TPP参加賛成論の中に安全保障面での日米同盟の観点から、参加すべきだとの意見もある。日本の安全保障政策での基軸は日米同盟であるという事は大多数の政党と国民の共通認識だ。しかしながら、東アジアにおける安全保障上の最大の懸念材料を持つ中国という国に対して、同盟国米国は日本をしのぐ勢いで経済面、財政面、投資面、貿易面でますます深いつながりを築き、ますますその依存度を高めてきている。米国債保有高、ドル建て外貨準備高、輸入相手国、貿易赤字の相手国、これら全てにおいて米国に対して中国は日本を抜いてのダントツトップの強い位置にあるのだ。いずれにせよ本来、TPPと日米同盟に関しては全く違う次元での議論である筈だ。
日本をTPPに引き込みたい米国は、おそらく野田政権に対して、日米同盟を意識させる事で無言の圧力の様なものをかけてきている事は容易に想像させられる。野田首相が APECで TPP交渉参加を表明すべきかどうかまさに国論が二分されている時期に、安全保障の専門家であるジョセフ・ナイ氏やアーミテージ氏、それにキッシンジャー氏までが相次いで訪日してきているのは単なる偶然ではない。米国は野田首相がそういった外交交渉の駆け引きの経験が浅い事やしたたかさに欠けるとみて、ここぞとばかりの攻勢をかけてきているのである。
それでは百歩譲って、安全保障と日米同盟の観点から、TPPへの参加を決めたとしたところで日本の安全保障面、防衛力は盤石なのかと言えば、とてもそう安心はしておられない様に環境が激変してきている。まずは上記の通りの米国の中国に対する経済的・財政的な依存度が極めて高い事、更には米国の財政赤字の面からの軍事費用の大幅削減が見込まれる事がある。仮に本当に中国との有事となれば、集団的自衛権さえも認めていない(日米安保条約では米国は日本を守る義務があるが、日本は米国を守る義務はない)日本という同盟国の防衛の為に米国の若者が血を流す事に対して米国内で米国民の理解を得るのは難しいと理解しておくべきだろう。
こうした米国の国力の弱体化の一方では、米国内での中国パワーの飛躍的な伸びが顕著である。米国への諸外国からの留学生数を見れば、毎年中国がこれまたダントツの一位であり、しかも人数の増加率が昨年30%、今年22%の大幅 up である。今や米国への中国人留学生数は16万人近くとなり外国人留学生の5人に 1人は中国大陸からの学生である。また、中国の富裕層が米国の投資移民プログラムを利用して大挙して米国の永住権、市民権を得ようとする動きが活発化してきている。ちょうどカナダに香港からの移民が大挙して押しかけた様に中国人は本来自らの国家を信頼していないのであろう。
この様に米国、特にもともと中国系が多く住みついている西海岸では「中国化」が着々と進み、本当に米国が中国と事を構える事などは米国の国内事情からして果たして可能であるのだろうかと思えてくる。仮にいざ有事となっても、米国という覇権国家としては同盟などという「義」よりも自己中心的な「利」を優先させるのが、衰退過程での生存本能であろう。米中の軍事衝突というのは現実的ではない様に思われてくる。
こういう状況下では、日本としては当然の事ながら「自主防衛」と「集団的自衛権容認」への道を着実に推進するのが正しいであろう。中国の軍事的プレゼンスの拡大を脅威として捉えているのは日本だけではなく、台湾は言うまでもなく、韓国、フィリピン、ベトナム、インドなどである。我々は今一度尖閣問題の時の中国のとった行動を思い出すべきだろう。日本人社員を言わば人質状態にし、中国からの観光客は止め、レアアースの輸出を制限し、と何でもありの国である。中国は関税よりも何よりも人民元を不当に安く操作している事自体から、TPP参加の交渉をする資格さえないのである。中韓抜きの TPP構想では、アジアの成長を取り込むなどという標語は全くのインチキであると言わざるを得ない。
2011年11月20日日曜日
2011年11月16日水曜日
米国から見るTPP参加問題
現在の日本が直面する課題に原発問題と TPPがあるのは言うまでもない。いずれも日本の先行きを決める重要なものであるだけに種々議論がなされてきている。その中で従来と少し違った様相を見せて来ているのが、こういった課題に対して、今までのいわゆる保守 vs 革新といった対立軸では見られなかった新たな動きがあることだ。例えば、保守層の中から脱原発を強く主張したり、TPP参加に強く反対する意見が出ている事である。また一方革新層(民主党での)では財界と一緒になって米国主導の TPP参加を強く後押ししている事である。先日も参議院予算委員会で社民党の福島党首が TPP問題で野田総理に厳しく詰め寄った際に、後ろに控える自民党議員が大声で「その通りだ!」とヤジを入れるなど思わず苦笑させられる場面もあった。そもそも保守や革新などという言葉自体、メディアが作り出した誤ったものであるのには違いがないが。
それでは何故こういった新たなねじれ現象が出てきているのであろうか。それは原発もTPPも米国的なもの、米国的価値観に基づくもの、あるいは米国主導のものであるからだろう。そういった米国中心的ものに対する日本人側での見方に変化が現れているのではないだろうかと思われる。特に、2007年後半のリーマンショックとそれに続くオバマ政権の誕生で明らかに日本人の米国に対する見方が変わってきている様だ。2000年頃を前後して、米国経済が「インフレなき高成長を維持出来るNew Economyの時代に入った」などと言って賞賛されたのが、実は米国民が浅ましくも身の丈知らずの過剰消費や住宅バブルに踊らされただけであったという事や、連邦債務残高問題がデフォルト寸前までに追い込まれ、議会での混乱で今日現在与野党間での合意さえ達成できていない事など、とても米国が世界のリーダーたるお手本の国ではないという事が次々と明らかになってきているのである。
特にオバマ政権が当初Change などという掛け声で変革を大いに期待されたにも拘わらず、こうした深刻な問題に対して、全くもって解決の方向性さえ示す事ができていないのには、米国内のみならず国際社会からのその落胆と批判の度合いは大きい。あの大統領就任直後のプラハでの核兵器廃絶宣言なるものや、ウォ―ル街の経営者に対する厳しい言葉は一体何だったのであろうか。そもそも当初オバマ大統領が国民に実現への努力を公約した、医療の国民皆保険制度や、投機に走らない銀行、格差社会是正(貧富差を示すジニ係数では米国は先進国で最高レベルの0.46に対し日本は最低レベルの0.30未満)、こんなものは日本に既に長らく当たり前のものとして存在するものではないか。
こうした事を思い起こせば、日本国民にとっては戦後から長く続いてきた「米国従属姿勢」をそろそろ見直しすべきだとの「覚醒」の機会となってきているのであろう。こうした覚醒というものは保守層では明確に見られるが、一方の政権政党では明らかに真逆の動きを見せているのがこの TPP参加問題だ。民主党内でのTPP参加交渉反対の署名をしなかった 133名の議員のリストを見ると、つい最近まで何かと反米姿勢を貫き通してきたであろう旧社会党系の議員も多く見られ、このTPP参加問題を理解しようとする国民の頭の中は混乱してしまう。彼らは今や財界・経団連と一緒になって日本の農業を壊滅させてしまう危険性を大いにはらむこの米国主導のTPPへの参加を目論んでいるのだ。
野田首相はじめ前原政調会長、枝野経産相といった現在の政権与党の首脳陣の経歴を見ても、彼らが米国に留学したり米国に住んだりという経験はなく、果たしてどこまで米国というもの米国人というものを自らが体験し理解しているのであろうか。今時ビジネス社会では米国で仕事をしたり住んだりといった経験はごく普通の事である。ビジネスマンであれば仕事を通じて米国人がその仕草、外見や社交辞令とは違っていかに(日本人的に見れば)あくどいと言えるほど自己利益に厳しいかを充分体験している筈だ。日本人ビジネスマンの米国での体験を通じてのとても「信じられない!」逸話は数多くあるが、何でもありのここ米国社会では実際に日常で起こっているのだ。そうした体験の積み重ねから、それを充分理解し割り切った上で、そういう相手ともうまくわたり合っていけるだけの免疫力、したたかさ、知恵や実力が養われるのだ。
実は、保守層の側でTPP参加問題への抵抗感、警戒感が強い背景には、現政権幹部よりもよりこうした「米国体験を通じた免疫力が多い」事にあるのだろう。G20のオバマ大統領との会談で野田首相が「TPPが全品目対象」と言ったか言わなかったかで早くも両政府の発表内容が違う事に対し、自民党幹事長が「危なっかしい!」と野田首相の甘い姿勢を批判するのは当たり前の事だ。オバマ大統領にとって外交交渉音痴の野田首相を相手にする事などは赤子の手を捻るよりも御し易い事なのだ。
それでは何故こういった新たなねじれ現象が出てきているのであろうか。それは原発もTPPも米国的なもの、米国的価値観に基づくもの、あるいは米国主導のものであるからだろう。そういった米国中心的ものに対する日本人側での見方に変化が現れているのではないだろうかと思われる。特に、2007年後半のリーマンショックとそれに続くオバマ政権の誕生で明らかに日本人の米国に対する見方が変わってきている様だ。2000年頃を前後して、米国経済が「インフレなき高成長を維持出来るNew Economyの時代に入った」などと言って賞賛されたのが、実は米国民が浅ましくも身の丈知らずの過剰消費や住宅バブルに踊らされただけであったという事や、連邦債務残高問題がデフォルト寸前までに追い込まれ、議会での混乱で今日現在与野党間での合意さえ達成できていない事など、とても米国が世界のリーダーたるお手本の国ではないという事が次々と明らかになってきているのである。
特にオバマ政権が当初Change などという掛け声で変革を大いに期待されたにも拘わらず、こうした深刻な問題に対して、全くもって解決の方向性さえ示す事ができていないのには、米国内のみならず国際社会からのその落胆と批判の度合いは大きい。あの大統領就任直後のプラハでの核兵器廃絶宣言なるものや、ウォ―ル街の経営者に対する厳しい言葉は一体何だったのであろうか。そもそも当初オバマ大統領が国民に実現への努力を公約した、医療の国民皆保険制度や、投機に走らない銀行、格差社会是正(貧富差を示すジニ係数では米国は先進国で最高レベルの0.46に対し日本は最低レベルの0.30未満)、こんなものは日本に既に長らく当たり前のものとして存在するものではないか。
こうした事を思い起こせば、日本国民にとっては戦後から長く続いてきた「米国従属姿勢」をそろそろ見直しすべきだとの「覚醒」の機会となってきているのであろう。こうした覚醒というものは保守層では明確に見られるが、一方の政権政党では明らかに真逆の動きを見せているのがこの TPP参加問題だ。民主党内でのTPP参加交渉反対の署名をしなかった 133名の議員のリストを見ると、つい最近まで何かと反米姿勢を貫き通してきたであろう旧社会党系の議員も多く見られ、このTPP参加問題を理解しようとする国民の頭の中は混乱してしまう。彼らは今や財界・経団連と一緒になって日本の農業を壊滅させてしまう危険性を大いにはらむこの米国主導のTPPへの参加を目論んでいるのだ。
野田首相はじめ前原政調会長、枝野経産相といった現在の政権与党の首脳陣の経歴を見ても、彼らが米国に留学したり米国に住んだりという経験はなく、果たしてどこまで米国というもの米国人というものを自らが体験し理解しているのであろうか。今時ビジネス社会では米国で仕事をしたり住んだりといった経験はごく普通の事である。ビジネスマンであれば仕事を通じて米国人がその仕草、外見や社交辞令とは違っていかに(日本人的に見れば)あくどいと言えるほど自己利益に厳しいかを充分体験している筈だ。日本人ビジネスマンの米国での体験を通じてのとても「信じられない!」逸話は数多くあるが、何でもありのここ米国社会では実際に日常で起こっているのだ。そうした体験の積み重ねから、それを充分理解し割り切った上で、そういう相手ともうまくわたり合っていけるだけの免疫力、したたかさ、知恵や実力が養われるのだ。
実は、保守層の側でTPP参加問題への抵抗感、警戒感が強い背景には、現政権幹部よりもよりこうした「米国体験を通じた免疫力が多い」事にあるのだろう。G20のオバマ大統領との会談で野田首相が「TPPが全品目対象」と言ったか言わなかったかで早くも両政府の発表内容が違う事に対し、自民党幹事長が「危なっかしい!」と野田首相の甘い姿勢を批判するのは当たり前の事だ。オバマ大統領にとって外交交渉音痴の野田首相を相手にする事などは赤子の手を捻るよりも御し易い事なのだ。
2011年11月4日金曜日
We are the 99%.
OWS (Occupy Wall Street) 運動は9月に New York市で始まり、今では全米の主要な都市への進展の様相を見せている。彼らのスローガンである ”We are the 99%.” に象徴される様に高所得者層の top 1% との所得格差が拡大していることへの怒りと不満がこの運動の原点だと言える。先月、実際にこの top 1%が実に全体の17%の富を独り占め状態にしているとの数字が米国の公的機関から発表されたが、この数字を見て今更驚く米国人はおそらくいないであろう。
10月末に CBO(Congressional Budget Office、議会予算局)が1979年から 2007年の期間を対象に、家計数を所得額で5つに均等分割した各階層間での所得の伸びに関する分析結果を公表した。この分析は”Trends in the Distribution of Household Income Between 1979 to 2007” (1979年から 2007年の間の家計所得の分布傾向)というタイトルで、データはIRS(内国歳入庁)からの税収に関する各種の資料がベースとなっている。
この分析によると、1979年から 2007年の間に於ける、
1.各階層の税引後家計所得の平均額の増加率は(全体では 62%の増加)、
(1) Top 1% : 275%
(2) Top 1%を含む Top 2割(81%-100%) : 65%
(3) これに続く中間層の 6割(21%-80%) : 40%
(4) 最下層の低所得者層の 2割(1%-20%) : 18%
2.各階層の税引後家計所得が所得全体に占める割合の増減は、
(1) Top 1% : 8% から 17% (+ 9%)
(2) Top 1%を含む Top 2割(81%-100%) : 35% から 36% (+ 1%)
(3) これに続く中間層の 6割(21%-80%) : 50% から 43% ( -7%)
(4) 最下層の低所得者層の 2割(1%-20%) : 7% から 5% ( -2%)
つまり、「30年間の間に所得格差が急激に拡大している」という事と、「Top 1%の家計が全体の所得の17%をも押さえている」という事であり、益々格差社会に向かう傾向を示している。
家計所得には給与所得や労賃、個人業からの所得、キャピタルゲイン、配当収入、その他等がある。給与所得の面では、この30年の間での技術革新が熟練(中間層)と非熟練(最下層)の労働者の給与格差の拡大をもたらしたのは間違いない。
しかし、そうした事よりも top 1%の所得の中のいわゆるストックオプションによるキャピタルゲインが更なる格差拡大に大きく影響していることは言うまでもない。また、スポーツ選手、俳優、音楽家等のいわゆるsuper star達の収入が飛び抜けたものである事と、企業経営トップ、取り分け金融業界のトップの報酬が飛び抜けた額である事も同時に指摘されている。
OWS運動には現在では様々な団体やグループが加わり、その主張も様々で怪しげなものになってきているが、当初の主張の中核をなす「富裕層優遇税制の是正」と「投機的金融取引の規制」の根拠はオバマ政権が対策を講じてきていなかっただけに、それなりに明確ではある。
10月末に CBO(Congressional Budget Office、議会予算局)が1979年から 2007年の期間を対象に、家計数を所得額で5つに均等分割した各階層間での所得の伸びに関する分析結果を公表した。この分析は”Trends in the Distribution of Household Income Between 1979 to 2007” (1979年から 2007年の間の家計所得の分布傾向)というタイトルで、データはIRS(内国歳入庁)からの税収に関する各種の資料がベースとなっている。
この分析によると、1979年から 2007年の間に於ける、
1.各階層の税引後家計所得の平均額の増加率は(全体では 62%の増加)、
(1) Top 1% : 275%
(2) Top 1%を含む Top 2割(81%-100%) : 65%
(3) これに続く中間層の 6割(21%-80%) : 40%
(4) 最下層の低所得者層の 2割(1%-20%) : 18%
2.各階層の税引後家計所得が所得全体に占める割合の増減は、
(1) Top 1% : 8% から 17% (+ 9%)
(2) Top 1%を含む Top 2割(81%-100%) : 35% から 36% (+ 1%)
(3) これに続く中間層の 6割(21%-80%) : 50% から 43% ( -7%)
(4) 最下層の低所得者層の 2割(1%-20%) : 7% から 5% ( -2%)
つまり、「30年間の間に所得格差が急激に拡大している」という事と、「Top 1%の家計が全体の所得の17%をも押さえている」という事であり、益々格差社会に向かう傾向を示している。
家計所得には給与所得や労賃、個人業からの所得、キャピタルゲイン、配当収入、その他等がある。給与所得の面では、この30年の間での技術革新が熟練(中間層)と非熟練(最下層)の労働者の給与格差の拡大をもたらしたのは間違いない。
しかし、そうした事よりも top 1%の所得の中のいわゆるストックオプションによるキャピタルゲインが更なる格差拡大に大きく影響していることは言うまでもない。また、スポーツ選手、俳優、音楽家等のいわゆるsuper star達の収入が飛び抜けたものである事と、企業経営トップ、取り分け金融業界のトップの報酬が飛び抜けた額である事も同時に指摘されている。
OWS運動には現在では様々な団体やグループが加わり、その主張も様々で怪しげなものになってきているが、当初の主張の中核をなす「富裕層優遇税制の是正」と「投機的金融取引の規制」の根拠はオバマ政権が対策を講じてきていなかっただけに、それなりに明確ではある。
2011年8月16日火曜日
政治のリーダーシップ
現在、日米両国でリーダー選びの選挙戦への動きが活発化している。と言っても、米国はまだ1年以上先の来年11月の大統領選挙に向けての共和党内の候補者選びの闘いであり、一方日本ではたった1ヶ月先の来月9月に予定される民主党代表選挙である。
そうした中で、今回の連邦政府の債務残高上限切り上げ問題では、米国政治システムの様々な実態を我々に見せつけてくれた。
まず、第一点は大統領と議会の与野党との関係である。日本の様な議院内閣制では与党は政権の首班である首相を一体となって支えるのであるが、米国では国民から(事実上)直接選ばれた政権首班である大統領が議会からはより独立した力を与えられていて、必ずしも議会の与党首脳部とても大統領と一体ではないという事である。
事実、今回の債務上限切り上げ問題での下院の議決では民主党議員の間では表決が賛成 95、反対 95、棄権 3と真二つに割れる結果となっている。この点は重要法案の採決にあたっては表が割れない様に党議拘束をかけ、造反者には罰則が別途決められるという日本の議会では全くあり得ない光景である。
第二点は、上院内では民主・共和のそれぞれの院内総務(与党majority leader と 野党minority leader)が代表を務め、一方下院では多数党から議長(House Speaker)で選ばれるものの、やはりそれぞれ majority leader と minority leaderというまとめ役が存在する。要は、日本の与野党の様に党幹事長や党国対委員長が実質的に衆参両院全てを横断的に取り仕切るという事ではないのである。
従って、今回の問題では大統領の主たる交渉相手は野党共和党が多数を占める下院議長のベイナー議長となった。この場合、下院議長の立場は日本の衆参両院の議長の様に党籍を離れての中立的なものではなく、実質的には野党側での代表的な立場となった。つまり野党側(共和党)では日本の野党である自民党の総裁の様な上下両院を通じての党を代表するリーダーは存在しないという事である。
第三点は、何と言っても大統領の veto、拒否権である。例え上下両院揃っての法案可決となっても大統領の賛成がなければ法案は法律として有効なものとはならないという一方的な特権が大統領にある点である。この拒否権を覆すには上下両院での 2/3以上の多数による再可決が必要であり、実質的には相当高いハードルが設定されている。
以上の通りの教科書的な三点が大統領と議会の緊張関係をもたらしているのであり、そうなれば大統領職というものはそもそも政治家としてよほどのリーダーシップの素質と能力を備えていなければ務まらない役割であろう。しかし、そういう制度に支えられている米国でさえ、英エコノミスト誌の7月31日版でTurning Japanese、「欧米の日本化」と皮肉られている様に欧米でのリーダーシップの欠如がまるで日本政治の様であると指摘されている。つまり更なる財政問題悪化が懸念される欧米でも選挙民の目を気にして、政治家は問題の先送りで更に問題を悪化させてきていると指摘しているのだ。
事実、Gallupによる大統領支持率調査の最新の結果では、オバマ大統領の就任後でははじめて40%を切って39%となり、不支持率も52%となった。大統領就任時の 2009年2月には民主党支持層の 9割、中間派の6割、共和党支持層でさえも 4割がオバマ大統領の Yes, You can と Changeの掛け声のもとにそのリーダーシップに大いに期待して、全体では 7割近い支持率を示したものであった。現在の4割という支持率の内訳は、民主党支持層の8割、中間派での 3割、共和党支持層での 1割となっており、やはり中間派の支持率落ち込みが顕著である。
さて、日本でも首相公選制が叫ばれた事があったが、単に国民が総理大臣を直接選挙で選ぶという制度そのものもさることながら、リーダーシップの創出には首相の地位の独立性と与野党との緊張関係をいかに作り上げるかにもそのヒントがある。実はそうした緊張関係というもが日本型合意形成システムにはなじまないのではないかとの意見も出かねないが、そういう考えは政治における精神的な堕落腐敗であろう。日本国内においても都道府県知事の立場が大統領に近いものである事を忘れてはならない。その典型である大阪府の橋下知事と議会との厳しい緊張関係の例からも、学び取れるものが多々あるのだ。
「今こそ政治に真のリーダーシップが求められる」、我々はこの言葉を何度となく目にしてきた。政治家が国民に向けてそのリーダーシップを示すのに必要なものはまずは Messageと Passionであろう。またその messageと passionというものは厳しい緊張関係を強いられる政治の場においてこそ自ずと醸成されるものであろう。最早、政権交代当時のマニュフェストを打ち消す事で自民党との対立軸を見出せず、ただただ大連立に頼る民主党代表選の候補者に一体いかなる messageとpassionを読み取る事が出来るのであろうか。
そうした中で、今回の連邦政府の債務残高上限切り上げ問題では、米国政治システムの様々な実態を我々に見せつけてくれた。
まず、第一点は大統領と議会の与野党との関係である。日本の様な議院内閣制では与党は政権の首班である首相を一体となって支えるのであるが、米国では国民から(事実上)直接選ばれた政権首班である大統領が議会からはより独立した力を与えられていて、必ずしも議会の与党首脳部とても大統領と一体ではないという事である。
事実、今回の債務上限切り上げ問題での下院の議決では民主党議員の間では表決が賛成 95、反対 95、棄権 3と真二つに割れる結果となっている。この点は重要法案の採決にあたっては表が割れない様に党議拘束をかけ、造反者には罰則が別途決められるという日本の議会では全くあり得ない光景である。
第二点は、上院内では民主・共和のそれぞれの院内総務(与党majority leader と 野党minority leader)が代表を務め、一方下院では多数党から議長(House Speaker)で選ばれるものの、やはりそれぞれ majority leader と minority leaderというまとめ役が存在する。要は、日本の与野党の様に党幹事長や党国対委員長が実質的に衆参両院全てを横断的に取り仕切るという事ではないのである。
従って、今回の問題では大統領の主たる交渉相手は野党共和党が多数を占める下院議長のベイナー議長となった。この場合、下院議長の立場は日本の衆参両院の議長の様に党籍を離れての中立的なものではなく、実質的には野党側での代表的な立場となった。つまり野党側(共和党)では日本の野党である自民党の総裁の様な上下両院を通じての党を代表するリーダーは存在しないという事である。
第三点は、何と言っても大統領の veto、拒否権である。例え上下両院揃っての法案可決となっても大統領の賛成がなければ法案は法律として有効なものとはならないという一方的な特権が大統領にある点である。この拒否権を覆すには上下両院での 2/3以上の多数による再可決が必要であり、実質的には相当高いハードルが設定されている。
以上の通りの教科書的な三点が大統領と議会の緊張関係をもたらしているのであり、そうなれば大統領職というものはそもそも政治家としてよほどのリーダーシップの素質と能力を備えていなければ務まらない役割であろう。しかし、そういう制度に支えられている米国でさえ、英エコノミスト誌の7月31日版でTurning Japanese、「欧米の日本化」と皮肉られている様に欧米でのリーダーシップの欠如がまるで日本政治の様であると指摘されている。つまり更なる財政問題悪化が懸念される欧米でも選挙民の目を気にして、政治家は問題の先送りで更に問題を悪化させてきていると指摘しているのだ。
事実、Gallupによる大統領支持率調査の最新の結果では、オバマ大統領の就任後でははじめて40%を切って39%となり、不支持率も52%となった。大統領就任時の 2009年2月には民主党支持層の 9割、中間派の6割、共和党支持層でさえも 4割がオバマ大統領の Yes, You can と Changeの掛け声のもとにそのリーダーシップに大いに期待して、全体では 7割近い支持率を示したものであった。現在の4割という支持率の内訳は、民主党支持層の8割、中間派での 3割、共和党支持層での 1割となっており、やはり中間派の支持率落ち込みが顕著である。
さて、日本でも首相公選制が叫ばれた事があったが、単に国民が総理大臣を直接選挙で選ぶという制度そのものもさることながら、リーダーシップの創出には首相の地位の独立性と与野党との緊張関係をいかに作り上げるかにもそのヒントがある。実はそうした緊張関係というもが日本型合意形成システムにはなじまないのではないかとの意見も出かねないが、そういう考えは政治における精神的な堕落腐敗であろう。日本国内においても都道府県知事の立場が大統領に近いものである事を忘れてはならない。その典型である大阪府の橋下知事と議会との厳しい緊張関係の例からも、学び取れるものが多々あるのだ。
「今こそ政治に真のリーダーシップが求められる」、我々はこの言葉を何度となく目にしてきた。政治家が国民に向けてそのリーダーシップを示すのに必要なものはまずは Messageと Passionであろう。またその messageと passionというものは厳しい緊張関係を強いられる政治の場においてこそ自ずと醸成されるものであろう。最早、政権交代当時のマニュフェストを打ち消す事で自民党との対立軸を見出せず、ただただ大連立に頼る民主党代表選の候補者に一体いかなる messageとpassionを読み取る事が出来るのであろうか。
2011年7月19日火曜日
FST (Financial Speculation Tax)
現在、オバマ大統領と議会指導者の間でやりとりが行われている Debt Limit(連邦債務上限額)引上げ問題は8月2日の default期限まで 2週間となったにも拘らず、未だに解決の糸口が見えて来ない。オバマ大統領が提案している 2.4兆ドルの上限額引上げの条件としての3兆ドルの歳出削減と1兆ドルの増税の組合せの案に対し、増税を一切認めない共和党が主導する下院議会では cut, cap and balanceという歳出削減、上限額規定、財政均衡を義務付ける憲法改正、これらの三本柱での議決を行う構えを見せている。当然の事ながら合衆国憲法の改正には上下両院の supermajority(2/3の賛成)が必要であるところから、この議決自体は現実的なものではあり得ない。
オバマ大統領側での妥協策としては Medicare (高齢者医療補償)や Social Security(年金)という entitlement と言われる義務的歳出項目の聖域にも削減の手を付ける方向を検討中であると言われている。従来、民主党は高齢者や低所得者の弱者の立場に立って社会的 safety netの拡充を目指す政策をとってきたが、defaultの危機を迎え増税を一切認めないとする野党共和党側との妥協策としてやむにやまれぬものなのであろう。
そもそも今回の Debt Limit問題の根源である巨額の財政赤字は、バブル崩壊による不況対策として景気刺激策に膨大な財政資金を投入した事が引き金である事は言うまでもない。しかもそれだけの巨額の財政支出にも拘らず経済状況は好転せず更に悪化の兆しさえ見せている。そうなると、そもそもそのバブル崩壊をもたらした Wall Street の金融界に対する規制や管理というものはオバマ政権ではいかなるものとなっているのであろうか。
オバマ政権での金融規制改革法(Dodd-Frank Wall Street Reform and Consumer Protection Act)は一年前の 2010年7月21日に成立した。この法律は、金融安定監視協議会(FSOC)と金融消費者保護局(CFPB)の新たな設置と、ボルカー・ルールと言われる銀行が自己勘定取引行う事とヘッジファンドやプライベート。エクイティー・ファンドに出資する事を禁じる事が三本柱の内容となっている。
しかし、新たな組織や制度やルールを作ったところでそれらが果たしてどれだけバブル対策としての機能を発揮するかは今後の事であって、これで問題解決という事ではない。それ以上にオバマ政権として、どこまで本気で突っ込んでこの Wall Streetの暴走に歯止めをかけるかのその姿勢が大いに問われているのである。むしろオバマ大統領の実際の動きとしては、大統領再選も目指しての選挙資金確保の為の Wall Streetへの歩み寄りが目立つだけであり、どこまで弱者の味方であるかは大いに疑問視される所でもある。
財政危機は米国に限らず欧州各国とて同じだ。ドイツのメルケル首相とフランスのサルコジ大統領は既に金融投機の規制に関する税制である FST(Financial Speculation Tax)の導入に前向きだ。FSTは株式や先物、オプション、CDS等の金融取引に対し課税する事によって、過度な金融投機を抑制し、同時に新たなる税源を確保する事が狙いであるが、この概念としては既に FTT (Financial Transaction Tax) として古くは 1930年代にケインズが主張していたものでもある。
しからば政権発足当初に何故あれほど Wall Street の横暴を批判していたオバマ大統領はこの FSTの導入に言及さえしないのであろうか。それどころか、Wall Streetの金融業界が作り出したバブル投機とその崩壊を根源とする今回の財政危機問題では、結果的にそのしわ寄せの犠牲となるのは社会的弱者である低所得者や高齢者となるのであろう。我々の眼からは、肝心の元凶であるWall Streetはオバマ大統領によって聖域の様に守られているとしか見えない。
オバマ大統領側での妥協策としては Medicare (高齢者医療補償)や Social Security(年金)という entitlement と言われる義務的歳出項目の聖域にも削減の手を付ける方向を検討中であると言われている。従来、民主党は高齢者や低所得者の弱者の立場に立って社会的 safety netの拡充を目指す政策をとってきたが、defaultの危機を迎え増税を一切認めないとする野党共和党側との妥協策としてやむにやまれぬものなのであろう。
そもそも今回の Debt Limit問題の根源である巨額の財政赤字は、バブル崩壊による不況対策として景気刺激策に膨大な財政資金を投入した事が引き金である事は言うまでもない。しかもそれだけの巨額の財政支出にも拘らず経済状況は好転せず更に悪化の兆しさえ見せている。そうなると、そもそもそのバブル崩壊をもたらした Wall Street の金融界に対する規制や管理というものはオバマ政権ではいかなるものとなっているのであろうか。
オバマ政権での金融規制改革法(Dodd-Frank Wall Street Reform and Consumer Protection Act)は一年前の 2010年7月21日に成立した。この法律は、金融安定監視協議会(FSOC)と金融消費者保護局(CFPB)の新たな設置と、ボルカー・ルールと言われる銀行が自己勘定取引行う事とヘッジファンドやプライベート。エクイティー・ファンドに出資する事を禁じる事が三本柱の内容となっている。
しかし、新たな組織や制度やルールを作ったところでそれらが果たしてどれだけバブル対策としての機能を発揮するかは今後の事であって、これで問題解決という事ではない。それ以上にオバマ政権として、どこまで本気で突っ込んでこの Wall Streetの暴走に歯止めをかけるかのその姿勢が大いに問われているのである。むしろオバマ大統領の実際の動きとしては、大統領再選も目指しての選挙資金確保の為の Wall Streetへの歩み寄りが目立つだけであり、どこまで弱者の味方であるかは大いに疑問視される所でもある。
財政危機は米国に限らず欧州各国とて同じだ。ドイツのメルケル首相とフランスのサルコジ大統領は既に金融投機の規制に関する税制である FST(Financial Speculation Tax)の導入に前向きだ。FSTは株式や先物、オプション、CDS等の金融取引に対し課税する事によって、過度な金融投機を抑制し、同時に新たなる税源を確保する事が狙いであるが、この概念としては既に FTT (Financial Transaction Tax) として古くは 1930年代にケインズが主張していたものでもある。
しからば政権発足当初に何故あれほど Wall Street の横暴を批判していたオバマ大統領はこの FSTの導入に言及さえしないのであろうか。それどころか、Wall Streetの金融業界が作り出したバブル投機とその崩壊を根源とする今回の財政危機問題では、結果的にそのしわ寄せの犠牲となるのは社会的弱者である低所得者や高齢者となるのであろう。我々の眼からは、肝心の元凶であるWall Streetはオバマ大統領によって聖域の様に守られているとしか見えない。
2011年6月15日水曜日
共和党予備選候補討論会
来年の大統領選挙に向けての共和党予備選候補者の討論会が6月13日にニューハンプシャー州で行われた。2時間に亘るこの討論会は CNNで中継されたが、今回は実は第二回目の討論会である。第一回目は先月サウスカロライナ州で開かれているが、本命とされるミット・ロムニー氏、元下院議長のニュート・ギングリッチ氏、それに今回直前に新たに名乗り出た女性のミシェル・バックマン氏が不参加であったから、今回が実質的には第一弾と言えよう。
今後共和党予備選に立候補が見込まれるのが、前中国大使のジョン・ハンツマン氏、元ニューヨーク市長のルドルフ・ジュリアーニ氏、テキサス州知事のリック・ペリー氏などである。一時騒がれたサラ・ペーリン候補は今の所立候補の動きがない。
さて今回の討論会の見ものはなんと言っても本命とされて先頭をダントツで走るロムニー氏に他候補がどれだけ迫る事が出来るかであったが、結果はどうやらロムニー候補の1人勝の様相であった。ロムニー氏以外の 6候補の顔ぶれは、ニュート・ギングリッチ氏、ロン・ポール氏の古参組とハーマン・ケイン氏(経済人、黒人)とミシェル・バックマン氏(女性)の新参組、更には元上院議員のリック・サントラム氏と前ミネソタ州知事のティム・ポーレンティー氏の有力組の3派に分かれている。
今回の討論会でのロムニー氏の実質的な対抗馬はポーレンティー氏である。同氏はかねがねロムニー氏のマサチューセッツ州知事時代の医療制度をオバマ大統領の医療制度と重ね合わせる事で批判してきたのであるが、今回は初戦である事もあり、敢えて表面だった対決姿勢は見せない作戦をとっていた。ロムニー氏側も今回はもっぱら批判の矛先をオバマ大統領の「雇用機会を創出しないままに財政赤字を巨額に膨張させた」失政に向ける事にしていたので、結果的にはロムニー氏の独走体制は依然揺るぎない。
今回ロムニー氏の最も注目を浴びた発言は、当面の与野党間での争点である政府債務残高上限の引き上げ問題である。ロムニー氏の立場は「オバマ大統領が歳出削減へのリーダーシップを取らない限り引上げには賛成しない」と共和党内に共通するもので明確である。
今後ロムニー氏が最も注意し、かつある種の妥協が求められる相手は党内右派、つまり Tea Partyのグループであろう。今後党内右派はロムニー氏の候補擁立に対しあらゆる反対工作をしかけてくるであろう。現在のところの世論調査ではロムニー氏が右派のサラ・ペーリン氏をはるかに上回っているものの、今後のペーリン氏の動きが注目される。次回の討論会は 8月11日にアイオア州で行われる予定だ。まだまだ共和党内での長い戦いは始まったばかりである。
今後共和党予備選に立候補が見込まれるのが、前中国大使のジョン・ハンツマン氏、元ニューヨーク市長のルドルフ・ジュリアーニ氏、テキサス州知事のリック・ペリー氏などである。一時騒がれたサラ・ペーリン候補は今の所立候補の動きがない。
さて今回の討論会の見ものはなんと言っても本命とされて先頭をダントツで走るロムニー氏に他候補がどれだけ迫る事が出来るかであったが、結果はどうやらロムニー候補の1人勝の様相であった。ロムニー氏以外の 6候補の顔ぶれは、ニュート・ギングリッチ氏、ロン・ポール氏の古参組とハーマン・ケイン氏(経済人、黒人)とミシェル・バックマン氏(女性)の新参組、更には元上院議員のリック・サントラム氏と前ミネソタ州知事のティム・ポーレンティー氏の有力組の3派に分かれている。
今回の討論会でのロムニー氏の実質的な対抗馬はポーレンティー氏である。同氏はかねがねロムニー氏のマサチューセッツ州知事時代の医療制度をオバマ大統領の医療制度と重ね合わせる事で批判してきたのであるが、今回は初戦である事もあり、敢えて表面だった対決姿勢は見せない作戦をとっていた。ロムニー氏側も今回はもっぱら批判の矛先をオバマ大統領の「雇用機会を創出しないままに財政赤字を巨額に膨張させた」失政に向ける事にしていたので、結果的にはロムニー氏の独走体制は依然揺るぎない。
今回ロムニー氏の最も注目を浴びた発言は、当面の与野党間での争点である政府債務残高上限の引き上げ問題である。ロムニー氏の立場は「オバマ大統領が歳出削減へのリーダーシップを取らない限り引上げには賛成しない」と共和党内に共通するもので明確である。
今後ロムニー氏が最も注意し、かつある種の妥協が求められる相手は党内右派、つまり Tea Partyのグループであろう。今後党内右派はロムニー氏の候補擁立に対しあらゆる反対工作をしかけてくるであろう。現在のところの世論調査ではロムニー氏が右派のサラ・ペーリン氏をはるかに上回っているものの、今後のペーリン氏の動きが注目される。次回の討論会は 8月11日にアイオア州で行われる予定だ。まだまだ共和党内での長い戦いは始まったばかりである。
2011年6月13日月曜日
オバマ大統領の再選への動き
選挙民が常に移り気である事は米国であれ日本であれ洋の東西を問わない。来年の大統領選挙で再選を目指すオバマ大統領の人気は米国経済の雲行きが怪しくなってきているのと同時に、このところ更に下降気味だ。ちょうど 2009年の日本での総選挙での「政権交代」騒ぎの様に、2008年末の米国での「Change」の熱狂振りは一体何であったのであろうか。
オバマ大統領が選挙戦に勝利したのはリーマンショック直後の 2008年11月である。人々は不動産バブルの崩壊により自ら保有する株・証券・債券・住宅等の資産の壊滅的な目減りを嘆き、今こそこのバブルの張本人である Wall Streetのヘッジファンドや金融機関を厳しく規制すべきだとして、庶民の味方であるオバマ氏を選んだのかも知れない。
当時、オバマ大統領はこの Wall Streetの銀行家達を「Fat Cat」として厳しく非難したものだ。Fat Catとは政治用語で、選挙資金の大口献金により自らの利益の為に何かと政策に口出しする「御用商人」を意味する。オバマ大統領はまた同時にこうした銀行家達が驚くべき高額の所得を得ている事についても酷評していたのである。
しかし、その同じ大統領が今回は何と大統領再選出馬の正式発表を前にて、この Wall Streetの銀行家達をわざわざ White Houseの夕食会に招いたのである。更に近々ニュヨークの高級レストランに更なる数の銀行家達を招待して選挙戦への資金協力を訴える予定でもある。この背景にあるのは、ここに来て来年の大統領選での共和党の最有力候補とされるミット・ロムニー元マサチューセッツ知事が精力的に選挙資金集めのキャンペーンを開始しているからである。ロムニー氏こそは Venture Capitalの経営者としての経験からも、より Wall Street寄りのイメージが強い。また最近の世論調査ではオバマ氏よりもロムニー氏がその支持率において優勢だ。
オバマ大統領に対しては、その半アフリカ系という人種的な面と、貧困層の出身、更には弁護士として貧困地域でボランティア活動をしていた市民運動家という経歴から、日本人はともすれば庶民の味方との誤った印象を受けがちだ。
しかし、オバマ大統領こそは 2008年の大統領選で史上まれに見る最高額の$380百万(約304億円)という巨額の選挙資金をかき集めたまさに小沢氏もびっくりの「お金こそが全て」の金権なのである。小沢氏と違うのは表面上 internetでの個人献金という新しい手法を使うという事でよりクリーンなイメージを前面に出しつつ、実際はヘッジファンドやあらゆる既存組織からの献金が大きい事をうまく包み隠せていた点である。前回の大統領選挙での選挙資金拠出で協力したのは、ヘッジファンドのみならず、従来の民主党の支持基盤である労働組合、黒人・ヒスパニックのマイノリティー、環境保護団体、メディア、映画界であろう。
しかし、今回はいずれのグループにおいてもオバマ大統領への大きな落胆ぶりは隠せない。そこにおける実態というものは日本の民主党政権と同様に、「Change」の掛け声のもとにバラマキの空約束で選挙民をうまく釣れたとしても、現実の政策としては外交面でも財政面でもそう思い切った変革というものは出来ないという事だ。特に米国はオバマ政権に移行した以降の 2009年と2010年に巨額の財政赤字を積み重ねて、政府は今や経営破綻同然であり、世界の超大国の地位から滑り落ち様としている状態である。
政治の世界はまさにリアリティーの世界である。また政治は結果責任を問われる世界でもある。想定外の災害、想定外のバブル崩壊、いずいれも全く言い訳が効かない。果たして来年の選挙戦は ABO(anyone but Obama)となるのであろうか。
オバマ大統領が選挙戦に勝利したのはリーマンショック直後の 2008年11月である。人々は不動産バブルの崩壊により自ら保有する株・証券・債券・住宅等の資産の壊滅的な目減りを嘆き、今こそこのバブルの張本人である Wall Streetのヘッジファンドや金融機関を厳しく規制すべきだとして、庶民の味方であるオバマ氏を選んだのかも知れない。
当時、オバマ大統領はこの Wall Streetの銀行家達を「Fat Cat」として厳しく非難したものだ。Fat Catとは政治用語で、選挙資金の大口献金により自らの利益の為に何かと政策に口出しする「御用商人」を意味する。オバマ大統領はまた同時にこうした銀行家達が驚くべき高額の所得を得ている事についても酷評していたのである。
しかし、その同じ大統領が今回は何と大統領再選出馬の正式発表を前にて、この Wall Streetの銀行家達をわざわざ White Houseの夕食会に招いたのである。更に近々ニュヨークの高級レストランに更なる数の銀行家達を招待して選挙戦への資金協力を訴える予定でもある。この背景にあるのは、ここに来て来年の大統領選での共和党の最有力候補とされるミット・ロムニー元マサチューセッツ知事が精力的に選挙資金集めのキャンペーンを開始しているからである。ロムニー氏こそは Venture Capitalの経営者としての経験からも、より Wall Street寄りのイメージが強い。また最近の世論調査ではオバマ氏よりもロムニー氏がその支持率において優勢だ。
オバマ大統領に対しては、その半アフリカ系という人種的な面と、貧困層の出身、更には弁護士として貧困地域でボランティア活動をしていた市民運動家という経歴から、日本人はともすれば庶民の味方との誤った印象を受けがちだ。
しかし、オバマ大統領こそは 2008年の大統領選で史上まれに見る最高額の$380百万(約304億円)という巨額の選挙資金をかき集めたまさに小沢氏もびっくりの「お金こそが全て」の金権なのである。小沢氏と違うのは表面上 internetでの個人献金という新しい手法を使うという事でよりクリーンなイメージを前面に出しつつ、実際はヘッジファンドやあらゆる既存組織からの献金が大きい事をうまく包み隠せていた点である。前回の大統領選挙での選挙資金拠出で協力したのは、ヘッジファンドのみならず、従来の民主党の支持基盤である労働組合、黒人・ヒスパニックのマイノリティー、環境保護団体、メディア、映画界であろう。
しかし、今回はいずれのグループにおいてもオバマ大統領への大きな落胆ぶりは隠せない。そこにおける実態というものは日本の民主党政権と同様に、「Change」の掛け声のもとにバラマキの空約束で選挙民をうまく釣れたとしても、現実の政策としては外交面でも財政面でもそう思い切った変革というものは出来ないという事だ。特に米国はオバマ政権に移行した以降の 2009年と2010年に巨額の財政赤字を積み重ねて、政府は今や経営破綻同然であり、世界の超大国の地位から滑り落ち様としている状態である。
政治の世界はまさにリアリティーの世界である。また政治は結果責任を問われる世界でもある。想定外の災害、想定外のバブル崩壊、いずいれも全く言い訳が効かない。果たして来年の選挙戦は ABO(anyone but Obama)となるのであろうか。
2011年6月8日水曜日
Debt Ceiling(米連邦債務残高の上限規定)
米国では連邦政府の債務残高、つまり国債発行額の上限が議会により規定されている。 1917年の国債発行時に設定された115億ドルの上限以来、実に100回以上にもわたり、この連邦政府の債務残高の上限引上げが議会により繰返し承認されてきている。最近では 1995年から 12回にわたり上限引上げが行われているから、ほぼ毎年の恒例行事と言えるかも知れない。
しかし、今回は政府がリーマンショック後の金融危機回避の為に巨額の緊急対応を行った結果、2009年と2010年の各単年度赤字額は2年連続で2000年代に入っての年間平均赤字幅の4倍にもなる突出した額になってきている。まさに経営破綻寸前とも言える極めて異常で深刻な事態である。
既に米国政府の債務残高は現行の上限額である14兆2940億ドルに達している模様である。しかし、これが即 default、債務不履行の宣言となるかは別であり、政府としては何とか二つの年金支払いを先述べする事で二ヶ月先の 8月2日をその上限切上げ決定の期限としているのである。
そこでオバマ大統領としては、2023年までの約 2兆ドルの歳出削減と増税との組合せで4兆ドルの赤字削減案を提示する事で、何とか上限引上げを議会に承認させ様としているが、一方では下院で多数派を占める野党共和党は6兆ドルの歳出削減案を掲げての財政健全化を、上限引上げへの条件とするなどの揺さぶりをかけている。
歳出面を見ると(1) 医療費(高齢者と低所得者への援助) (2) 社会保障費(年金等) (3) 国防費 (4) 国債利払い、これらトップ4項目で実に歳出全体の 72%を占めていて、この中でも医療費と社会保障費の合計は42%と全体の半分近くになっている。
歳出項目を大別すれば、Entitlementと言われる社会保障費等の「義務的支出」(法律で毎年の歳出額が自動的に決まる)と、国防費や一般経費などの「裁量的支出」(毎年ごとに立法措置で歳出額が決まる)となるが、義務的支出には Pay-As-You-Go条項という財源確保条件が付けられていて、支出を増加させる場合はそれに見合う増税か、歳出削減がなされていなければならない。そこで四つの重要項目の中で歳出削減の手がつけ易いのが裁量的支出である第三番目の国防費である。
現在の上院仮議長(大統領、副大統領に次ぐ地位)であり、また上院歳出委員会委員長である日系のダニエル・イノウエ議員が来日した際に普天間基地移設問題に関し苛立ちを隠さない発言をしているのは、実は米議会内部で大幅な軍事費削減の圧力がある事を示唆しているものと思われる。つまり、米国は日本防衛、極東アジア防衛の為にいつまでも巨額をかけてまでその軍事的プレゼンスを維持できないぞという事であろう。
そうなれば中国は以下の三つの点から、米国に対しては格段に優位な地位に立つ事となる。
(1) 本来、米国債保有残高とドル建外貨準備高の両面から見れば、いずれも全体の 1/4を占める最大の債権国の地位にある
(2) 米国が財政危機から軍事費を削減せざるを得ず、極東アジアの軍事プレゼンスを後退させる可能性がある
(3) 日本が震災復興費用捻出の為にドル建外貨準備高の削減や米国債を売却する様な事になれば米国の中国への依存度が更に突出して高まる
安全保障面での日米関係を考える上では、米国は米国で財布の事情がある事を日本は充分認識しておくべきであろう。
しかし、今回は政府がリーマンショック後の金融危機回避の為に巨額の緊急対応を行った結果、2009年と2010年の各単年度赤字額は2年連続で2000年代に入っての年間平均赤字幅の4倍にもなる突出した額になってきている。まさに経営破綻寸前とも言える極めて異常で深刻な事態である。
既に米国政府の債務残高は現行の上限額である14兆2940億ドルに達している模様である。しかし、これが即 default、債務不履行の宣言となるかは別であり、政府としては何とか二つの年金支払いを先述べする事で二ヶ月先の 8月2日をその上限切上げ決定の期限としているのである。
そこでオバマ大統領としては、2023年までの約 2兆ドルの歳出削減と増税との組合せで4兆ドルの赤字削減案を提示する事で、何とか上限引上げを議会に承認させ様としているが、一方では下院で多数派を占める野党共和党は6兆ドルの歳出削減案を掲げての財政健全化を、上限引上げへの条件とするなどの揺さぶりをかけている。
歳出面を見ると(1) 医療費(高齢者と低所得者への援助) (2) 社会保障費(年金等) (3) 国防費 (4) 国債利払い、これらトップ4項目で実に歳出全体の 72%を占めていて、この中でも医療費と社会保障費の合計は42%と全体の半分近くになっている。
歳出項目を大別すれば、Entitlementと言われる社会保障費等の「義務的支出」(法律で毎年の歳出額が自動的に決まる)と、国防費や一般経費などの「裁量的支出」(毎年ごとに立法措置で歳出額が決まる)となるが、義務的支出には Pay-As-You-Go条項という財源確保条件が付けられていて、支出を増加させる場合はそれに見合う増税か、歳出削減がなされていなければならない。そこで四つの重要項目の中で歳出削減の手がつけ易いのが裁量的支出である第三番目の国防費である。
現在の上院仮議長(大統領、副大統領に次ぐ地位)であり、また上院歳出委員会委員長である日系のダニエル・イノウエ議員が来日した際に普天間基地移設問題に関し苛立ちを隠さない発言をしているのは、実は米議会内部で大幅な軍事費削減の圧力がある事を示唆しているものと思われる。つまり、米国は日本防衛、極東アジア防衛の為にいつまでも巨額をかけてまでその軍事的プレゼンスを維持できないぞという事であろう。
そうなれば中国は以下の三つの点から、米国に対しては格段に優位な地位に立つ事となる。
(1) 本来、米国債保有残高とドル建外貨準備高の両面から見れば、いずれも全体の 1/4を占める最大の債権国の地位にある
(2) 米国が財政危機から軍事費を削減せざるを得ず、極東アジアの軍事プレゼンスを後退させる可能性がある
(3) 日本が震災復興費用捻出の為にドル建外貨準備高の削減や米国債を売却する様な事になれば米国の中国への依存度が更に突出して高まる
安全保障面での日米関係を考える上では、米国は米国で財布の事情がある事を日本は充分認識しておくべきであろう。
2011年6月7日火曜日
QE2
FRBによる QE2が今月末に終了しようとしている。QE2とは量的緩和策(Quantitative Easing)第二弾の事である。量的緩和策とはFRBが国債やMBS(住宅ローン担保証券)を購入する事によって民間の金融機関に代わり、直接かつ多量に市場に必要資金を供給するものである。第一弾のQE1はリーマンショック後の金融危機が懸念された 2009年3月から 2010年3月までに実施され、国債のみならず MBSの買取りも行われた。一般的な量的緩和策は日本の日銀も2001年から 2006年の 5年間にわたり実施したが、QE2ほどの短期間に集中して大規模に行うものではなかった。
今回の第二弾では、昨年11月に、失業率の更なる悪化を懸念したFRBが8ヶ月間にわたり総額 6,000億ドル(約50兆円)もの国債の追加購入を行う事を決めたものである。これにより株価が若干回復して消費が伸びたものの、一方では余剰資金が原油市場に流れてガソリン価格の高騰(オバマ政権発足時から二倍の 水準の$4/ガロンを越した)を招き、米国内での消費を冷やすという副作用が出てきている。
それでは日本の国家予算の半分以上にもなる資金を市場に注いで、果たして失業率が改善され、住宅価格の下落が止まったのであろうか。現時点での答えはNOである。失業率は昨年11月の9.8%から今年3月の8.8%までに4ヶ月連続して下落してきたものの、4月からはこれが反転して5月との2ヶ月間は連続して再び 9%台へと上昇傾向を見せてきている。雇用者数に関しては、オバマ政権の景気刺激策により過去 5ヶ月間順調に回復してきたものの、その規模はリーマンショック後失われた600万人とも言われる雇用の回復には依然その足元にも及んでいない。それどころか、ここにきて雇用者数の増加率が縮小してきている。
また、S&PのCase-Shiller住宅価格指数によると、全米主要20都市での住宅価格は今年 3月にリーマンショック後の最安値を更新した。S&P 住宅価格指数は 2000年1月を100とした数字で毎月表されるが、そのピークは 2006年7月の 206.52 であり、今年3月時点での最安値での指数、138.16はピーク時の2/3となっている。
リーマンショック後の価格下落を見れば、2009年4月で価格は一旦底をついたが、その後のオバマ政権の住宅取得優遇策もあって若干の回復傾向を見せた。しかし、この優遇策も昨年前半で終了した事もあって、昨年 7月から 8ヶ月間連続で価格が下落してきており、今回の最安値更新はまさに二番底だと言えよう。
価格下落の主たる要因は、明らかにローン返済の滞りによる差押さえ(Foreclosure)物件の増加であろう。差押さえ物件の住宅販売全体に占める割合は、第一四半期における全米平均では約3割にもなり、州別では住宅バブルの激しかったネバダ州が53%、続くカリフォルニア州とアリゾナ州がそれぞれ 45%にものぼっている。これら差押さえ物件の価格は通常大幅に値引きされており、これが住宅価格全体を引下げるという悪影響を及ぼしている。
米国の抱える問題は金融政策の行き詰まりのみではない。より大きな問題は経営破綻寸前とも言われるほどの米国政府が抱える巨額の財政赤字問題である。米国では議会が国債発行額の上限を決めているが、既に現在の国債発行額は上限の 14兆2,940億ドル(約1,172兆円)に達してしまっている。今後議会があらたに上限額を引き上げない限り、政府は今期末までに必要とされる約 7,380億ドルの支出が出来なくなり、機能マヒに陥ってしまう事となる。
現在、米議会ではこの「国債発行上限額の引上げ」が「財政赤字削減額の幅」とからめての政治課題となり、来年の大統領選を見据えての共和・民主両党間での争点の中心となっている。従って、オバマ政権としては、2009年に実施した総額 7,870億(約65兆円)にものぼる景気刺激策の様な思い切った財政措置は最早打てる状況にはない。
以上、金融・財政両面での米国政府の打つ手は極めて限られてきており、今後の景気動向を見極める上での大きな懸念材料となっている。
今回の第二弾では、昨年11月に、失業率の更なる悪化を懸念したFRBが8ヶ月間にわたり総額 6,000億ドル(約50兆円)もの国債の追加購入を行う事を決めたものである。これにより株価が若干回復して消費が伸びたものの、一方では余剰資金が原油市場に流れてガソリン価格の高騰(オバマ政権発足時から二倍の 水準の$4/ガロンを越した)を招き、米国内での消費を冷やすという副作用が出てきている。
それでは日本の国家予算の半分以上にもなる資金を市場に注いで、果たして失業率が改善され、住宅価格の下落が止まったのであろうか。現時点での答えはNOである。失業率は昨年11月の9.8%から今年3月の8.8%までに4ヶ月連続して下落してきたものの、4月からはこれが反転して5月との2ヶ月間は連続して再び 9%台へと上昇傾向を見せてきている。雇用者数に関しては、オバマ政権の景気刺激策により過去 5ヶ月間順調に回復してきたものの、その規模はリーマンショック後失われた600万人とも言われる雇用の回復には依然その足元にも及んでいない。それどころか、ここにきて雇用者数の増加率が縮小してきている。
また、S&PのCase-Shiller住宅価格指数によると、全米主要20都市での住宅価格は今年 3月にリーマンショック後の最安値を更新した。S&P 住宅価格指数は 2000年1月を100とした数字で毎月表されるが、そのピークは 2006年7月の 206.52 であり、今年3月時点での最安値での指数、138.16はピーク時の2/3となっている。
リーマンショック後の価格下落を見れば、2009年4月で価格は一旦底をついたが、その後のオバマ政権の住宅取得優遇策もあって若干の回復傾向を見せた。しかし、この優遇策も昨年前半で終了した事もあって、昨年 7月から 8ヶ月間連続で価格が下落してきており、今回の最安値更新はまさに二番底だと言えよう。
価格下落の主たる要因は、明らかにローン返済の滞りによる差押さえ(Foreclosure)物件の増加であろう。差押さえ物件の住宅販売全体に占める割合は、第一四半期における全米平均では約3割にもなり、州別では住宅バブルの激しかったネバダ州が53%、続くカリフォルニア州とアリゾナ州がそれぞれ 45%にものぼっている。これら差押さえ物件の価格は通常大幅に値引きされており、これが住宅価格全体を引下げるという悪影響を及ぼしている。
米国の抱える問題は金融政策の行き詰まりのみではない。より大きな問題は経営破綻寸前とも言われるほどの米国政府が抱える巨額の財政赤字問題である。米国では議会が国債発行額の上限を決めているが、既に現在の国債発行額は上限の 14兆2,940億ドル(約1,172兆円)に達してしまっている。今後議会があらたに上限額を引き上げない限り、政府は今期末までに必要とされる約 7,380億ドルの支出が出来なくなり、機能マヒに陥ってしまう事となる。
現在、米議会ではこの「国債発行上限額の引上げ」が「財政赤字削減額の幅」とからめての政治課題となり、来年の大統領選を見据えての共和・民主両党間での争点の中心となっている。従って、オバマ政権としては、2009年に実施した総額 7,870億(約65兆円)にものぼる景気刺激策の様な思い切った財政措置は最早打てる状況にはない。
以上、金融・財政両面での米国政府の打つ手は極めて限られてきており、今後の景気動向を見極める上での大きな懸念材料となっている。
2011年4月29日金曜日
国勢調査結果に見る米国
米国でも国勢調査が10年ごとに行われるが、その2010 Censusの結果が公表されている。「州別」、「人種・民族別」の数字を見ると米国全体の人口変化の傾向がつかめるが、結論を簡単に纏めると以下の二点だ。
1. 州別では、「東部と中西部」から「南部と西部」へと人口比重のシフトがある
2. 人種・民族別では、民族別に見たヒスパニックの急激な増加傾向が見られる
人口の全体で見れば総人口は約 309百万人となり、2000年の約281百万人から約 27百万人、9.7%の増加である。増加率自体では前回の10年間(1990-2000年)の伸びの 33百万、13.2%を下回っているものの、1950年の人口である 151百万人からは60年間でおおよそ倍増している。
州別での全体に対する人口構成では、カリフォルニア 12%、テキサス 8%、ニューヨーク 6%、フロリダ 6%と従来からの big-4 で全体の人口の 32%で約1/3を占めている。この4州については企業の販売・マーケティング上や大統領選挙での集票の際には戦略上最も重要な地域である。更にこれに続くのが、イリノイ、ペンシルバニア、オハイオ、ミシガンの中西部 4州で合わせて全体の16%、その後はジョージア、ノースカロライナの南部2州が続きそれぞれ 3%づつとなる。
問題は州別の人口増加率である。増加率の高いものの順で見ると、ネバダ 35%、アリゾナ25%、ユタ 24%、アイダホ 21%と西部に著しい増加が見られる。その後はテキサス、ノースカロライナ、ジョージア、フロリダの南部がそれぞれおおよそ 20%増で続き、更に西部のコロラドと南部のサウスカロライナがそれぞれ 17%増と15増%で続く。要するに米国の人口増加は中西部や東部では最早見られず、南部と西部に集中しているという事である。この傾向は既に前回の調査時の1990-2000年の10年の間に同様に見られたが、それが20年間に亘り継続しているという事だ。
さて、注意すべき点は人種別・民族別の方である。この国勢調査では設問はまず二つに分けられる。第一は「Hispanic or Not」というもので、Hispanicという概念はrace (人種)ではなく、ethnicity(民族)に関するものである。Hispanicの中では更に 「メキシコ&メキシコ系」、「プエルトリコ」、「キューバ」、「その他」と分かれている。極めて大雑把に言えば、ニューヨークにはプエルトリコ、フロリダにはキューバ、テキサスとカリフォルニアにはメキシコからの移民が多い。
更に第二の設問で人種別の、「白人」、「黒人」、「アメリカインディアン」、アジア系の中の「ハワイ」、「中国」、「韓国」、「日本」、「ベトナム」等という風に分けられ、最後は「その他」となるのだ。従って、第一の設問でHispanicと答えた人は第二の設問で「白人」と答えるかもしれないし、「黒人」かも知れないという事だ。
例えば、メキシコの例をとれば、富裕層、インテリ層はスペイン系の白人であり、中間層にいわゆる我々が浅黒く口ヒゲをイメージする混血系があり、更に下層には小柄な原住民系のグループにと分かれる。この様に人種的には分かれていても「Hispanic or not」のethnic(民族性)な面では Hispanicという一つのグループとなる質問となっているのだ。
ここに米国と言う国の現状及び将来と人口動態の本質を見るべきであろう。今回の調査では米国全体では Hispanicは 16.3%であり not Hispanicは 83.7%である。増加率で見ると2000-2010年の10年で Hispanicは 43.0%に対し、not Hispanicは4.9% だけである。更に州別に見てHispanicの比率の高い順であげると、ニューメキシコ 46.3%、カリフォルニア 37.6%、テキサス 37.6%、ネバダ 26.5%、フロリダ 22.5%、と言う具合である。
つまりおおまかに言えば人口増加率の高い地域ほどHispanicの比率が高いという事である。こうなれば最早、白人がどれだけの比率を占めているかなどという区別は昔の話であって、まさにHispanicの比率が今後それだけ増え続けるのかという事で、この国の性格がどう変わっていくかの方を注視すべきであろう。
1. 州別では、「東部と中西部」から「南部と西部」へと人口比重のシフトがある
2. 人種・民族別では、民族別に見たヒスパニックの急激な増加傾向が見られる
人口の全体で見れば総人口は約 309百万人となり、2000年の約281百万人から約 27百万人、9.7%の増加である。増加率自体では前回の10年間(1990-2000年)の伸びの 33百万、13.2%を下回っているものの、1950年の人口である 151百万人からは60年間でおおよそ倍増している。
州別での全体に対する人口構成では、カリフォルニア 12%、テキサス 8%、ニューヨーク 6%、フロリダ 6%と従来からの big-4 で全体の人口の 32%で約1/3を占めている。この4州については企業の販売・マーケティング上や大統領選挙での集票の際には戦略上最も重要な地域である。更にこれに続くのが、イリノイ、ペンシルバニア、オハイオ、ミシガンの中西部 4州で合わせて全体の16%、その後はジョージア、ノースカロライナの南部2州が続きそれぞれ 3%づつとなる。
問題は州別の人口増加率である。増加率の高いものの順で見ると、ネバダ 35%、アリゾナ25%、ユタ 24%、アイダホ 21%と西部に著しい増加が見られる。その後はテキサス、ノースカロライナ、ジョージア、フロリダの南部がそれぞれおおよそ 20%増で続き、更に西部のコロラドと南部のサウスカロライナがそれぞれ 17%増と15増%で続く。要するに米国の人口増加は中西部や東部では最早見られず、南部と西部に集中しているという事である。この傾向は既に前回の調査時の1990-2000年の10年の間に同様に見られたが、それが20年間に亘り継続しているという事だ。
さて、注意すべき点は人種別・民族別の方である。この国勢調査では設問はまず二つに分けられる。第一は「Hispanic or Not」というもので、Hispanicという概念はrace (人種)ではなく、ethnicity(民族)に関するものである。Hispanicの中では更に 「メキシコ&メキシコ系」、「プエルトリコ」、「キューバ」、「その他」と分かれている。極めて大雑把に言えば、ニューヨークにはプエルトリコ、フロリダにはキューバ、テキサスとカリフォルニアにはメキシコからの移民が多い。
更に第二の設問で人種別の、「白人」、「黒人」、「アメリカインディアン」、アジア系の中の「ハワイ」、「中国」、「韓国」、「日本」、「ベトナム」等という風に分けられ、最後は「その他」となるのだ。従って、第一の設問でHispanicと答えた人は第二の設問で「白人」と答えるかもしれないし、「黒人」かも知れないという事だ。
例えば、メキシコの例をとれば、富裕層、インテリ層はスペイン系の白人であり、中間層にいわゆる我々が浅黒く口ヒゲをイメージする混血系があり、更に下層には小柄な原住民系のグループにと分かれる。この様に人種的には分かれていても「Hispanic or not」のethnic(民族性)な面では Hispanicという一つのグループとなる質問となっているのだ。
ここに米国と言う国の現状及び将来と人口動態の本質を見るべきであろう。今回の調査では米国全体では Hispanicは 16.3%であり not Hispanicは 83.7%である。増加率で見ると2000-2010年の10年で Hispanicは 43.0%に対し、not Hispanicは4.9% だけである。更に州別に見てHispanicの比率の高い順であげると、ニューメキシコ 46.3%、カリフォルニア 37.6%、テキサス 37.6%、ネバダ 26.5%、フロリダ 22.5%、と言う具合である。
つまりおおまかに言えば人口増加率の高い地域ほどHispanicの比率が高いという事である。こうなれば最早、白人がどれだけの比率を占めているかなどという区別は昔の話であって、まさにHispanicの比率が今後それだけ増え続けるのかという事で、この国の性格がどう変わっていくかの方を注視すべきであろう。
2011年4月20日水曜日
過越祭
米国の昨日 4月19日はユダヤ教の Passover 「過越祭」の日である。米国でカレンダーを買うと必ずユダヤ教の祝日も記載されているが、過越はヨム・キップル(10/7)とハヌカ(12/20)と並びユダヤ教では大事な祝日だ。過越は正確に言えば前日18日の日没から始まる。ルース米大使のツイートでも「昨夜も、今晩も家族と友人と共にユダヤ教のセデルの晩餐を楽しみました。過ぎ越しの祭りにみなさんの幸福を祈ります。」と大使らしく敬虔だ。
昔子供の頃に初めて聖書を読んだ時に「過越の祭り」でイエスがどうしたとかの事が書いてあっても、今ひとつ何の事か背景が良く理解出来ない事があったし、あの映画「十戒」を見て、兵士が家々を回って男の子の赤ちゃんを殺していくというシーンに子供ながらに衝撃を感じた事もある。しかし、それらは西洋社会では極めて重要な史実でもあるというのが判るのはもう少し大人になってからの話だ。
その昔、モーゼがエジプトのファラオに奴隷となっているヘブライ人を自由にする様に頼んだが、ファラオはそれを拒絶した為、神がエジプト人に「全ての初子を撃つ」という災いの罰を与えたというお話からだ。そこでヘブライ人の家の門には子羊の血を塗り目印とする事で、この神の災いが過ぎ去る(過越)というのが過越の由来だ。仏教徒の日本人には「子羊の血を塗る」というだけでも何とも血なまぐさく恐ろしい話であろうが、他民族による支配が当たり前の中東や欧州は平和な島国日本とはそもそも歴史の血生臭さが違うのだ。
さてその後の歴史でも近年まで迫害、差別、離散で苦労を強いられ続けてきたユダヤ人達にとっては自由の国アメリカは「故国」イスラエル以上の安住の地だ。彼らにとっては何よりも身の安全が保障される永住権や市民権が取れる事と、ドルという世界最強通貨で資産を維持運用できる事の魅力は絶大だ。それに米国政府は歴代いかなる政権でも常に故国イスラエルを「血を分けた同盟国」としての立場で強固な関係を維持してくれるので、この米国にはいかなる国にも変えがたい信頼感がある。
日本人にとっては普段日本ではほとんど接触する機会のないユダヤ人とも、米国企業と取引をしたり米国に住む事で接する機会は大いに増え、また彼らに対する理解もより深まるのは大変恵まれた事だ。私個人の事を言えば、米国に住むユダヤ人とのお付合いでは例えば世話になる弁護士、重要取引先、ビジネスパートナー、不動産取引の相手といったあらゆる局面で少なくない。勿論、ユダヤ人にも色々な人間がいると思うので一概に言うのは妥当ではないが、自らの経験だけを振り返れば、ユダヤ人の人々の印象と評価はすこぶる良い。勤勉で真面目で真摯で誠実で質素で謙虚、とくれば日本人のメンタリティーに合わないわけがない。巷に言われている貪欲で陰謀のかたまりのユダヤ人などはどこにいるのかと思うほどだ。
米国へのユダヤ人の移民は、彼らのルーツの欧州域内での離散流浪先によりアシュケナージと言われるドイツ系とスファラディと言われるラテン系の二種類に分かれるが、この二派の間でも外観や気質の違いはある様だ。例えば、知合いのスファラディ系のおばさんはスペイン語の姓を持ち、気質もラテン的でのんびりしており、住宅バブル投資に失敗しサブプライムローン返済に困ると言う風である。一方、彼女をクライアントとする不動産屋のアシュケナージ系おばさんの姓は完全なドイツ語であり、気質もしっかりしすぎるほど厳しいという風にである。
米国における政治、科学、学問、芸術、音楽、法律、医学、経営といった知的職業分野でのユダヤ人の活躍は目覚しい。彼らユダヤ人の事を思うと、今回の大震災での放射性物質汚染で某隣国が「日本沈没」と騒ぎたてた様な事態ともなれば、果たして日本人もあの「日猶同祖論」なるものが現実となってこの米国で生きていくしかない運命なのであろうかという思いが一瞬頭をよぎった次第だ。
昔子供の頃に初めて聖書を読んだ時に「過越の祭り」でイエスがどうしたとかの事が書いてあっても、今ひとつ何の事か背景が良く理解出来ない事があったし、あの映画「十戒」を見て、兵士が家々を回って男の子の赤ちゃんを殺していくというシーンに子供ながらに衝撃を感じた事もある。しかし、それらは西洋社会では極めて重要な史実でもあるというのが判るのはもう少し大人になってからの話だ。
その昔、モーゼがエジプトのファラオに奴隷となっているヘブライ人を自由にする様に頼んだが、ファラオはそれを拒絶した為、神がエジプト人に「全ての初子を撃つ」という災いの罰を与えたというお話からだ。そこでヘブライ人の家の門には子羊の血を塗り目印とする事で、この神の災いが過ぎ去る(過越)というのが過越の由来だ。仏教徒の日本人には「子羊の血を塗る」というだけでも何とも血なまぐさく恐ろしい話であろうが、他民族による支配が当たり前の中東や欧州は平和な島国日本とはそもそも歴史の血生臭さが違うのだ。
さてその後の歴史でも近年まで迫害、差別、離散で苦労を強いられ続けてきたユダヤ人達にとっては自由の国アメリカは「故国」イスラエル以上の安住の地だ。彼らにとっては何よりも身の安全が保障される永住権や市民権が取れる事と、ドルという世界最強通貨で資産を維持運用できる事の魅力は絶大だ。それに米国政府は歴代いかなる政権でも常に故国イスラエルを「血を分けた同盟国」としての立場で強固な関係を維持してくれるので、この米国にはいかなる国にも変えがたい信頼感がある。
日本人にとっては普段日本ではほとんど接触する機会のないユダヤ人とも、米国企業と取引をしたり米国に住む事で接する機会は大いに増え、また彼らに対する理解もより深まるのは大変恵まれた事だ。私個人の事を言えば、米国に住むユダヤ人とのお付合いでは例えば世話になる弁護士、重要取引先、ビジネスパートナー、不動産取引の相手といったあらゆる局面で少なくない。勿論、ユダヤ人にも色々な人間がいると思うので一概に言うのは妥当ではないが、自らの経験だけを振り返れば、ユダヤ人の人々の印象と評価はすこぶる良い。勤勉で真面目で真摯で誠実で質素で謙虚、とくれば日本人のメンタリティーに合わないわけがない。巷に言われている貪欲で陰謀のかたまりのユダヤ人などはどこにいるのかと思うほどだ。
米国へのユダヤ人の移民は、彼らのルーツの欧州域内での離散流浪先によりアシュケナージと言われるドイツ系とスファラディと言われるラテン系の二種類に分かれるが、この二派の間でも外観や気質の違いはある様だ。例えば、知合いのスファラディ系のおばさんはスペイン語の姓を持ち、気質もラテン的でのんびりしており、住宅バブル投資に失敗しサブプライムローン返済に困ると言う風である。一方、彼女をクライアントとする不動産屋のアシュケナージ系おばさんの姓は完全なドイツ語であり、気質もしっかりしすぎるほど厳しいという風にである。
米国における政治、科学、学問、芸術、音楽、法律、医学、経営といった知的職業分野でのユダヤ人の活躍は目覚しい。彼らユダヤ人の事を思うと、今回の大震災での放射性物質汚染で某隣国が「日本沈没」と騒ぎたてた様な事態ともなれば、果たして日本人もあの「日猶同祖論」なるものが現実となってこの米国で生きていくしかない運命なのであろうかという思いが一瞬頭をよぎった次第だ。
2011年4月14日木曜日
米国の財政赤字
オバマ大統領は13日、今後12年間で4兆ドル(340兆円)の財政赤字削減策を目指す計画を発表した。現在の財政赤字幅の対GDP比 11%を2015年までに 2.5%以内に抑えるというものだが実現は難しいだろう。因みに2010年度で各国の財政赤字対GDP比は日本が 9.8%、米国が11%、PIGSのアイルランド12.2%、スペイン 10.4%、ポルトガル 8.8%、ギリシャ 8.1%である。
日本の場合の財政赤字は、国債の殆どを国内の金融機関が引受ける事で賄われており、その原資の殆どが国内資金である所が米国との違いだ。これがゆえに日本は政府債務残高が世界一でありながら、一方では対外純資産残高では世界一の債権国と言う結果となっている。米国の場合は国債の引受先を中国、日本はじめ諸外国に依存している為に、政府債務残高では世界でトップクラスであり、かつ対外債務残高でもダントツの世界一の債務国である。
米国の財政赤字額をグラフ化するといかに驚くべきものかが一目瞭然だ。それは 2008年9月のリーマンショック以降、2009年度(2009年9月末まで)が 1.4兆ドルと2000年以降の水準である 平均 0.3兆ドルの5倍近くに急増しており、続く2010年度も1.6兆ドルと更に過去最高記録を更新する見込みだ。また、これによって連邦政府の累積債務残高は昨年2月に米議会が連邦債務上限法で決めた上限の14.3兆ドルを4月には越えるほどの勢いで膨らんでいる。 また債務残高のGDP比ではこれも史上最高の100%(政府保有の金融資産込みのグロス)となる見込みだ。因みに日本の政府債務残高は約10兆ドルでGDP比約180%(同じくグロス)である。
オバマ政権側ではこの上限の引上げを議会に求めているが財政の健全化を主張する多数派の共和党は反対の姿勢を示しており、このままだと米国債の発行や利払いに支障を来たして米国債に対する信用問題につながりかねない危機的状況だ。
この財政赤字の悪化は言うまでもなく、(1) リーマンショック後の景気後退による税収減と7,870億ドルの景気刺激策の歳出増 (2) それ以前からの高齢化と医療費高騰による医療・社会保障費の増大 (3) 2001年、2003年に11年間総額 1.7兆ドルの大型減税を実施した事(1998-2001年の 4年間はいわゆる冷戦終結に伴う平和の配当として財政黒字になった事から) (4) イラク戦争、アフガン戦争の戦費は累計で1兆ドルに達している事、これらが主因である。
歳出面を項目別にグラフ化すれば、これも一目瞭然であるが、(1) 医療費(高齢者と低所得者への援助) (2) 社会保障費(年金等) (3) 国防費 (4) 国債利払い、これら4項目で実に歳出全体の 72%を占めていて、この中でも医療費と社会保障費の合計は42%と全体の半分近くになっている。歳出項目を大別すれば、Entitlementと言われる社会保障費等の「義務的支出」(法律で毎年の歳出額が自動的に決まる)と、国防費や一般経費などの「裁量的支出」(毎年ごとに立法措置で歳出額が決まる)となるが、義務的支出には Pay-As-You-Go条項という財源確保条件が付けられていて、支出を増加させる場合はそれに見合う増税か歳出削減がなされていなければならない。
オバマ大統領としては、この Entitlement(義務的支出)の削減に手を付け、更には裁量的支出の国防費等の伸びを凍結する計画である。いずれにせよ、共和党の主張する財政の健全化と大型減税か、あるいはオバマ政権の目指す景気と雇用の回復か、この辺のバランスが難しいところであり、これが当面の与野党の駆引きの焦点だ。
日本の場合の財政赤字は、国債の殆どを国内の金融機関が引受ける事で賄われており、その原資の殆どが国内資金である所が米国との違いだ。これがゆえに日本は政府債務残高が世界一でありながら、一方では対外純資産残高では世界一の債権国と言う結果となっている。米国の場合は国債の引受先を中国、日本はじめ諸外国に依存している為に、政府債務残高では世界でトップクラスであり、かつ対外債務残高でもダントツの世界一の債務国である。
米国の財政赤字額をグラフ化するといかに驚くべきものかが一目瞭然だ。それは 2008年9月のリーマンショック以降、2009年度(2009年9月末まで)が 1.4兆ドルと2000年以降の水準である 平均 0.3兆ドルの5倍近くに急増しており、続く2010年度も1.6兆ドルと更に過去最高記録を更新する見込みだ。また、これによって連邦政府の累積債務残高は昨年2月に米議会が連邦債務上限法で決めた上限の14.3兆ドルを4月には越えるほどの勢いで膨らんでいる。 また債務残高のGDP比ではこれも史上最高の100%(政府保有の金融資産込みのグロス)となる見込みだ。因みに日本の政府債務残高は約10兆ドルでGDP比約180%(同じくグロス)である。
オバマ政権側ではこの上限の引上げを議会に求めているが財政の健全化を主張する多数派の共和党は反対の姿勢を示しており、このままだと米国債の発行や利払いに支障を来たして米国債に対する信用問題につながりかねない危機的状況だ。
この財政赤字の悪化は言うまでもなく、(1) リーマンショック後の景気後退による税収減と7,870億ドルの景気刺激策の歳出増 (2) それ以前からの高齢化と医療費高騰による医療・社会保障費の増大 (3) 2001年、2003年に11年間総額 1.7兆ドルの大型減税を実施した事(1998-2001年の 4年間はいわゆる冷戦終結に伴う平和の配当として財政黒字になった事から) (4) イラク戦争、アフガン戦争の戦費は累計で1兆ドルに達している事、これらが主因である。
歳出面を項目別にグラフ化すれば、これも一目瞭然であるが、(1) 医療費(高齢者と低所得者への援助) (2) 社会保障費(年金等) (3) 国防費 (4) 国債利払い、これら4項目で実に歳出全体の 72%を占めていて、この中でも医療費と社会保障費の合計は42%と全体の半分近くになっている。歳出項目を大別すれば、Entitlementと言われる社会保障費等の「義務的支出」(法律で毎年の歳出額が自動的に決まる)と、国防費や一般経費などの「裁量的支出」(毎年ごとに立法措置で歳出額が決まる)となるが、義務的支出には Pay-As-You-Go条項という財源確保条件が付けられていて、支出を増加させる場合はそれに見合う増税か歳出削減がなされていなければならない。
オバマ大統領としては、この Entitlement(義務的支出)の削減に手を付け、更には裁量的支出の国防費等の伸びを凍結する計画である。いずれにせよ、共和党の主張する財政の健全化と大型減税か、あるいはオバマ政権の目指す景気と雇用の回復か、この辺のバランスが難しいところであり、これが当面の与野党の駆引きの焦点だ。
2011年4月13日水曜日
クリントン国務長官
クリントン国務長官が17日に来日する予定である。ヒラリー・クリントン氏に対する2008年大統領選予備選での反対陣営からの批判は、「冷たい、見下す、傲慢」の「上から目線」の3点セットであったが、国務長官就任後の彼女の評判は決して悪くはない。2009年4月のオバマ大統領のプラハでのいわゆる「核廃絶宣言」の直後には、滞在先の中東ですかさず「中東の同盟国が核の脅威にさらされる様な場合には米国は同盟国に対し、核の傘の供与を躊躇しない」と明言した。つまりイランによるサウディ、イスラエルへの武力攻撃を牽制したのである。もとよりオバマ大統領の「核廃絶宣言」なるものはルーピー首相の国連での 25 by 25 (2025年までにCO2排出量を25%削減する)宣言と同様、実現性のない空虚な政治ショーにすぎない。その点、クリントン国務長官の方が国際政治の現実をより理解していると思われる。
さて今回のクリントン氏の訪日目的は何か。まさかわざわざ大震災のお悔やみと励ましに来るのではあるまい。ある元外交官氏によれば、ルーピー首相辞任の前にはキャンベル国務次官補が来日したので、今回は菅首相に引導を渡しに来るのではとの解説をされていたが、そんな事は絶対ないと言い切れないのが菅政権の現状だ。しかし間違いなく言える事は、今回の大規模な米軍の支援の日本政府への大きな「貸し」に対する何がしかの見返りを求めて来るという事であろう。国際政治の現実は善意や同情などの甘い感情が入り込む余地のない、国益の激しいぶつかり合いだ。現在米国が日本に求めるものは2点、それは普天間基地移設問題の解決(外交軍事)と米国の財政赤字縮小への協力(経済協力)である。
民主党政権になってからはすっかり日本政府の外交音痴が諸外国にあからさまに知れ渡る結果となった。菅政権では尖閣海保問題に始まり、ロシア政府の北方領土問題への対応姿勢、そして極め付きは今回の大震災での福島原発問題での後手後手の対応振りである。国際社会はこぞって菅氏の指導者としての能力に疑問を感じ、不信感さえ抱いている。そういう中での米国の国益を一身に背負っての国務長官の来日である。それはもうクリントン氏にとっては外交経験などなきに等しい無能の菅氏、松本氏とは何事を交渉するにしても「赤子の手を捻る以上にた易い」事であろう。
ヒラリー・クリントン氏と言えば誰もが思い出すのが、2008年の民主党大統領候補予備選の時にテレビで流された彼女の感情の起伏である。最初は1月のアイオワ州での予備選初戦でオバマ、エドワーズの両候補に敗れて最下位になった後、集会で支持者からの質問を受けて珍しく涙ぐんだ事である。それまでの彼女のイメージは何事も強気一辺倒であり、米国人の間では「これではビルが浮気するのも判るな」とささやかれるほどの人物だ。その彼女が前人気にも拘らず予備選初戦で最下位になった事のショックが大きかったのであろう。
次はその2ヵ月後、オバマ陣営側からの negative campaignに対し、演説の最後で“Shame on you, Barack Obama.”(バラク・オバマ、あなたみっともないわよ!)と怒りを露わにして結んだ事だ。これは3月のオハイオ、テキサスでの予備選を控えての劣勢挽回の為の強気姿勢のイメージ作りでもあった。その後各地での予備選では一時は盛り返したが、結局はオバマ候補優勢の流れとなってしまったのである。選挙戦でのテレビで映し出されるイメージはあなどれない。こうした彼女の感情の起伏が、終始冷静なオバマ氏との対比でマイナスになったのではないかと思われる。
しかし、国務長官になってからの彼女は政治家としての成熟度も増し、大統領夫人時代からの国際舞台での経験と本来の強気キャラがプラスに作用したのか、なかなかのご活躍ぶりである。国連人権委員会ではIt is time for Gaddafi to go. と強い調子でのカダフィ批判を表明した一方では、リビア空爆には消極姿勢を示すなど外交面でのしたたかさを見せている。さて、これを書き終わって Twitterを見てみれば「クリントンさん、早く来て菅氏に引導を渡して欲しい」との書き込みあり。一日一日ごとに国益を損ねているという菅政権の終わりは近い。
さて今回のクリントン氏の訪日目的は何か。まさかわざわざ大震災のお悔やみと励ましに来るのではあるまい。ある元外交官氏によれば、ルーピー首相辞任の前にはキャンベル国務次官補が来日したので、今回は菅首相に引導を渡しに来るのではとの解説をされていたが、そんな事は絶対ないと言い切れないのが菅政権の現状だ。しかし間違いなく言える事は、今回の大規模な米軍の支援の日本政府への大きな「貸し」に対する何がしかの見返りを求めて来るという事であろう。国際政治の現実は善意や同情などの甘い感情が入り込む余地のない、国益の激しいぶつかり合いだ。現在米国が日本に求めるものは2点、それは普天間基地移設問題の解決(外交軍事)と米国の財政赤字縮小への協力(経済協力)である。
民主党政権になってからはすっかり日本政府の外交音痴が諸外国にあからさまに知れ渡る結果となった。菅政権では尖閣海保問題に始まり、ロシア政府の北方領土問題への対応姿勢、そして極め付きは今回の大震災での福島原発問題での後手後手の対応振りである。国際社会はこぞって菅氏の指導者としての能力に疑問を感じ、不信感さえ抱いている。そういう中での米国の国益を一身に背負っての国務長官の来日である。それはもうクリントン氏にとっては外交経験などなきに等しい無能の菅氏、松本氏とは何事を交渉するにしても「赤子の手を捻る以上にた易い」事であろう。
ヒラリー・クリントン氏と言えば誰もが思い出すのが、2008年の民主党大統領候補予備選の時にテレビで流された彼女の感情の起伏である。最初は1月のアイオワ州での予備選初戦でオバマ、エドワーズの両候補に敗れて最下位になった後、集会で支持者からの質問を受けて珍しく涙ぐんだ事である。それまでの彼女のイメージは何事も強気一辺倒であり、米国人の間では「これではビルが浮気するのも判るな」とささやかれるほどの人物だ。その彼女が前人気にも拘らず予備選初戦で最下位になった事のショックが大きかったのであろう。
次はその2ヵ月後、オバマ陣営側からの negative campaignに対し、演説の最後で“Shame on you, Barack Obama.”(バラク・オバマ、あなたみっともないわよ!)と怒りを露わにして結んだ事だ。これは3月のオハイオ、テキサスでの予備選を控えての劣勢挽回の為の強気姿勢のイメージ作りでもあった。その後各地での予備選では一時は盛り返したが、結局はオバマ候補優勢の流れとなってしまったのである。選挙戦でのテレビで映し出されるイメージはあなどれない。こうした彼女の感情の起伏が、終始冷静なオバマ氏との対比でマイナスになったのではないかと思われる。
しかし、国務長官になってからの彼女は政治家としての成熟度も増し、大統領夫人時代からの国際舞台での経験と本来の強気キャラがプラスに作用したのか、なかなかのご活躍ぶりである。国連人権委員会ではIt is time for Gaddafi to go. と強い調子でのカダフィ批判を表明した一方では、リビア空爆には消極姿勢を示すなど外交面でのしたたかさを見せている。さて、これを書き終わって Twitterを見てみれば「クリントンさん、早く来て菅氏に引導を渡して欲しい」との書き込みあり。一日一日ごとに国益を損ねているという菅政権の終わりは近い。
2011年4月8日金曜日
中国人留学生
新聞報道によると、中国ジャスミン革命の発起人が実は米国の大学や大学院に留学する中国人留学生である事が判ったらしい。これに対し、中国国内の民主派からは「海外の安全な所に身を置いて行動を求める声には同調出来ない」との反発も出ている様だ。しかし、言論の自由が保障されている米国にいる留学生が internetというツールを使って行動を呼びかける事は民主化を求める側に残された数少ない手段だ。例え「安全な所に身を置いて」と批判されても、何ら恥じる必要はない。彼らには彼らにしか出来ない役割があるのだから。
昨年11月末の拙ブログの「米国への留学生」というタイトルで、Institute of International Education (IIE、米国NPO、国際教育研究所)が ”Open Doors 2010” というタイトルで発表した2010年度における米国の大学への留学生に関する数字を紹介させて頂いた。今でもこのタイトルにはアクセス数が多くいつもトップグループに入っている。この数字の中で顕著なのは中国からの留学生が昨年比 30%アップの急増で全留学生全体で最大の18%を占めている一方、日本からの留学生が昨年比14%ダウンで年々急激な落ち込みを見せている事だ。これを学生に限らない日本の若者の「内向きと引きこもり」現象と捉えるのも正しいだろうが、中国の場合はその留学生の急増の背景は複雑だ。
中国の若者で勉学の道を進むものであれば、多少なりとも自国の体制が矛盾と欺瞞に満ちたものである事に気付くだろう。しかし、それを指摘し改革しようと思っても中国国内には言論の自由がないどころか、自らの身に危険さえ及ぶ。彼らにとっては勉学という大義名分でいち早く中国から逃げ出し、米国と言う自由の国に住み、出来ればそのまま永住し、更には米国の市民権を取得してしまう事が何にも増しての個人としての最優先希望事項であり、また死活問題でさえある。この点については、言論の自由が当たり前で、何事にも恵まれすぎている日本の若者にはあまり理解されないであろう。
米国西海岸では今や中国からの留学生を見ない日はないというほどの押し寄せぶりだ。同じ中国語を喋る「中華系」と言っても、(1) 昔労働移民として大陸からやって来た中国人の子孫、つまり米国生まれの中国人、(2) 戦後香港や東南アジアから移住してきた中国人、(3) 更には中国人ではない台湾人であるが台湾からの移民、と合わせると大別して4種類になる。現在押し寄せてきている中国人留学生の場合は、その服装や英語、立ち居ふるまいから他の3種類の中華系との違いは歴然としている。しかし、一様に彼ら留学生は勉学の機会が与えられたという事よりも何よりもこの自由の国米国に来ている喜びをあらためて感じている様に見受けられる。
米国はもともと国外の圧政、弾圧、迫害、言論封殺、政治的差別、宗教的差別から逃れてきている人達を暖かく迎え入れる国である。西海岸だけでも古くは国民党支配から逃れてきた台湾人、旧フセイン政権から逃れてきたイラク人、イランの現体制から逃れてきたイラン人、旧南ベトナム政権の人々、ミャンマーの軍事独裁政権に対抗する人々、チベット解放運動のチベット族、天安門事件以降逃げ出した中国人と様々なグループがあり、彼らが一様に安心して暮らせる場所であり、また反体制運動の国外拠点にもなっている国だ。
ドイツもまた、最近その受け入れの条件はかなり制限されてきているとは言え、西独時代からドイツの憲法に該当する基本法の第十六条二項で、政治的な理由で迫害を受けた人々の亡命受け入れを保障して来ている。それは言論の自由のない東欧社会主義体制の国々と接してきて、厳しい国際政治の現実に直面してきた事によるのは言うまでもない。「安全と自由」はタダという平和ボケ日本人も、本国で迫害を受け米国や欧州に逃げてきた様々な人々と接する事で Freedom is not free (自由はタダではない).をあらためて認識させられるのだ。
昨年11月末の拙ブログの「米国への留学生」というタイトルで、Institute of International Education (IIE、米国NPO、国際教育研究所)が ”Open Doors 2010” というタイトルで発表した2010年度における米国の大学への留学生に関する数字を紹介させて頂いた。今でもこのタイトルにはアクセス数が多くいつもトップグループに入っている。この数字の中で顕著なのは中国からの留学生が昨年比 30%アップの急増で全留学生全体で最大の18%を占めている一方、日本からの留学生が昨年比14%ダウンで年々急激な落ち込みを見せている事だ。これを学生に限らない日本の若者の「内向きと引きこもり」現象と捉えるのも正しいだろうが、中国の場合はその留学生の急増の背景は複雑だ。
中国の若者で勉学の道を進むものであれば、多少なりとも自国の体制が矛盾と欺瞞に満ちたものである事に気付くだろう。しかし、それを指摘し改革しようと思っても中国国内には言論の自由がないどころか、自らの身に危険さえ及ぶ。彼らにとっては勉学という大義名分でいち早く中国から逃げ出し、米国と言う自由の国に住み、出来ればそのまま永住し、更には米国の市民権を取得してしまう事が何にも増しての個人としての最優先希望事項であり、また死活問題でさえある。この点については、言論の自由が当たり前で、何事にも恵まれすぎている日本の若者にはあまり理解されないであろう。
米国西海岸では今や中国からの留学生を見ない日はないというほどの押し寄せぶりだ。同じ中国語を喋る「中華系」と言っても、(1) 昔労働移民として大陸からやって来た中国人の子孫、つまり米国生まれの中国人、(2) 戦後香港や東南アジアから移住してきた中国人、(3) 更には中国人ではない台湾人であるが台湾からの移民、と合わせると大別して4種類になる。現在押し寄せてきている中国人留学生の場合は、その服装や英語、立ち居ふるまいから他の3種類の中華系との違いは歴然としている。しかし、一様に彼ら留学生は勉学の機会が与えられたという事よりも何よりもこの自由の国米国に来ている喜びをあらためて感じている様に見受けられる。
米国はもともと国外の圧政、弾圧、迫害、言論封殺、政治的差別、宗教的差別から逃れてきている人達を暖かく迎え入れる国である。西海岸だけでも古くは国民党支配から逃れてきた台湾人、旧フセイン政権から逃れてきたイラク人、イランの現体制から逃れてきたイラン人、旧南ベトナム政権の人々、ミャンマーの軍事独裁政権に対抗する人々、チベット解放運動のチベット族、天安門事件以降逃げ出した中国人と様々なグループがあり、彼らが一様に安心して暮らせる場所であり、また反体制運動の国外拠点にもなっている国だ。
ドイツもまた、最近その受け入れの条件はかなり制限されてきているとは言え、西独時代からドイツの憲法に該当する基本法の第十六条二項で、政治的な理由で迫害を受けた人々の亡命受け入れを保障して来ている。それは言論の自由のない東欧社会主義体制の国々と接してきて、厳しい国際政治の現実に直面してきた事によるのは言うまでもない。「安全と自由」はタダという平和ボケ日本人も、本国で迫害を受け米国や欧州に逃げてきた様々な人々と接する事で Freedom is not free (自由はタダではない).をあらためて認識させられるのだ。
2011年3月31日木曜日
「したたかな国」日本へ
「甦れ美しい日本」になって欲しいと思うが、同時に「したたかな国日本」にも是非なって欲しいと提唱したい。政治、外交とは本来「したたかなに振舞う」という事ではないかと思う。誤解を恐れず言い方を変えれば、目的の為には手段を選ばない「何でもあり」の世界だ。政治も外交も結果が求められているのであって、高邁な理念があっても結果的に国民を幸せにし、安全、安心を守り、国益を最大限追求するという事が実現できなければ、政治家にしろ外交官にしろいくら「死ぬほど努力しました」と言ってみたところで、評価されない筈だ。それはまた結果責任を求められるビジネスに於いてもあてはまるのは言うまでもない。この「したたかさ」において、小沢氏、小泉氏は日本の政界においては両雄にも思えて来るが、おそらく両者間の間では、お互い深く理解しあっている部分があるのではないかと思う。
外国に於いては、「したたかさ」と「何でもあり」と言う面において米国人は実に良く鍛えられている。それも東部、中西部の人間よりも西海岸の米国人の若者はトップクラスだろう。「米国人はこうだ」というのは巨象をなでる様なもので様々な面があり、なかなか勇気のいるものだが、それでも日本人との比較において、あるいは欧州人との比較において、と考えるとある程度的が絞られて来る。例えば、米国の企業での毎年恒例の給与交渉の例を上げてみよう。特に中小の会社で米国人社員一人一人と新年度の給与について業績評価とともに交渉するとなると彼らのその「したたかさ」が如実に出て実にシンドイ。小さい企業やあるいは事業所ともなると、一致協力して目的を達成するという事から、普段は社員の間である種の連帯感なり親密感というのも生まれてくるのはどこの国でも同じだ。しかし、一旦給与、即ち個人レベルでのお金の話となると彼らの人格ががらりと変わってしまうのには感心させられる。
もともと米国人は「沈黙アレルギー」の様なものがあって、例えばマンションのエレベーターの中で見知らぬ人と一緒になっても、目が合うとスマイルするのは勿論、すぐに何らかの意味のない簡単な会話が成立する。彼らは数秒間でも沈黙でいる事は居心地が悪いのだ。そういう米国人との交渉ともなると普段にもまして饒舌になり、また感情表現も豊かになる。彼らの交渉の武器になるのは往々にして社員一人一人に対して責任範囲が明確に決められているJob Descriptionという職務内容記述書だ。That’s not my job! 米国人の部下からこの言葉を聞かない上司はいないであろう。勿論、そう来るのは判っているので上司の側でも理論武装等の対抗策は準備されている。それでもああ言えばこう言うと、まあこれがコミュニケーションだと割切るしかない。
更には自分の満足が行かない結果となるとわめき散らすは(泣き出すのもいるらしい)、おきまりの「他社からオファーがある」とか言い出だすやら(そんならどうぞと言うのが良いが)、騒がしい。それでも、翌日あたりになると昨日の給与交渉の時の騒ぎは無かった様にケロッとしてまた再びスマイル&冗談で働いてくれるという所がまるでガキの様でもある。こんなのはまだまだ「したたかさ」にも入らないほどの序の口ではあるが、解雇されそうになると女房と幼子を事務所に連れて来て泣き落としするとか、有名なセクハラ訴訟の落とし穴等々生き延びる為の「何でもあり」の実例は山とある。
米国で事業をやり、ある程度の成功と収益を得ようとすれば、こういう米国人達と米国流でお付合いしなければならず、またそれに対するある一定の知識なり、経験なり、技術なり、度胸なりといったものも身に付ける柔軟性が求められる。何事も日本流で日本人の美意識と倫理観で物事を進める事が出来ないのであるから、そこは日本人であれ、欧州人であれ、より「したかかさ」が必要となる。
政治もしかり、外交もしかり。勿論、ビジネスでもしかり。ただただ米国流金融帝国主義(そんなものがあるのかどうか知らないが)を嫌いあるいは恐れるのではいっその事また江戸時代の鎖国に戻るのが良いのかも知れない。事実、あの恫喝威嚇を繰り返す隣人中国様との関係でも江戸時代あるいは戦後の冷戦時代の様に日本とはお互い鎖国状態であった時期こそが最良であったなどという説も充分うなづける。しかし、もう相互依存の国際化がここまで進めば後戻りは出来ない。上記の米国人との給与交渉の時の様に日本人側では呆れかえる様なキツイ、シンドイ事に対しても抵抗力をしっかりつけて、彼らよりもより「したたかに」なるのが最良であろう。米国流「したたかさ」にある程抵抗力のついた米国に住む日本人の人達からすれば、慣れてしまえばそれはそれで「あいつ(米国人社員の事)ら馬鹿だな」と仲間内での笑い話のタネともなり楽しいものにもなるのかも知れない。
外国に於いては、「したたかさ」と「何でもあり」と言う面において米国人は実に良く鍛えられている。それも東部、中西部の人間よりも西海岸の米国人の若者はトップクラスだろう。「米国人はこうだ」というのは巨象をなでる様なもので様々な面があり、なかなか勇気のいるものだが、それでも日本人との比較において、あるいは欧州人との比較において、と考えるとある程度的が絞られて来る。例えば、米国の企業での毎年恒例の給与交渉の例を上げてみよう。特に中小の会社で米国人社員一人一人と新年度の給与について業績評価とともに交渉するとなると彼らのその「したたかさ」が如実に出て実にシンドイ。小さい企業やあるいは事業所ともなると、一致協力して目的を達成するという事から、普段は社員の間である種の連帯感なり親密感というのも生まれてくるのはどこの国でも同じだ。しかし、一旦給与、即ち個人レベルでのお金の話となると彼らの人格ががらりと変わってしまうのには感心させられる。
もともと米国人は「沈黙アレルギー」の様なものがあって、例えばマンションのエレベーターの中で見知らぬ人と一緒になっても、目が合うとスマイルするのは勿論、すぐに何らかの意味のない簡単な会話が成立する。彼らは数秒間でも沈黙でいる事は居心地が悪いのだ。そういう米国人との交渉ともなると普段にもまして饒舌になり、また感情表現も豊かになる。彼らの交渉の武器になるのは往々にして社員一人一人に対して責任範囲が明確に決められているJob Descriptionという職務内容記述書だ。That’s not my job! 米国人の部下からこの言葉を聞かない上司はいないであろう。勿論、そう来るのは判っているので上司の側でも理論武装等の対抗策は準備されている。それでもああ言えばこう言うと、まあこれがコミュニケーションだと割切るしかない。
更には自分の満足が行かない結果となるとわめき散らすは(泣き出すのもいるらしい)、おきまりの「他社からオファーがある」とか言い出だすやら(そんならどうぞと言うのが良いが)、騒がしい。それでも、翌日あたりになると昨日の給与交渉の時の騒ぎは無かった様にケロッとしてまた再びスマイル&冗談で働いてくれるという所がまるでガキの様でもある。こんなのはまだまだ「したたかさ」にも入らないほどの序の口ではあるが、解雇されそうになると女房と幼子を事務所に連れて来て泣き落としするとか、有名なセクハラ訴訟の落とし穴等々生き延びる為の「何でもあり」の実例は山とある。
米国で事業をやり、ある程度の成功と収益を得ようとすれば、こういう米国人達と米国流でお付合いしなければならず、またそれに対するある一定の知識なり、経験なり、技術なり、度胸なりといったものも身に付ける柔軟性が求められる。何事も日本流で日本人の美意識と倫理観で物事を進める事が出来ないのであるから、そこは日本人であれ、欧州人であれ、より「したかかさ」が必要となる。
政治もしかり、外交もしかり。勿論、ビジネスでもしかり。ただただ米国流金融帝国主義(そんなものがあるのかどうか知らないが)を嫌いあるいは恐れるのではいっその事また江戸時代の鎖国に戻るのが良いのかも知れない。事実、あの恫喝威嚇を繰り返す隣人中国様との関係でも江戸時代あるいは戦後の冷戦時代の様に日本とはお互い鎖国状態であった時期こそが最良であったなどという説も充分うなづける。しかし、もう相互依存の国際化がここまで進めば後戻りは出来ない。上記の米国人との給与交渉の時の様に日本人側では呆れかえる様なキツイ、シンドイ事に対しても抵抗力をしっかりつけて、彼らよりもより「したたかに」なるのが最良であろう。米国流「したたかさ」にある程抵抗力のついた米国に住む日本人の人達からすれば、慣れてしまえばそれはそれで「あいつ(米国人社員の事)ら馬鹿だな」と仲間内での笑い話のタネともなり楽しいものにもなるのかも知れない。
2011年3月24日木曜日
ルース大使
ルース米国大使が東北地方の被災地現場を訪問し、避難所で見知らぬ子供と温かみのあるハグをしたり、被災者達を前に涙声で感想を漏らしたりする様子が映像で伝えれている。同時に大使館側ではルース大使の Twitterアカウントを使い日に10回くらいの頻度でさかんに大使の被災地訪問の感想やあるいは米軍の支援活動の様子を刻々と伝えている。この点は雲隠れしたのか被災者達の前どころかメディアの前にさえ全く姿を現さないという「異常、無能」な菅総理とは対照的だ。
ルース大使はサンフランシスコ生まれで、名門スタンフォード大学卒業のトップクラスの弁護士だ。オバマ大統領によるルース大使の指名は、大統領選での選挙資金集めに尽力した功績からというのが理由にあげられているが、おそらくそれだけではないだろう。本命とされていたジョセフ・ナイ教授があまりにも知日派であって日本とのパイプが皆無に近いオバマ氏にとっては使いにくいという事と、何よりもこのルース大使の政界には汚されていないフレッシュな柔軟性と身のこなし方によるところが大きいのではないかと思う。
ルース大使は本来、極めて有能、優秀な米国の弁護士である。弁護士は弁護士としての能力と適性と経験が求められる一方、相手側との交渉、駆引き、論争という面からその身のこなし方というのも重要な要素である事は言うまでもない。また究極的には交渉相手側をもうならせてしまうほどの卓越した、信頼できる人柄というのも事と場合によっては大事だ。欧米でのビジネスではとても日本の比ではないほどの頻度と濃度で弁護士を起用し、また弁護士と接触、相談する機会が増える。例えば企業にとっては、会社設立からはじまり合弁契約、委託生産契約、ライセンス契約、長期供給契約、総代理店契約等の契約書は、その企業や事業の存立そのものに関わる最重要事項ともいえるものである。
そうした契約交渉の事前準備においてはドラフト、つまり原稿段階での顧客との綿密な協議と作戦準備というものが求められる。そこにおける弁護士側の腕のみせどころはいかに徹底した「性悪説」に徹する事が出来るかどうかにかかってくる。ありとあらゆる「想定外」のケースに備えて、顧客側での不測の事態においても顧客の利益を守り通すというのがプロとしての職務だ。例えば、契約書において、「この契約書に取り決められていない事態が発生したら、契約当事者間において誠意を持って話合い、問題解決にあたる」などと言う文言が良く見られるが、これは本来契約書の趣旨ではない。それはまず、何を持って「誠意」というのか、いかなる形での「協議」を示すのかが極めてあいまいで具体的ではなく、ただの心の慰みでしかないからだ。
本来、性悪説というものは相手側に最大の悪意があると決め付けての事を前提にしての立場であるから、それを前提での交渉では当然の事ながら相手側に不快感を味あわせ、傷つけ、不信感をあらわにする事にもつながりかねず、そうなればお互いが感情論になって本来の契約自体が成立たなくなるという結果につながりかねない。そこでは交渉時における交渉当事者としての人格や魅力、身のこなし方、場合によっては「演技」も重要なものとなってくる。一言で言えば「衣の下の鎧」をいかに上手にきれいに優雅に隠し通せるかという事だ。
おそらくルース大使の弁護士としての有能、優秀さはこういう「真摯で誠実」(そう)な人柄によるところが大きいと見ている。外交交渉を表してよく「机の下での足の蹴りあい」と言われるがまさにこれも同様だ。高級ワインを飲みながら、相手側の知識、経験、キャパ、人格、信頼性全てを冷静に見定めるのはビジネス面でも全く同じである。まあ一言で言えばビジネスマンからすれば菅氏の様な人物が相手の交渉では、これは「要注意」「信頼できない」「ずるい」とされるのは間違いない。と同時にこちら側からすれば逆に「無能で弱い」人間だから、この際徹底的に攻撃に出られるとも判断できる相手だ。
こうなるとルース大使が流した被災現場での涙というものは、果たしてその人柄からのものか、職業上のものであるか、あるいはその混合型のものかどうかが判ってくる。
ルース大使はサンフランシスコ生まれで、名門スタンフォード大学卒業のトップクラスの弁護士だ。オバマ大統領によるルース大使の指名は、大統領選での選挙資金集めに尽力した功績からというのが理由にあげられているが、おそらくそれだけではないだろう。本命とされていたジョセフ・ナイ教授があまりにも知日派であって日本とのパイプが皆無に近いオバマ氏にとっては使いにくいという事と、何よりもこのルース大使の政界には汚されていないフレッシュな柔軟性と身のこなし方によるところが大きいのではないかと思う。
ルース大使は本来、極めて有能、優秀な米国の弁護士である。弁護士は弁護士としての能力と適性と経験が求められる一方、相手側との交渉、駆引き、論争という面からその身のこなし方というのも重要な要素である事は言うまでもない。また究極的には交渉相手側をもうならせてしまうほどの卓越した、信頼できる人柄というのも事と場合によっては大事だ。欧米でのビジネスではとても日本の比ではないほどの頻度と濃度で弁護士を起用し、また弁護士と接触、相談する機会が増える。例えば企業にとっては、会社設立からはじまり合弁契約、委託生産契約、ライセンス契約、長期供給契約、総代理店契約等の契約書は、その企業や事業の存立そのものに関わる最重要事項ともいえるものである。
そうした契約交渉の事前準備においてはドラフト、つまり原稿段階での顧客との綿密な協議と作戦準備というものが求められる。そこにおける弁護士側の腕のみせどころはいかに徹底した「性悪説」に徹する事が出来るかどうかにかかってくる。ありとあらゆる「想定外」のケースに備えて、顧客側での不測の事態においても顧客の利益を守り通すというのがプロとしての職務だ。例えば、契約書において、「この契約書に取り決められていない事態が発生したら、契約当事者間において誠意を持って話合い、問題解決にあたる」などと言う文言が良く見られるが、これは本来契約書の趣旨ではない。それはまず、何を持って「誠意」というのか、いかなる形での「協議」を示すのかが極めてあいまいで具体的ではなく、ただの心の慰みでしかないからだ。
本来、性悪説というものは相手側に最大の悪意があると決め付けての事を前提にしての立場であるから、それを前提での交渉では当然の事ながら相手側に不快感を味あわせ、傷つけ、不信感をあらわにする事にもつながりかねず、そうなればお互いが感情論になって本来の契約自体が成立たなくなるという結果につながりかねない。そこでは交渉時における交渉当事者としての人格や魅力、身のこなし方、場合によっては「演技」も重要なものとなってくる。一言で言えば「衣の下の鎧」をいかに上手にきれいに優雅に隠し通せるかという事だ。
おそらくルース大使の弁護士としての有能、優秀さはこういう「真摯で誠実」(そう)な人柄によるところが大きいと見ている。外交交渉を表してよく「机の下での足の蹴りあい」と言われるがまさにこれも同様だ。高級ワインを飲みながら、相手側の知識、経験、キャパ、人格、信頼性全てを冷静に見定めるのはビジネス面でも全く同じである。まあ一言で言えばビジネスマンからすれば菅氏の様な人物が相手の交渉では、これは「要注意」「信頼できない」「ずるい」とされるのは間違いない。と同時にこちら側からすれば逆に「無能で弱い」人間だから、この際徹底的に攻撃に出られるとも判断できる相手だ。
こうなるとルース大使が流した被災現場での涙というものは、果たしてその人柄からのものか、職業上のものであるか、あるいはその混合型のものかどうかが判ってくる。
2011年3月9日水曜日
仏教の「精神修養」
日本人が米国人に英語で仏教のエッセンスについて説明しようとするとこれは至難の技となる。例えば「空」 Emptiness、「無」 Nothingnessで説明すれば、聞く側からは「それでは全てが何の意味も持たない」「それは宗教ではなく、対極にあるニヒリズムである」という反応しか出て来ない筈だ。それ以前に我々自身が仏教とは何かという事についての理論武装さえ出来ていない事が充分認識される。そんな中で日本の仏教界では若手の僧侶が積極的に米国に留学して博士号を取得したり、更には大学教授として米国人学生に仏教について講義をしている例もある。あの仏教徒であるAppleのCEO Steve Jobs氏の様に、近年特に理系、工学系の米国人学生の間では仏教に興味を示す学生が増えていて大学側でもそのニーズに応えているのであろう。近代的合理性と科学万能主義という「唯物」の世界を突き詰めて行くと、そういったものを超越したmeditationや philosophyという「唯心」の世界を求めるのであろうか。
先日、カリフォルニア大学バークレー校で講座を持つ臨済宗の僧侶で住職でもある方からお話を聴く機会を得た。禅宗の臨済宗は言うまでもなく、座禅を中心とする修行を行う事で「自分を見つめる」事に主眼をおく教えを持っているが、実際にその僧堂(雲水の修行道場)でいかなる事が行われているかをスライドで説明して頂いた。あまり一般には公開されていないという写真のスライドごとに付記された文字をメモしただけでも庭詰、旦過詰、粥座、斎座、飯台、参禅、托鉢。作務、園頭畑、新到参堂、殿司、開静、典座、止静、接心、警策、公案、経行、解定、開枕と、僧堂での厳しい生活を現す専門用語も我々俗世間の人間には新鮮だ。しかし、極寒の時期や蚊の多い極暑の時期を通じて朝の 3時から夜の 10時までを 2-3年粗食に耐えひたすら修行に励み自己を見つめるという生活は想像するだけでも俗人にはとても無理な世界だ。
実はこの講師の方の祖父も父親もメディアを通じて有名な僧侶で、ベストセラーとなった著作やNHK教育テレビのシリーズでそれぞれ「般若心経」を判り易く解説をされた方々だが残念な事に最近お二人とも相次いで他界された様だ。講師はまた二人のご兄弟も揃って僧侶との事であり、芥川賞作家として日本で人気の僧侶の方も同じ宗派の兄弟子にあたるらしく、厳しい修行に耐えた姿を想像させない臨済宗のエリート家系のプリンス的風貌である。
臨済宗と言えば、個人的には京都を訪問して日本の美を体感出来るのはこの宗派の建仁寺、大徳寺、東福寺の三つを上げたい。全ての無駄な装飾を排し、自然の美と調和し、洗練された素朴な美しさには日本人ならずとも脳波に響くものがある筈だ。これらのお寺では毎回必ずと言って良いほどフランスやドイツといった欧州からの観光客の姿を眼にする。いずれもがもの静かに立ち止まり、あるいは縁側に座ってしばしの間静寂の時間を堪能している様に思える。深い歴史と伝統、文化を背景とする彼ら欧州人には何事も合理性と科学性をよりどころとする米国人よりも日本人に近い共通した感覚があるのであろう。
こうして見ると、あらためて日本仏教とキリスト教の違いは何かとの思いを抱かせるものだが、一般的に我々俗人には日本仏教はキリスト教よりもその布教のエネルギーや救済の具体的行動力の面では控え目に見える。しかし逆に「聖書にはこう書かれている」といった教条的な色彩はなく、あくまで個人の内面を追求する言わば精神修養的な「自立と自律」の世界ではないかと思える。
末期症状的民主党政権のお粗末な現状のもと、日本の政治には今何が求められているのかという面で日本国民自らが己を見つめ直すには、その「自立と自律」の為の「精神修養的」な観点が必要だ。まずは2009年の政権交代を喜び騒いだ「世論依存」の大いなる過ちを反省し、一体この民主党政権という詐欺師的な集団は何だったのかと言う本質を見直し総括するという事が必要だ。
先日、カリフォルニア大学バークレー校で講座を持つ臨済宗の僧侶で住職でもある方からお話を聴く機会を得た。禅宗の臨済宗は言うまでもなく、座禅を中心とする修行を行う事で「自分を見つめる」事に主眼をおく教えを持っているが、実際にその僧堂(雲水の修行道場)でいかなる事が行われているかをスライドで説明して頂いた。あまり一般には公開されていないという写真のスライドごとに付記された文字をメモしただけでも庭詰、旦過詰、粥座、斎座、飯台、参禅、托鉢。作務、園頭畑、新到参堂、殿司、開静、典座、止静、接心、警策、公案、経行、解定、開枕と、僧堂での厳しい生活を現す専門用語も我々俗世間の人間には新鮮だ。しかし、極寒の時期や蚊の多い極暑の時期を通じて朝の 3時から夜の 10時までを 2-3年粗食に耐えひたすら修行に励み自己を見つめるという生活は想像するだけでも俗人にはとても無理な世界だ。
実はこの講師の方の祖父も父親もメディアを通じて有名な僧侶で、ベストセラーとなった著作やNHK教育テレビのシリーズでそれぞれ「般若心経」を判り易く解説をされた方々だが残念な事に最近お二人とも相次いで他界された様だ。講師はまた二人のご兄弟も揃って僧侶との事であり、芥川賞作家として日本で人気の僧侶の方も同じ宗派の兄弟子にあたるらしく、厳しい修行に耐えた姿を想像させない臨済宗のエリート家系のプリンス的風貌である。
臨済宗と言えば、個人的には京都を訪問して日本の美を体感出来るのはこの宗派の建仁寺、大徳寺、東福寺の三つを上げたい。全ての無駄な装飾を排し、自然の美と調和し、洗練された素朴な美しさには日本人ならずとも脳波に響くものがある筈だ。これらのお寺では毎回必ずと言って良いほどフランスやドイツといった欧州からの観光客の姿を眼にする。いずれもがもの静かに立ち止まり、あるいは縁側に座ってしばしの間静寂の時間を堪能している様に思える。深い歴史と伝統、文化を背景とする彼ら欧州人には何事も合理性と科学性をよりどころとする米国人よりも日本人に近い共通した感覚があるのであろう。
こうして見ると、あらためて日本仏教とキリスト教の違いは何かとの思いを抱かせるものだが、一般的に我々俗人には日本仏教はキリスト教よりもその布教のエネルギーや救済の具体的行動力の面では控え目に見える。しかし逆に「聖書にはこう書かれている」といった教条的な色彩はなく、あくまで個人の内面を追求する言わば精神修養的な「自立と自律」の世界ではないかと思える。
末期症状的民主党政権のお粗末な現状のもと、日本の政治には今何が求められているのかという面で日本国民自らが己を見つめ直すには、その「自立と自律」の為の「精神修養的」な観点が必要だ。まずは2009年の政権交代を喜び騒いだ「世論依存」の大いなる過ちを反省し、一体この民主党政権という詐欺師的な集団は何だったのかと言う本質を見直し総括するという事が必要だ。
2011年3月2日水曜日
TED会議
昨日から西海岸の Long Beachで TEDコンファレンスというユニークな会議が開催されている。TEDとはその頭文字で表される Technology, Entertainment, Designの各分野からの人々が毎年春に南カリフォルニアの Long Beachと Palm Springsに集まり、自由な発想とアイデアに基づく講演とプレゼンテーションを行うという NPO組織の会議である。技術、エンタメ、デザインというソフト産業は米国が最も得意とする分野であるが、これらの分野に拘らずこの集まりでは環境問題、エネルギー問題、病気・貧困対策等地球規模の問題も取り上げられている。
この会議の特徴は、組織や肩書が重視される日本社会の会議とは違って、あくまで個人としての参加が前提であり、組織や国家の枠には捉われず、各人の持つアイデアや主張がしっかりと絞り込まれている事だ。米国で開催されるメインの会議には月500ドルの会費を払うだけで誰でもが参加できるが言語は英語だけである。また講演者の発表内容は YouTubeで無料で公開されおり、参加者でなくともその内容を知る事が出来る。この会議はちょうどスイスで毎年開かれるボス会議の様なデファクト的なものではあるが、既に日本の外ではこういう大きな流れが始まっているのだ。
この公開されている講演の一例を上げて見よう。今やPhilanthropist(慈善事業家)と紹介されるビル・ゲーツ氏による 2009年の「マラリア撲滅の為の蚊の駆除」というテーマの講演である。ゲーツ氏はこの動画の冒頭でThe market does not drive scientists, communicators, governments and thinkers to do the right thing. と述べている。つまり市場経済では現在の地球規模の問題は解決できないと断言しているのである。従ってこの会議が「いかに次の時代の商品開発をやれば儲かるのか」といった次元のものではない事を示している。もう一つの例は、ある若手音楽家が YouTubeを使って世界中からの多くの人々が同じ曲を歌う動画映像を集めて virtual chorusというものを実現している。実際のコーラスの練習は息を合わせるのが中々難しく練習に時間がかかるものらしいが、そういう音楽技術的なものも乗り越えて完成させたものは多くの見知らぬ人々の繋がりを感じさせて感動さえ与えるものである。
今年は慈善事業家としての Bill Gates氏と Harvard大学で生命科学分野の研究で有名な Juan Enriquez氏の話が目玉とされているが、講演者の中には韓国人等のアジア人の名前も見られものの、日本人の講演はここでも皆無、ゼロである。日本からは脳科学者の茂木健一郎氏はじめこれらの分野に詳しい人々が個人で参加し、こういう日本の「蚊帳の外」の現状を嘆きつつも、早速現場からツィートしている。今までに政界からはクリントン元大統領やアル・ゴア元副大統領が講演を行っているが、ゴア氏は今年も顔をだしている様だ。
振り返って日本のメディアは朝から晩まで大学入試の携帯でのカンニングのニュース一色だ。本当に日本のマスメディアは民主党政権同様、揃いも揃って末期的状況である。一社でもこの 重要なTED会議のニュースを伝えている所はあるのであろうか。
この会議の特徴は、組織や肩書が重視される日本社会の会議とは違って、あくまで個人としての参加が前提であり、組織や国家の枠には捉われず、各人の持つアイデアや主張がしっかりと絞り込まれている事だ。米国で開催されるメインの会議には月500ドルの会費を払うだけで誰でもが参加できるが言語は英語だけである。また講演者の発表内容は YouTubeで無料で公開されおり、参加者でなくともその内容を知る事が出来る。この会議はちょうどスイスで毎年開かれるボス会議の様なデファクト的なものではあるが、既に日本の外ではこういう大きな流れが始まっているのだ。
この公開されている講演の一例を上げて見よう。今やPhilanthropist(慈善事業家)と紹介されるビル・ゲーツ氏による 2009年の「マラリア撲滅の為の蚊の駆除」というテーマの講演である。ゲーツ氏はこの動画の冒頭でThe market does not drive scientists, communicators, governments and thinkers to do the right thing. と述べている。つまり市場経済では現在の地球規模の問題は解決できないと断言しているのである。従ってこの会議が「いかに次の時代の商品開発をやれば儲かるのか」といった次元のものではない事を示している。もう一つの例は、ある若手音楽家が YouTubeを使って世界中からの多くの人々が同じ曲を歌う動画映像を集めて virtual chorusというものを実現している。実際のコーラスの練習は息を合わせるのが中々難しく練習に時間がかかるものらしいが、そういう音楽技術的なものも乗り越えて完成させたものは多くの見知らぬ人々の繋がりを感じさせて感動さえ与えるものである。
今年は慈善事業家としての Bill Gates氏と Harvard大学で生命科学分野の研究で有名な Juan Enriquez氏の話が目玉とされているが、講演者の中には韓国人等のアジア人の名前も見られものの、日本人の講演はここでも皆無、ゼロである。日本からは脳科学者の茂木健一郎氏はじめこれらの分野に詳しい人々が個人で参加し、こういう日本の「蚊帳の外」の現状を嘆きつつも、早速現場からツィートしている。今までに政界からはクリントン元大統領やアル・ゴア元副大統領が講演を行っているが、ゴア氏は今年も顔をだしている様だ。
振り返って日本のメディアは朝から晩まで大学入試の携帯でのカンニングのニュース一色だ。本当に日本のマスメディアは民主党政権同様、揃いも揃って末期的状況である。一社でもこの 重要なTED会議のニュースを伝えている所はあるのであろうか。
2011年2月26日土曜日
米国の新幹線計画
オバマ政権が2009年の政権発足と同時に打ち出した米国内の東部、中西部、フロリダ、カリフォルニア、テキサス等での高速鉄道計画は環境対策と雇用機会創出というのがうたい文句だ。これに対しJR東海等の日本企業が日本の新幹線売り込みへの期待感を大いに持っていると報じられている。しかし、結論から言えば日本の新幹線売り込みには何重ものハードルがあって、ほぼ実現性はないと見ておいた方が良いだろう。
そのハードルを順序良く説明していけば、財政面、経営面、費用対効果面、競合面で次の通りとなる。
1. オバマ政権の連邦政府が各州の高速鉄道計画に約130億ドルを拠出し、そのうち 80億 ドルをフロリダとカリフォルニアに使うというものらしいが、果たして連邦と州いずれもがそれぞれ巨額の財政赤字を抱える中、費用対効果がはっきりしないこの計画が最終的に認められるかどうかは疑問である。昨年の中間選挙では「小さな政府」を掲げる共和党が圧勝した結果、既にフロリダ州の様に新任知事が早々とこの計画自体を取りやめ、連邦政府の資金援助を返上する所も出てきている。
2. そもそも過去の米国の歴史で長距離旅客鉄道を開発してきたのは全て民間会社であり、また鉄道自体が今では一部の大都市近郊の例を除きその殆どが貨物専用列車となっていて、連邦政府や州政府に旅客用長距離高速鉄道の安全管理や保全技術に関する知識と経験は全く蓄積されていない。また民間会社がこの高速鉄道計画に協力するという事も考えられず、むしろ反対の意向さえ示している。
3. まず何よりも日本の新幹線が発展した輸送環境と米国の輸送環境は全くもって違うものであり、費用対効果に関しては調査するまでもなく国民経済全体としても採算の合うものではないだろう。その理由はカリフォルニア州だけでも日本以上の面積であり、国土が広すぎて、結局は高速鉄道を利用するのは一部の低所得者層か自動車運転が難しくなる老人世代だけとなる可能性がある。一例を挙げれば、ロサンゼルスやサンフランシスコといった大都市間だけを例え高速鉄道で結んだとしてもそれぞれのターミナルから郊外の自宅やオフィスまでの間の距離が長く、そこまでの公共交通機関が整備されていないので、結局は航空機か自動車を使った方がトータルでは安くて便利となる事が容易に予想される。
4. 仮に万一、上記の財政面と費用対効果の両面が何とかクリアされて、高速鉄道整備が実現化される事となったとしても、一番のハードルは韓国と中国との厳しい価格競争に勝たねばならないという点だ。日本の新幹線の様に 5-10分刻みの過密スケジュールで新幹線を走らせるという高等な技術は米国の鉄道にはオーバースペックで全くそぐわないという事だ。要はこの高速鉄道が中間層・富裕層や要人、ビジネスエリートが日本並みに頻繁に利用する基幹の交通機関とならなければ、安ければそこそこのもので良いという事になる筈だ。従ってまずはコスト面から中国(川崎重工が供与したブラックボックスなしの技術をそのまま使える)が最有力候補であり、次の候補が韓国であろう。それにこの両国関係者による米国の地元でのロビー活動は強力で、日本勢はこの面ではとても勝てない。もとよりカリフォルニア州では両国からの移民数が圧倒的に多い事もある。
前原さん、無駄な新幹線売り込みの政治パフォーマンスなどはもうおやめなさいという事だ。
そのハードルを順序良く説明していけば、財政面、経営面、費用対効果面、競合面で次の通りとなる。
1. オバマ政権の連邦政府が各州の高速鉄道計画に約130億ドルを拠出し、そのうち 80億 ドルをフロリダとカリフォルニアに使うというものらしいが、果たして連邦と州いずれもがそれぞれ巨額の財政赤字を抱える中、費用対効果がはっきりしないこの計画が最終的に認められるかどうかは疑問である。昨年の中間選挙では「小さな政府」を掲げる共和党が圧勝した結果、既にフロリダ州の様に新任知事が早々とこの計画自体を取りやめ、連邦政府の資金援助を返上する所も出てきている。
2. そもそも過去の米国の歴史で長距離旅客鉄道を開発してきたのは全て民間会社であり、また鉄道自体が今では一部の大都市近郊の例を除きその殆どが貨物専用列車となっていて、連邦政府や州政府に旅客用長距離高速鉄道の安全管理や保全技術に関する知識と経験は全く蓄積されていない。また民間会社がこの高速鉄道計画に協力するという事も考えられず、むしろ反対の意向さえ示している。
3. まず何よりも日本の新幹線が発展した輸送環境と米国の輸送環境は全くもって違うものであり、費用対効果に関しては調査するまでもなく国民経済全体としても採算の合うものではないだろう。その理由はカリフォルニア州だけでも日本以上の面積であり、国土が広すぎて、結局は高速鉄道を利用するのは一部の低所得者層か自動車運転が難しくなる老人世代だけとなる可能性がある。一例を挙げれば、ロサンゼルスやサンフランシスコといった大都市間だけを例え高速鉄道で結んだとしてもそれぞれのターミナルから郊外の自宅やオフィスまでの間の距離が長く、そこまでの公共交通機関が整備されていないので、結局は航空機か自動車を使った方がトータルでは安くて便利となる事が容易に予想される。
4. 仮に万一、上記の財政面と費用対効果の両面が何とかクリアされて、高速鉄道整備が実現化される事となったとしても、一番のハードルは韓国と中国との厳しい価格競争に勝たねばならないという点だ。日本の新幹線の様に 5-10分刻みの過密スケジュールで新幹線を走らせるという高等な技術は米国の鉄道にはオーバースペックで全くそぐわないという事だ。要はこの高速鉄道が中間層・富裕層や要人、ビジネスエリートが日本並みに頻繁に利用する基幹の交通機関とならなければ、安ければそこそこのもので良いという事になる筈だ。従ってまずはコスト面から中国(川崎重工が供与したブラックボックスなしの技術をそのまま使える)が最有力候補であり、次の候補が韓国であろう。それにこの両国関係者による米国の地元でのロビー活動は強力で、日本勢はこの面ではとても勝てない。もとよりカリフォルニア州では両国からの移民数が圧倒的に多い事もある。
前原さん、無駄な新幹線売り込みの政治パフォーマンスなどはもうおやめなさいという事だ。
2011年2月24日木曜日
Bordersの経営破綻
米国の大手書店チェーンである Bordersが 2月16日に Chapter 11(連邦破産法11条)適用を申請して経営破綻した。全米レベルでは BordersとBarnes & Nobleの二社の大手書店チェーンがあるが、Bordersが約 600店舗、Barnes & Nobleが約 700店舗それぞれ展開している。Bordersは取り敢えず、200店舗を閉鎖して再建の道を探るという事だ。
米国の書店はこの二社が顧客獲得の為に競っているからか、来店する客に対しては極めておおらかな対応だ。本棚の近くにはソファや椅子が必ず置いてあって、客は本棚の本を取り出して椅子に座って、あるいはソファに寝そべって堂々としかも延々と立ち読み(寝読み)が出来るのだ。勿論、床にはカーペットが敷かれているから、そのまま床に直接座ってあぐらをかいて読むのも学生の間で良く見かける姿だ。
更に売り場には必ずといって良い程、スタバの様なコーヒーショップが設置されていて、コーヒーを飲みながらでもくつろいで本を読む事が出来る。勿論、立ち読みした本を買う義務もなく、またハタキで追い出される様な事も決してない立ち読み天国だ。Bordersの経営破綻はこの立ち読み天国が理由ではない。経営破綻の理由は誰が見ても明らかな様に、Amazonによる書籍のネット販売と、同じく Amazonによる電子書籍のKindle、更には Appleによる iPhoneや iPadを使っての電子書籍のiBooksに書店の役割がとって変わられた事である。
Bordersと Barnes & Nobleのいずれもがまた同じ売り場で CDと DVDを販売しているが、これらについても Amazon等のネット販売や、AppleのiTune等を通じてのダウンロードが浸透している。Internetを通じての小売が市場に浸透していく中で、書籍とか CD/DVDといった商品はかさが張らず、壊れる様な品物でもないので輸送が簡単で、またinternetを通じて、本の内容を調べたり、音楽を試聴できる事も大きい。
この書店ビジネスの IT化は最早米国に限った現象ではなく、日本でも相当浸透している筈だ。ただ、日本の場合は都市部では通勤通学に公共交通機関を使う事となるが、それらの駅やターミナル付近に書店があるケースが多く、帰宅途中に書店に立ち寄って新刊書や話題の本を手にしてみるという機会は多い。ここが車社会の米国の書店との違いでもあるが、米国の場合は必ずしも通勤通学の往復途中に立ち寄れる場所にはないので、この点も書店に消費者の足が遠のく理由の一つでもある。
Barnes & Nobleの場合はさすがにこうした IT化の流れに対応し、Androidをベースとした Nookという電子書籍デバイスの分野に早々と着手した。これが Bordersとの違いで明暗を分けたのだろう。まさにダーウィンの進化論、It is not the strongest of the species that survives, nor the most intelligent that survives. It is the one that is the most adaptable to change.”「この世に生き残る生き物は、強い生き物でも頭が良い生き物でもなく、変化に対応できる生き物だ」、この世界だ。
米国の書店はこの二社が顧客獲得の為に競っているからか、来店する客に対しては極めておおらかな対応だ。本棚の近くにはソファや椅子が必ず置いてあって、客は本棚の本を取り出して椅子に座って、あるいはソファに寝そべって堂々としかも延々と立ち読み(寝読み)が出来るのだ。勿論、床にはカーペットが敷かれているから、そのまま床に直接座ってあぐらをかいて読むのも学生の間で良く見かける姿だ。
更に売り場には必ずといって良い程、スタバの様なコーヒーショップが設置されていて、コーヒーを飲みながらでもくつろいで本を読む事が出来る。勿論、立ち読みした本を買う義務もなく、またハタキで追い出される様な事も決してない立ち読み天国だ。Bordersの経営破綻はこの立ち読み天国が理由ではない。経営破綻の理由は誰が見ても明らかな様に、Amazonによる書籍のネット販売と、同じく Amazonによる電子書籍のKindle、更には Appleによる iPhoneや iPadを使っての電子書籍のiBooksに書店の役割がとって変わられた事である。
Bordersと Barnes & Nobleのいずれもがまた同じ売り場で CDと DVDを販売しているが、これらについても Amazon等のネット販売や、AppleのiTune等を通じてのダウンロードが浸透している。Internetを通じての小売が市場に浸透していく中で、書籍とか CD/DVDといった商品はかさが張らず、壊れる様な品物でもないので輸送が簡単で、またinternetを通じて、本の内容を調べたり、音楽を試聴できる事も大きい。
この書店ビジネスの IT化は最早米国に限った現象ではなく、日本でも相当浸透している筈だ。ただ、日本の場合は都市部では通勤通学に公共交通機関を使う事となるが、それらの駅やターミナル付近に書店があるケースが多く、帰宅途中に書店に立ち寄って新刊書や話題の本を手にしてみるという機会は多い。ここが車社会の米国の書店との違いでもあるが、米国の場合は必ずしも通勤通学の往復途中に立ち寄れる場所にはないので、この点も書店に消費者の足が遠のく理由の一つでもある。
Barnes & Nobleの場合はさすがにこうした IT化の流れに対応し、Androidをベースとした Nookという電子書籍デバイスの分野に早々と着手した。これが Bordersとの違いで明暗を分けたのだろう。まさにダーウィンの進化論、It is not the strongest of the species that survives, nor the most intelligent that survives. It is the one that is the most adaptable to change.”「この世に生き残る生き物は、強い生き物でも頭が良い生き物でもなく、変化に対応できる生き物だ」、この世界だ。
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