはまさに最も望ましい結果である。ここでまた民進党が息を吹き返す様な事となれば折角、馬英九国民党政権による対中融和協調路線が深化してきている中で、中国との新たな摩擦を引き起こしかねず、これは米国政府としては何としても避けたいのであろう。その路線をより強く推し進めるのが実はクリントン氏を中心とする民主党政権内部の動きなのである。グーグルがどうしたとか、台湾に防衛兵器供給しようが、その点はオバマ政権と中国側は実は織り込み済みの話である。火種がこれ以上大きくなる筈もなく、また大きくするつもりも双方には全くないのである。

要は1月はじめの立法院補欠選挙の結果を見て危機感を感じたオバマ政権が、これ以上民進党や独立派による反馬英九政権の勢いを得ない様に馬英九政権に助け舟を出したと見るのが妥当ではないか。繰り返すが、オバマ政権には最早台湾海峡有事の潜在的リスクを徹底的に避ける事、つまり究極的には国民党政権下での中国、台湾双方による平和的解決、台湾の香港化へのスムーズな移行を望んでいるのが決して表立って決して言えない本音であろう。

2010年1月27日水曜日

普天間基地移設問題-続


みんなの党の渡辺喜美氏が指摘する「鳩山政権は散々沖縄の人をあおりにあおっておいて、こういう(名護市長選挙の)結果になって、一体どうするつもりか!」という「あおりにあおって」というコメントが何よりも一番当を得ている。普天間基地移設問題はこれで解決するのが更に複雑になり、この問題が小沢闇資金問題よりも鳩山政権の命取りになる可能性が出て来た。

最早、鳩山政権としての落とし所として、「現行案の名護市辺野古沖合への移設」と決める方向にあるのは、外相、防衛相、官房長官の発言からみても充分読み取れる。しかし、鳩山首相の偽善的な性格、行動、言動がここに来て自らを自業自得、自滅へと追いやる結果となりそうである。この問題の結論としては、「普天間基地の移設先は決まらず、米国政府としてはそのまま居残りを決める」か、あるいは「鳩山政権が現行案を強行する」、以外しかないであろう。

そこで NHKのクローズアップ現代に登場した元外交官のあの田中均氏のコメントである。同氏はまず、普天間基地移設問題解決への選択肢としては (1) 現行案 (2) 県外、国外移設 (3) それ以外の案の検討、をあげたのである。ここまでは小学生でも出来るコメントであろう。問題は田中均氏が (1) も (2) も難しいから、(3) を検討すべきだと指摘した点と、その馬鹿げた具体案の内容である。まず、(1) は今回の名護市長選挙の民意の結果から国が現行案を強行する事は出来なくなったと決め付けた。更に (2) の国外移設はもとよりあり得ないが、県外となってもこれだけの基地のパッケージを引き受ける先は日本にはないだろうと、これも否定。従って (3) のそれ以外の案の検討だと、主張している。

それでは同氏の言う (3) の第三の道への検討とは何か言えば、①普天間基地の安全性を高める ②普天間基地の機能の分散 ③安全保障上の危機を弱める外交努力、という内容である。同氏の主張を聞いていると、一貫しているのは相手の米国政府がどう考えているのか、あるいはどういうリアクションに出るのか、といった点を深く読み取ったり、考慮していない事であって、これが外交交渉をしてきた官僚のコメントかと耳を疑う。

そもそも米国政府は一貫して上記の (1) 現行案しかない、との立場であって、今のところは「鳩山政権が時間をかけて、現行案に落ち着く様に日本国内でのコンセンサスを確立する」事に対して、まさにtrust him しているだけの話である。従って、(2) も (3) もあるなどとは全くもって考えていない。その理由はこの現行案が、米国政府の軍事作戦、軍事技術、及び軍事戦略上の観点からこれ以外の選択肢はないと言う長年にわたる日米両政府による充分なる検討の結果であるからだ。田中均氏の言う「日本側に新たに受け入れてくれる所がない」のが主たる理由ではなく、それよりも交渉相手の米国政府に軍事面で受け入れる可能性がないというのが理由だと説明しなければならない筈だ。

さて、肝心の第三の道の内容であるが、全くお粗末としか言い様がない。①の基地の安全性を高める努力というのは、それが散々なされてきたにも拘わらず、基地周辺に住宅や学校があるという事が基本問題であるから、飛行場というものが対象である限り、基地が移動するか、周辺の住宅や学校が大移動するしかなく、小手先の安全策などで解決できるのであれば、そもそも基地移設問題は起こる筈がない。移設せずとも良い位に安全性を高めるのはこれ以上、技術的には不可能な話であるのは沖縄の現地の人々のみならず、誰にも判る話だ。

②の基地機能の分散の問題は、むしろ米国政府側に決定権があるのであって、米国政府あるいは米軍側から軍事的に不可能と言われてしまえば、日本側は一体どう反論できるのであろうか。そもそもその点の更に突っ込んだ具体策さえなければ、空虚な論点だと言わざるを得ない。

一番の問題は③である。これこそが、田中氏の外交官としての誠に不適切な姿勢や見方が如実に現われているのである。何事も話し合えば解決できる、話合いだけで解決できる筈であるという考え、これこそが大いに国益を損ねている象徴的なものである。

何よりも普天間基地の機能は海兵隊による周辺事態への有事対応である。具体的には朝鮮半島、台湾海峡、東シナ海、それに不測のテロへの対応である。朝鮮半島も台湾海峡も東シナ海も当事者となる相手はいずれも国民の参政権も言論の自由も法治体制も民主主義も一切ない北朝鮮と中国という特殊な国である。そういう相手国には世論や政権選択と言うものが存在しないだけに、まさに強盗犯や誘拐犯に対する警察行動と同じで話合いだけでは何も解決できないのが基本である。事実、田中氏の発想で北朝鮮による拉致問題はあれからどれだけの具体的な成果があったというのだろう。ましてや交渉相手が北朝鮮や中国の様な政府ではなく、テロ組織の場合は一体何を話し合いや交渉の武器にしようと言うのであろうか。田中氏は不測のテロに対する対応が米海兵隊の重要な任務、機能である事を全く度外視しているのである。

いずれにせよ、外交は話し合いだけではなく軍事力(安全保障体制)に裏づけされたもの、これはいつの世も不変の大原則である。