2010年2月25日木曜日

トヨタとロックフェラー


今回の米国でのトヨタ問題に関して米国議会側で解決への鍵を握るとみられている人物がいる。それは上院の商業科学運輸委員会委員長のジョンD. ロックフェラー(四世)氏である。同氏は学生時代に国際基督教大学に3年間留学した経験もある民主党きっての知日派、親日派であり、「Jayさん」として親しまれて日本では政財界にも顔が広い。同氏は富豪一家のあるニューヨーク生まれながら、全米でも最も貧しい州の一つとされている中西部のウェストバージニア州に自ら居宅を移し、同州の知事になって同州の発展に心血を注ぎ、その後引続き同州選出の民主党上院議員となっている。あの石油王ロックフェラー一世の曾孫であり、共和党の元大統領候補であったネルソン ロックフェラー氏は叔父にあたる。最近ではオバマ大統領の就任式で後ろの方の集団の中に同氏の顔が映っていたのを気づかれた方も多いであろう。

ウェストバージニア州というのはペンシルバニア、オハイオ、ケンタッキー、バージニアの四州に囲まれた州であるが、オハイオ川流域の谷間にある山岳地帯が中心で、これといった工業もなく、いわゆる poor whiteといわれる白人貧困層が多い州として、周辺の州とは違って経済発展から取り残されていた地域である。

1985年のプラザ合意の後、日本の自動車・家電・OA機器メーカーが米国内での現地生産を一挙に拡大していった際には全米50州の殆どの州が東京に誘致事務所を設けたのであるが、ウェストバージニア州1州だけはトヨタに近い名古屋市に1990年に事務所を設置した。既に1988年にトヨタはケンタッキー州に大規模な生産・組立拠点を設けていたのであるが、急増する日本車への需要に対応する為には米国内での第二、第三の工場設置の必要性はあきらかであった。かねてよりトヨタの創業家である豊田家と親交を深めていた Jay氏はウェストバージニア州への有力な誘致企業候補としてはトヨタ及びその部品メーカーに狙いを定めていたのである。その結果、1998年にはトヨタの米国内の四つ目の工場としてエンジンとトランスミッションの生産工場がウェストバージニア州に設立されたのである。

私はたまたま1990年頃にウェストバージニア州内のある工場設備の買収案件の話が持ち上がった関係で名古屋市にあるウェストバージニア州政府事務所と同州の環境対策や法規制に関して頻繁に連絡を取り合っていたのであるが、ちょうどそのタイミングもあって上院議員である Jay氏とホテルオークラで面会した事がある。同氏は身長が2メートル近くはあるかと思われる背の高い、いかにも育ちの良さそうな物腰の温和な感じのする紳士であった。結局はその工場設備買収案件は実現には至らなかったが、日本的な利権や経済的野心の対象とは全くならないそうした小さな個別の投資案件までに気を配るほどこの上院議員の同州経済発展への思い入れは強いのだなと感じたものだ。

現在同氏は上院委員会の委員長という立場上、表面上は中立を保っているが、トヨタ側にとっては同氏との長年の関係はプラスである事は間違いがない。またこの「Jayさん」がトヨタ創業家とトヨタという企業を深く理解する人物であり、私自身が会った経験から感じ取られる同氏のお人柄からも誠実にトヨタの為に協力を惜しまないであろう事は間違いない。

2010年2月21日日曜日

PIGS


PIGS、ギリシャ財政危機で表面化した経済危機が危ぶまれる南欧の国々Portugal, Italy, Greece, Spainの総称である。これらの国々はEUの中核である独英仏に比べると経済構造が脆弱であり、財政規律に関してはルーズである。なぜギリシャ財政危機の様な問題が起こるかと言えば、一言で言えば、経済レベルの全く違う国々の間で無理やりユーロという共通通貨を導入した事にある。つまりユーロ加盟各国政府はユーロという共通通貨のおかげで、その時々の経済状況に対処する為の独自の金融政策はとる事が出来ず、財政政策しかとれない事にある。

本来 EUの本格的統一や通貨統合というものは、「人、物、金」の移動が促進され、経済が活性化される事から、こうした南欧や東欧、バルト三国といった国々の方にメリットがある筈であるが、それは同時にそういった地域へのバブルを誘発してしまう危険性もはらんでいる。特にこうした地域ではもともと経済活動が高度化していないだけに経済政策、財政規律の面でも問題が多い。つまり表現は不適切で悪いが、「経済のシロウトが身の丈に合わない借金をしてバブルに手を出す」様なものであり、アルプスの北と南ではとても経済面、ビジネス面では同じ市場とは思えないという事である。

そもそもユーロの総元締めである欧州中央銀行はフランクフルトにあり、基調としてはブンデスバンクの流れを汲むドイツ式の厳格な金融政策が取られてきている。それでは何故欧州EU全体で圧倒的な経済力を持つ優等生のドイツが自らを犠牲にしてユーロ導入に踏み切ったのかと言えば、それは「ドイツ統一」との深い関わりであろう。1989年のドイツ統一による東側復興の為に統一ドイツは大幅な財政赤字を抱え込む事となり、当然の結果としてドイツマルク金利の上昇がもたらされた。欧州ダントツの経済大国ドイツが高金利となれば、従来の固定相場制を維持するにはポンドもフランも金利を上げざるを得ず、それは必ずしも不況に苦しむ各国の経済状況からは望ましい事ではない。そうした混乱を避ける意味からも従来の通貨統合の動きが一気に加速されたのである。

もう一点はおそらく政治的なものであろう。既に複数のメディアが報じている通り、東西ドイツの統一の動きに対しては、フランスのミッテラン大統領とイギリスのサッチャー首相が露骨に警戒感を露わにして、ゴルバチョフ大統領に統一を阻止する様に働きかかけた事は事実の様である。そうしたフランスとイギリスに対して、東西ドイツの統一を歴史的、政治的使命とするコール首相の「ドイツ統一認知」を得る為の思い切った妥協策であろう。コール氏の決断により一気にドイツ統一の動きが加速し、また同時にユーロ導入の具体化への動きも加速されたのである。
そもそも通貨というものが自然発生的なもので、その国の歴史、伝統、文化、社会と無関係のものではない筈である。それをEUは経済活動のグローバル化の中で米国やアジアと競合する為、あるいは欧州域内での金融、投資、貿易、決済の利便性の面から、加盟国の国家主権はそのままにして、通貨を無理やり人工的に統合してしまおうという「革新」を行ったわけであり、そこには決してプラス面だけではなくマイナス面もある筈である。

イギリスは依然としてユーロには不加盟であり、保守党がユーロ参加に一貫して反対してきているのは、統一通貨に基づく共通の金融政策に縛られる事なく、主権国家として自国の経済状況に応じての政策が打てるという自由度を確保する為であり、これが長い目で見れば真の「保守」としての正しい選択であるのかも知れない。

2010年2月2日火曜日

綱領なき政党、民主党


いやはや、類を見ない「気色の悪い」総理大臣の施政方針演説であった。「いのち」「いのち」と繰り返す、その姿をテレビで見ていて本当に気持ちが悪くなったのである。一国の指導者である総理大臣の施政方針演説が「いのち」である。かっては、その内容がつまらない、魅力がないという総理大臣の演説はあった。しかし演説を聞いていて、気持ちが悪くなるのはいまだかって初めての経験である。その「いのち」を繰り返すのだけは止めてくれと言う感じである。こういう言葉を演説で平気で繰返せるというのは、この人物は体の底からの偽善者なのであろう。あたかも「資力も、知力も、家系も恵まれたこの僕こそが皆さんの命を救ってあげるのですよ」と言わんばかりである。

いのちの大切さが大事である事を否定する人間は今の世の中にはまずいないであろう。しかし、その言葉をことさら取上げると言う事は、「いのちが大切だから」という大義名分の為に国は自分達の面倒を何から何まで徹底的に見るべきであるという、自律、自主、自立の精神を否定してしまう事につながりかねない。ケネディー大統領のあの有名な演説の「国が何をしてくれるかではなく、国の為に何が出来るかを問え」とは180度違った国民への呼びかけではないだろうか。

そもそも何故この様な気持ちの悪くなる「いのち」という言葉が理念として使われたのか、これをまず理解しておかねばならないだろう。つい最近自民党は新たなる党の綱領というものを発表したが、自民党が言う通り、確かに民主党には政権を預かる政党にも拘らず、党の綱領というものが存在しない。いや綱領などというものはそもそも作れないのであろう。自民党の綱領はその冒頭に党組織の目的として「自由と民主」と「日本らしい日本の確立」という極めて明確で分かり易い理念が述べられている。事実、現在の民主党の様に党内での自由な発言さえ制限、自粛させられているという「自由と民主のない」異様な体制と体質の政党との違いを明らかにしたものである。

政党として綱領がない、即ち公表できる共通理念がない政党というものは一体どういう政党であろうか。それはまさに闇将軍幹事長の権力欲が基盤になって、闇将軍の独裁体制の元で政治理念がないまま権力欲のままに動く政党という事であろう。従って、その政党から総理大臣が施政方針演説でその理念を語る場合には、こういったまさに気持ちの悪くなる様な偽善的な言葉を使うしかないのであろう。総理大臣自らが「具体性がないと批判されると思う」と直後の記者会見で述べているのは全く国民を馬鹿にした話である。総選挙結果で政権交代が実現したので、国民の負託を受けているから今更政策の具体策なんかは述べても意味がないでしょうという気持ちの表れだ。

この総理大臣には一体自らがいかに情けない姿をさらしているかの自覚がないのであろうか。同じくまことに情けない姿をテレビにさらしてしまったのがこれまた、副総理である。マニュフェストにある「脱官僚依存」というのは国家のあり方を説く一つの政治理念であるが、先日の参議院予算委員会での菅財務相の答弁に見られる様なお粗末で官僚依存そのものの情けない姿はまさに現行不一致の皮肉である。三人もの財務省の役人があわてて答弁につまった菅大臣の前に集まってきてしゃがみ込み、必死で答弁内容を教えているのである。財務大臣なら当然知っているであろう、大学の経済学部一年生が学ぶ程度の内容の「消費性向、乗数効果」の質問である。

偽善者そのものの総理、脱官僚を叫ぶ割には官僚依存の情けない副総理、お二人には少しだけでも良いからあの闇将軍の偽悪的な図太さを学んではどうかと言いたくなるのである。