2010年11月30日火曜日

自民党におけるLegitimacyの喪失

政治学の基本の一つに Legitimacyというのがあります。日本語訳すれば権力者あるいはリーダーが選ばれる過程での「正当性」という事になるのですが、それは単なる法規や規則に基づく正当性という事だけではありません。カリスマなどという言葉がある様にそれらを越えた暗黙の了解の様なものでもあって、その legitimacyを持つものは長年にわたる準備や強い素質の様なものを持っている事を意味します。これを90年代からの自民党にあてはめればこういう事になります。

90年代の与党時代の自民党トップ、即ち首相はほぼ田中派(の流れを汲む)という党内最大派閥の人間、ないしは田中派に支えられた人間、という一応の(低いレベルでの)legitimacyがありました。しかしそれを「ぶち壊した」のは「大衆人気」という怪しげなlegitimacyを基盤とするご存知小泉さんです。問題は小泉さんの後のトップのlegitimacyです。安倍、福田、麻生と続いた短期政権のトップの legitimacyの根拠を自民党は「毛並みと血筋」に見出したのです。しかし、その legitimacyは田中派派閥の持つ legitimacyほどは強力(資金に裏づけされた)なものではない「借物のカリスマ」にしかすぎなかった為に、まずは与党党内から足を引っ張られてしまう結果となり、崩れ去りました。

さて政権交代で野党になった現在の自民党のトップの legitimacyは選挙の大敗のショック状態の中で選んだからなのか、「最大派閥」や「毛並みと血筋」でも何でもないものとなりました。結果は全く「金」でもなく「人気」でもなく「パッション」でもなく「理念」でもない根拠、つまり何にもない根拠でつまらない普通の人間を「取りあえず」選んでしまったのです。この現在の自民党トップの谷垣総裁には従来の自民党型のlegitimacyというのは全くありません。しかしだからと言って従来の legitimacyに取って代わる強烈なlegitimacy(例えば世代交代や新たな理念を根拠とする)ものもありません。この legitimacyの喪失に大きな問題があるのです。

それでは谷垣総裁に代わるしかるべき legitimacyを持った人間が自民党にいるかと言えば、それは自民党が新たな legitimacyの根拠を持たない限り、それを持つ人間を担ぎ出す事はできません。それには自民党自身でその新たなlegitimacyの根拠を見出したり、作り出したりしなければならないでしょう。最早従来の「田中派」の様な露骨でレベルの低い「金権」に裏づけされたものというわけにはいかないし、ましてや「毛並み、血筋」という面では参議院議員の中曽根氏かあるいは皮肉な事に鳩山兄弟を呼び戻すくらいにしか候補者がいないのです。

それでは新たな legitimacyの根拠となりそうなものは何かと言えば、過去の legitimacyでは失敗してしまったという反省から、これらをまずは否定するものでなくてはなりません。そうなると将来に向けての未知なものに賭けるしかない。つまり、政治のシロウトでもすぐ判るのは「世代交代」、これしかありません。それも対戦相手の民主党には相当若手のイメージがありますから、思い切った世代交代をしないと強い legitimacyにつながらないのです。もう今の自民党に選挙民を引き付けるだけの新たな理念や綱領など生まれる筈はなく、またその必要性もありません。取り敢えずは衆寓におもねて政権を取り戻し、民主党政権によってもたらされた国家の危機から国を救う、これをまず考えて欲しいと思います。

2010年11月29日月曜日

米国大学への留学生

今月15日に Institute of International Education (IIE、米国NPO、国際教育研究所)が ”Open Doors 2010” というタイトルで2010年度における米国の大学への留学生に関する数字を発表した。これによれば今年度の留学生(大学)総数は昨年比3% upであり、約69万人となっている。

この中でも目立つのが留学生の出身国別で第一位である中国である。全体の 18%を占める12.8万人で、昨年度一位のインドを抜いて昨年比 30% upの急増である。因みに第五位までは、インド(15%)、韓国(10%)、カナダ(4%)、台湾(4%)と続く。日本はそれに次ぐ第六位(4%)であるが、特筆すべきは昨年比 15% downしている事であり、昨年度の14% downに続いて急激な落ち込み傾向を見せていて、中国の急増との対比が明らかである。今や留学生総数では日本からの数は中国からの数の1/5以下の数となっている。

日本の新聞ではこの傾向は「日本の若者の内向き志向が反映されている」と評している。確かに今の世の中では大手商社においてでも若手社員の間で海外勤務を避けたがる傾向があるというのを商社出身の現中国大使の方がテレビで嘆いておられたから、そういう傾向はあるのであろう。しかし、もう一面では日本人の若者にとって米国そのもの、あるいは米国への留学が魅力のないものに変わりつつあるのではないかとの見方もできるのではないだろうか。

因みに西欧先進国の英独仏からの米国大学への留学生数は合計でやっと日本からのと同じ程度であって、順位ではそれぞれ13位、14位、18位である。この三ヶ国以外では 26位のロシアまで全てが西欧以外の国である。つまり日本も今や英独仏並みに最早米国に夢見をしたり、何でもかんでも依存する様な国ではなくなったと見るべきなのだろうか。

この面では中国、韓国、インド(この三ヶ国からで全体の43%を占める)の学生にとってはまだまだ米国は夢の国であって、留学後はそのまま米国に留まり就職して永住、更には市民権の取得までを希望する者が大半であろう。つまり留学が一番手っ取り早い合法移民への道であり、それは同時に留学生の受け入れ先の州としては最大の California州への移民全体の現状を見れば一目瞭然である。社会の底辺をなすメキシコ系の不法移民は別として、西海岸へのこの中韓印三ヶ国からの移民の急増は顕著である。

米国の大学が教育機関、研究機関として日本の大学とは比べものにならないほどに恵まれたものである事は度重なる日本人ノーベル賞受賞者の中に在米の研究者の方が毎回の様におられる事からもうかがわれる。しかいそういう環境であっても日本の若者は最早米国の大学は誰もが皆行きたがる先ではなくなっているのではないだろうか。逆に言えば、日本に居続ける事の方が心地よいのではないかという事でもある。しかしそれ以上にそんな居心地の良い日本とは違って様々な不条理や矛盾を抱えて脱出したくなる様な途上国の若者にとっては、米国留学は純粋な学問の道よりも現実的な現世利益追求と現状逃避への道でもあるのだ。

2010年11月28日日曜日

フォークソングに思う

米国の TVチャンネルは 100以上はあるので見たい番組のあてもなくリモコンでチャンネルを切り換えていくとかなり忙しい。そんな中で偶々見つけたのがPBS系(公共放送)の寄付金集めの為に特別編成された60年代のフォークソングの music videoだ。この音楽ビデオ自体は当時のライブを収録したものの集成であるから黒白画像で画質も劣っている。しかし、音質だけは何とか聞けるものであって、日米を問わず我々団塊世代の人間には何とも懐かしい思いにさせてくれるものである。

このフォークソングなるものは60年代に米国の若者の間で爆発的なブームになったものであり、キングストントリオ、ブラザースフォー、ピーター・ポール&マリーの御三家は日本でも有名になって彼らは何回も来日して公演している。しかしながらこのフォークソングは同時期のロック、カントリーやソウル系とは違って70年代に入って急速に死滅してしまうのである。現在では新たに新曲が作られる事もなく、また新たな歌手やグループが世に出て来るという事もない過去の歴史上のジャンルとなっている。

さて、この特別編成された音楽ビデオを見ていると、そのライブに集まった観衆、聴衆の様子も興味深いものがあり、フォークソングそのものの以外に感じた事が二つある。それは唄うグループメンバーも観衆、聴衆もほぼ全て白人である事、もう一つはその白人達の表情や外見が今の米国人とは違って見える事である。何が違っているのかと言えば、それは明るく健康的で服装にも清潔感があり、いわゆる「古き良きアメリカ」を代表する様なものである。彼らと現代の若者との外見上の大きな違いは肥満体ではなく一様にスリムな体型であって、顔付きまでが現代の様な欲望に取り付かれた「卑しく醜く」さが無い所にある。それに女性に関しては今の米国女性ではまず見られない慎ましやかさまでを感じてしまうのである。

こうした録画ものからその時代の様子を見ていると、米国では同時期の 60年代のベトナム戦争を境にして社会が大きく変わってしまったのではないかという事を気付かせてくれる。ケネディー大統領暗殺直後には公民権法案が成立し、以降人種的にも白人中心社会から黒人のみならず、新たにラティーノ、アジア系、中東系などを含む多様な人種の社会に変貌していったのであろう。それと同時に人々の間ではそれまでのどちらと言えば、勤勉、実直、誠実で自律的な抑制の効いた社会から、よりむき出しの個々の欲望をエネルギー源とする拝金、物欲の社会に変化していったのかも知れない。その変貌前の60年代に白人中産階級社会で開花し、「古き良きアメリカ」とともに一気に死滅していったのがこのフォークソングではないかと思えてくるのである。

今回の米国の中間選挙で注目を浴びた Tea Party運動も実はこの辺の「良きアメリカ」を取り戻したいという願いが根底にあるのではないだろうか。我々外国人の目から見ても、60年代までの米国は社会が安定し、モラルも崩壊せず、また経済的にもうまく回っていた様に思えるだけに、世界のお手本となる、あるいは世界中からの憧れの国でもあった筈だ。移民社会米国がもう二度とあの古き良きアメリカには決して戻れないのは明らかであり、後は衰退の方向にどれだけ加速化されるかだけであろう。そういう複雑な思いでこのフォークソングの音楽ビデオを見ていたのである。