2011年2月28日月曜日

映画「The King’s Speech」を見て感じた事

映画評論家奥山氏の予想通り、今年のアカデミー賞作品賞はThe King’s Speechが獲得した。この映画は作品賞のみならず監督賞、主演男優賞、脚本賞の4分野でアカデミー賞を獲得したという事で早速映画館に見に出かけてみた。夕方5時ごろから始まる時間に飛び込んだのであるが、さぞや大人気で多少混雑との予想に反していつもの様に全くのガラガラ。約 500の客席に対し、観客はたったの5人だけであり、この映画に限らず最早米国では映画は映画館で見るものではなく、自宅で見るものであるのに変わってしまっている様である(米国では新着映画は封切りから短期間で DVD化されたりテレビ放映される為)。

映画そのものは英国とオーストラリアの会社により英国人の監督が英国人とオーストラリア人の俳優を使って作ったものであり、ハリウッド映画ではない。喋る英語は本来英国の王族、貴族や上流階級が喋る英国的な抑揚のあるものではなく、米国人やアメリカ英語に慣れてしまっている我々が聞いても自然なものである。国王になる人が吃音矯正の為にFXXXを連発したり、SXXXを連発するくらいで思わず笑ってしまうので、あくまでも娯楽作品として見るのが良いだろう。

この映画で言語聴覚士役のジェフリー・ラッシュは、今回助演男優賞は逃したもののアカデミー賞受賞経験のある個性的な名優、怪優である。10年ほど前に Quillsという映画で発狂したサド侯爵役を演じていたが、まさにこの俳優の面構えと目つきでこそ演じられるハマリ役であった。最近はハリウッド映画のパイレーツオブカリビアンにバルバロッサ役で繰返し出ているが、悪者の役柄があまりにも単純でもったいないほどだ。どういうわけかハリウッド映画にはこういう一味もふた味も深みのある顔の俳優があまり見当たらない。

さて映画評論の方は既に色々な方が述べておられるので触れないが、この映画の終わりの方で吃音の英国王の演説との対比で敵国ドイツのヒトラーの演説姿が実際の録画版で出て来る。有名な 1933年2月に前年の選挙結果に基づき首相に就任した時の演説だ。この演説の趣旨は「他国に頼ってはいけない、あくまでも自助努力によって(第一次大戦の敗戦からの)ドイツを復興させねばならない」というものである。更に「ドイツ国民自身での労働、勤勉、決然、不屈さ、頑強さによってこのドイツを再び繁栄させるのだ」というくだりである。

ドイツ語では In uns selbst allein liegt die Zukunft des Deutschen Volkes wenn wir selbst, diesem Deutsche Volk vorfuehren, durch eigene Arbeit, eigenen Fleiss, eigene Entschlossenheit, eigenen Trotz, eigene Beharrlichkeit, dann werden wir wieder emporsteigen……. となる部分であるが、映画ではこの部分を使っている。

この eigene (アイゲネ、「自ら自身の」と言う意味)という力強い響きの言葉を繰返し使う事で聴衆の感情を音感で酔わせる見事な演説テクニックであると言われている。実はこの eigene こそが、バラマキマニュフェストにはない、今の日本に真に求められる「自助、自律、自立」につながる考えである。何分世紀の大悪人ヒトラーの演説であるので、世間様から誤解されぬ様取り扱い注意ではあるが、選挙で選ばれた一政治家の演説として、その時代背景を思い起こしながら聴くと興味深いものである。

2011年2月27日日曜日

バラマキ 4K

「子供手当て、高速道路料金無料化、高校授業料無料化、戸別所得補償」、なるほどこれらは民主党政権のバラマキマニュフェストを象徴する4Kだ。現在国会で熟議されていると言われる政府予算案の中で民主党のマニュフェストの根幹をなすと言われているこの4Kをまず見直す事を自民党はじめとする野党は政府与党に求めている。自民党時代の国家予算を更に上回る額の予算案と公債の発行高になっているのはこういったバラマキマニュフェストによるところが多いのであろう。バラマキマニュフェストに騙されて民主党に投票し、政権交代と喜んで騒いだ結果がこういう事だ。

このバラマキという事は見方を変えれば、国民の側からすれば自らが限られた収入の中でお金のやり繰りや節約等で自己管理と自己抑制をしなくとも、公共サービス的なものは常にタダだと言う考えや収入の一部は努力しなくとも必ず保証されるという考えにつながっていく筈だ。一時英国の手厚い社会保障制度を表す言葉の「ゆりかごから墓場まで」の考えだ。しかし、こういう政策の結果は明らかである事を何よりも知っているのは海外に出て行く機会の多いビジネスマンだろう。あの誇り高い大英帝国の現在の姿が惨憺たるものである事を自らの目で見ているからである。

一体今の英国にどれだけ国際的に誇れる産業が残っているのであろうか。自動車も電気・電子製品も OA機器も英国企業はなにも残っていない。産業界でドイツ人や米国人との比較において、英国人がどれだけ「真面目に勤勉に正直に誠実に働いている」という評価があるのであろうか。この国の人々の心のゆとり、豊かな田園風景、落ち着いた生活ぶり、などなどは最早神話に過ぎない。現実は薄汚れた都会、あふれる若年失業者、高まる犯罪発生率、無秩序に増える外人労働者、どれもこれも英国人が一生懸命働かなくなった結果であろう。

最近、日本では遺産相続に関し兄弟姉妹間で骨肉の争いとなっているという話を良く耳にし、また新聞等でも頻繁に報じられている。特にこの揉め事は相続遺産の大きい富裕層、お金持ちの家で起こるらしい。最近の統計では相続税を納める(つまり現在のところの基礎控除額の5千万円 + 相続人X 1千万円、以上)の割合はわずか 4%らしい。そういう恵まれたお金持ちの家なら普通は子供たちも生活に困る様なこともなく、兄弟姉妹でおおらかな気持ちで遺産を分け合うかあるいは寄付でもするかという事になるのか、と言えば全く逆である。そこは血みどろの貪欲な争いが発生し弁護士の登場となって裁判に至るのである。この現象についてある識者と話した時に、彼は「結局人間はタダでもらうというものに対しては極めて卑しく貪欲になるという事だ」と述べていた。

まさにそれが真であろう。国家が何から何までタダで国民の面倒を見るという「一見豊かな体制」は人間を心豊かにし、おおらかにし、謙虚にするかと言えば全く逆であり、心卑しく惰性にするだけという事が英国の例を見ても明らかだ。

2011年2月26日土曜日

米国の新幹線計画

オバマ政権が2009年の政権発足と同時に打ち出した米国内の東部、中西部、フロリダ、カリフォルニア、テキサス等での高速鉄道計画は環境対策と雇用機会創出というのがうたい文句だ。これに対しJR東海等の日本企業が日本の新幹線売り込みへの期待感を大いに持っていると報じられている。しかし、結論から言えば日本の新幹線売り込みには何重ものハードルがあって、ほぼ実現性はないと見ておいた方が良いだろう。

そのハードルを順序良く説明していけば、財政面、経営面、費用対効果面、競合面で次の通りとなる。

1. オバマ政権の連邦政府が各州の高速鉄道計画に約130億ドルを拠出し、そのうち 80億 ドルをフロリダとカリフォルニアに使うというものらしいが、果たして連邦と州いずれもがそれぞれ巨額の財政赤字を抱える中、費用対効果がはっきりしないこの計画が最終的に認められるかどうかは疑問である。昨年の中間選挙では「小さな政府」を掲げる共和党が圧勝した結果、既にフロリダ州の様に新任知事が早々とこの計画自体を取りやめ、連邦政府の資金援助を返上する所も出てきている。

2. そもそも過去の米国の歴史で長距離旅客鉄道を開発してきたのは全て民間会社であり、また鉄道自体が今では一部の大都市近郊の例を除きその殆どが貨物専用列車となっていて、連邦政府や州政府に旅客用長距離高速鉄道の安全管理や保全技術に関する知識と経験は全く蓄積されていない。また民間会社がこの高速鉄道計画に協力するという事も考えられず、むしろ反対の意向さえ示している。

3. まず何よりも日本の新幹線が発展した輸送環境と米国の輸送環境は全くもって違うものであり、費用対効果に関しては調査するまでもなく国民経済全体としても採算の合うものではないだろう。その理由はカリフォルニア州だけでも日本以上の面積であり、国土が広すぎて、結局は高速鉄道を利用するのは一部の低所得者層か自動車運転が難しくなる老人世代だけとなる可能性がある。一例を挙げれば、ロサンゼルスやサンフランシスコといった大都市間だけを例え高速鉄道で結んだとしてもそれぞれのターミナルから郊外の自宅やオフィスまでの間の距離が長く、そこまでの公共交通機関が整備されていないので、結局は航空機か自動車を使った方がトータルでは安くて便利となる事が容易に予想される。

4. 仮に万一、上記の財政面と費用対効果の両面が何とかクリアされて、高速鉄道整備が実現化される事となったとしても、一番のハードルは韓国と中国との厳しい価格競争に勝たねばならないという点だ。日本の新幹線の様に 5-10分刻みの過密スケジュールで新幹線を走らせるという高等な技術は米国の鉄道にはオーバースペックで全くそぐわないという事だ。要はこの高速鉄道が中間層・富裕層や要人、ビジネスエリートが日本並みに頻繁に利用する基幹の交通機関とならなければ、安ければそこそこのもので良いという事になる筈だ。従ってまずはコスト面から中国(川崎重工が供与したブラックボックスなしの技術をそのまま使える)が最有力候補であり、次の候補が韓国であろう。それにこの両国関係者による米国の地元でのロビー活動は強力で、日本勢はこの面ではとても勝てない。もとよりカリフォルニア州では両国からの移民数が圧倒的に多い事もある。

前原さん、無駄な新幹線売り込みの政治パフォーマンスなどはもうおやめなさいという事だ。

2011年2月25日金曜日

中国の不動産バブル

さて、いよいよ中国の不動産バブルが怪しくなってきた。パンダなどよりもはるかに重要なニュースがある。2月16日に中国の国家統計局が全国不動産価格指標の公表を取りやめると発表した。その理由がいかにも中国らしい。従来この指標の信憑性には疑問が持たれていた事と、最近の不動産価格の高騰に国民が怒りを示す指標であったからだと言うものだ。指標の信憑性については、ずばりその算出根拠や算出方法が全く不透明であるという事だ。もう一方の理由は、おそらく国家統計局の責任ある地位にあるお役人が「恐ろしくなってきた」と感じているのが本音ではないだろうか。つまり中国の経済指標なるものには信憑性がないという事は誰が考えても常識的に理解できる事だが、いざ実際にバブルが崩壊する様な事になれば、誰が責任を取らされるのか。それはまずかようないい加減な数字を発表して国民を惑わし国家に迷惑をかけた国家統計局だとなるわけだ。悪くすれば法治国家ではないかの国では責任者には見せしめの死刑が待っているかも知れない。

既に国内外の経済学者やアナリストの間では「中国の不動産バブルの崩壊は間違いない」が、それでは「それがいつになるか」という事について様々な見方があって、ここにポイントが集約されてきている。思い返せば、この米国でも華々しい不動産バブルがあったのはつい10年ほど前の話である。不動産バブルの絶頂を迎える頃には「いつか必ずやバブルははじけるから慎重に」との意見もあったが、「いやいや、これだけの急激な移民の流入は過去にはなかったもので、不動産需要は伸びるのは当たり前の事であり、決してバブルの様なものではない」との意見がまことしやかに伝えられていた。しかしバブル崩壊は見事に確実に起きた。

以前にも述べた事があるが、米国の不動産バブルをもたらせた要因は(1)低金利での余剰資金のだぶつき(2)住宅ローン債権の証券化、などが上げられているが、何よりもその根底にあるのは(3) モーゲージローン(住宅抵当権付きローン)がノン・リコースである点であろう。ノン・リコースとは一言で言えば、債権者のローンの返済義務が「抵当権が設定されている当該不動産の範囲内のみ」に限定されている事である。つまり債権者側でローンの返済が不可能となった場合は当該不動産のみを手放せば、(ローン残高が不動産価値以上の場合)その債権者がたとえ他に資産を持っていてもそこまでには責任は及ばないという事だ。それでは中国ではこの辺はどうなっているのでろうか。正直、米国にいる我々には詳しい実情は判らない。

米国の場合は確かにノン・リコースは債権者に甘い制度ではあるが、一旦ローン返済不能となって金融機関側で Short Sale(抵当物件の安値売却処分)やForeclosure(競売)となってしまうと、債権者の Credit Scoreは急落して、以降7年間はあらゆる金融機関から一切のローンを受けられなくなるというデメリットがある。果たして今の中国にその様な個人ごとの信用調査制度や Credit Scoreの様な全国的な仕組があるのであろうか。こういった様々な点を考えて行けば、中国の信用膨張度は桁外れのものとなり、バブル崩壊が現実のものともなれば、その激震度は米国のバブル崩壊の場合とは比較にならない程のギガトン級のものとなるやも知れない。

米国のバブル崩壊の過程を振り返れば、長期の景気持続のもと1997年頃から不動産価格が上昇しだしたが、2000年のITバブル崩壊と 2001年の 9.11テロの危機により景気失速を恐れたFRBが一気に金融緩和をしてしまった。それによってその後一気に価格上昇は加速され、住宅の平均価格は2007年のピーク時には2000年水準の約 2.5倍まで跳ね上がってしまったのである。既に 2005-2006年には不動産市場の過熱はピークを迎え、バブル崩壊説が出回っていたが実際に価格が下落傾向を示しサブプライムローン企業が相次ぎ倒産しだしたのがその2年後の2007年となる。更に3年後の 2008年のリーマンショックで完全な崩壊を迎えた。バブル崩壊というのは「危ない」という声が出てからも、実際には2年くらいは何とか持ちこたえてそれまでは崩壊に至らなかったという事だろうか。この辺が実は中国の現在の状況に似ているのかも知れない。

以上、中国経済に付いては何も知らない人間が、米国の例から類推した、あくまでも独断と偏見に基づく個人的な見解であるので、後は皆さんの自己責任での判断と経済行動をお願いする次第だ。

2011年2月24日木曜日

Bordersの経営破綻

米国の大手書店チェーンである Bordersが 2月16日に Chapter 11(連邦破産法11条)適用を申請して経営破綻した。全米レベルでは BordersとBarnes & Nobleの二社の大手書店チェーンがあるが、Bordersが約 600店舗、Barnes & Nobleが約 700店舗それぞれ展開している。Bordersは取り敢えず、200店舗を閉鎖して再建の道を探るという事だ。

米国の書店はこの二社が顧客獲得の為に競っているからか、来店する客に対しては極めておおらかな対応だ。本棚の近くにはソファや椅子が必ず置いてあって、客は本棚の本を取り出して椅子に座って、あるいはソファに寝そべって堂々としかも延々と立ち読み(寝読み)が出来るのだ。勿論、床にはカーペットが敷かれているから、そのまま床に直接座ってあぐらをかいて読むのも学生の間で良く見かける姿だ。

更に売り場には必ずといって良い程、スタバの様なコーヒーショップが設置されていて、コーヒーを飲みながらでもくつろいで本を読む事が出来る。勿論、立ち読みした本を買う義務もなく、またハタキで追い出される様な事も決してない立ち読み天国だ。Bordersの経営破綻はこの立ち読み天国が理由ではない。経営破綻の理由は誰が見ても明らかな様に、Amazonによる書籍のネット販売と、同じく Amazonによる電子書籍のKindle、更には Appleによる iPhoneや iPadを使っての電子書籍のiBooksに書店の役割がとって変わられた事である。

Bordersと Barnes & Nobleのいずれもがまた同じ売り場で CDと DVDを販売しているが、これらについても Amazon等のネット販売や、AppleのiTune等を通じてのダウンロードが浸透している。Internetを通じての小売が市場に浸透していく中で、書籍とか CD/DVDといった商品はかさが張らず、壊れる様な品物でもないので輸送が簡単で、またinternetを通じて、本の内容を調べたり、音楽を試聴できる事も大きい。

この書店ビジネスの IT化は最早米国に限った現象ではなく、日本でも相当浸透している筈だ。ただ、日本の場合は都市部では通勤通学に公共交通機関を使う事となるが、それらの駅やターミナル付近に書店があるケースが多く、帰宅途中に書店に立ち寄って新刊書や話題の本を手にしてみるという機会は多い。ここが車社会の米国の書店との違いでもあるが、米国の場合は必ずしも通勤通学の往復途中に立ち寄れる場所にはないので、この点も書店に消費者の足が遠のく理由の一つでもある。

Barnes & Nobleの場合はさすがにこうした IT化の流れに対応し、Androidをベースとした Nookという電子書籍デバイスの分野に早々と着手した。これが Bordersとの違いで明暗を分けたのだろう。まさにダーウィンの進化論、It is not the strongest of the species that survives, nor the most intelligent that survives. It is the one that is the most adaptable to change.”「この世に生き残る生き物は、強い生き物でも頭が良い生き物でもなく、変化に対応できる生き物だ」、この世界だ。

2011年2月23日水曜日

米国西海岸日本食品事情

「日本酒、豆腐、醤油」、これらの日本食品はアメリカ市場に順調に浸透してきて、以前から西海岸で日本のメーカーが現地生産を行っている。もう普通のアメリカのスーパーで普通の食品として販売されている。しかし、ここに来て日本食品は「味噌、緑茶、あずき」と更に市場でその支持基盤を拡大させた。リーマンショック前後から米国からの撤退が相次ぐ日本企業であるが、その動きとは反対にマルコメ、前田園、井村屋がいずれもロサンゼルス近郊のIrvine市に現地生産工場も含め次々と進出したのである。

金融業以外で米国の誇る産業を敢えて挙げるとすれば、石油・エネルギー産業、宇宙航空・軍事産業、IT・通信産業であろう。いずれも国家戦略と国防軍事に深く結びついた産業であって、世界的な市場での米国の地位は揺るぎ無い。平和国家日本はそうした産業の中で細分化されたニッチなエリアでの活躍の余地はあっても、大きな産業の流れでは軍事大国、米国にはとても太刀打ちが出来ない。一方従来の日本のお得意芸の自動車・家電・OA機器の分野では韓国・台湾・中国勢の追い上げが激しく、米国市場ではこれらアジア勢にじりじりと追い詰められてきている。そこで日本が米国市場に対し打つべき次の一手として注力すべき産業は何かと言えば、アニメ・漫画・ゲーム産業と並び健康食品がその有力候補となってくるのである。

振り返って考えれば、超大国米国の弱点は何かと言えば、それは日常の米国人の生活ぶりを見れば一目瞭然である。即ち食生活であり、はっきり言えば彼らはろくなものを食べていないという点である。料理として味覚や味付け、調理法でpoorであるというのみならず、食材としても健康面で大いなる問題があるという事だ。高コレステロール、高血圧、高血糖値、高尿酸値をもたらす食品を中心とする食生活から起因する動脈硬化、糖尿病、通風といった各種成人病疾患が国民的関心事だ。

そうした風潮の中で、昨年3月12-14日の三日間、Natural Products Expo West 2010(健康食品展示会)がロサンゼルス郊外のアナハイム市で開催され、1,700社が出展、56,000人の来場者を記録して、日本食品への注目度も更に飛躍的にアップした。今や米国では食品に関する限り、味覚やグルメや調理法には関心はなく、「ナチュラル、オーガニック、ヘルシー」がキーワードである。いわくコレステロール・フリー、ファット(脂肪)・フリー、不飽和脂肪酸・フリー、添加物・フリーがうたい文句でもある。

米国市場では企業ブランドとしてはヤクルト、ハウスカレー、伊藤園、キッコーマン、森永乳業豆腐等は既に市民権を得ているが、最近はこういった大手企業でなくとも家族経営の日本人のパン屋が注目されだしてきた。日本人が焼くパンはふっくらしていて、香ばしいのが人気なのだが、そのふっくら香ばしいパンに更に付加価値を付ける事で、この分野で先行するフランス系や台湾系のパン屋との差別化がはかられてきている。ご存知アンパン、クリームパン、メロンパン、カレーパン、カツサンド、コロッケパン、焼きそばパンのB級グルメ的品揃えである。

それではそういった特殊なパンは在米の日本人客だけを対象としたものかと言えば、そうでもない様だ。西海岸の場合はラーメン屋のケースと同様にまずは中国、韓国等のアジア系の人達が触手を動かしてくれ、更にそういう動きが必ずや白人系やラテン系にも波及していって、全般的に手軽な食事として人気が高まって行く事となるからだ。これはちょうどマンハッタンのグランドセントラル駅からオフィスへ向かう途中にオフィスで食べる為の朝食を皆が揃って買うといったあの懐かしい光景につながっていくのだ。

アニメ・漫画、日本食品といったものはどちらかと言えばその消費者としての対象を女性、子供、若者を狙いとする産業だ。平和国家日本はこの米国市場では次はそうした女々しい分野の産業でちまちまと生きて行くしかないのであろか。

2011年2月22日火曜日

アンドラ

欧州にアンドラという山間の美しい国があるのをご存知だろうか。日本人の中でご存知の方は多分欧州で消費財商品の販売経験がある方だろう。アンドラはスペインとフランスに囲まれたピレネー山脈のふもとにある人口7万人、面積約 500km2の小さな国だ。アンドラは風光明媚な観光地としてスキーで有名であるのと同時に、国全体が免税地域の様な感じになっていて、お買物をしにスペインのバロセロナから車で入るケースが多い。欧州で仕事をしていて、ただ「アンドラに行ってきます」と言えば、「ああ、スキーですか」となるが、「ちょっと仕事でアンドラに行ってきます」と言えば「ご苦労様」とニヤリとされるだろう。

この国が正式に独立したのは 1993年であり、国連にも加盟しているが EUには加盟していない。それまではスペインとフランスの共同保護領の様な地域であった。言語はスペイン語でもフランス語でもなく、スペインのバロセロナ地域のカタロニア語(フランス語に近い)である。

さて、日本の消費財製造企業が欧州各国の販売代理店を集めて販売会議を行う場合、各国の販売状況や販売価格の話になると、このアンドラが度々話題に上る。特にアンドラに隣接するフランスとスペインの代理店あたりからは、販売不振の言い訳にこのアンドラでの安値販売による悪影響が上げられるのだ。このアンドラと言う国に入ると道路の両側にファッション製品や酒タバコ類、家電製品等を売る店がずらりと軒を並べるが、彼らはどこからこういった外国製品を仕入れるのか言えば、一つは欧州各国の販売総代理店からの横流しと、もう一つは在庫処分に困った各国の小売業者だ。

各国の販売総代理店が意図的にアンドラに商品を流す場合は、契約で決められた販売テリトリー以外の地域に商品を流通させてしまうのであるから、メーカーとの代理店契約に反する事となり、悪くすれば契約違反で代理店権を取り上げられてしまうリスクがある。また仮にどこかの国の代理店がそういった販売を行えば、アンドラに隣接するフランスとスペインの代理店が価格低下の被害を受けるので黙ってはいない。色々と手をまわして、何処の国の代理店が横流ししているのかを突き止めてメーカーへのご注進で垂れ込むからである。

一方、メーカー側としてもこのアンドラ価格が出来るだけその他欧州全域の末端価格に影響が出ない様に最新の注意を払う必要がある。それは、まず各国の末端の小売店側での小売マージンが少なくなったり、販売量が減ったりとの事で小売店から代理店を通じてクレームを受ける事につながり、ひいては末端価格低下により自らの工場出しの価格が低下してしまう結果につながるからだ。しかし EUとて日本や米国と同様、消費者利益保護と公正取引の観点から再販価格維持等に関する独禁法上の規制があり、メーカーがどこまで末端価格や流通業者をコントロールできるかには、法的にも実務的にも限界があり、特に企業側でのコンプライアンスが叫ばれている昨今は要注意である。ここにアンドラの業者の存在できるニッチな場所があるだ。

さて、そういう目で実際のアンドラの業者の店に入って行って販売価格を見たりしていると、店の奥から一見眠った様な目だがドスの効いた目つきのオヤジが目を光らせているではないか。我々の服装や態度を見てどう見ても観光でやって来ているのではなく、仕事で来ているのがミエミエであるからだ。しかし、考えてみればこういう言わばゴミ捨て場の様な市場があるからこそ流通段階での過剰在庫が処分され、歪な市場状況が矯正され調整されて、再びメーカーはエネルギッシュに生産活動を継続できているのかも知れない。

世の中には光と影あり、表通りを歩む人間がいれば、裏街道を歩む人間もいる。時にはその裏街道が大変な役割を持つ事があるのはビジネスのみならず特に政治の世界でも同じだ。今現在注目を浴びている「ワル」と言われる方をそう言う目で見ると、どうもこのアンドラの商店主の様な面構えに通じるものがあると思えて仕方が無い。

2011年2月21日月曜日

三兄弟物語

「バカ、ワル、ズル、三兄弟」とは今の日本では誰を指すのかがすぐに判る為、これほど的確な表現はなく笑ってしまうものだ。民主党の政権交代なるものがいかに「インチキ」であったか、その主役がこういうレベルの三兄弟であったと気付いた時はもう遅い。前回の衆議院議員選挙で民主党に投票し、政権交代と喜んだ皆さんは一時の感情で悪い男(あるいは女)に見事に騙された女(あるいは男)という事だ。これから終わりを迎える民主党政権を総括すれば「稚拙な外交安全保障」と「財政赤字拡大のばら撒き政策」、この二つに集約されるという事だ。政権の主要政策となる「外務」も「財務」も、結局は「安全保障」と「財政赤字」という枠がはめられている限りは、大筋で自民党と同じ政策という事となる。しかし問題は、三兄弟がこの両面をともに自民党時代よりも更に悪くしてしまったと言う事だ。肝心の「景気対策」「医療・介護・年金の改革」「官僚主導から政治主導」は進まずむしろ逆行している。

二大政党制が確立している米国の大統領選挙は、ネブラスカとメインの二州を除いてそれぞれの州で勝利した政党が選挙人全てを総取りする為に第三の政党から大統領になるのは事実上不可能に近く、日本の小選挙区制以上に第三の政党に厳しい。従って、民主共和の両党とも選挙民の半数以上とも言われている無党派層を取り込んで過半数を抑える為にその政策主張の大筋としては似通ったものとなってくるか、あるいは与野党ともに相手の政策を取り込もうとしたり譲歩したりするものだ。米国の世論調査ではそもそも二大政党制に問題があると考える意見が今や8割以上であるらしい。

そうなると政党としては選挙戦の争点として対立軸を見出すには何を持ち出せば良いのかという事になってくるが、米国では「同性婚」と「妊娠中絶」という賛否両論真っ二つの社会問題があたかもリトマス試験紙のごとく選挙時に引き合いに出されてくる。日本では「永住外国人の地方参政権」や「夫婦別姓」「脳死判定」「靖国参拝」「憲法改正」と言った価値観、宗教観、家族、国家、共同体、アイデンティティーの根幹に関わる問題が争点として考えられるが、これらでもって選挙戦を闘うという事は決してないのだ。あからさまにそういったデリケートな問題に触れると選挙戦では大いなる敗戦リスクとなるからあいまいにしておくと言う事だ。

そこで民主党政権がやろうとした事は、バラマキマニュフェストで政権交代ムードをあおって愚かな選挙民を騙した上で議会でのマジョリティを押さえ、「永住外国人の地方参政権」や「夫婦別姓」等の法案を粛々とかつ次々と成立させてしまおうという作戦であった。いやもっと大胆には、外交安全保障の基本問題の流れまでを一気に変えてしまおうと言うのがバカ(普天間)&ワル(中国迎合)連合であった事を忘れてはならない。来るべき解散総選挙時にはこうした基本のイシュー毎の賛否の意見を明確化させておく事の方が「空約束&ばら撒きマニュフェスト」よりもより重要な事だ。ワルは最初から「理念も何もない金権ワル」と判っていたからそれはそれなりのものだが、バカはバカぶりが露呈する事がなかっただけに、今や堂々と新聞の論説で書かれている通りむしろ「バカの方が万死に値する重罪だ」という事である。後はズルはズルらしく傷が深くなる前に「こうなったちゃったのは僕じゃないよ、原因はバカとワルだよ」と早々と辞めて解散する事だろう

2011年2月20日日曜日

米国西海岸 vegan(菜食)事情

弱腰&稚拙外交の民主党政権がまたもや威嚇に簡単に屈してしまった相手が今度は捕鯨反対過激派のシー・シェパードであるが、普通の日本人の常識であれば「そんなに暴力まで使って鯨を食べるのに反対するなら、何故牛・豚を屠殺して食べるのに反対しないの?」と思うだろう?

世の中にはそういう筋の通った考えのグループもちゃんとあるものだ。PETA(People for the Ethical Treatment of Animals、動物の倫理的扱いを求める人々の会)という団体だ。こちらの方も肉食系レストランへの営業妨害やら裸の街頭パフォーマンスで物議をかもしているが、ポール・マッカートニーやブリジット・バルドーなどが熱心な支持者で人気上昇中だ。勿論、屠殺に反対するなら、実生活でも肉食は厳禁という事になり菜食中心となるが、その中でもミルク、卵、蜂蜜までも口にしない厳格な菜食主義者は Veganと呼ばれている。現在病気療養中のアップル社の CEO Steve Jobs氏も Veganであり、禅宗の仏教徒である事は有名である。

以前にもこの菜食主義レストランについては触れた事があるが、そこは Little Saigon近くにあるベトナム系の店で、日本人の料理人が普茶料理のコンセプトを導入した食材を使っての、どちらかと言えば中国料理、ベトナム料理的なものが中心だ。しかし、最近はこの食材を使ってアメリカ的なバーガー、サンドイッチを提供するレストランチェーンが人気急上昇中だ。現在ロサンゼルス近郊を中心に 5店舗を一気に展開してきている The Veggie Grillだ。

この店の特徴はサンタモニカや大学のキャンパス近くといった20歳前後の学生や若者が集まる場所に店舗を開き、価格を安く抑えている点である。という事はどちらかと言えば菜食主義は何か老人臭くて枯れたイメージであったのと正反対に、活気ある若者文化になりつつあると言う事であろうか。そこは自分達の感性に合うものなら新しい流行トレンドにはエネルギッシュに飛びつくという西海岸の若者であって、日本の様に何か閉塞感から来る無気力な草食系とはまた違ったイメージでもある。菜食が知的ファッションと言うものにもなれば、別に肉類でなくとも大豆のパテから作った肉もどきバーガーでも一応は腹の足しにはなるので、若者の満腹感は同じなのかも知れない。

思い起こせば、Veggieなる言葉でダイエットの面から野菜サラダを沢山食べるという傾向が米国のビジネス社会を中心に広まりだしたのが1990年ごろからであるから、既にこの健康志向の傾向は20年以上になろうとしている。それが Sushiになり、Fish Tacoになり、ついには veganにまでもなろうとしているのだ。一方、新興国側の中国では金持ちとなった中国人が一斉に肉食の量を急増させていて、その為に飼料となる穀物価格が世界的に高騰しているという現象を生み出している。「支出するもの(米国)あれば、必ず貯蓄するもの(中国)あり」の原則が、「肉食増やすもの(中国)あれば、必ず肉食減らすもの(米国)あり」の原則に通じるという事なのであろうか。


2011年2月19日土曜日

米国西海岸ランチ事情

アメリカ人の食生活は西海岸を基点の一つとして間違いなく changeしてきている様だ。ランチを例にとれば、あの不健康で悪名高いハンバーガー&チップ+ソーダという画一的なものから、より健康志向の強い野菜&魚へと、若者を中心に好みが変わってきている事からこの変化がうかがえる。アメリカ人の若年層とて中高年のあの醜悪なメタボの姿にはなりたくないとの思いと、動脈硬化、糖尿、通風等の成人病を避けて長生きをしたいとの願いから、従来の肉食偏重の食生活と食習慣に対する大いなる反省がなされている様だ。

Wahoo’s と言えば、南カリフォルニアでは知らない人がいないほどの以前から人気のFish Tacoのレストランチェーンである。もともと wahooというのはサバ科の魚の名前らしいが、日本語の「和風」という音にも聞こえて日本人には魚料理としてのイメージは良い。このレストランはブラジルの中華料理店の家庭で生まれて育った中国人の三人兄弟が、一家が南カリフォルニアの Orange Countyに移り住んだ後、1988年頃にメキシコ料理のタコスに魚を使った料理を考え付き始めたものらしい。今やカリフォルニア州を中心にコロラドとテキサスまで進出して50店舗まで拡大してきている。店の雰囲気は三兄弟が好きなサーフィンや各種アウトドアスポーツのイメージで飾られていて、カリフォルニア的でcasualであり、またセルフサービスの気軽さが受けている。

一番の人気メニューは Fish Tacoふた切れに白米のご飯と黒豆というコンビネーションで、これにアイスティー等のソフトドリンクつきで6-7ドルとお手頃価格だ。魚をくるんでいるTacoをはがしてしまえば日本の「焼き魚定食」に似たものとなる。今や都市部の若者はコレステロールの塊でオヤジ臭いハンバーガーやポテトチップスなどには見向きもせず、この魚料理店に毎日でも通うほどである。本来のメキシコ料理のタコスにはチキン、ビーフが使われ油臭いが Wafoo’sの場合は魚と白米が中心だけに比較的アッサリした仕上げとなっていてまさにラテンとアジアの融合体である。事実、近所のオフィス地域のモールをランチタイムにのぞいてみると、Wahoo’sは20-30代の世代で長い行列になっているのと対照的に、道路の反対側にあるバーガー専門店は全くの閑古鳥である。

しかし、いくら健康食ブームとは言え、あの生臭い臭いからアメリカ人とて皆が皆魚を好んで食べるという事はないだろう。そこでそういう人々やサプリ好きのアメリカ人には今や Fish Oilは欠かせなくなる。コレステロールを確実に下げるとのうたい文句と頭が良くなるとの(怪しげな)研究結果も出ていたりしていて、COSTCOあたりの大型ディスカウントストアやドラッグストアのサプリの棚には Fish Oilが突出して多量に山積みされている。

こういう食事をしつつ快晴の天気の中で各種のアウトドアスポーツを積極的にするとなれば自然と健康的な生活となる筈だ。東部や中西部で盛んな野球、アメフト、バスケットボールといった従来の団体スポーツも依然人気ではあるが、誰でも気軽に一人でも楽しめる、サーフィン、スノーボード、マウンテンバイクあるいはオフロードバイクといった Speed & Funのスポーツが西海岸ではより若者には身近だ。昼間の時間に余裕のある学生でなくとも勤め人で仕事帰りに人気のジムで汗を流すのが習慣となっていれば、このあたりの若者の間では中西部に多く見られる様な肥満体の数が減ってきているのは間違いない。エコカーの急激な普及が目覚しいカリフォルニアでは、同時に健康志向のライフスタイルも急激な人気ぶりであり、動物性脂肪の少ない健康食が定着すれば従来の様にメタボで騒ぐ必要もなくなり決して悪くはない事だ。

2011年2月18日金曜日

米国西海岸 White事情 – 要塞都市とメガチャーチ

南カリフォルニアの Orange Countyには韓国系、イラン系、ベトナム系等のマイノリティーの人達が米国内での新たな新天地を求めて集まり、そこにそれぞれの大きなコミュニティーを形成してきているユニークな地域である。しかしそれ以前に本来この地域は中西部(オハイオ、ミシガン、インディアナ、イリノイ)等の白人中産階級保守層がニューヨーク、シカゴ、サンフランシスコ等の都市部リベラル層に対抗し、従来の伝統的価値を守り通す為の聖域の様にして新たに開拓してきた新天地でもある。

その具体例の二つが渡辺靖慶大教授のフィールド調査に基づく著書で詳しく紹介されている。一つ目は Coto de Casaでの Gated Community(要塞都市)であり、もう一つが Lake ForestのSaddleback教会(メガチャーチ)である。いずれもが白人保守層の安住できる場所としての象徴であるが、また同時に統計上からも全米で最も犯罪発生率の低い超安全地域でもある。

米国では不動産業者が開発した住宅地一帯をゲートで囲み、出入口に守衛と警備員を配置して無用の者を侵入させないという万全な防犯対策をしている所があるのは一般的だ。しかし、Coto de Casaの様に東京の港区と同じ様な面積の一つの街自体を大々的にゲートで囲み要塞化してしまうという極端な例はあまりない。要塞化された中には専用の高級ゴルフ場はあるが学校や病院といった公共施設は様々な点(公共性から外部者が入って来るのを阻止できない等の配慮)から中には置かず、近隣の街を利用する。渡辺教授の調査ではこの街の白人比率は85%と高く、5人に一人は大学院卒で平均給与は7万ドルと州全体平均の3倍、住宅価格はバブル後でも依然百万ドル以上という。

一方、メガチャーチのSaddleback教会の方も Coto de Casaに近い郊外の同じ地域に存在する。何よりもこの教会を全米で有名にしたのは、この教会の創設者であるリック・ウォレン牧師が2009年1月のオバマ大統領就任式で開会の祈祷を執り行った事だ。それに先立つ 2008年の大統領選挙運動期間中にはこの Saddleback教会にオバマとマケインの両候補を招き、ホストとして両者間での初めてのテレビ公開討論を開催した事からもウォレン牧師の影響力が並外れたものである事が伺われる。

この教会はプロテスタントの南部バプテスト派に属し、毎週約2万人もの参加者メンバーを抱える巨大な教会である。ウォレン牧師はSan Jose生まれの57歳で牧師の家庭で育ち、神学の修士号を取得した後に牧師となったが、その風貌は大柄でメタボ体型であり一見牧師には見えない。ウォレン牧師はまたベストセラーとなっている著作や、貧困・病気との闘いや教育拡充の面での社会貢献活動、国連やダボス会議、有名大学等での講演で世界的にはすっかり有名となったが、その社会的、政治的スタンスは一貫して「保守派」である。同性間結婚や堕胎に反対し、共和党のブッシュ元大統領と親しい事も公言している。従ってオバマ大統領が就任式に保守派のウォレン牧師を起用する事を決めた事にオバマ支持のリベラル派からは相当な反発が出たが、同大統領の掲げる「両党派間の融和」の象徴としてこれは予定通り実行された。

もともとカリフォルニア州は圧倒的にリベラル色の強く民主党が制する州であり、昨年の中間選挙と州知事選挙に於いても上院議員と知事は民主党が確保した。また、2004年と2008年のいずれの大統領選挙に於いてもこの州では民主党が選挙人を獲得している。米国ではこの大統領選挙の County(郡)別の得票結果を地図上で青(民主党)と赤(共和党)に色分けされたものが公表されているが、これを見ると隣接する Los Angeles Countyを含め殆どの Countyが民主党であるのに対し、この Orange Countyだけがまるで周辺の青(民主党)一色の中で「陸の孤島」の様に赤(共和党)であるのが目立つ。

今や米国の総人口は3億人をはるかに超し、中国、インド、韓国をはじめとするアジア地域から、あるいは隣接するメキシコをはじめとする中南米地域から、旧社会主義体制の国々からと続々と移民が押し寄せてきているが、それが最も顕著な地域が西海岸であり、カリフォルニア州である。また同じ様に米国内からも続々と新天地を求めて米国人が移住して来る州の一つがカリフォルニア州でもある。新たな移民により更に多様化する文化と価値観と人種の西海岸で、この Orange Countyの様に米国人自身が従来の米国の伝統的価値を守る為に新たな新天地を作るという皮肉な結果を生み出しているのである。

2011年2月17日木曜日

米国西海岸ベトナミーズ事情

近年での米国への政治亡命や難民としてはイラン系移民よりも規模の大きな集団がある。それはベトナム系の人達だ。ベトナム系もイラン系同様に南カリフォルニアのOrange Countyに米国内では最大のコミュニティーを形成しており、Westminsterと Garden Groveという二つの市にまたがり通称 Little Saigonという地域を作っている。言うまでもなくベトナム系は 1975年のサイゴン陥落と続く中越戦争を機会に大挙してベトナムから逃れてきた旧南ベトナムの人達である。ベトナムの場合はイランと違って敵対する北ベトナムが自分達の国を占領して一つの共産主義国家にし、更に旧政権の軍人、役人を拘束して再教育キャンプに収容するという措置を取った為に、危険なボートピープルになってでも亡命しようと彼らは必死であった。

現在米国に於けるベトナム系の人口は 150万人位と言われているが、その半数近くがカリフォルニア州に住んでおり、北カリフォルニアの San Joseと南カリフォルニアの上記の二つの市に Little Saigonがある。南カリフォルニアの場合の二つの市ではその総人口の約3割がベトナム系である。米国はサイゴン陥落後から中越戦争の混乱期に、このベトナム難民に対し繰返し議会で難民救済法の立法措置を取り大幅に難民の受け入れを行うと同時に、国連難民高等弁務官事務所とベトナム政府とも協議を重ねた。その結果、ベトナム側でも離散家族や米軍人との間の子供、更には再教育キャンプ収容者達の米国への出国と移住を認めるという措置が取られた為に1980年以降米国への難民としての移民の数は急増した。まさにオリバー・ストーン監督のベトナム戦争三部作の最後の映画「Heaven and Earth」の世界である。

現在のベトナム系の人達はどちらかと言えば、小規模の事業主や商店主、あるいは企業従業員や労働者という様な仕事をしており、その存在はどちらかと言えば地味である。今や西海岸ではタイのPadthaiと並び軽食として人気のベトナム麺 Phoの店は無数にあり、またフランスの植民地であった歴史からベトナム系パン屋やフランス風ケーキ店も多い。一方、Little Saigonではベトナム系によるギャング組織が有名であり、その犯罪の対象があくまでもベトナム系どうしであったとしても、普通のアメリカ人はLittle Saigonにはあまり立ち寄らない。

私はサイゴン陥落前の1973年にベトコンとの戦時体制下にあるサイゴンを訪問した事がある。当時のタンソンニュット空港への国際便の外国人乗客は殆ど米軍人の家族であったから、着陸と同時に小銃を構えた南ベトナム軍兵士が飛行機に乗り込んできて、我々アジア系乗客一人一人の身元を確認するという緊張ぶりであった。事前に連絡をしてあったので、我々は停戦監視の国連軍ジープに乗せてもらってサイゴン市内に入ったが、市内では戦時下とは思えない全くの通常の市民生活が営まれており、絶え間ないバイクの騒音で活気にあふれていた。また道を行きかう女性の(当時流行の)パンタロンとアオザイのコンビネーションが風になびく姿が何とも優雅できれいであった。しかし夜間になるとこの風情のある街は一変し外出禁止令が出され、遠くで砲撃の音が繰り返されるのが不気味ではあった。

インドネシア、マレイシア、タイあたりからこのベトナムに入ると人々の肌の色の違いが明らかとなり、またより勤勉に働く姿も印象に残る。日本企業の中には東南アジア諸国の中でベトナムは必ず発展すると予想し、また期待して直接投資を行った会社も多くある筈だ。従来米国のベトナム系の中には旧南ベトナム国旗を掲げて現ベトナム政権を激しく批判する動きも見られたが、最近では米国で成功したベトナム系がベトナムに戻って起業する動きも見られて注目されている。反米一辺倒と宗教原理主義に凝り固まっている中東イランの現体制とは一味違うアジア的な柔軟性からであろうか。

2011年2月15日火曜日

米国西海岸イラニアン事情

エジプトの民衆によるムバラク退陣への民主化要求の動きを「革命」と評したイランの大統領が自国の民主化要求デモを武力鎮圧するというのはまさに皮肉な事だ。このイランの民主化要求デモは何もテヘランだけに限られてはいない。昨年、一昨年とロサンゼルス近郊では道路を埋め尽くすイラン系の人達によるイラン政府への大規模な抗議行動が繰り返されてきた。車社会の米国では大都市以外では歩いてデモ行進をするのは意味がないので、ショッピングモール近くの交差点付近で道路沿いに大勢の人間が「Free Iran」というプラカードや革命以前のイラン国旗を持って通過する車の列に訴えかけるのである。勿論、事前に警察へ届けている為に警官によって交通整理はされてはいるが、あまり見かけない光景に通過する車は減速したり、クラクションで賛同の意志を伝えたりするので、交通渋滞は避けられない。しかし、大方の米国人は現在のイラン政府には批判的である為、このイラン系の人達にはすこぶる同情的である。

イランから米国への移民の波が大規模に押し寄せたのは 1979年のいわゆるホメイニ革命の時にパーレビー体制下の富裕層や知識階級の人間が米国に逃れて来たのがきっかけである。イラン系の人々は同じ様に米国に逃れてきた南ベトナム系の人々とは違って、学者や医者、技術者、企業経営者といった知識層が多く、米国社会の各方面で活躍している。30万人以上と言われているイラン系の人達の大半は西海岸におり、ロサンゼルス近郊にはそういったイラン系の人々の大きなコミュニティーが存在していて、例えば高級住宅街で有名なビバリーヒルズの人口の2割はイラン系であり、2007年にはイラン系の市長までが誕生した。彼らは近年ではより安全できれいな Orange Countyに集まってきている様であり、イラン人経営の大型食品スーパー Wholesome Choiceはいつも中東系の客で賑わっている。

イラン人と言えば、胡瓜が切っても切れない関係である。米国に来た日本人は普通のスーパーで売られている胡瓜が大味で水っぽくてとても口に合うものではないので、日本の胡瓜の様に味がしまっていて小ぶりの胡瓜がイラン人の店で売られているのを見ると思わず飛びついてしまうものだ。しかもイラン人のスーパーで売られている胡瓜の量は半端でない、大きな樽に山積みされていて、その中からよりどりで選んだ10本くらいを手づかみで買ってもせいぜい 2-3ドルの安さだ。イラン人はこの胡瓜をデザートとして果物の様に食べたり、あるいはヨーグルトと一緒に胡椒や塩で食べる様である。胡瓜に限らず、イラン人のスーパーでは野菜の種類と量が驚くほど豊富であり、米国の一般のスーパーの様に画一的な冷凍食品やジャンクフード、スナック類が中心ではないところが嬉しい。それに日本人好みのするエスニックな食材も数多くあって「文化」を感じさせてくれる。

そもそもイラン人は欧州、アーリア系であって中東、セム系のアラブ人ではない。イランの歴史を振り返れば、有名なアリア「オンブラマイフ」で始まるヘンデルのオペラ「クセルクセス」の主人公であるペルシャ王のクセルクセス一世がギリシャ遠征を行ったのが紀元前480年であるからその頃からの歴史豊かな大国である。戦後の冷戦体制下における米国支援のパーレビー体制では腐敗や貧富の格差等様々な矛盾を生じさせたが、一応は国家の急速な近代化が図られ、宗教もゾロアスター教、ユダヤ教、キリスト教と多様であって、現在の様にイスラム原理主義一色に染まるのには違和感さえ感じさせる。テヘラン支局勤務経験のあるNHK解説委員の説明ではエジプトでは民衆のデモで簡単に政権が崩壊したが、イランでは中々そうはいかないらしい。何よりも徹底した弾圧と秘密警察の監視、更には軍と警察とは別個に革命防衛隊なる軍事組織があって、がっちりと現政権をガードしているらしい。本来ならこのイランにこそ、エジプトやその他どこの中東アラブ諸国よりも早く本当の民主主義が確立される筈なのだが。

2011年2月13日日曜日

米国西海岸ロシアン事情

最近のロシア政府の北方領土をめぐる新たな動きは、民主党政権による対米、対中の稚拙な外交のやり方が引き金になっている事は小学生でも理解できる事だ。そもそも市民運動家や国内法弁護士、あるいは地方議会議員から出身の現政権幹部はまさに「井の中の蛙」であり、米、中、露といった国々の「力が正義」の世界などは自らの人生で経験した事などはないのであろう。今時のビジネスマンであれば新入社員の頃から、海外ビジネスは善意、誠意、熱意などは交渉の現場で何の意味も持たない事はいやというほど経験させられているが、国内ローカル一本やりの現政権幹部では米、中、露の大国政府にとってはそれこそ赤子の手をひねる程御し易い事であろう。まさにロシアの様な国を相手の外交にはフリードリッヒ大王のDiplomatie ohne Waffen ist wie Musik ohne Instrumente.(軍事なき外交は、まるで楽器を伴わない音楽と同じだ)の基本原理が大王の時代の様に実際の武器などは使わなくとも何ら変わるものではない。

日本国民の意識調査で「嫌いな国」としていつも中国、北朝鮮と並ぶ国がそういうロシアと言う国ではあるが、ここ米国西海岸ではそのロシア人のプレゼンスと好感度が極めて高い業界がある。それは社交ダンスの世界だ。英語でBallroom Danceといわれるこの世界は欧州の歴史と文化が生み出したものであり、日本でも中高年の間では依然として根強い人気がある。この社交ダンスの総本山は英国のブラックプールであり、そこで毎年開催される競技会は世界の最高峰としての権威がある。従って、教師や選手は従来西欧人、特に英国人が中心であったが、冷戦体制崩壊後の近年にはこの業界にはロシア人の大量進出という大きな変化がおきて来ている。特に米国ではどちらかと言えばマイナーな分野であり、何よりも米国人のメタボ体質が社交ダンスなどという優雅なものは不似合である事から、欧州人の活躍しやすい分野でもあった。

そういう環境の中で、ロサンゼルス東部の近郊都市に暮らす財を成した中国系の富裕層の人達の間ではこの社交ダンスが日本の中高年以上の異常な程の人気で、そこにロシア人ダンス教師が大いに活躍できる「中露親善」のニッチな市場が存在する。彼らロシア人ダンス教師に共通するのは、何よりも一目で米国人とは見分けがつくほどのアスリートとして鍛えられ引き締まった体型と文化的な立ち居振る舞い、物腰である。おそらく彼らは母国では幼い頃からフィギュアスケートの真央ちゃん的にわき目も触れずその道一本で純粋に育てられて来たのであろう。顔付きも決して米国人の様にお金に卑しい顔はしておらず、素朴でストイックであり控え目でさえあって親しみを感じさせる。

そういった鍛え上げられた特殊技能を有して移民を希望する外国人に米国は極めて寛容で開かれた国である。まずはダンス教室に労働ビザで雇用され、特殊技能の経験を米国内で更に積めば短期に Green Card(永住権)への道が開かれ、あの極寒と貧困、物資不足の社会から逃げ出して、まさに天国のこの西海岸でそれなりの収入を得て暮らす事が出来るのである。そういう言わばエリートアスリートの男女の若者が口伝えで次から次へとロシアからやって来るのであるから、今や永住権申請を審査する移民局では最早「もうこんなに多数のロシア人ダンス教師はもう要らないだろう」と言われているほどのラッシュ振りである。

とは言え、そこはマルキシズムの伝統が残る「唯物史観」の国ロシア出身だけに、そういう純粋な社会から出てきたとは言っても中国系富裕層からお金をいとわず熱烈歓迎されれば、そこはそれで一気に「物欲、拝金」の世界にのめり込んでしまう事となる。彼らは永住権を取り2-3年もすれば高額の個人レッスン料が現金でしこたま入って、先ずは高級車ベンツを買い、豪邸を買うという悪しき「唯物」の世界をまっしぐらとなり、今度はダンス教室を経営するオーナーとなって米国化したメタボ体型へとなって行くのである。

2011年2月3日木曜日

マタイ受難曲

BMWと言えば、米国でも若者の間で一番人気の高級ドイツ車であるが、音楽界の BMWと言えばそれはベートーベン and/or バッハ、モーツアルト、ワグナーの事だ。取り分けバッハ(J.S.Bach)はその作品数、宗教性、スケールといった点からドイツ系音楽界の最高峰の地位にあるといえるだろう。更に、そのバッハの数ある作品の中での最高傑作をあげるとすれば、それは「マタイ受難曲」ではないだろうか。今年のカレンダーでは Ostern(復活祭)が最も遅くなる 4月24日になっているので、そこから46日前の Aschermittwoch(灰の水曜日)あたりからはこの曲のシーズンを迎える。

マタイ受難曲は新約聖書のマタイの福音書、第26-27章に書かれているイエスの捕縛から刑死までの様子を精微で美しい旋律とドイツ語の歌詞で劇的に描いているものである。通常は3時間、演奏者により長いもので3時間半にも及ぶ超大作である。

最も美しい旋律は第39曲の Erbarme dich, mein Gott (神よ、憐れみ下さい)である。ペテロが「鶏が鳴く前に、おまえは三度私を知らないと言うだろう」というイエスの言葉を思い出して、実際にそうしてしまった事を悔い、激しく泣く様子を描いた場面である。バイオリンの前奏で始まるこのあまりにも哀しく美しすぎるアルトのアリアを聞き、ペテロの感情が移入されて、実際に涙を流す人も多い。

何と言ってもこのマタイ受難曲のハイライトは、第61曲のイエスが最後に残す言葉、Eli Eli Lama Sabachthani, Mein Gott, mein Gott, Warum hast du mich verlassen ?(神よ、何故私をお見捨てになったのですか?)の部分であり、その後に続く合唱の Wenn ich einmal soll scheiden(いつか私がこの世に別れを告げる時)はこの受難曲の中で歌詞を変えながら5回も繰り返される旋律がベースにあり、これが言わばテーマ曲である。

このバッハの作品を最も忠実に表現していると言われるのが故カール・リヒターであろう。カール・リヒターは旧東独で牧師の息子として生まれ、バッハが音楽監督を務めたライプチッヒの聖トーマス教会(マタイ受難曲が初演された場所でもある)でバッハの音楽を学んだ。

カール・リヒターはその後西独のミュンヘンに移りミュンヘンバッハ管弦楽団を組織し活躍したが、1981年に54歳の若さで急死した。私自身は1977年の大晦日の晩に偶々滞在先のミュンヘンの教会でこのカール・リヒターのオルガン独奏がある事を知り、急いで駆けつけて聴いた事がある。この教会のパイプオルガンは後方の二階部分に設置されていたので、前方を向いて着席している我々はオルガン奏者を見ないで、演奏は後から頭越しに聞こえてくる形となっていた。重々しい石造りの南ドイツの教会に響くバッハのオルガン曲はまさにカトリック色の強いこの地方でで迎える大晦日に相応しいものであった。時折、演奏中のカール・リヒターを振り返って見上げてみると、目を閉じたまま楽譜を見ずに全曲暗譜での演奏であったが、この姿が彼の宗教的精神性を表わし今でも強い印象で残っている。

このカール・リヒターが1971年に指揮したマタイ受難曲を DVDにしたものが 2006年に 始めてreleaseされたのであるが、それを見てみると、従来の耳で聴く CDでの音だけではなく、まるで宗教家のごとき風貌のカール・リヒターの指揮ぶりなどが見られて感動を新たにする。まさにドイツ的な堅固で質実で厳格な演奏と独唱、合唱である。